リバウンダー細巻太瑠
詩一
リバウンドの天才
それを人は
——リングの上。
もともとはダイエットのために始めたボクシングが始まりだ。そのジムにはダイエットのプログラムに参加するグループと本気でプロを目指すグループがおり、二分化されていた。サンドバッグやパンチングボールは共通で自由に使えるうえ、プロを育てるコーチがミット打ちの相手になってくれる。それがとても楽しく、辛いはずのダイエットもまったく苦ではなかった。
「君、なかなか筋が良いな。プロを目指してみないか?」
突然のことだったが、太瑠は二つ返事だった。ボクシングが楽しくなっていたから。
太瑠は、技術面はパッとしなかったが、減量の才能は
しかし、高身長に極度の低体重。こうなるとほとんど骨と皮だけのような状態である。周りからはいくらなんでも無茶し過ぎだと心配された。
だが太瑠はそんな周りの心配をよそに、見事なリカバリーを見せた。
ボクシングの主催者によって変わるが、多くの場合は試合の一日前に計量を行い、その階級の規定に体重が入っているかを測定する。これをクリアすれば、試合が始まるまでの間にどれだけ体重が増えても許される。つまり選手は試合が始まるまでの間に、自由にご飯を食べて体力の回復に努めることが出来る。計量が終わってから試合が始まるまでの4回の食事。これがリカバリーと言われるものだ。だがこれが、簡単ではない。なんでもかんでも食べればいいというものではないのだ。
計量のために選手はギリギリまで体重を落とす。減量の追い込みでは、水すらも飲まずひたすらサウナや半身浴などで汗を流して体中の水分を出す、水抜きと言われる作業を行う。選手は脱水症状を発症しながら計量を行うこともある。そんな状態から食事をすると言っても、まず重いものは胃が受け付けない。手始めに経口補水液、お粥など消化に良いものを食べて徐々に胃を慣らしていく。試合前の最後の食事にようやく好きなものを食べられる。ちなみにこのときに食べる物はゲンを担ぐことがままあり、
リカバリーには相当な戦略性が要求される。失敗すれば、選手は健康状態を崩した状態でリングに上がらなくては行かなくなるのだから。
しかし太瑠の異常体質は、そう言う『常識』の壁を見事なまでにぶち壊していた。
太瑠は計量が終わった直後からステーキと寿司、ラーメンなどの高カロリー食品をひたすら食い続けられると言う強靭な胃袋の持ち主だった。そこに減量によって引き起こされた
しかしただのデブになるわけではない。確かにぽっちゃりするにはするが、もとよりボクシングをやって引き締まったマッスルボディなのだから、体全体にバランスよく肉が付いて行く。
そして試合当日にはプラス30kgの77kgでリングに上がることが出来た。
これには相手選手も
こと格闘競技に置いて体重差と言うのはそのまま強さに置き換えることが出来るほどの差になる。30kg増えたらそのままパンチ力が30kg増すかと言われればそうではないが、しっかり
もともと身長の高い太瑠と低身長の相手選手が並ぶと、もはや大人と子供のような対格差となった。ゴングと共に、太瑠は体重を乗せた重いパンチを次々に放って、敵をリングに沈めた。
こうして初めての試合を白星で飾ることが出来た。特に注目されていなかった太瑠だったが、ボクシング界の常識を覆すような戦法で勝利をしたことで、各方面からの注目を一気に浴びることとなった。
とんでもない怪物が現れた。
常識破りのスーパールーキーに、メディアは挙って太瑠の試合を取り上げた。
各選手とジムは細巻太瑠対策を講じた。まだ新米の選手に対して対策を練るなど、異例中の異例だった。
一方で、このリカバリーに対して非難の声も上がった。
「試合当日の体重差が25kgもあったらいくらなんでも不公平だ」
「異常な減量とリカバリーは著しく健康を害するのではないか」
太瑠は大変ショックを受けた。
(僕はただ、ボクシングとダイエットとご飯を食べることが大好きなだけなのに……)
太瑠に戦略などというものはなかった。ボクシングが好きだったから試合に臨んだし、ダイエットが好きだったから減量も落とせるところまで落としたし、ご飯を食べるのが好きだったからリカバリーで体重が爆上がりしただけなのだ。彼自身なにも悪いことはしていないし、知略謀略の限りを尽くして相手選手を
この太瑠の気持ちに気付いたように、ボクシングファンの中では彼を擁護する声が上がった。
「彼はルールを破ったわけではない。ルールの中で戦っている。公平だ」
「昔、リカバリーで体重を10kg以上増やした選手が居たが、体重が6kg軽い相手に負けていた。これは体重が増えたから勝てると言う単純な話ではないことを物語っている」
「無理をしてリカバリーをしているようには見えなかった。彼は健康だからこそ他の人が出来ないようなリカバリーが出来るのだろう」
しかしそんな彼の背中を押してくれる声が湧き上がる中で、初黒星を喫してしまう。
