プレマチュア・ベリアル

たけ

プレマチュア・ベリアル



 ──出して──出してよ──姉さん──。



 暗く狭く冷たい場所で彼女は目覚めた。

 始めは自分が一体どういった状況におかれているのか理解できなかった。わずかに手足を動かして、自分がひどく窮屈な箱の中に横たわっていることを知る。自分が納まっているのは、身長よりもほんの少しだけ大きい箱で、手触りからすると、どうやら材質は木のようである。

 軽く首を持ち上げて、視線だけを動かして見まわしてみたが、明かりのようなものは何一つなかった。毛筋ほどの光もない、真の暗闇が広がるばかり。

 どしゃっ──どしゃっ──。

 先ほどから断続的に不気味な音が響いている。箱の上蓋に何か重く硬いものが、幾度も幾度も繰り返し振りかけられているような音だ。

 私は一体どこにいるのか。そして、この音は何の音だろうか。思索を廻らせて、ようやく思い当たるものにぶつかる。彼女は「ハッ」とし、心臓が凍りついたかのような表情になる。

 思い当たる状況は一つしかなかった。

 ──これは、生きながらにしての埋葬──。

「ちょっと! 何よ!」

 彼女は必死に棺の蓋を押し上げようとした。びくともしない。強く上蓋を叩き、声を張り上げて叫ぶ。しかし、その声はむなしく土に吸収されていく。

 どれほど叩いても、どれほど声を張り上げても、上蓋が動く気配は無かった。

 土をかける作業も終了したらしく、もはや、何の音も聞こえなくなっていた。それとも、堆積した土の層が厚くなり、音が聞こえなくなったのであろうか。

 きいんと耳が痛くなるような静けさであった。時折、彼女が動くときに発生する衣擦れの音が、ずいぶんと大きく響いた。

 彼女はあまりのことに夢でも見ているんじゃないかと思った。

 ああ、きっとこうして不安にさせておいて、今に誰かが「驚いた?」などと言って上蓋を開けてくれるのだ。そうに違いない。きっとそう──。

「ねえ、今だったらまだ許してあげるから、開けてちょうだいよ。ねえったら! いたずらにしてはちょっと度が過ぎるんじゃないの? ちょっと! まさか本気じゃないんでしょう? ねえ? ねえったら──ねえ!」

 彼女は、そうやって誰にともなく声を掛けて続けていた。幾ら呼びかけても、誰も答えてはくれず、一向に上蓋が動く気配はなかった。

 ついに彼女は疲れ果て、声を出すのをやめてしまった。

 彼女は逃れようの無い死を感じた。

 暗い地面の底で、一人、死ぬ──。

 なんとも淋しい、頼りない気持ちに押しつぶされそうになった。涙が頬を流れ落ちた。窮屈で拭くことすらままならない。止まらなかった。後から後から涙が流れ落ち、口からは嗚咽が洩れた。

 嫌だ。嫌だ。死にたくない。こんな死に方なんて──。

 再び、狂ったように上蓋を叩く。拳に血が滲もうと、爪が剥げようと、構うことなく彼女は叩き続けた。声も枯れよとばかりに、叫び続けた。

 しかし、冷たい棺は、何事も無かったかのように、ただ沈黙するのみだった。

 私は、こんな狭い、暗い場所で、一人──。

 彼女はすでに泣く気力もなく、ただ、真っ暗な空間の中で、目を閉じているのか開けているのかも分からないまま、ぼんやりと空中を眺めるのみだった。

 恐ろしいほどの静寂。何も聞こえない。聞こえるのは、早鐘のように高鳴る、彼女自身の脈動の音だけ。

 ああ──私は、死ぬんだわ。地の底に埋められて。もしかしたらこのままずっと、誰も私を見つけないかもしれない。死んだ後も誰にも見つからずに、私はこの、冷たい土の下で独りきり、いつまでも、いつまでも──。嫌。そんなのは嫌。どうして? 私が何をしたっていうのよ! 何も悪いことなんてしていないのに! 誰か! ねえ! あなた! 父さん! 母さん! 嫌よ。死にたくない。私はまだ生きていたいのよ。死にたくない! 死にたくない! 嫌! 死にたくない──!

 彼女は再び叫び、そして遮二無二上蓋を叩く。

「出してよ! ねえ、開けてよ! ねえ! 開けてよ! ねえ!」

 何度も、何度も、出せる限りの声を出した。のどの奥から声を搾り出した。思い切り上蓋を叩く。

「出して! 出して! 嫌よ、死ぬのは、嫌──」



 彼女はコタツで目覚めた。

 目覚めてすぐに、自分の無事を確認する。

 ほっと、安堵の息。

 彼女はおもむろに庭へと降りると、隅にぽつんと建っている物置の前へ歩いた。

 ガラガラと、物置の扉を開ける。

「カツオ。もういいわ。出なさい」

 中でうずくまるように泣いていた少年は、ハッと顔を上げると彼女に問いかけた。

「もういいの? 姉さん。いつもの半分もここにいないのに」

 それを聞いた彼女はすまなそうに笑顔を作り、

「ううん。姉さんが悪かったわ。こんな、暗くて淋しい場所に一人で閉じ込めるなんて」

 姉の言葉に少年は涙をぬぐうと、光り輝く外の世界へと踏み出した。

 そして、彼の目の前を白猫のタマがにゃーんと走り抜け、それを追いかけるようにタラオが三輪車を力の限り漕ぎまくり、さらにその後方よりバブーと奇声を発しながらイクラ=チャンが追い迫るのであった。



 サアテ、来週のサザエさんは──?

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プレマチュア・ベリアル たけ @take-greentea

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