1話 異邦人の少女
……一人の少女が必死に走っていた。
肌寒い空気と少しどんよりとした空の下。鉄の臭いと蒸気を上げる街の中を駆け抜け助けを求め声を上げ、道行く人に蔑みと偏見の目を向けられながら逃げていく。
「どうして助けてくれないのか?」ソレすらも彼女は解らずまま行く当てもなく逃走する。
あるとも知れぬ救いの手を望みながら……
※
赤茶色の屋根にコンクリートの壁の建物、それに連なってたまに目にする石造りの古い家。さほど珍しくも無い街並みにできた人だかり。
そこで一人の男が温かいスープとパンを受け取ると列から離れ次の人へと食事が配られていく。
しかし、その流れに突然、割り込む者が現れる。
「おい、どけよ移民」
みすぼらしくヒゲを伸ばした中年男性が褐色の男を突き飛ばし言った。
「こっちはお前らせいで、おまんま食いっぱぐれてるってるんだ! 並んでじゃねぇよ!」
ヒゲ面の男が移民への悪感情をぶつけ、いざこざが起きる。そう思った瞬間、一人の人物が間に割って入ってきた。
「やめろよ、ここじゃみんな貧しいのは同じだろ」
「じゃあ、その貧しい原因はなんだ? 言ってみろよ」
仲裁しようとする30代後半ほどの男にヒゲ面は言い返し、その答えが移民としか返せないだろうと、したり顔になる。
すると彼は言った。
「経営者と国の過失だ。これで満足かい」
返答に対し中年が苦い顔をすると事態を取りなそうとする彼の手からパンとスープが突き出された。
「そんなに配給の量に不安があるって言うなら俺のをくれてやるよ」
ヒゲ面は忌々しそうに舌打ちをしながら食料を持って列から離れ、去り際に呟く。
「移民の味方なんかしやがって…」
後味の悪さを残ししつつもその場を丸く収め、移民の男から感謝の言葉を受ける。
だが、助けられたもの以外はその
※
結局、その後、彼ことトレイシー・ハートウェルは慈善活動による配給を受けられずに腹を空かせながら帰路についた。
(まぁ、いいさ。少しでも食費を浮かせたかっただけだし…)
自分のしたことに後悔などすることもなく、冷たくなった手に息を吹きかけ外套のポケットに手を突っ込みながら歩いていると通りを走り抜けようとする一人の女の子とぶつかり、トレイシーは咄嗟に目の前に居る黒い肌に金と水色の異なる瞳を持つ少女に謝ると彼女の怯えた表情に気がついた。
「助け…ッ!」
彼女が言葉を出し切るより早く、この
「やっと捕まえた」
「イヤッ! 離して!!」
男が抵抗する少女を連れて行こうとするとトレイシーは、強引に引きずろうとするその腕を掴み待ったをかける。
「穏やかじゃないね。何があったの?」
その瞬間、明らかに嫌な顔を一瞬だけ見せると一転して物腰柔らかな態度で男性は愛想笑いを添えて答えた。
「良くある移民とのトラブルですよ」
「違う! ムリヤリ連れて来られた!!」
「うるせぇ黙ってろ!!」
意見が食い違う。果たしてどちらが正しいことを言っているのか判断に悩むところに男は懐から、いくらかの金を取り出すとこう言った。
「そうそう、アンタがぶつかったお陰で捕まえられたからコレ。お礼ね。それと移民と関わるとロクなことがないから気を付けたほうが良いよ~」
トレイシーに薄い札束と含みのある言葉を送り周囲の男達はゴキゴキと指を鳴らす。
(飴ちゃんあげるから黙ってろって…自分からやましいことしてるって認めてるようなもんだろ…)
呆れた感情を
「テメェ!!」
反抗的な態度を見るやいなや攻撃に移る強面たちの一人にトレイシーは顔面を殴り続く二人の男達もあしらって見せると少女を抱きかかえ逃げ始める。
「お嬢ちゃん。お
三人の男に追われながらトレイシーは質問した。
「タルメニア」
「南側の国か……走っていくには流石に遠いね…両親は?」
トレイシーは線路沿いを走りながら次の質問をした。
「…いない」
「…そうか…悪いことを聞いたな…」
暗い話題になりそうなところに鉄道がけたましい音の走行音を立てた。そこで三人組の男の一人が「しめた」と言わんばかりに銃を取り出し発砲した。
銃声は汽笛にかき消され、放たれた銃弾がトレイシーの背中や肩に当たり膝をつく。
