2-2

 半ば無理やり宮中へと連れて来られたのだとしても、鈴鳴は機織を己の天分として心から愛していた。途方もない時がかかっても、いつか星空を織ってみたいと言った彼女の願いが、叶う日を想った。彼女は星空に、どんな意味を与えるのかを、見てみたいと。




 トントンカラリ、トンカラリ




「……ああ、そう言えば。あなたって皇太子殿下……の近くでお仕えしてるのよね?」


 一瞬だけ心臓がドキリと跳ねたが、そう言えばそんな『設定』だったと己でも忘れていた事に動揺しつつも、平静を装って応える。


「そうだ。あれだ、出世頭しゅっせがしらと言うやつだな」

「ふふ、それ自分で言うの?でも、皇太子様ってどんな方なのかしら。今更だけど、どうしてそんなに私が織る布を気に入って下さったのか、ちょっと気になって」


 その言葉を聞いた途端、臓腑ぞうふの底から熱が失われていくのを感じた。


「……所詮は、化け物だ。人間の真似事が出来るからと言って、その本質は暴力で出来ている。アレの父である龍王は、己が力の暴走で妻を殺した。幾ら名君とあがめられようと、大切なもの一つ守れず、傷付ける事しか出来ない手に意味などない……皇太子もまた人を遠ざけ、人を恐れ、人の心を解さない男だ」


 沈黙が、落ちる。私は己自身の事を、そう理解していたのかと動揺し、同時に醜い己について語り過ぎた事を悔いた。


「済まない……今日は帰る」

「っ……待って」


 この数年間で初めて私を呼び止めた声に、遠ざかりかけていた足がピタリと止まった。


「きっと……表に出さないだけで、神様や王様にだって寂しい時はある、と思う。この世の全てに責められても、たった一人が許してくれたら救われる事もあるのよ。私にくれる優しさを、どうかその人にも分けてあげて?」


 私にとっての救いはそなたを除いてはないのだと、どんなにか伝えたかった。それでも、この関係を壊す事は何よりも恐ろしく、何も告げずに私は去った。




 その夜、父が死んだ。



「鈴鳴、鈴鳴っ――!」


 駆け寄った扉は、侍従に聞かされた通り固く閉ざされ、強力な結界が張り巡らされていた。父の死を悼む間もなく、これだ。



 羽衣はごろもの儀


 この国では、太古の昔に人間と龍神族が結んだ約定やくじょうに則り、新王は即位してもすぐには王と認められず、龍王交代の儀式……羽衣の儀をて正式に龍王となる。人間の娘が三年の月日をかけて織り上げた羽衣を受け取る事で、龍王は空高く舞う力を手にし、天と地の双方をべる神となる。


 人と龍が手を携え云々は建前、その本質は人柱の儀である。娘に待ち受ける運命は、儀式で羽衣と共に身を投げる滝で死ぬか、龍王の目に留まり掬い上げられて妻となるか……王とは言え化け物との婚姻だが。


 己に待ち受ける運命を思い、心を壊すものも少なくはない。それでも、この特殊な結界のために逃げる事も死ぬ事も許されず、昼も夜もなく羽衣を織り続ける事になるのだ。




(だが、この程度の結界など――!)




 そう、結界を破ろうとした瞬間だった。


「黎月……?」

「っ、鈴鳴!無事だったか……今すぐに助け」

「やめて、黎月」


 鈴鳴の制止する声に、私はやり切れない思いで拳を下ろした。常ならば貴族の娘が担い手となるものを、私が鈴鳴ばかりを贔屓ひいきにした故にねたみを買ったのだ。私には、鈴鳴を救いようのない運命から解放する責があった。


「そなた分かっているのかっ、このままでは」

「死ぬかもしれない、でしょう。今日一日、散々に念押しされたから分かってる。でもね、私は自分で志願したのよ」


 一瞬、その言葉の意味を理解出来なかった。


「化け物の、妻となるのだぞ?それだけではない、宮中はそなたが思っているよりずっと」

「あなたまで、そんな悲しい事を言わないで?皇太子殿下は……きっと、あなたと同じくらい、私の作品を愛してくれた。そんな方がお父様である龍王様を亡くして、それでも新しい王様として立とうとしてる。私でお役に立てるなら、少しでも目をかけて下さった恩返しが出来るなら、何だってするわ」


 どうして、届かないのだろう。どうして、そなたにはこのままで居て欲しいと、その一言が言えないだろう……己で、己の卑劣さが良く分かっているからだ。このまま機織神女である事を鈴鳴に望むなら、どのみち彼女は死ぬまでこの暗く狭い小屋を出られない。


 今まで、ずっと目を背けて来た真実を、喉元に突きつけられた心地がした。


「……掟を破ってしまったわ。本当は、誰とも言葉を交わしちゃいけないの。でも、どうしても最後にあなたと話しておきたかった」

「鈴鳴、止せ……どうか私の話を」

「もう、ここには来ないで……でも、どうか忘れないでね。私の心が、いつもあなたのそばにある事。あなたが、そうしてくれたように。大好きよ、黎月……いつまでも」

「鈴鳴?鈴鳴っ――!」




 それきり、もう二度と声は聴こえなかった。


 扉の前に崩れ落ちながら、これで本当に独りになってしまったのだと、唐突に悟った。私の大切な人達は、どうして私を置いて行くのだろう。ただ隣に在るだけの事が、どうしてこんなにも難しいのか。




 トントンカラリ、トンカラリ




 音が、聞こえる――鈴鳴が、機を織っている。きっと今だけは『龍王』ではなく、私のため……『ここにいる』のだと伝えるために。


(どれだけ、そなたは――)


 こぼれそうな心を、言葉を、何もかも飲み込んで顔を上げた。既に心は決まり、すべき事はこの上なく明白であった。私は何としても、彼女の心に報いなければならない。



 来たるべき約束の日……今度は私が、そなたに『自由』を返す番だ。



 *



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