左手でしか触れられない君達へ

禁煙止メ太郎

左手でしか触れられない君達へ

 目が覚めると、私の両足首を掴む誰かが居た。


 ■■■


 とある県のとある市のとある街。

 電車は一時間に一本。バスも一時間に一本。周りは発展しているとはお世辞にも言えない街に、ある商店の名前は佐久間商店という。

 この店がこの街に出来てから、もうすぐ十年は経つのだが、元々あった一軒家を店にしたおかげもあって、築三十年の建物はあちこちが酷い有様だった。しかし、周囲にはコンビニもスーパーもなく、ショッピングモールがある隣街には電車で二駅程度。ただし、その二駅の移動時間は三十分以上あるおかげで、それなりに使い勝手が良いらしく、親子二人が生活するには十分な稼ぎはある。

 そんなオンボロ商店を訪ねて来たのは、北川さんという二十代の女性だった。開口一番、僕を見た彼女は訝しげに尋ねる。

「あの、本当に貴方が霊能力者なんですか?」

「一応はそういう部類らしいですけど……ご不満でも?」

「不満というか、なんというか……」

 北川さんは店内を見回して、最後にもう一度僕を見る。目と目が合い、彼女の顔には不満よりも不安の文字が浮かんでいた。

「貴女がどういう説明を受けて此処に来たのかは知りませんが、僕としては本業がこの店で、霊能力者の真似事は副業なんですよ」

 彼女の不安も理解する事は出来る。大方、霊能力者などというインチキ臭い触れ込みをするような奴ならば、店の中は薄暗くて、わけのわからないアイテムが揃っていると想像していたのだろう。

 残念ながら、この佐久間商店はそこいらのコンビニと勝負できる位の品ぞろえはしているつもりだ。訳のわからない心霊屋と一緒にされては困る。

「まぁ、とりあえず座ってください。今、お客さんは居ませんし、夕方まで暇なのは保証できますから」

 北川さんを席に座らせ、店の商品であるインスタントコーヒーを開封して、彼女に出す。紅茶の方が良かっただろうか、と思ったが僕がコーヒーを飲みたいので、今回は我慢してもらおう。

 とうせ、今回だけの関係なのだから。

「それで、貴女はどんな困り事があってうちに来たんですか?」

 僕が尋ねると、北川さんはしばらく黙り込み、語りだした。


 ■■■


 北川さんの本名は、北川美子というらしい。

 歳は今年で二十四歳。大学を卒業して今年から二駅離れたショッピングモールで働いており、職場近くにアパートを借りて生活しているようだ。

 そのアパートは築五年で家賃は六万弱。立地条件は良く、風呂とトイレは別。しかもアパートなのにオートロック付きという破格の物件だ。となれば、値段に相応する何かがあるかもしれない、と彼女は思っていた。

 しかし、思っていただけで、それを調べようとはしなかった。当然だ。しばらく住んでも何の現象も起きない。目に見えておかしな事があれば気にはなるが、何も起きなければ、この物件は単なる優良物件でしかない。

 少なくとも、最近まではそう思っていた。

「夜に目を覚ましたら、私の両足を誰かが掴んでいたんです」

 そう言って、北川さんはズボンの裾を捲り、僕に見せる。

 そこには両足首に、誰かが掴んだ痕がはっきりと刻まれていた。

「なるほど、これは確かに―――」

「うわっ、すっごい痛そう」

 突然、背後から聞こえた声に北川さんが驚き、悲鳴を上げる。

「……サキ。普通、帰った時はなんて言うか、高校生に君に質問しなくちゃいけないのか?」

「ただいま、ヨシテル君」

「お父さんと呼びなさい」

「ヨシテル君は、そういうキャラじゃないから」

「キャラとか関係なくて、僕は君の父親なんだからお父さん、もしくはパパと呼んでも良いじゃないか」

 高校の制服を着た女子高生は、佐久間サキ。僕の高校二年生になる娘なのだが、

「お子さんですか?」

「えぇ、そうなんです。すみませんね、喧しい子で」

「あの、失礼ですけど、佐久間さんのお歳は……」

「二十九になります」

 歳を応えれば、なんとなく僕とサキの関係を察してくれるのは、彼女が大人だという事だ。でも、それを初対面の人間に聞くのは、まだ大人としてのアレは低いのだろう、と失礼な事を考えてしまう。