「どうしたの?!」
少女が不安になると、笑いながら拳銃を手にした男達の姿に気づき撃たれたのだと察する。
「だからロクな事がねぇって言っただろう…ん?」
男は喋りながら近づいていくと違和感を感じた。
「あれ? 出血して…ねぇ?」
ハッキリと疑問に気づくとトレイシーが突然、動き出し男の首を掴み取り地面に叩きつけた。
残る悪漢が直ぐに迎え撃とうするが、また一人、トレイシーの拳に沈められる。
最後に残った男は、ナイフを手に切りかかったがその刃が彼の皮膚を傷つけることはなかった。
「硬ッ?!」
驚愕し動きを止めた男はトレイシーに手首を捻られ手刀を叩き込みまれると意識が途切れる最中、銃弾も刃物も効かない、このありえない事態を引き起こす力の存在を思い出す。
「魔法…」
そう口にすると男は地面に体を落とした。
※
「ありがとうございます」
騒動が鎮まると
それに対して彼は「ああ、服がダメになった」と軽口で済ませ、とりあえず、この場からは遠ざかることを提案した。
「あの……どうして助けてくれたんですか?」
トレイシーは後ろからついてくる少女に問いかけられると、少し答えに悩んだ後に言った。
「な~に、あっちの男どものが気に入らなかっただけさ、それはそうと名前、まだ聞いてなかったね」
彼は振り向いて突然、名前を聞いてきた。
「リズ…リズ・アイベスフェルト」
「俺は、トレイシー・ハートウェル。ところでリズ、ムリヤリ連れて来られたそうだけど、この後、どうするんだい?」
自己紹介を終えて質問をされるとリズは困った顔をした。
「…困っているなら教会に行ってみるかい?」
「教会…?」
トレイシーの提案にオウム返しになるのは意図が読めていないのだろう。だから彼は丁寧に説明をする。
「教会は身寄りのない人や困ってる人を助けてくれる。移民だろうと関係なくね。とりあえず警察に頼るよりは良い、お役所さんでも移民への偏見は強いからな。ムリヤリ連れて来られたと言ってもロクに調べず強制送還して恒久的にこの国への入国権利を剥奪して終わりだろうさ」
そういえば強制送還される際に罰金などの処罰はあるのだろうか?とトレイシーは自分で説明しながら疑問に思ったが流石に詳しくないのでそこまで口にはしなかった。
「…アナタはそうした方が良いと思う?」
どうだろうな……。本音を言えば、ソレが彼の意見だ。
例えば、さっきの男どもを捕まえて警察に行けば被害を証明できるかもしれない。しかし、そうなればトレイシーが魔法を使えることもバレ自分もお縄になるかもしれない。一般人が魔法を使うのは違法なのだから…。
人助けをしながら自己保身に走る。結局のところ自分が満足したいだけの偽善でしかいない。
「とりあえず、ゆっくり考えられるなら良いんじゃないか」
それは彼女に、と言うよりも自分に対する答えのようにも思えた。
「わかった。そうする」
リズが納得すると姿を見るとトレイシーは彼女を教会まで案内することにした。
※
石造りの古い教会に到着し中に入っていくと50~60代ほどの見た目の神父が出迎えてくれた。
「やあ、トレイシー、仕事は見つかったかい」
「いいや、それより神父さん。いきなりなんだけど、この
トレイシーがそう言うと神父は後ろから着いて来た少女を見て言った。
「その
「リズって言うんだけど。どうも人身売買組織か何かから逃げてきたみたいなんだ。行き場もないみたいだから少し面倒をみてやってくれないか」
「構わないが……君は相変わらずタルメニア人には甘いね…罪滅ぼしのつもりかい?」
神父にそう言われるとトレイシーは目を逸らし少し不機嫌そうに答えた。
「……悪いか」
「そういう意味じゃない。ただ、あまり自分を責め過ぎないで欲しいと思っただけだよ」
はたから聞いてるリズには、いま二人がなにを話しているのか理解できずに居ると神父が声を掛けてきた。
「ああ、すまない。自己紹介がまだだったね私はラザロ。始めましてリズ。解らないことがあったら気軽に聞いてくれて構わないからね」
「あ、はい」
差し出された手をとって握手するとリズはココに来るまでに気になっていたことを質問しようとした。
「えっと…あの…」
