2-1


 *



 最初は、帯だった。


 鈴鳴は、国中で数えるほどしかいない『つめつづれ』なる技法の継承者である。数ヶ月から数年をかけて一つの作品を織り上げる代物しろもので、恐ろしく手間がかかる……正しく『王』のためにある品。


 呼吸一つ許さない緊張の中、ただ彼女のさばきと真剣な横顔に目を奪われる。常の軽やかな機織の音も鳴りを潜め、あれは本当に無地を織る時だけの音だったのだと知った。


 繊細な模様を織り上げるため、無数にある糸をおのが爪で一本一本掻き分け、色とりどりの糸を少しずつ織り込み一枚の絵を生み出していく……そんな、気の遠くなるような作業。


『この爪ね、こうやってのこぎりの刃みたいに削ってないと、糸を自由に操れないの。誰かの手を握ろうとしても傷付けてしまう、機織のためだけの手。糸ばかり触って手も荒れてるし……お姫様みたいに、綺麗な手じゃないのよ』

『……そなたの手は、何より価値あるものを生み出している。その布には、そなたの美しさと、生命が織り込まれている。誰から褒められずとも、故郷から遠く離れた地で独りきり……泣き言も言わず、己の美しさを他人のために削るそなたを、その手を、私は何より尊いものだと思う』


 その日のうちに、私は侍従を呼びつけて『今年入った機織はたおり神女しんにょの作品は、私に流れるよう取り計らえ』と命じた。侍従は滅多めったと口を開かない私が、おかしな命令を口にした事に首を捻りつつも、たがいなく私の望みを叶えた。


 幾月か後、私の元へ届いた帯には、異国の蔓草つるくさ紋様を思わせる意匠で、優美な蓮の咲き誇る様が描かれていた。どこか幾何学的な複雑さを持つそれは、白絹しらきぬの上を浮かび上がるように、淡い色合いから目も覚めるような紅へと移ろう。この全てが生み出される所を、確かにこの目で見たはずなのに、己が手に取るとその重みを否が応でも感じさせられた。


(蓮の花が持つ意味は、泥から生まれ出ても決して穢れる事のない『高潔』と『神聖』……そなたの王とは、そうあるべきものか)


 この繊細な意匠の一つ一つをあの手が紡いだのだと思い、一つ息を吸い込んで帯を締めれば自然と背筋が伸びた。きめこまやかな織りの手触りは心地良く、すぐそこに鈴鳴の心があるように感じられて。


(……この帯に見合う、次代の王でありたい)


 それを身に着ければ、窮屈な人の身であっても、少し楽に息が出来るような気がした。




 トントンカラリ、トンカラリ




「最近は、言わないのね」

「……うん?」

「だから、織っているところが、見たいって……もしかして、寝てたの?」


 懐かしい、夢を見ていた。彼女と出会ってから、どれだけの年月が過ぎただろうか。我々は互いに少しばかり大人になり、そしてその距離も少しは縮まった、はずだ。相変わらず扉越しの会話で、顔を見た事さえ数えるほどしかないが……


「そなたの、夢を見ていた……まだ幼く、機を織りながら、寂しそうに歌を歌っていた」

「寂しそう?」

「ああ……まだ、寂しいか?」


 沈黙が、落ちる。答えは急かさず、言葉が絶えても響き続ける機織の音に耳を澄ませた。そこに彼女の心があると、知っていたから。


「……寂しくないって言ったら、嘘になるわ。でも、あなたと話している時は、故郷のことを少しだけ忘れていられるの。いつも来てくれてありがとう、黎月」

「………」


 そなたが家に帰れないのは私のせいなのだと告げたら、彼女は私を軽蔑するだろうか。それとも、いつものように、少し悲しそうに笑って『そっか』とだけ告げるだろうか。実際、鈴鳴を故郷に帰すのは、私にとって難しいことではない。


(それでも、手放すことが出来ないのは……)




 トントンカラリ、トンカラリ




「そう言えば、さっきの答え聞いてないわ」

「っ、なんだ」


 私の動揺に、鈴鳴は気付かず続けた。


「どうして急に、私の織り姿を見たいってゴネなくなったのかしらって」

「ゴネる……」


 酷い言われようだとは思うが、否定はできない。私の好意に気付いているのかいないのか、至って『いつも通り』の鈴鳴だった。


「きっと、衣として仕立てられた時の楽しみとするのが一番だと、気付いたからだろう」

「え……?」


 帯の次は、衣を望んだ。男物一つ仕立てるために必要な着尺きじゃくの布を織るには大変な手間がかかり、鈴鳴の特殊な織り方を考えれば一年以上の時を要するだろうとは分かっていた。それでも、一度あの帯を手にしてしまえば、彼女の織った布を身にまといたいと願う心は抑えられなかった。


『模様にはね、意味がないものなんて何一つないって、母さんが言ってたわ。もし誰に習ったのでもない新しい模様を織った時には、心を込めて自分で意味をつけるのよ、って。青い空に一羽だけ漂う鳥は、孤独を意味するでしょう?でも、沢山いれば寂しくないわね』


 そうして一年後に仕立てられた衣には、淡い蒼と金色の入り交じる空の中を、白鶴しらつるの群れが飛び立つ姿が描かれていた。その意匠が『自由』を意味することを、私は既に知っていた。例え他の意味があるのだとしても、この衣を身にまとえば心だけは自由でいられた。


 彼女は他にも沢山の意匠を私に教え、少しずつ私の見る世界には色が付き、意味を持って輝き始めた。幼い手から紡がれる夢物語は確実に形を成し、私はいつしか人の姿となることに窮屈さを感じなくなっていった。

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