解決・4 父の心の中

「花乃も秋乃さんも、清吾と高明を見ている。高明は清吾という遊び相手を得られたから、親父の目論見は成功したと言っていいんだろうな」

「でも、わからないことがまだありますよ」


 花乃が横目で私を見ている。


「なんだ?」

?」

「えっ?」

「事件の日、竜吾さん達は並んでお昼寝をしていたんですよね? だとしたら、誠次さんはどちらを選んでもよかったはずです。なんで清吾君だったんでしょう?」

「……言われてみれば」


 下手をすれば、私が清吾のようになっていたかもしれないのだ。

 殺され、セントーの腹に入れられ、埋められ、骨になり、掘り出され、バラバラにされて、どこか知らない場所に埋められる……。


「あのさ、誠次さんの性格を考えると、清吾君になったのは当然だったと思うよ」


 由希さんが言って、ビールを口にした。


「わかるんですか?」


 うん、と由希さんは頷き、ビールの缶をトンとテーブルに置いた。


「竜吾君と清吾君は二卵性双生児だった。二人はあんまり似てなかったけど、竜吾君と高明君は顔がよく似てたよね」

「あっ、そうですね。アルバムを見た感じ、よく似てました」

「ぼくも色んな人に言われました」

「だからだよ、きっと」


 私と花乃は、顔を見合わせた。

 結論が飛びすぎではないだろうか。いや、私も人のことは言えないのだが……。


 二人で困った顔をしていると、由希さんが続けてくれた。


「高明君が何を怖がってたか、聞かなかった?」

「健作さんから聞きました。夜のトイレに一人で行けなかったんですよね。それから鏡が苦手で、すぐ泣いて……え、まさか」


 由希さんは無気力そうに目を伏せていた。


「そんな……」

「高明君は鏡を怖がっちゃう子だったんでしょ? だから誠次さんはこう考えたんじゃないかな。そっくりの顔をした竜吾君を送ったら、高明君が怖がるかもしれない。だから似ていない清吾君にしようって」


 私は何も返せない。


「あと、清吾君は竜吾君より運動神経がよかった。そこは高明君と似ていたんだよね。だから、清吾君なら高明君と一緒に走り回れる。いい遊び相手になれるってこと」

「……親父が考えそうなことです」


 やっと、それだけ言えた。

 連鎖的に、新たな推測が浮上してくる。


も、わかってきました」

「聞かせて」


「一つ目。セントーの寿命がもうすぐ尽きそうだったということ。セントーがいなければ死体の隠蔽が不可能になりますから、天命を全うする前でなければならなかった。


 二つ目。清吾が成長しすぎると、死の概念を理解できてしまうかもしれない。すると高明と同じ状態にならなくなる可能性があった。


 三つ目。清吾の体があれ以上成長すると、セントーの体に収まりきらなくなる。だけど小さすぎると、セントーの体内にできた空洞が目立ってしまう。だから清吾がベストの体格になったあの時期にやるしかなかった。


 四つ目。あの日は保育園の運動会の振替休日だった。由希さんだけが小学校に行き、母さんが迎えに行く。秀信さんは午後になれば田んぼの様子を見に行く。つまり親父とぼくら二人しか家にいない状態になって、誰かに目撃される危険が減る。親父にとっての安全な時間が長く取れる、逃せない一日だったんだ」


「これまでの誠次さんを考えれば、そのへんまで気を回しててもおかしくないね」


 うんうん、と花乃も納得している。彼女は父をよく知らないはずだが、理解できているのだろうか。


「これで残る疑問は一つだけですね」

「まだ何かあったか?」

「狼の人形です。どうしてあれを作ったんでしょう」


 言われてみれば、あれも謎の一つだった。


「ここまでくれば、もう謎じゃないと思うな」


 由希さんがさらりと言った。


「全部、高明君のための計画だったんでしょ? なら、あれも高明君のためって考えるべきなんだよ」


 木彫りの狼はすべて屋敷の外を向いている。

 塀際の物も、屋根の上の物も、室内のもそうだ。


「出入り口の人形だけ向かい合ってるんだよな。そこから法則性を考えるなら――」

「入ってくる相手をチェックしているっていうのは?」

「それだ」


 私も花乃と同じことを閃いていた。

 頭の中には『狼について記すこと』の内容が蘇ってくる。


 ご先祖の正時氏は、山道で迷った時、狼に先導されて麓まで戻ってこられた。

 途中、山の魔とかいう存在が近づいてきたが、狼が睨みをきかせることで追い払った、と記述されていた。


 つまり、狼の眼光には魔を退ける力がある。

 ここに、『家の外に出るな』という父の注意を加えれば、答えは一つしか残らない。


「親父は高明の幽霊を狼達に守ってもらうことにしたんだ」


 高明は自分とは違う存在になってしまった。


 そうなると、というものが父には気になったはずだ。平凡な発想だが、幽霊を食う魔物とか。


 そうした奴らを高明に近づけないようにするため、父は頭を絞った。おそらく、父の中では幽霊の存在は常識となっていた。馬鹿馬鹿しいなんて思いもせず、真剣に対策を考えたはずだ。