「どうしたんだい? 遠慮しなくても大丈夫だよ」
あらためて神父が優しく語りかけるとリズは疑問を口にした。
「……どうして移民はこの国の人に嫌われてるんですか?」
そう聞かれてラザロはどう答えるか考えているとトレイシーは言った。
「簡単さ、移民は良く働くからだ」
「??。良く働くことが悪いことなの」
仕事をこなすだけで移民が悪者にされるという理解しがたい理論に謎が深まる。
「悪くは無い…だけどソレを面白く思わない奴らもいるのさ」
どいうことなのか、トレイシーは続けて説明を始める。
「移民…もしくは難民と呼ばれる人たちってのは、自国で生きていけないか住む場所を持たない人たちなんだよ」
「だから彼らは良く働く、安定して生活していくためにね」
ラザロ神父も説明に加わり、話は続いてく。
「例え低賃金で過酷に扱われようともな」
「多少、辛くて安月給でも生きていけないよりマシだからね…働かせてもらえるだけで感謝してるから文句も言うこともない。経営者側から見ればこれほど都合の良い労働者はいないだろうね…」
「真面目な上に安い給料で正社員と同じかソレ以上の働きをしてくれる。雇い手側からすれば自国民を雇用するよりも移民を積極的に取り入れる方が得になる。
結果。我が祖国ノートライヒェの民は職を移民に奪われ、貧困化の原因を異邦人に押しつけ、侮蔑する。…本当に悪いのは近代化に伴う労働力不足を安易に移民で補おうとした政府と自己利潤にしか興味のない経営者であるにも関わらずな」
これこそが移民が嫌われる理由…合理性のない感情的な人間らしさが生み出す理不尽。
「それじゃあ…私たちは何も悪くないじゃ…」
「そうだよ。だから罵られたって気に病む必要もないし、無視すればいいんだ」
神父はそう諭すと、トレイシーは苦虫を噛み潰した顔で否定する。
「その考え方は嫌いなんだよな。無視しようが、あいつらは石を投げつけてくるし何も解決はしねぇ」
「じゃあ、どうするの?」
リズの純粋な疑問にトレイシーは拳で空を切る。
「まず、ぶん殴って力関係を解らせる。できなきゃ強くなる」
「物騒だなぁ…」
神父には賛同できない意見であったが、彼女は可愛らしくマネをして握った手を動かしていた。
その姿を見て頬を緩め、トレイシーは後を任せて教会を後にしようとすると外套の裾を少女に引っ張れた。
「また、明日、顔を出すよ」
「本当に?」
優しい言葉にリズが確認をとる。
「ああ、約束するよ」
彼女は頭を撫でられると手を離し彼に手を振るとトレイシーも去り際に手を振って帰っていった。
※
人工的に掘り出されてできた道に木材によって補強された炭鉱後。そこにリズを連れ去ろうとした者達と向き合うもう一人の別の男が居た。
「逃げられた?」
彼は三人組の報告を淡々と確認する。
「はい、三十半ばくらいで黒い髪に青い瞳の男が邪魔をしてきて…」
「それと、銃でもナイフでも傷つけることもできない奴でした。たぶん魔法を使える相手でした」
「へー…」
伝えられた情報に冷えた反応しかなかった。
「でも、もうチョット待ってくれれば女を連れてきます。目立つ見た目ですし、直ぐ見つけられるでしょうから」
「ヴァーフォールガング」
必死にチャンスを求める姿に彼はそう
「え?」
次の瞬間。生暖かな液体が体に飛び散ってきた。
困惑した先に目を向けると半透明な狼が人さらい共の一人を嚙み殺している事に気づかされる。
「待ってくれ、ヘマは必ず返上する!! だから!!」
残った二名は恐怖で振るえながら命乞いをするが裏で糸引く者は冷ややかな視線を送るだけで何も言うことは無く、二人は悲鳴を上げながら狼に喉元を噛まれ「なんで…どうして…」と、かすれゆく瞳で男を見上げながら降りかかった理不尽に答えの無い問いかけを投げかけながら勢いを失っていく赤い噴水へと変貌していき、血の池へと沈んでいく…。
「……さて…っと〝鍵〟を探しに行きますか」
そうして、最後に残った狼のように荒々しい風貌の男は一言、呟いて坑道を後にした……。
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