 サキが北川さんの足首にある痣を見て、

「痛くないの?救急箱を持ってこようか?」

「あ、痛くはないです。掴まれた時はすごく痛かったんですけど、今は全然……でも、この痣が全然消えなくて」

「ふぅん、ヨシテル君。これって霊障って奴じゃないの?ほら、幽霊が掴んだ場所に出来るって奴」

 この子は僕がそういうのをわからないって知ってて、意地悪な顔で聞いてくるから、困っている。

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」

 曖昧な僕の言葉に、北川さんは首を傾げる。

「あぁ、すみませんね。曖昧な返答をしてしまって。実は僕、幽霊とかそういうのに詳しい専門家ってわけじゃないんですよ」

 北川さんは「え?」と口を開けたまま、固まってしまう。だが、後になって言うよりも、今の内から言っておいた方がダメージが少ないだろう。

「北川さんは、僕を心霊のエキスパートみたいに思って来たかもしれないですけど、僕は基本的に経験だけでやっているような人種なんです。だから、あんまり心霊現象に深い知識があるとか、そういうわけじゃないんですよね」


 ■■■


 佐久間ヨシテル、二十九歳。女性のお宅にお邪魔するのは久方ぶり。

「この部屋の何処かにお札とかありますか?」

「いいえ。一応、部屋中を見てましたけど、そういうのは全然……」

「そうですか。ちなみに、大家さんには今回の事を相談とかしてますか?」

 北川さんは首を横に振る。

「それは上々。こういう話をすると大抵は碌な事になりませんから」

 部屋の中を一通り見て回り、彼女の言うように奇妙な物は一切見当たらない。むしろ、何も無さ過ぎて困惑している。

「多分ですけど、今回の事は部屋とは関係ないかもしれないですね。この部屋、そういう連中が屯するような感じはしませんし、通り道みたいなのも無いですね」

 となれば、関係あるのは部屋ではなく、彼女自身という事だ。

「北川さん。最近、親族の方に不幸とかあります?」

「……はい。二年前に母が病気で亡くなりました」

「なるほど。それじゃ、今回の件はお母様に関係する可能性もありますね」

 半分は勘だ。だが、僕にしてみれば勘が全てでもある。

「失礼ですが、お母様の事をお聞きしても?」

 北川さんは少しだけ躊躇したが、了承してくれた。

 彼女の家族は母子家庭。彼女が高校を卒業する頃に両親は離婚。

 原因は父親の素行不良。大人に対して使うような言葉ではないが、それが事実。定職にはついていたが、家族を大事にするような男ではなく、他所様の女性と関係を持ったり、職場でも色々とトラブルを起こすような人間だった。そんな人間と所帯を持った母親は、北川さんが高校を卒業するまでは我慢して、卒業と同時に離婚した。

「ですが、父はその離婚に同意はしようとしませんでした」

 それでも離婚したというのならば、それ相応の苦労があったに違いない。詳しい事は他所様の事情なので、詳しくは聞こうとは思わないし、今回の原因にあるのは母親だけだろう。

「父と別れた事で、母もホッとしたんでしょうね。今までの苦労が一気に無くなって、凄く明るくなりました……でも、その翌年に病気が発覚して」

 時すでに遅し。

 母親の治療は困難ではなく、不可能という結論が出てしまった。母親は病院に入院する事はせず、最後まで北川さんと一緒に生活する事を選んだ。北川さんもそれを望み、大学に通いながら母親との生活を続け、そして終わりを見届けた。

「お母様は、病気で大変苦しんでいた、とか?」

「苦しくない病気なんてありませんよ。ですが、母は私の前ではいつも笑顔でした。苦しいはずなのに、私の為に毎日家事をして、料理も作って、私の大学での事も聞いてきて、毎日、毎日……」

