③Chapter.5
夜九時、白瀬は招集を受けて警視庁のオフィスにいた。あの塔乃がめずらしく焦りを見せている。
「現在進行形の事件が三つ、同時に起きている。一つ、官邸で松江総理大臣を人質に立てこもり」
スクリーンの映像が切り替わり、官邸が映し出される。黄色い立ち入り禁止のテープが張られ、報道が集まってきている。空にはヘリが飛び、地上では警察官が詰めているのだろう仮設テントが張られていた。
「二つ、私立森ノ音小学校で松江寧含む二十人を人質に立てこもり」
次の映像は小学校の講堂だった。中は見えないが、官邸と同じように報道や警察官で囲まれている。
「そして三つ、賀上と堂安が逃走した」
白瀬をことのほか驚かせたのは三つ目だった。
「どうやって!?」
「〈区外〉の人間の手引きがあったと思われる。看守三人が死傷を負った。助かる見込みは薄い。そのまま車で羽田空港方面へ向かったのが映像で確認が取れている。私たちは班員を二手に分ける」
塔乃の指示は、塔乃と玖島、宇野は官邸へ。白瀬と鵜飼、その他の班員は羽田空港へ向かえというものだった。
散会し、各々が指示された現場へと向かう。白瀬は苦虫を噛み潰す思いだったが、ここでまた賀上を取り逃がすわけにはいかない。あの犯罪者をのさばらせるのだけは、許されないことだと気持ちを固めた。
「行こう」
瞳の奥に炎を宿し、二人は車の中に乗り込んだ。
***
午後九時半。官邸に到着した宇野は現場の混乱に巻き込まれた。指揮を執っている偉いさんも、さすがに総理大臣を人質にされた立てこもり事件は初めてなのだろう。仮設テントの中には他の課の百人ほどの刑事や特殊部隊員の姿がある。その中で塔乃は唯一ともいえるほど、冷徹な目で官邸内部の地図を見ていた。
「官邸は特殊な造りになっている」
地図を見ながら塔乃が言う。
「話によると、松江首相のいる場所には幾重にも電子錠でロックされているらしい。そのシャッターは固く、破るのにも時間がかかる。強行突破するにも、まずはこのシャッターの突破が必要だ。そしてシャッターのロックは、おそらく外側からかけられたものではない」
「は? どういう意味です?」
理解が追いつかない玖島に対して、宇野がフォローを入れる。
「ここの電子警備は全てスタンドアローン型。サーバールームに侵入して物理的に接触しないことにはセキュリティを突破できないんです。つまりクラッカーはまだサーバールームにいるはずです」
「まずはそいつを捕まえるのが先ってわけか」
「そうなります」
塔乃が地図の地下を指さす。
「地下のサーバールームを守っているシャッターは幸い他と比べれば薄い。上階にいる犯人たちに知られずに侵入できるかもしれない」
「かも、じゃなくて、今からやるんでしょう? 俺たちだけで」
ちらりと本部の方を見るが、相変わらず皆、怯えるばかりで動く様子がない。もしかしたら上からの指示を待っているのかもしれない。自由に動ける自分たちは、幸い、宇野栄彦以外の指図は受けないで済む。
「玖島は宇野のフォローを。私が先に行く」
駆け足で正面玄関に向かうと自分たちの行動に驚き、止めようとする声が聞こえたが、そんなものに構ってはいられない。そのままゲートを開き、金属探知機を飛び越え、暗い官邸内に侵入する。
「こっちだ」
先行する塔乃の後に続き、玖島は進む。義眼でない宇野は夜目が効くまで時間がかかるようだが、銃を構えてついてきた。地下へと非常階段で降りると、シャッターの前には二人の男が佇んでいた。塔乃はひらりと音もなく男たちの前に現れ、警棒で頭を横殴りにした。一人が呻き声をあげて倒れる。宇野がもう一人を相手取った。男が倒れた仲間を見て口汚く喚く。
「この野郎、何しやがる!」
懐から出てきたのは黒光りする銃だった。同時に宇野も銃を構え、発砲するも互いの弾丸は壁にのめりこんだ。
鵜飼のようにはいかないな。
射撃の名手を思いつつ、横に転がり物陰へ移動。塔乃が反対側の角に隠れたのが見える。宇野は玖島の背後にいた。隙を見つつ応戦し、塔乃の放った銃弾が男の顔面にめり込んだ。宇野と玖島が倒れた二人の男を拘束し、その間に塔乃が工具用のカッターでシャッターを切断する。サーバールームへの道が開け、三人は中に入った。二メートルほどあるサーバーが低く唸り、緑と青の光を点滅させて動いている。その奥に十四歳くらいの女の子の姿があった。
「塔乃美紅……」
セーラー服を着た女の子はぽつりとそう呟き、自身の大きなフレームの眼鏡を指で少し動かした。塔乃が腕を組む。
「あなたが〈Spider〉?」
「その表現は適切ではありません。私は〈Spider〉ですが、私だけが〈Spider〉というわけではないのです」
まさか──。
嫌な予感がして宇野は振り向こうとした。しかしそこには既に人影があり、頭を強かに殴られる。意識を失いそうになりながら、宇野は畜生と舌を噛む。
〈Spider〉は複数いるのか!
***
羽田空港へと到着した白瀬と鵜飼は自身のIDの権限を使い、自家用飛行機の搭乗客リストを見ていた。しかしリストに不審な点はなく、賀上も堂安も見つからない。ここには二人の他に多くの警察官が賀上を探しているはずだが、空港は広くあまりにも人が多い。
「守衛室にアクセスしよう。監視カメラから賀上の顔を探す」
白瀬は良い案だと思ったのだが、鵜飼は首を横に振った。
「〈Spider〉がいるんだ。カメラの死角をある程度まで計算して動いているのかもしれない」
「でも闇雲に探すんじゃ、空港は広すぎる……」
北翼棟を早足で歩きながら、怪しい人物を探す。そのとき〈リック〉が震えた。
『北翼棟ゲートEで賀上の思わしき人物がカメラに映った!』と警察官からの連絡が入る。
ゲートEは白瀬たちのすぐ近くだった。白瀬と鵜飼は飛行機に乗り込もうとする人々をかきわけてタラップを走り、キャビンアテンダントの制止も振りほどいて、飛行機の中に入った。乗り込んでいる客はビジネスクラスの六名だった。その中の一人が声をあげて笑った。
「官邸に行かなくていいの?」
賀上と堂安が立ち上がり、剣呑な雰囲気に乗客がどよめいた。
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