3
*
我ら龍神族は、この原初の滝から生まれ出たとされ、峡谷一帯は我が一族の
一族がかつて人に受けた恩義を返すため、などという理由と義務感だけで座っていられる程、この玉座は甘いものではなかった。きっと、言葉にはしなかっただけで……父も、その先代もそれぞれに守るべきものがあったのだと、今ならば分かるから。
「……陛下……龍王陛下っ――」
声が、聞こえる。三年、待ちわびた声が。
ここにいると応えたくとも、この姿では醜くおぞましい
(ようやく、そなたに――)
滝口へと身を躍らせた巨大な
(美しく、なった)
今すぐ手を伸ばして触れたくても、この姿、この立場では何もかもが許されない。これが、最後だ……そう決めて、ここに来たのだから。
「織り手の
儀礼の挨拶を述べる鈴鳴の顔はすぐに伏せられ、跪く姿は臣下の礼。これが、現実だ。
「……この身をもって当代の契りと代えて下さいますよう」
最後の句を紡ぎ終えると、羽衣を抱いた鈴鳴は滝壺に身を躍らせた。
(っ――思い切りが良すぎるだろうっ!)
こちらが覚悟を決めている暇もなかった。私は落ちて行く彼女を追い、人の姿となって水煙に紛れた。手を、伸ばす……抱き締める。これまで一度として触れることの出来なかった温もりが、今だけはこの手の中にある。
「鈴鳴っ」
「ようやく、会えた……黎月」
当たり前のように微笑む鈴鳴に、言葉を失う。数瞬の時の隙間を、ただ二人落ちて行く。
「な、ぜ……」
「だって、気付いてたもの。何年一緒にいたと思ってるの?あなたが皇太子だって事も、それを私に知られたくなくて必死に隠してる事も、全部気付いてた」
「ならば何故っ……どうして私の事を責めない!何故、三年前のあの日に逃げなかった!そなたを縛る私から離れる、絶好の機会を」
「あなたの事を、愛しているから」
あまりに端的な、そして何よりも望んでいた言葉に、彼女が壊れるくらい滅茶苦茶に抱き潰して、このまま死んでしまいたいとさえ思った。それでも、そう。愛しているから、出来ないことは数え切れないほどにあって。
「私は、怖い……父が母を殺してしまったように、いつかそなたを取り返しのつかないほど、傷付ける事が怖いのだ。今日とて、そなたを私から逃そうと」
「当たり前の事だけど、あなたは先王様じゃない……私は龍王のためでなく、他でもないあなたのために羽衣を織ったのよ、黎月」
そっと言葉を落として、鈴鳴は胸に抱いていた羽衣をフワリと広げた。
星空が、そこにあった。涙を散りばめたように輝き、優しく瞬く星々が身を包む。
『どうか忘れないでね。私の心が、いつもあなたのそばにある事』
あの時、最後に鈴鳴が告げた言葉を思い出す……それが、そなたの見出した星空か。
「今だって、あなたは私を守るために抱き締めてる。私はあなたに傷付けられた事なんて、一度もない。それでも怖いなら、私があなたを抱き締める。私に出来る事なんてたかが知れてるけど、あなたが凍えないように衣を織って、帰る場所が分かるように歌を歌うわ」
その言葉の一つ一つが、夢に形を与える。細く、それでいて力強い腕が私を抱き締める。これが、生きているということなのだと、その温もりが私に教えた。
「さあ、聞かせて……あなたの言葉で、あなたの心を。私は逃げるためじゃなくて、寄り添うために、ここまで来たのよ」
心に築き上げていた最後の壁が、崩れ落ちる音が聞こえた。
「……そなたが布を織るところを、誰より近くで見ていたい」
「うん」
「独りでなく、そなたと共に生きたい」
「うん」
「……っ、そばに、いてくれ」
「そばにいるわ、どんな時も」
涙が、こぼれる……また一つ、夜空の星となる。星の羽衣を鈴鳴に預け、果てのない空を見上げる。
私は、
トントンカラリ、トンカラリ
機織の音は、いつまでも響き続けている。
星を紡ぐ手 雪白楽 @yukishiroraku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます