終章 決意の朝に
父の死から一週間が経った。
空が曇って、夜には雨になりそうな日。
花乃からメールが届いたのは、昼前のことであった。
私と由希さんが屋敷で待っていると、小型トラックが入ってきた。
「竜吾さん、由希さん、お久しぶりです」
トラックから、ジーパンに長袖シャツを着た花乃が出てきた。今日は髪の毛をアップにして束ねている。
「松本へ引っ越すんだって?」
「はい、向こうの親戚が面倒を見てくれることになりました。お母さまもあっちで病院に入れそうなので」
「そっか。高校はどうするんだい?」
「あんまり未練はないので、中退って形で終わりにしました。親戚が飲食店をやってるので、とりあえずはそこで働こうかなって。この先のことは働きながら決めます」
「真面目だなあ」
「そんなことないです。……お二人には、色々と助けていただきました。本当にありがとうございました」
「私は特に何もしてないけどね」
由希さんが肩をすくめる。
「あの、これがお店の住所です。ここで働く予定です」
花乃がメモ用紙を渡してくれた。私は受け取って確認する。
「松本なら日帰りで出かけられるな。ぜひ行かせてもらうよ」
「お二人で来てください」
「店内でいちゃつくのはありですか?」
由希さんが私の左腕に絡みついてきた。
「こらこら、子供みたいなこと言わないでくださいよ。恥ずかしいじゃないですか」
私が指で額を押すと、由希さんが「あうっ」と大げさにのけぞった。花乃がくすくす笑う。
「公共の場では、なるべく自重してください」
「はーい」
「わかってなさそうですね」
「わかってるよ?」
「もしかして由希さん、彼氏できるの初めてなんですか?」
爽やかな笑顔のまま、花乃が爆弾を落としてきた。由希さんの表情が一瞬固まる。
「ま、まあ初めてかな」
「だからそんなにはしゃいじゃうんですね。わたしもそういう恋愛をしてみたいです」
「うぐぐ」
由希さんの顔がたちまち赤くなる。
トラックの後ろにボックスワゴンが到着した。
運転手の男に支えられて、秋乃が降りてきた。秋乃は真っ青な顔をしていたが、表情は柔らかかった。
「竜吾さん、お世話になりました」
「こちらこそ」
私は一礼する。
「お体、大切にしてください。うちの親父に続かれたら困ります」
「ふふ、気をつけます」
笑えるだけの元気があるようで、少し安心した。
「そのうち、松本の方にも行ってみるつもりです。またお会いできる機会があればいいですね」
「ええ、本当に。その日を待ちながら体を治します。わたくしも、竜吾さんとは正面から向き合ってお話ししてみたいですもの」
「そんなたいした人間じゃないですよ」
「いいえ、卑下してはいけません。貴方は、あの日守誠次さんの息子さんなのですから」
「……そうですね」
「姉さん、あんまり無理しない方が……」
男が言い、秋乃が頷いた。
「それでは、またいつか」
「はい、また」
秋乃はワゴンに乗り込む。シートが倒されていて、そこに横になった。
ドアを閉めると、男が私に目を向けてきた。
「秋乃の弟です」
「あ、どうも、初めまして」
私と由希さんは同時に頭を下げた。
「長く二人の面倒を見ていただいたようで、感謝します。今日はあいにくお礼できるものがないのですが、お店に来ていただいた時にはサービスさせていただきます」
完全に商売人の話し方だった。
「こちらこそ、引き続きおつきあいを続けていければ嬉しいです」
よろしくお願いします、と男は深々頭を下げた。
彼は花乃の乗ってきたトラックの運転手に声をかけた。
「兄貴、先に出させてもらうよ」
「おう、気をつけろよ」
弟がワゴンに乗り込み、発進していった。
「それじゃ花乃ちゃん、俺らも出発しようか」
「はい」
「あ、ちょっといいですか」
私は割って入る。
「花乃、もう一回だけ、二人を見つけてくれないかな」
小さな声で言う。
「見つけるというか、あそこにいますけど……」
「え、どこ」
花乃は私に顔を向けたままで、
「縁側の角っこに座ってます」