 言葉を紡ぐ事は、それ以上は無理だった。北川さんはハンカチで目元を隠し、嗚咽を零す。

 ここで追い打ちをかけるような質問が出来る程、僕は人間は辞めてないし、プロフェッショナルでもない。彼女が落ち着くまで待つ事にしよう―――そう思った瞬間だった。

 背筋を何かがそっと撫でた。

 物理的ではないが、感覚的にそれが何かを理解した。先程まで何も感じなかった空間の中で、それは部屋の中を充満する空気を変貌させる。

 まず、感じたのは怒り。

 次に感じたのは悲しみ。

 最後に感じたのは、

「……ふぅん、そういう感情を向けてくるんですか」

 僕の言葉に、北川さんが反応する。

「もしかして、何か居るんですか?」

 彼女は何も感じていないのだろう。周囲を見回しているが、その瞳がソレを捉える事はない様だった。

「貴女のお話は大体は本当みたいですね。此処は確かにそういうモノがいますよ」

 感覚は徐々に大きく、そして強くなっていく。これ以上、此処で話を続けるのはあまりよろしくはないと判断し、僕は北川さんを連れて部屋を出る。

 最後に感じたものは、彼女の前では口にできなかった。

 だってそうだろう。

 彼女の愛した母親は、明確なる殺意を向けて来たなど、言えるはずがない。


 ■■■


 ショッピングモールにある喫茶店で、インスタントではないコーヒーを注文する。

「……あの、佐久間さんはどうやって幽霊を除霊するんですか?」

「除霊、ですか……うぅん、なんと言ったらいんですかね、それは」

「やっぱりお経とかですか?」

「いや、お経なんて使いませんよ。そもそも、考えてもみてください。北川さんはお経を唱えられて、どう思います?」

「どう思うと言われても……」

 これは聞き方が悪かったかもしれない。

 正しい聞き方は、これだ。

「お経を聞いて、北川さんはその意味を理解する事は出来ますか?」

「それは……えっと、よくわかりません」

「それが答えですよ。日本人の大半がお経の意味なんで知らない。その行為には意味があったとしても、お経の内容までは知らない。つまり、除霊するのにお経を使うっていうのは、よくわからない言葉を永遠と聞かされるだけの嫌がらせに近いんですよ」

 もっとも、お経自体には確かな意味があるのだが、今回は意味がない話だ。

「映画とか漫画とか、そういう媒体では除霊するのにお経を唱える描写を良く見かけますけど、僕個人の意見としてはあんまり意味がないと思うんですよ」

「……思う?」

「はい、思うだけです。実際は効果があるかもしれないですけど、僕はその場面をフィクション以外で見た事がありませんので。それに日本人って宗教にはあまり興味がないでしょう?他の国よりもそういう感心の低さが一番目に見える国だと思うんですよ」

「そうでしょうか?私達は良くお正月には神社に行きますし、お参りとかもしますよ」

「それはそういう習慣があるだけです。日本人の中の神様っていうのは、明確な形や名前が無い、神様っていう名前をなんとなく知っているだけで、信仰まではしてないと思いますよ。ほら、そういう意味では八百万の神って言葉は、日本向けだと思いませんか?」

 自分でも暴論だとは思っている。

「海外では幽霊は悪魔みたいな考え方があるじゃないですか。となれば、悪魔祓いはこっちでいう除霊みたいなものなんですよ。北川さんは、エクソシストっていう映画を見た事はありますか?」

 いいえ、と北川さんは首を振る。

「面白い映画なので、一度見てみると良いですよ。その映画では悪魔に憑依された少女を、悪魔祓いで救うって話なんですけど。これは海外だから出来る事であって、日本では不可能だと思うんですよ」

「それは……向こうでは、宗教が根付いているから、ですか?」

「僕はそう思っていますよ。日本人がお経を聞いても意味が分からないですが、向こうの人々は聖書の内容を知っている人は結構多いんですよ。発行部数が世界一の書物は偉大ですね」

 つまり、信仰心があるからこそ、悪魔祓いは成立する。反対に日本では仏教が普通であっても、そこに信仰心が伴っていない。

 日本人もお経の意味を理解するような人種であれば、僕も苦労はしない。

「……それじゃ、佐久間さんはどうやって除霊をするんですか?」

 此処で話は最初に戻るのだが、

「話し合いですね」

「話し合い?」

「向こうが何をしたいのかを知り、どうすれば出て行ってくれるのか、それを調べて交渉する。生きて様が、死んで様が、そこら辺は変わらないんですよ」

 もっとも、それ以外の手段がないわけではないが、それはあくまで最終手段であって、常套手段ではない。

 使わないに越した事はないし、出来れば僕だって使いたくはない。


 ■■■


 陽が沈み、世界が夜色に染まれば彼等の時間。

 北川さんを外で待たせ、僕は一人で部屋の中に佇む。先程の感覚は薄くなってはいるが、確実に此処に存在しているのは明白だ。だから、僕が最初にするべき事は此処に住まうもう一人の住人を引っ張りだす事から始まるのだが、

