④Chapter.5
玖島が目を覚ますと時間はほんの数秒しか経過していないことがわかった。脳を強かに殴られた宇野と違い、塔乃は俊敏に背後の敵に気がつき、振り下ろされたバールを交わす。意識を取り戻した宇野を見て、大学生くらいの若い男がバッドをスイングする。横に転がりそれを交わし立ち上がる。背後の宇野の無事を確認し、警棒を構えた。この近距離で銃をやたらめったら撃つのは危険だと判断したからだ。
しかし全力で振られるバットを警棒は支えきれないだろう。お互いに距離を保ちながら、半円を描きつつ隙を探して歩く。先に仕掛けてきたのは若い男の方だった。バットを上げて、脳天を狙う。玖島は左に飛んでそれを交わし、重力のまま床に突っ伏しそうになった男の背中に警棒を叩き込む。反撃の隙を与えず、そのまま右足で回し蹴りをして、相手は完全に床に伸びた。
「塔乃さん」
塔乃の方を見る。着衣が少し乱れてはいるが、彼女は無傷だった。
「問題ない。拘束して」
「了解」
〈Spider〉は九人の男女からなっていた。最年少がセーラー服の少女。最年長は九十歳くらいの老人だった。全員はもう抵抗の意思を見せず、大人しく逮捕された。しかし最後に手錠をかけたとき、少女が笑っていた。
「何がおかしい?」
「別に。ねえ、あの警官は死んだ? 賀上様を捕まえてた看守だよ。あの爆弾はね、私が作ったの」
嬉しそうに少女が言い、甲高く笑う。宇野は不気味な化け物を見たような反吐の出る気持ちがした。
「宇野、電子ロックを外せ」
「了解」
宇野がサーバーに繋がっていた小型端末を引っこ抜き、自身のラップトップ型デバイスに繋ぎ直す。キーボードを叩くこと、十数秒で彼は顔を上げた。
「ロック解除しました」
「よくやった」
言うが早いか、塔乃は首相がいる五階へと走り出していた。〈Spider〉たちを宇野に任せ、玖島も後に続く。五階にはロックが解除されたことに驚く犯人グループの姿が見える。銃を構えた玖島は、廊下を走りながら、扉の前にいる見張り役の肩を撃ち抜いた。そのまま扉を蹴破る勢いで開けて、中に入る。
「く、来るな! 撃つぞ!」
犯人は松江を人質に、窓際に立っていた。その瞳からは動転状態にあることが伺える。
「撃ちたいならば撃てばいい。〈フットボール〉はもう手には入らん」
対する松江は余裕すら見せていた。まったく大した人であると思いつつ、玖島たちは銃を下ろす。
「そうだ。それでいい。松江! 〈フットボール〉をこちらに渡してもらう」
仲間のもう一人が、黒い鞄へ近づいていく。
「パスワードを言え!」
「断る。〈BORDER〉だったか? 栄彦から話は聞いている。私のことはいい。制圧しろ」
塔乃が眉を顰める。
「しかし──」
「構わん」
瞬間、ぴりりとした雰囲気に執務室が包まれる。それを敏感に感じ取ったピエロ面の男が銃をこちらに向けた。
「動くな!」
塔乃が男に向かって直線距離を猛然と走り出す。銃弾が身体をかすめるが彼女はその走りをやめずに、執務机を飛び越えて窓際に至る。銃弾が尽きたのか、男は銃を捨て、手にした〈フットボール〉を鈍器のように振り回した。大きな音を立てて硝子にひびが入る。それでも塔乃は隙をつき、男の腹に蹴りを入れる。腹部にもろに蹴りを喰らった男は立っているのがやっとのようだ。
もしかしてこの男、義体じゃないのか?
玖島がそう推測するのも無理はない。だが、男はたしかに義体所有者だった。ただ塔乃が圧倒的に強いというだけで。
続けざまに間髪入れずに繰り出される打撃。男は顔や脇腹を拳で殴られ、意識を失う。何食わぬ顔をしながら、塔乃は無事だった〈フットボール〉を松江の手に返した。
「また君に助けられたな」
今更噴き出してきた冷や汗をハンカチで拭いながら松江が言う。
「お言葉ですが、私ではなく、私のチームです」
そのとき、義体犯罪捜査課のメンバーの一人が執務室に駆け込んできた。
「矢田課長から連絡です。森ノ音小学校、犯人グループを鎮圧しました。人質に負傷者なし!」
松江は魂が抜けるような息を吐く。しかし塔乃たちの表情は硬かった。まだやるべきことは残っている。
「羽田へ向かう」
塔乃の言葉に、玖島は頷いた。
***
賀上が銃を取り出したことで、飛行機内はパニックになり、乗客はタラップの方へ走り逆戻りしていった。
躊躇いのない銃口が鵜飼の方へ向き、二人は座席のシートに隠れ、やり過ごす。そうかと思うと、堂安が鵜飼を相手取っていた。
「走らせろ!」
コックピットの方に向かって堂安が叫ぶ。
「いいから機体を動かせ! さもなくば全員殺す!」
それを合図にするように飛行機が動き出す。悲鳴をあげたキャビンアテンダントの一人を容赦なく賀上の凶弾が襲った。
「やめろ!」
賀上に向かって白瀬が銃を向ける。しかし弾丸はそれてシートに穴をあけるだけだった。
「慶介、話し合おうじゃないか」
シートに隠れて見えないが、にたにたと笑う賀上が想像できる。
「お前と話すことなんてもうない」
「そんなことないだろう。父さんを看取った気分はどうだった? 火葬してやったんだろう? 葬式には誰が来た?」
「黙れ!」
声がする場所から位置を特定し、白瀬は中央の座席に走った。賀上を見つけた瞬間、飛行機が大きく揺れた。揺れに驚いたのか隙を見せた賀上の手から銃を奪い、こちらの銃を突きつけるが、足蹴で銃を床に叩き落される。
素手での殴り合いになり、一進一退の応酬が続く。賀上は片腕で白瀬の拳をガードし、それを読んでいた白瀬は回し蹴りで頭を狙う。しかし賀上に先を読まれたのか、しゃがみ込んで足を避ける。
読み合いでは互角。ここは〈ホルス〉ではないのだ。邪魔は入らない。落ち着いて、制圧することだけを考えろ。
息を整えようとすると、鋭い手刀が脇腹めがけて繰り出される。打撃を喰らった白瀬は身体を曲げて、ダメージを逃そうとする。痛覚は切ってあるが金属や内臓には着実に負荷が蓄積される。賀上は、白瀬が身体のバランスを崩したのを見逃さず、背中に掌底を叩き込んだ。重力と打撃に従い、白瀬は飛行機の床に伏せる。そのまま金属の足で頭を踏まれそうになるのを何とか身体を横に回転させてかわし、距離をあけて立ち上がる。
「やるじゃないか。それでこそ警察官だ」
飄々としている賀上の顔に拳を叩き込もうとするが、賀上はそれをひらりとかわし、足払いをこちらにしかける。白瀬はまた大きくバランスを崩し、シートをひっつかんで倒れるのを防いだ。
そのときまた飛行機が大きく揺れた。窓の外を見ると飛行機が離陸用の滑走路から離れていくのが見える。何が起きているのかわからずにいる白瀬をよそに、賀上の拳がとんできた。
***
コックピット付近で堂安と格闘している鵜飼は飛行機が滑走路から離れているのが見えていた。急角度で飛行機が右に回り、空港の展望デッキが近づいている。
「何をする気だ!?」
「穴だらけの飛行機で離陸できるわけないだろ」
倒れた堂安が立ち上がりながら、咳をする。
「このまま飛行機で空港に突っこむ気か? お前たちも死ぬぞ」
「ここから逃げるには大きな騒ぎを起こすしかない。一か八かってことですよ」
立ち上がる勢いを利用し、堂安の回し蹴りが中段に飛んでくる。それを背を低くして交わし、右頬に拳を叩き込もうとする。拳は頬をかすめ、かぶりをふった鵜飼の背に蹴りが当たる。鵜飼が立ち上がろうとする間に、堂安は飛行機側面についているハッチを開けた。風が吹き込み、緊急脱出用の滑り台が展開される。堂安が自身の体を滑り込ませて、飛行機から降りていった。途端に飛行機が展望デッキに突っこんでいくのが見え、鵜飼は背筋がぞっとするのを感じた。
「白瀬! このままじゃ……!」
中央の座席で賀上の相手をしている白瀬に声をかける。
「先に逃げろ!」
「馬鹿言うな!」
いよいよガラス張りの展望デッキが眼前に迫っている。鵜飼は倒れこむように座席の下に身を隠し、衝撃に備える。次の瞬間、けたたましい音と共に大きな衝撃が襲う。鵜飼は身体が激しく前のシートにぶつかるのを感じた。爆発音が轟き、煙と炎の臭いが鼻につく。窓から外を見ると、展望デッキが煌々と燃えているのがわかる。煙が機体の中に充満し、飛行機の後方がひしゃげている。煙が多くて白瀬や賀上の姿が見えない。
「白瀬!」
煙が肺に入り咳が出る。それでも鵜飼は飛行機の後方へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます