3話 鍵


―29年前。

 産業革命の時代。ノートライヒェ第二帝国は近代化の恩恵により増加した人口に対して需要に合った生産性と人材確保を求められ、同時に隣国に後れを取らないための急速な発展を必要とされ政府は異邦人を受け入れることでコレに対応し経済成長を促した。


 そうして十数年の間に当初の目的を達成するも年々増加していく移民の存在により職にあぶれた多くの若者たちを生み出していった。


「ねえ、何も軍人になんてならくても良いんじゃない?」


 エクメーネ暦 11903年。当時、二十歳であったトレイシーは実の母にそう言われた。


「今の時代、どこも就職難だし入れても安い給金で使い倒されるだけだよ。それに…」


 実家のクローゼットの前で身なりを整えながらトレイシーは話を続ける。


「難民問題の原因となってる国外の紛争を収めれば移民の数も減って国も豊かになる」


「だからって…」


「…母さん。俺は人の役に立つことがしたいんだ」


 納得しない母親。それに対して自分の思いを伝えるトレイシー。互いに食い違う意見に母は夫に助け船を求めるも父は好きにさせなさいと言うだけであった。


 言葉でこそ否定していなかったが心から肯定もしていなかったのは態度から読み取れた。それでもトレイシーはあえて親の言うことを無視して軍に入隊した。


 だって…。


(誰かのためになれならないなら何のために生まれてきた…?)


 そう。誰かのために…。人のために。みんなのために生きていくことが正しいのだから、人は正しいことをするために生まれてきたのだから…だから俺は…。


  ※


 エクメーネ暦 11917年。


 ノートラヒェ第二帝国にはある研究機関が存在する。


 その組織の支部がトレイシーたちの住む街の郊外に置かれており、そこにリズ達は連れていかれ一日が経過した。


「ヴォルフ」


 狼のような男…もとい、ヴォルフが施設の廊下を歩いていると銀髪の男に声を掛けられる。


「よう、イレネウス。なんか解ったか?」


「〝鍵〟についてか? それとも…」


「男の方だ」


 イレネウスと呼ばれた男はヴォルフの質問に質問で返した後、ようやく答える。


「調べた結果。あの男…トレイシー・ハートウェルは、4年前に起きたタルメニア解放戦線で戦死扱いされた兵士だったよ」


「戦死


 聞かされて最初に引っかかったのは、なぜ、死亡扱いにされているのかとうい点であった。


「あの戦争では助からないであろうレベルの重傷者に秘密裏の人体実験を施していたそうだ」


「ふぅん、それで戦死扱いってワケか…」


 非人道的な側面には差ほど興味もなさそうに答え、ヴォルフは次の疑問へと移って行く。


「それで実験ってのは?」


「人間の遺伝的基本構成要素デテルミナントの書き換え」


「へぇ、面白いな。話を続けてくれよ」


 興味があるようにヴォルフは笑みを浮かべる。


「…行われた実験はデテルミナントの編集結果が人体にどういった影響を与えるのかという実地データ収集を目的としたものだった」


 その中でトレイシー・ハートウェルは運よく生存し魔導機なしで魔法を使用できるようになった。と彼は説明した。


「なるほど。それで魔導機の操作もなしに魔法を使えたワケか」


「ところで、あの少女を連れて来させた奴らはどうしたんだ?」


 得心がいくと。今度はイレネウスから質問が飛んできた。


「……さあ、知らね。」


「…本当か」


 間のある答えにイレネウスが本音かどうか踏み込むと苛立ち混じりに頭を掻きながらヴォルフは応える。


「別にどうでも良いだろ。移民の不法入国の仲介なんかやってた連中なんてよ」


 高圧的な彼の態度と移民嫌いな性格から考えて、おそらく異邦人を招き入れる存在など特段嫌悪してやまない対象でしかないだろう。そこから考えるに何をしたのかは容易に想像がついた。


「それより〝鍵〟のほうはどうした?」


 言及されたくないのかヴォルフは話題を変えた。


「…おとなしくしているよ。その内、解析の準備も終わるだろう」


「そうかい。そりゃ良かった」


 ヴォルフは、そこで話を切り上げて、その場を後にした。


  ※


 リノリウムの床に寝台が並ぶ部屋。そこでトレイシーが意識を取り戻すと体への痛みと自らの傷を覆う包帯の存在に気づき、次いで自分の寝ていたベットの隣に座る銀髪の男へと意識がいった。


「ああ、起きましたか」


 知らぬ顔に「誰だ?」と問いかけてくるであろうと察してか男は聞かれるより早く名乗る。


「はじめまして、。私はイレネウス・イグナーツ」


 その名を呼ばれトレイシーは目を見開いた。


「『なぜ、本名を知っているのか?』といった顔ですね。失礼ながらコチラで貴方のことを調べさせて貰いました」


 そのまま、イレネウスは嘘ではないことを証明するかのように次々とトレイシーの経歴を語り始める。


「二十歳の時に軍に入隊。その二年後にヘスペリア諸島奴隷解放戦線へと従軍。終戦後、二年の時を経て今度はタルメニア解放戦線へ出征し約一年後に瀕死の重体を負い秘密裏にデテルミナント編集の実験体にされ奇跡的に生存すると実験場から脱走し、偽名を名乗り続け今日まで生きてきた」


 その通りだ。何一つ間違っていない。驚くべきはどうやってそれだけの事を調べたのか。


「お前は…いや、お前たちは…⁉」


 そう…あの時、リズを連れて行こうとした男は確かに言った『俺たちの組織』…と。


基本構成要素解析・編集情報収集機関Intelligence Determinant Edit Analysis Facility


 その組織の名を彼は知っている。


 生命と魔法…その根源を探求し続ける者達。


 国家が擁立する研究機関。


 自分のデテルミナントを書き換えた存在。


「通称…」


IDEAイデア機関…ッ!」


 イレネウスの言葉の先をトレイシーが口にする。


「正式名称までしっかり覚えていましたか」


「当然だ。人の体を実験体にしやがって」


IDEAイデア機関も一枚岩では、ありません。あまり悪く思わないで下さい」


 嫌悪感を剝き出しにた声色にイレネウスは動じることなく自らの所属する組織を擁護した。


「どうだか、お前のとこのお仲間さんがつい最近、教会で好き勝手してた…ぞ…と」


 そこで自分で言いながら思い出し言葉尻が勢いを無くしていく。


「…そうだ、あの後…どうなった…?」


 記憶をたどっても戦いの中で気を失っていたせいで覚えがない。まさか、リズ以外は、みんな殺されたんじゃ。と不安になりかけたその時。


「教会の方々は無事ですよ。彼女の献身のお陰でね」


「まぁ、完全に無傷ではありませんが」と小さく付け足しながらイレネウスはトレイシーに伝えた。


 相手の言葉をそのまま鵜呑みにするのもアレだが内心、少し安堵しながらトレイシーは緩んだ感情を表には出さずにイレネウスを睨みつけながら問いただす。


「ああまでして、あのを狙う理由はなんだ」


「…あの少女は〝鍵〟なんですよ」


 相手の思わぬ返答にトレイシーは疑問符の一声を漏らすとイレネウスは「少し前置きをさせて貰います」と言い、説明を始める。


「我々はデテルミナントと呼ばれる設計図をもちいて魔法を使用いています」


 しかし、それでもデテルミナントの全容を把握しているワケではない。今日こんにちまで利用されてきた魔法の多くは、現時点で存在する遺伝的基本構成要素デテルミナントを無作為に変異・編集を行い、その中から運用可能な物を見つけ使っているだけに過ぎないのだとイレネウスは言う。


「当然、これでは時間も費用も掛かり過ぎる上に望んだ結果だけを得ることは叶いません。コレを解消するにはデテルミナントの配列、変異情報、転写制御の仕組み…ありとあらゆるデータが必要となります」


 要するに、魔法開発には膨大なデテルミナントに関する情報が必要なのだ。


 トレイシーは、そこまで耳を貸しても全く意味が解らなかった。それが彼女と何の関係があるというのか?


「話が見えてこない」


 だが、それもじきに繋がって行くことになる。


「その膨大な情報を手にれるための〝鍵〟なんですよ。彼女は」


  ※


 今から約3年前。タルメニア国内で異質なまでに高い技術力で作られた遺跡が発見された。


 一部では、超古代文明の遺産。などと称している研究者もいるが、なぜ、このうようなものがあるのかは未だにハッキリはしていない。


 現状、解っていることは三つ。一つは、その建造物が現在の技術を上回るものであること。

 二つ目は、その奥に莫大なデテルミナントが保管されているということ。


 そして、三つ目。


「リズ・アイベスフェルトは、それらを手に入れるための〝鍵〟となる存在だということ」


 イレネウスの話もだいぶ解ってきた。


 しかし、まだ解らないことがある。


「どうして、彼女が〝鍵〟だと言い切れるんだ?」


「当時、遺跡の発見とほぼ同時期にその遺跡を管理していたという人物が見つかっているんですよ。その人物から解ったことは、あの遺跡には管理者と呼ばれる存在が複数人おり、例外なく全員、魔導機なしで魔法を使用可能だという事実までは解っているんです。もちろん彼女がソレに該当することも調べがついています」


「もう一つ良いかい?」


 トレイシーは最後の質問をする。


「その遺跡の奥にあるものを手に入れた後、お前たちはどうすんだ?」


 ただ手にして研究できたら満足です。で終わるはずがない。当然「新たな技術でより良い社会に貢献したいです」みたいなお利巧ちゃんの答えが出るとも思っちゃいない。


「当ててやろうか。お前たちが新しい力を手中に収めてやることを」


 戦争だ。


 この国は現状の世界秩序に不満を抱いてる。奴隷や植民地を利用し多額の富を有し力をつけている国家が様々な問題を引き起こしているからだ。


 移民・難民問題もその一つだ。だからノートライヒェ第二帝国は強国から脱しようとする独立戦争を支援しの国力を少しでも削ぎ落そうと動いて来た。


 やがてソレが一つの思想を生み出していく。


『我が祖国こそ、新世界秩序の中心に相応しい』…と。


 そんな奴らが力を身に着けたらどうなるか、想像にかたくない。


「だからこそ、阻止しなくてはいけない」


 トレイシーの予想に予期せぬ答えが返って来た。


「意外でしたか? 私が戦争反対派だということは」


 先に述べたようにIDEAイデア機関も一枚岩ではない。彼のように遺跡を手にすることを是としない人間も居るのだと弁明する。


「私は貴方に協力を願い出たい。どうか〝鍵〟を連れ出して欲しいと」


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