「さて、北川さんのお母様。いらっしゃいますか?」

 とりあえずは語り掛ける事から始まる。

「僕は佐久間ヨシテルと申します。北川さんとは今日会ったばかりなのですが、怪しい者ではございません。無論、北川さんに害を及ぼすような者でもありません」

 返答はない。

 感触もない。

「僕とお話しませんか?」

 返答はない。

 感触もない。

「悪い様にはしませんので、如何でしょうか?」

 返答はない。

 感触もない。

「―――あんまり無視するようならば、彼女に害を成すかもしれませんよ?」

 返答はない。

 感触は―――あった。

 見えない何かが僕の首に触れる。いや、そんな生易しいものではない。明確な殺意が籠った感情で僕の首を絞め上げる何かが現れた。

 突然の事に、一瞬パニックになりそうになるが、あくまで一瞬。すぐに餌に獲物が掛かった事に安堵する。しかし、相手の力は予想以上に強力だったのか、床についているはずの僕の足は宙に浮きあがる。

 目には見えない何か―――しかし、僕には見える何か。

「あぁ、やっと会えましたね」

 僕が微笑みかけるが、相手は憤怒の表情を浮かべている。

 病気で亡くなったと聞いていたが、その情報に嘘はなく、僕の首を絞める手は枯れ木の様だった。血管と骨が露出している様に見える手はがっちりと僕を掴んで話さない。その手の主である母親は、痩せこけた顔に充血した瞳で僕を睨みつける。

 相手が姿を見せた事で、漸く会話が始まるのだが、相手が敵意を向き出す限り、こちらの話など聞いてくるはずもない。

 まずは会話に持ち込まなければ意味がない。

 何より、相手に敵意を向けられ、何時までも優しいままではいられない。

 僕は枯れ木の手に左手を添える。その瞬間、母親の怒りの形相は一瞬で変化する。僕は手を掴む。まるで本物の、生きている人間の手を掴むように。

 鼓膜に響く声にならない声。

 生きている者が恐怖する声に似ている。

 その声を出すのは僕ではなく、母親。

 僕に捕まれた母親は、まるで悪さをした子供の様に脅える。その姿は今までの狂人じみたものではなく、常人が恐怖に直面した時と同様だった。

「さて、お話しましょうか」

 ここで手を放せば、きっと母親は消えるだろう。勿論、逃げるという意味だ。だから僕は彼女の手を放す事なく、会話を始める。

 実を言うと、僕は北川さんに嘘を教えていた。

 僕は除霊は出来ないので、相手と交渉して出て行ってもらう、という様な事を言っていたが、実際はそうではない。

 これは交渉は交渉でも、恐喝という部類に入る交渉なのだ。

「僕としては不本意でもあるんですけど、昼間にあれだけ殺意を向けられれば、貴女が北川さんの母親として接するには、些か不都合だと思いましてね。勿論、貴女が敵意もないだけの人ならば、もっと時間をかけて交渉するつもりではあったんですよ。これ、嘘じゃないです」

 しかし、今回はそうじゃない。

 昼間の一瞬で十分に理解できた。

 彼女は、北川さんの母親は彼女に害を与える存在だ。

「彼女は依頼人ですので、彼女を守るのも僕の仕事なんです。ですから、このような手段を取る事は謝っておきますよ―――さて、それではお願いしましょうか」

 母親の手を自分に引き寄せ、恐怖に染まった瞳を覗き込む。

「どんな理由があるかは知りませんけど、此処を出てってもらいませんか?」

 母親は答えない。

 答える術がない事は知っている。

「悪い様にはしませんから。貴女が彼女に害を成さないと誓うなら、僕は早々に退散します。成仏しろとも言いません。ただ、黙って彼女を見守ってくれれば良いだけですから……ね?」

