⑤Chapter.5

 数秒、意識を失っていたのがわかり、白瀬は煙を吸わないように背を低くした。

 賀上はどこだ……?

 既に逃げ出した? だとしたらどこに?

 飛行機の後部座席には展望デッキからはみ出ていたモニュメントが槍のように突き刺さり、爛々と炎が燃えている。座席の列はめちゃくちゃで、その下、賀上が倒れているのが見えた。

 白瀬はそちらに駆け寄ろうとしたが、左足首が折れたのか足を引きずるようにしてそちらに近づいた。飛行機を貫いた鉄骨の下に賀上が倒れている。近づこうとしたが、炎が邪魔をしてこれ以上は歩けそうにない。皮膚の装甲が炎で焼かれ、金属が露わになる。痛覚は切ってあるが、このままでは内臓にダメージを追ってしまう。しかしこのまま撤退することはできない。

「賀上!」

 炎の中、賀上が顔を上げる。体の上に乗っている鉄骨に目をやり、諦めたように笑った。

「白瀬、このままじゃ爆発する! 逃げるぞ!」

 鵜飼の声が後方から聞こえる。それでも白瀬はそこから動き出せなかった。

「賀上……!」

 何か方法はないのかと頭を回転させようとするが、上手くいかない。

「悪運尽きたりってことか……」

 身動きが取れないことを理解したのか、賀上はやれやれと息を吐く。今にも新たな爆発に巻き込まれ死にかねないというのに、彼の表情は落ち着いていた。

「慶介」

 賀上の手が傍に落ちていた銃にのびる。撃たれると思ったが、なぜか白瀬は金縛りにあったようにその場から動き出せなかった。

「お前のことが昔っから俺は大嫌いだったよ」

 しかし銃口が向いたのは、白瀬ではなく賀上自身のこめかみだった。

 何をしている?

 しかし──そんな、まさか!?

 賀上が何をしようとしているのか理解した白瀬は炎で焼かれるのも構わず、手を炎の中に入れた。

「ダメだ!」

「白瀬!」

 こちらにやってきた鵜飼がせき込みながら、白瀬の腕をとり、無理やり出入り口に向かわせようとする。それでも白瀬は賀上のいる方から目をそらせなかった。

「ダメだ! 待ってくれ!」

 炎が燃え盛り、その姿が見えなくなる。瞬間、発砲音が大きく響いた。身を引き裂かれるような痛みが白瀬の全身を駆け巡る。

「嫌だ!」

 鵜飼は我を忘れてもがく白瀬を無理やり外に押し出した。なおもすがるように飛行機の中に戻ろうとする白瀬を、鵜飼は腕を引き、飛行機から逃げさせようとする。

「もう遅い! 離れろ!」

「違う! そんな!」

 走るというよりは、おおよそなだれ込むようにして地上を駆ける。すぐに大きな破裂音がして飛行機の後部が粉々になったのが見えた。火炎が立ち上り、消防の駆けつける音がする。

 サイレンの音が夜の空に響く。炎は鎮火せずに燃え続けていた。

 どうして、自分を撃ったりなんかしたんだ……。

 煤のついた頬を袖で拭いながら、鵜飼は呼吸を整えつつ、犬のように吠えた。

「死ぬ気か、馬鹿!」

「……死ぬ気はなかった」爛れた腕を服で隠しながら、白瀬は言い訳めいた言葉を口にする。「でもごめん」

 あのまま機体に残っていたら、塵芥になっていたことだろう。鵜飼はため息を吐いて、ターミナルの方へと歩を進める。

 滑走路の近くには消防や警察の中に、塔乃たちの姿があった。その背後にはパトカーに入れられている堂安もいる。

「賀上は?」

 一緒じゃないのかと玖島が問う。

「飛行機の中です。もう……」

 炯々と燃える炎を見上げながら、白瀬は息を吐く。悲しいのか憎らしいのか、自分で自分の感情が特定できない。

「官邸は?」

 鵜飼の問いに宇野が答える。

「こっちも何とか終わったよ。〈Spider〉を逮捕できた。まさか九人もいると思わなかったけど、まあ、詳しくは後で話すよ」

「賀上以外は全員捕まえたわけだ……」

 燃える展望デッキと飛行機を見ながら玖島が呟く。白瀬は夜空を切り裂かんとするような炎の柱を眺めていた。

 智也……。

 あのとき自分の頭を撃ったのは、きっと俺を逃がすためだった。

 ではどうしてそもそも犯罪になんて手に染めたんだ。どうして。どうして俺は何もしてやれなかったんだろう。

「白瀬」

 鵜飼の声ではっと我に返る。

「何?」

「君はよくやった。神や仏じゃないんだ。何もかもは救えない」

 燃えていく飛行機が、また崩れていく。明確にもう智也が助からないことを思い知らされる。

「わかってる。だから、俺は、俺のやるべきことをやるよ。これからも……」

 玖島が白瀬の背中を叩き、宇野が薄く微笑んだ。塔乃が自身の腕を組み、鵜飼が頷く。


 ***


 智也の義体は一遍も残らず灰燼に帰した。そう鑑識から話を聞いたとき、父さんに何というべきかと白瀬は一瞬迷っていた。しかしすぐに報告すべき相手もこの世にいないことを思いだす。