と言う。親戚の前だから、なるべくおかしな行動は取りたくないのだろう。
「一緒に来て」
「あ、はい」
私は由希さんに視線を移す。
「由希さん、あれお願いします」
「オッケー」
私が花乃と歩き始めると、背後で、
「これ、ほんの気持ちですけど受け取ってください」
と由希さんが秋乃の兄の注意を惹いてくれている。このためだけに用意した菓子折だ。ちょっと申し訳ない。
私と花乃は、縁側の角まで来た。
「今からぼくの言葉を、二人に伝えてほしいんだ」
「わかりました。なんて言えばいいですか?」
私は、考えておいた言葉を花乃に教える。
彼女は、それを手振りを交えて伝えてくれた。
「……わかってくれたみたいです」
「よかった」
「もし、またわたしの出番があったら遠慮なく連絡ください。電車で来ますから」
「そうだね。もしかしたら機会があるかもしれない」
トラックまでゆっくり戻った。
「わたし、狼の人形に吸い込まれそうな感じがしたって、前に言いましたよね」
「そんなことも言ってたね」
「あれ、もしかしたら狼がわたしにくっついていた悪いものを引き受けてくれたのかもしれないって思ったりするんです」
「なるほど。同じ吸われるでも生気じゃなくて邪気の方か」
「前向きに捉えた方がよくないですか?」
「いいね。ぼくもそういう力があるって信じるよ」
花乃は助手席のドアを開けた。
「絶対、また会いましょうね」
「うん、絶対にね」
由希さんが私の隣に来る。
「花乃ちゃん、次会ったらもっとたくさんお話ししようね」
「はい、楽しみにしてます」
花乃が乗り込んでドアを閉めた。
「本当に、ありがとうございました。さようなら」
「ばいばい」
「またねー」
トラックが出発していった。
私達は道路まで見送りに出て、トラックの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。
†
午後になると、雨の気配が強まった。
今夜は本格的に降りそうだ。
「降りそうだねえ」
由希さんと一緒に庭に出ると、作業している秀信さんを見つけた。彼は物置に詰め込まれていたわらの束を片づけているようだった。
稲刈り後、穂のなくなったわらは、わら切り機でバラバラにして田んぼにまく。それが来年の土作りにつながるのだ。いくらかは残しておいて、畑で冬野菜の防寒に使ったり、お正月のしめ縄に利用したりする。使い切れない分も出てくるので、毎年この時期になると古いわらは片づけるのだ。
「お父さん、けっこう強いの来そうだよ。手伝おうか?」
「なぁに、全部積み込んで畑に持ってくだけさ。このくらいならあっし一人で充分」
「だったらいいけど」
私はわらの束を掴んで、軽トラに放り込んだ。
「たまには手伝いますよ」
「あ、竜吾君がやるなら私もやる」
「おいおい、こういう仕事するならせめて着替えてきなさいや」
はーい、と返事をして、私達は引き返した。
私はこの屋敷を継ぐことにした。
健作さんに税理士を紹介してもらい、父の遺産など、相続に関係する手続きを進めていくつもりだ。
ここに帰ってくるまでは、売り払ってもいいかな、とも思っていた。
今はそんなこと、これっぽっちも考えていない。
この屋敷には私の二十年が詰まっている。
その中には、父の犯した罪と、失われたいくつもの命も含まれている。
父の罪を公表することはないだろう。墓まで持っていく覚悟を決めた。
家中に置かれた木彫りの狼も、そのままにしておくつもりだ。
木彫りの狼は、父と高明、そして清吾と私を分かちがたくしている存在である。処分していいはずがない。ずっと目に見えていれば、彼らのことを忘れたりしないだろう。私の人生を変えた彼らを、ずっと覚えていられる。
私はすべてを、忘れてはいけないのだ。
わらを積み込む作業が終わると、私は和室の方へ向かった。
携帯を見ながら縁側を歩く。開いているのは天気予報のサイトだ。
今日は曇りで、夜は雨のようだが、明日は一転して快晴になるようだ。
由希さんと恋人関係になってから、まだ一度もデートしていない。