 それ故に僕は尋ねる。

「ね?」

 相手が根負けするまで、

「ね?」

 相手が屈するまで、

「ね?」

 何時までも、何時までも、何時までも―――


 ■■■


 帰宅すると、サキが閉店準備をしていた。

「おかえり、ヨシテル君」

「ただいま、サキ」

 サキは制服の上にエプロンを着ており、僕と北川さんが出て行ってから、そのまま店番をしてくれていたようだ。

「ご飯は食べて来た?」

「いいや。サキはもう食べたのかい?食べてないなら」

「外食にでも連れて行ってくれるの?」

「余ったお弁当が今日の晩御飯だよ」

「そう言うと思った」

 僕の回答を予想していたのか、サキは売れ残った弁当とカップみそ汁を二人分取り出す。弁当はレンジに、みそ汁にポットからお湯を注ぎ、質素で日常的な家族の晩御飯になった。

「あのお姉さんの件は解決したの?」

「多分ね」

「へぇ、すごいじゃん。お疲れ様」

 別にいつも通りなので、凄いとは思わない。僕がした事は死んだ相手に対して、武器を持って恫喝する地上げ屋みたいなものだ。精神的には疲れはするが、体力的にもきちんと疲労はする。

「お礼は後日だってさ。まぁ、たいしたお金が入ってこないだろうけど、君を大学まで通わせる為の貯金にはなるだろうさ」

「だから、私は別に大学に行かなくても良いって言ってるじゃない。ヨシテル君が苦労するのは、娘の私の意思に反していると思います」

「僕は君の親だからね。その位はしても良いと思ってる。あと、君を大学に通わせる程度には、貯蓄はあるっていつも言っているだろ」

 大学に通う事が人生一部とは言わないし、大学に通わないと生きていけないとも言えない。だが、娘に選択肢を与えるのも父親の義務だとは勝手ながら思ってはいる。

 例え、血が繋がらない娘だとしても、サキは僕の大切な一人娘なのだから。

「まぁ、ヨシテル君が頑固なのは知ってるから、大学も選択肢の一つとして考えておくけどさ……それでも娘として心配はしてるんだよ」

「はは、優しい娘を持って、僕は幸せ者だよ」

「誤魔化さないの。ヨシテル君の体を心配するのは当然じゃない。幽霊退治する時は、いつもすっごい疲れて帰ってくれるじゃない」

「体力は使うからね、あれは」

「しかも、今回は相手にしてきたんでしょう?娘として心配して当然じゃない」

「それも何時もの事じゃないか……ん?」

 はて、どうも聞き逃してはいけない事をサキが口にした気がする。

「サキ……今、なんて?」

「だから、娘として心配するのは当然だって」

「いや、そっちじゃない」

 サキも気づいた。

「え、だって……二人、だったんだよね?」

 僕が見落としていた事に、気づいた。

「いや、一人だった……」

「嘘、そんなはずない」

 サキは言う。

「あの足についてた手の痣……だったよ」


 ■■■


 僕とサキを乗せた車は、法定速度を軽く超えたスピードで飛ばしたおかげで、一時間もかからず北川さんのアパート前についた。

 エントランスの前で部屋の番号を押下するが、返答はない。もう一度試してみたが返答はない。

 返答はないが、何故かエントランスの扉は解放された。

 嫌な予感がするので、サキに待っているように言ったが、返答は拒否。親としては残っていて欲しいのだが、いざという時に頼りになる相棒としては頼もしい。

 北川さんの部屋の前に着き、インターフォンを連続で押すが返答はない。留守かもしれない。留守であって欲しかったが、ドアに耳を当てた瞬間、中から絹を裂くような悲鳴が木霊する。

 ドアノブを何度も引いてみるが、まったく動かない。しっかりと鍵が掛かっている。恐らく、鍵だけでなく、ドアガードも掛かっているだろう。

 防犯がしっかりしているが、今回はそれが仇となっている。

「ヨシテル君、どいてッ!」

 サキはそう言うと、その場でバレエダンサーの様に一回転。一回転すると同時に繰り出した蹴撃がドアに叩き込まれる。

 一撃だった。

 一撃でドアが蹴破られた。

「毎度思うんだが、君はターミネーターか何かなのか?」

「母親譲りよ。それよりも早くッ!」

 部屋の中に飛び込み―――絶句する。

 北川さんは部屋の中に居た。

 僕と別れた後、安心してベッドに着替えもせずに倒れ込み、そのまま眠りについたのだろう。彼女はベッドに横たわったままだった。ただし、彼女の上に馬乗りになって乗っているソレが、憤怒の表情で彼女の首に手を添えていた。