相手選手は、太瑠の重いパンチを食らわないようにフットワークに磨きを掛け、持久戦に持ち込んで辛抱強く耐え抜くファイトスタイルに変えていた。正直なところ、相手のパンチは太瑠には効いていなかったが、ジャッジの印象に残るようなパンチがいくつかあれば判定では不利になる。ノックアウトを取りに来るようなパンチがあれば太瑠もカウンターを入れられたが、そんな攻撃は一切来なかった。結果判定負け。太瑠は敵の戦略に完敗した。
自分の戦い方が通用しない。せっかくファンが声援を送ってくれていると言うのに。太瑠は悔しさを噛みしめ、そして諦めなかった。
太瑠は応援してくれるファンに報いるために、決意をした。自分の才能に磨きを掛けることを。
そして次の試合の当日、すべての人々が目を疑った。そこには一人の巨人が立っていた。レフェリーは思わず「ご本人ですか?」と尋ねたくらいだ。
太瑠は47kgまで落とした体重をたった一日で100kg以上増やし、150kgの体重でリングに上がったのだ。
ボクシングの長い歴史の中で、レフェリーが「はっけよい」と言ってしまったのは後にも先にもこのときだけだろう。
「ファイッ!」
レフェリーは顔を真っ赤にしながら言い直した。
太瑠は全神経を足に集中させ爆発するように前進。同時にストレートを放つ。スピードと体重が乗った状態で高身長から振り下ろされたパンチは、相手をガードごと吹き飛ばした。選手がそこから立ち上がることはなかった。一撃のもと、試合は幕を閉じた。
歓声が上がった。
試合後、たくさんの記者に囲まれて受け応える。
「僕は、とにかくボクシングが好きなんです。それにダイエットも食べることも好き。だから、減量もリカバリーも全然きつくないです。応援してくださるファンの方々も大好きです。いつも応援ありがとうございます」
彼のファイトスタイルはファンからの擁護を受けていたから、これほどの体重増量があってもバッシングを受けることはなかった。そのうえさらに、彼の前向きで純粋な性格がより多くの民意を味方に付けた。
独自のファイトスタイルを貫き通し、太瑠は白星を重ねていった。そうしていくうちに、ファン以外からも称賛の声が上がるようになる。
世界に出ても無敗の彼は、ヒーローのように扱われた。
ワイドショーは挙って彼の二つ名を付けたがった。
『祝福されし体』
『ミスターワンパンチ』
『リングの上の力士』
多くの二つ名の中でも太瑠が特に気に入ったのは『フェアマン』と言う名前だった。初めての試合で不公平だと言われたときに、自分を守ってくれた人たちを思い出せるから。
彼のボクシング人生は順風満帆に思われた。
しかし、突如としてそれは終わりを告げる。
ボクシングのルールが変更されたのだ。それは、計量を前日ではなく当日にするというものだった。昔は当日計量だったため、ルール変更は滞りなかった。伴って、無理な減量をさせないために水抜きを禁止するルールが付け足された。水抜きの有無は、尿検査により調べられることになった。計量後のリカバリーの体重差で白星を築き上げていた太瑠にとってこのルール変更はあまりに大き過ぎた。
どうしてこのような運びになったのか。それは、子供を持つ親からボクシング協会に対してのクレームが相次いだためだった。太瑠が活躍し始めてから子供が急に食事を取らなくなったり暴飲暴食をするようになったりしたらしい。子供にしてみれば、ヒーローへの憧れから来るごっこ遊びだったのかも知れないが、発育著しい時期にそんなことをしたら成長に悪影響を及ぼすのは火を見るよりも明らかだ。
細巻太瑠は、自身が作り上げた一大ムーブメントに、図らずも首を絞められるような結果になってしまったのだった。
それから彼は黒星が続き、引退を余儀なくされた。
『ルールに見放されし男』
そんなタイトルと共に、彼へのインタビューが雑誌に掲載された。
「ルール変更後、まったく勝てなくなってしまいましたが、これについてどうお考えですか?」
「単純に悔しいですよ」
「ヘビー級への転向はお考えてではないのですか?」
「考えてないです。そもそも僕は、強くなかったんだと思います」
「でもみなさんあなたの強さは認めていますよ。ルールを守って公平に勝ってきた。フェアマンの名は伊達じゃあない」
「変更前のルールが僕に合っていただけです。変更があったら勝てなくなるって言うのはルールを守っていたって言うよりはただ……ルールに守られていただけなのかなって」
※ ※ ※ ※
リングの上から姿を消した太瑠。しかし数か月後には別の方法でお茶の間を賑わせていた。バラエティー番組に出演していたのだ。大食い企画、ダイエット企画なんでもござれの体型自由自在タレントと言う唯一無二の存在として。今度はダサいTシャツを着て、誰からもヒーローだと言われないようにして。
リバウンダー細巻太瑠 詩一 @serch
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