 父は高明を家の中に囲うことで守ってきた。

 ところが、自分が病で倒れた。これからも高明を守っていけるか不安になったのだ。だからこそ、ご先祖様から伝わっている狼の話を頼る気になったのだろう。手先の器用さを活かして、狼を彫れるだけ彫った。


 木彫りの狼は人に見せるための装飾品ではない。

 魔を追い払うため、父が必死で作り上げた〈結界〉なのだ。だから、見栄えが悪くともすべて外側を向いている。出入り口は厳重に、二匹に任せている。


 すべては、高明のため。


「由希さん……」

「ん?」


 私は苦笑するしかなかった。


「親父のおかしな行動、別に気が狂ってやってたわけじゃなかったんですね」


 鹿の首を持って踊ったり、歌いながら猪の解体をしていたのも、高明を楽しませるための行為だったのかもしれない。


 こちらからは見えなくとも、向こうからは見えている。

 息子のために、退屈させないよう知恵を働かせた。


 父は、狂ったように見られようとかまわなかったのだ。

 自分は息子と遊んでやっているのだという、父親としての自負があったから。


「本当に、どうかしてるよ……」

「ちょっとくらい相談してくれてもよかったのにね……って、あの頃は幽霊の話されてもついていけなかったかもしれないけどさ」

「あの」


 花乃が、おずおずと言い出す。


「でもわたし、誠次さんが、本当に本当に高明君を大切に思っていたんだなっていうのはわかる気がするんです。だって誠次さんは、高明君のために人生のほとんどを使ったんですよ? ただ、『高明君が死んだからおかしくなった』で片づけてしまっていい話ではないと思います。こんなに突き抜けた親バカ、他の人には絶対にできません」


 必死にしゃべる花乃に、私と由希さんは返事が出来なかった。


 父を間近で見てきた影響は大きかった。

 たくさん迷惑をかけられたし、それが学校生活にまで及んだりもした。

 私の青春時代に暗い影を落とした父を、色眼鏡なしに見ることなどできなかった。

 だからこそ、完全に外側に立っている花乃の言葉に、色々と気づかされたのだ。


 ……突き抜けた親バカ。


 花乃のセンスは相変わらず不思議だけれど、的確だ。


 父は高明を溺愛した。愛して愛して愛し抜いた。

 欲しがっていた物を与え、ずっと気にし続け、殺人を犯してまで遊び相手を与え、喜ばせてやるために恥も外聞も捨てた。


 父は自らの人生を高明に捧げ、そして死んだ。


 待って待って待ち続けて、ようやく授かった第一子。

 その子供が死んだ時点で、父の人生は終わったも同然だった。


 けれど、大切な息子は幽霊として屋敷に残っていた。父には、高明にすがる以外、生きる理由が残されていなかった。


 たとえこの家に閉じ込められていたとしても、高明は幸せ者だ。そこまで思ってくれる人がいたのだから。


 では、清吾は?

 私はどうなるのだ?


 双子が生まれるなど、父にとっても予想外だっただろう。

 計画通り清吾を殺して高明の元に送った。狙い通り、二人はとても仲良くしているようだ。


 一方、兄弟では私だけがこちら側に残った。

 父とは会話もない、一緒に食事もしない、出かけたりもしない。授業参観にも来てくれなかったし、三者面談すらも拒否された。ついには、私の進路に一切口出しもしない……いないも同然だ。


 父は最期に私の名を呼んだ。

 その後、言葉を一つ吐いて、事切れた。


 ――高明を頼む――


「くそ、馬鹿だな……」


 まぶたがちりちりとしてきた。止めることができず、涙が流れた。


 衰弱した父を見た時、話した時、息を引き取った時、通夜の時、出棺の時、葬儀の時。


 私はどんな場所でも、悲しみを覚えなかった。

 感情が大きく揺れ動くこともなかった。


 最期の時ですら、ただ焦っていただけで、悲しみが生まれたりはしなかった。


 その私が、今になってやっと、悲しみを感じている。

 父の喪失を大きなものだと、感じている。

 高明ばかり、ずるい――そんな気持ちは浮かんでこなかった。


 最期に、父は、初めて私を頼ってくれた。


 それは、まぎれもなく私を見た証拠でもある。


 それだけなのに、こんなにも嬉しいのだ。

 だから、父を失ったことに痛みを覚えている。


 愚かな考え方かもしれない。馬鹿な奴だと笑われるかもしれない。それでも、ずっと交わってこなかった親子が、あの瞬間、交点で確かに目を合わせられたのだ。たったそれだけなのに、私の心はどうしようもなく熱くなる。


「う、う……」


 呻き声が漏れる。

 由希さんがやって来て、抱きしめてくれた。


「竜吾君……」


 そう言う由希さんの声も震えていて、今にも泣き出しそうだった。


「竜吾君、いいんだよ。思いっきり泣いていいよ」


 そこで感情の堰が限界を迎えた。


 私は由希さんにしがみついて、泣いた。大声で泣いた。涙は止まらない。声はかすれる。言葉はどれ一つ形にならなかった。私はただ、わけのわからない大声をあげ続けることしかできなかった。

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