 母親ではない。

 母親ではなく、男だった。

 男は彼女の首を絞め、聞こえない呪詛の様な言葉を呟いている。何度も何度も、はっきりとした殺意を込めた言葉で。

「北川さんッ!」

 僕が叫ぶと、男の狂人的な瞳が僕を射抜く。意識は僕に向けられているが、体だけで殺意の塊となっているのだろう。その手は彼女の首を放す事なく、未だに絞め続けている。

 会話は不可能だと判断する。それ以前に、この状況化で人を殺めようとする相手に対して、交渉などする気はまったくない。

 それ故に、容赦など一切する気は起きなかった。

 僕は北川さんを殺そうとする男に近づき、左手を掲げる。

 左手。

 これを見た母親は恐怖した。

 その衝動は男も同様だった。

 僕の左手を見た男は、明らかな恐怖を抱いている。

 当然だ。

 自然界において、自身よりも強大な存在に恐怖するのは獣の性。それと同じ様に、自身よりも強大なを前に、恐怖するのは呪いの性。

 左手は男の顔を掴み、力を入れる。

 男の顔は恐怖に歪み、その体が徐々に蝕まれる。存在を何かに、左手に蝕まれる姿は、我ながら悍ましいものだった。しかし、それを行うのはこの左手。

 蟲毒によって生まれた無数の呪いに左手を喰わせ、憑き物筋の生き血に左手を漬け込み、その左手を切断した後に接合する。呪いという呪いを詰め込んだ左手は、並みの呪い程度では相手にならない。

 呪いを持って、呪いを喰う。

 左手には悪魔が宿る。

 これが、僕なりの除霊なのだ。


 ■■■


 今回の不手際は、僕が普段はしない行動パターンの結果だった。

 僕が北川さんに言ったように、僕は死者が何を望み、どうして霊障を起こすのかを調べ、交渉によって解決するのだが、僕は少しばかり事を進め過ぎてしまった。

 あの部屋に幽霊は二人いた。

 一人は母親。もう一人は北川さんの父親。

 後になって調べたのだが、北川さんの父親は離婚が成立したのは、父親の死が原因だった。どうやら、彼も母親と同様に病死だったらしい。

 北川さんはどうして事を黙っていたのか、それは今となってはわからない。そして、どうして両親は二人そろって娘である北川さんに殺意を向けていたのか、それも今となってはわからない。

 ただ、僕の左手は意外と便利なのだ。

 呪いを持って呪いを払う。正確に言えば、呪いが呪いを喰うという表現が正しい。その表現の通り、僕はあの時、父親の呪いを喰った。その結果、父親の感情に似た何かが僕の中に流れ込んで来た。

 恨み。

 シンプルな感情だった。

 それはシンプルが故に理解は出来なかった。

 何故、父親は娘を恨み、呪ったのか。

 それを理解する事は出来なかったが、想像は出来た。

 想像する事が出来たからこそ、僕は彼女に尋ねたのだ。

 僕が最後に北川さんに会ったのは、父親を喰った当日。

 彼女は隣駅にあるホテルに泊まる事になり、駅のホームまでサキと二人で見送りに行った。

 彼女が電車に乗り込み、発車のベルが鳴り響く。

 鳴り響くベルの中で、僕は北川さんに尋ねた。

「北川さん。一つ聞いても良いですか?」

 念の為に聞いただけで、返答は期待していなかった。

「―――ご両親は、どうして亡くなったんでしょうか?」

 電車のドアが閉まる。

 その瞬間の、彼女の顔は―――

「ねぇ、ヨシテル君。大人の女って怖いね」

「そうだね。君は真っ直ぐに育ってくれるように祈っているよ」


 ■■■


 後日談ではあるが、僕が店で新聞を広げていると、見知った名前が新聞に書かれていた。

 内容はビルからの飛び降り自殺、遺書はない―――それだけだった。

 まぁ、こういう事もあるだろうと納得した。むしろ、こうなるだろうと予想していた部分が大きいとも言えるだろう。

 既に終わった事だから故に、記憶は曖昧になっているが、僕の記憶は重要な事だけはきちんと覚えていた。

 彼女の顔は思い出せない。

 彼女が最後にどんな顔をしていたのかも思い出せない。

 思い出せるのは電車のドアが閉まる直前、


 


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