「わざわざご報告、ありがとうございます」

 警視庁。鑑識課にいた白瀬は丁寧に鑑識係に礼を言い、自分のオフィスに向かった。智也が亡くなってから三日が経過していた。

 世間には白瀬智也の凶行が大きく取り上げられていた。この倫理観の欠如は彼が〈レプリカ〉であるせいだという論調が高まり、もう一人の〈レプリカ〉も世間に公表するべきだという声が増えているという。それでも苑原は白瀬慶介のことを表舞台に出そうとしなかった。白瀬自身は苑原が攻撃されるくらいならば、自身が的になっても構わないと言ったのだが、彼にとっては白瀬の生活を守ることが唯一の罪滅ぼしだと思っているようだった。

「おはようございます」

 オフィスにはスクリーンが降りていて、取調室にいるらしい堂安の姿が映っている。

「おはよう」

 各々が映像を見つつこちらに返事をする。鵜飼の隣のデスクに座り、白瀬も映像を見た。堂安はどの質問にもだんまりを決め込んでいたが、妹の件となると少しだけ口を開き、また閉じた。

「こいつに同情しないこともないね」玖島が言う。「妹を無残に殺されて、どん底から救ってくれたヒーローに、ある種、自分を捧げちゃったわけだ。そのヒーローが死んでもなお、裏切るつもりはないってか」

 塔乃が〈リック〉を操作し、映像を切り替える。九分割されたスクリーンには九十代から十代までの男女が映っていた。

「これら九人が全員〈Spider〉よ」

「彼らも黙秘ですか?」と鵜飼。

「そうみたいね」

「大した忠誠心だこと」

 玖島が呟く。そのとき塔乃の〈リック〉が震えた。

「ホログラフィック通信よ」

「誰からですか?」と宇野。

「総理大臣」

 座って応答するわけにもいかず、全員席から立ち上がった。塔乃が応答し、敬礼で松江を出迎える。立体ホロ表示された松江の隣には寧の姿も見える。

「寧ちゃん!」

「こんにちは、白瀬さん」

「もう大丈夫なの?」

「はい。平気です。寧は強い子なので」

 言葉通り、寧は天真爛漫とした笑みを浮かべている。その様子を松江も嬉しそうに目を細めてみていた。

「君たちの活躍が素晴らしいものだったと聞いている。ご苦労だった」

「ありがとうございます、総理」

「そこでだ。君たち、今、所属先がないそうだね」

「はい。行く当てもない野良部隊です」

 宇野警視総監が創設した秘密組織〈BORDER〉は、賀上を捕まえるための組織であり、その目標が消えうせた今、空中分解の最中にあった。

「そう聞いて、宇野警視総監に掛け合った。君たちを捨て置くには惜しいとね。そうしたらまあ、話がトントン拍子に進んで、どうだい? 君たちさえよければ、今後とも宇野を直属の上司とする秘密組織〈BORDER〉を続けることも可能だが?」

 塔乃は少し驚いた顔をしたが、やがて微笑んだ。

「ありがたいお言葉ですが、戻るかどうかは希望者制ということにしていただければ幸いです」

「そんな。いいじゃないですか、塔乃さん」

 玖島が言う。

「僕は賛成です」

 と宇野が笑う。

「異議はありません」

 鵜飼が白瀬の方を向いた。皆の視線が白瀬に向く、ひと呼吸おいて、白瀬が答えた。

「喜んで」


 ***


 西暦二〇四二年、六月十日。

 研究所から逃走した白瀬智也はパーカーのフードをかぶり、監視カメラを避けながら移動していた。今頃、研究所の連中、特に白瀬灯也がどんな顔をしているのかを想像すると愉快だった。

 人混み多いの地下鉄のホームを歩き、次の行き先を適当に決める。そのときふと売店に目が行った。いつも口にする味気ない病院食とは違う、不健康そうな食品が置かれていた。なんとはなしに智也はチョコレートバーを手に取っていた。売店のアンドロイドが愛想のいい顔でそれが百円であることを伝える。気がつけば智也は二百円を支払い、それを二つ購入していた。

 歩きながら一口食べて、その甘さに喉が焼けそうになった。それと同時にチョコレートがどういう味かを理解し、とても気分が高揚した。

 地下鉄に乗り込み、当てもなく移動する。もう一本のチョコレートバーを手に持ったとき、ふと慶介のことが頭に浮かんだ。何かがひっかかり、もう一本のチョコレートバーを食べる気が起きなかった。

 弟のことが嫌いだった。

 絵に描いたような正義感と優れた道徳観やコミュニケーション能力を有している弟が羨ましくもあった。

 けれど彼はたった一人の〈レプリカ〉であり、たった一人の兄弟だった。

「馬鹿らしい」

 智也は自身の感傷を鼻で笑い飛ばした。今更、何を思っているのか、アホらしいことこの上なかった。それでも、どうしてももう一本が食べられず、地下鉄を降りるときに椅子の上に菓子を置いて行った。

 煌々と燃える炎の中、白瀬智也はそんなことを思いだしていた。

 慶介がこちらに来ようと手を伸ばしている。そんな姿が滑稽で笑えてきた。

「慶介、お前のことが──」

 あのときの菓子は今頃どこの駅にあるのだろう。

「大嫌いだよ」

 それともまだ電車の中に置き去りにされたまま、誰かに食べられるのを律儀に待っているのだろうか。



「BORDER‐義体犯罪捜査課‐」 おわり


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BORDER‐義体犯罪捜査課‐ 北原小五 @AONeKO_09

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