明日は晴れた空の下を、一緒に歩きたいと思う。
私は工具箱を片手に、サンダルを履いて庭に降りた。
携帯をポケットにしまい、閉め切られている木戸へ向かう。
事件のあと、木戸にはカギが取りつけられた。
それだけでは、足りない。
「親父……」
虚空に向かってつぶやく。
――大丈夫だよ。ぼくが絶対に、あの二人を守ってやる。そっち側から安心して見ていてくれ。
花乃は今まで、幽霊を脅かすような存在は見たことがないと言っていた。それでも心配なものは心配だ。
親父は神経質すぎるほどだったが、ぼくも同じのようだ。
念には念を。
この木戸は、完全に封印してしまおう。
金属板を上下の二ヶ所に取りつけ、ドリルでネジつきの釘を打ち込む。押してみるが、まったく動かない。ひとまずはこれで良しとしよう。
清吾、高明。
お前達のような存在にとって、外は未知の世界だ。どんなものがうろついているのか想像もつかない。
退屈を感じないのなら、ずっとこの家の中にいてほしい。
これは、その気持ちの証明だ。
†
すさまじいどしゃ降りが、長野市を覆った。
屋根を打つ雨粒の威力はとんでもなく、情緒の欠片もなく、ただただ暴力的な自然を耳で感じているしかなかった。
それでも縁側の一ヶ所だけは、雨戸を閉めないで寝た。もし閉めきった時、二人が外に取り残されていたらかわいそうだから。
天気予報は見事に当たり、翌朝目を覚ますと、窓からは帯状になった陽光がいくつも差し込んでいた。
「おはようございます、由希さん」
「おはよ……」
私は、隣で眠っていた由希さんを揺すって起こした。
昨日もやはり何もせず、雨音を聞きながら抱きしめ合っているだけだった。それだけでも、たまらなく心地よかった。
「いい天気ですよ。今日は一緒に街を歩きましょう」
「おー、それデートのお誘い?」
「そうです。まだ一度もしてなかったですから」
「よーし、そういうことなら起きちゃおうかな」
急に元気になった由希さんが、布団を跳ね飛ばして起きた。こういう雑な面もまた、愛おしい。
出かける用意をすると言って、由希さんが自室へ戻っていった。
私も着替えを済ませると、一階へ下りた。
雨戸はすべて片づけられたあとだった。一番早起きの秀信さんが、必ず開けておいてくれるのだ。
サンダルは昨日しまったので、玄関で靴を履く。
雨の勢いはものすごかったようで、土の部分が盛り上がったりへこんだりして、だいぶ荒れている。伸びた芝生も水の重さに耐えきれず、頭を垂れている。
縁側に沿って曲がって、木戸の方へ近づく。
芝生の水がはじけていた。
軽快なリズムで、芝が踏みしめられていく。
父親が死んだということも、彼らにはあまり大事に感じられないのだろう。
空を見上げる。
今日は絶好の秋晴れになりそうだ。
足の動きの痕跡を眺め続けた私は、縁側の角に腰かけた。
「清吾、高明」
二人の名前をつぶやく。
――ぼくが、お父さんの代わりをやるよ――
昨日、花乃を通して伝えてもらった言葉を、二人はしっかり覚えてくれただろうか。
これからは私が、この家の主としてみんなを守っていく。
きっと少しずつ、気の持ち方も変わっていくだろう。
足跡が、二つ並んでこちらへ向かってきた。
それは、私の正面でぴたりと止まった。
清吾と高明が私を見つめている。そう感じた。
私は、二人がいるであろう空間に微笑みかける。
三兄弟がこの家にそろった。
二人の何かを変えることはできないかもしれないが、精一杯、尽くすつもりだ。
もちろん、由希さんに対しても。
かつてこの屋敷では、嫌な思い出だけが生まれ続けた。
これからは違う。
日守家の明るい未来を作っていく場所になる。
父が計画を実行したのは秋晴れの日だった。
そして今日も、同じように快晴だ。
いいじゃないか。
日守家の特別な日には、澄み渡った青い空がふさわしい。
〈了〉
幻狼亭事件 -霊視少女・桃山花乃の怪奇事件録- 雨地草太郎 @amachi
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