4.閉幕


 およそ一ヶ月と少し前のこと、メンヘラ男の存在そのものを消す意味不明な消失マジックの依頼を受けた浅草ベガスは、その限られた時間で、メンヘラ男に自身が用いる全ての技術を叩き込んだ。


 男にはマジックの才能があった。男が浅草ベガスと出会ったときに披露したペンを消すマジックから見て分かるとおり男の才能は傑出していたのだ。僅かな時間の中でも男は浅草ベガスの技術を吸収していった。


 ただ男の初のステージは想定外の出来事ばかりだった。一般客を装う浅草ベガスをステージ上に招いたとろこまではよかったが、男は急に段取りに無い行動を取った。ステージ上に他の客まで招いたのだ。


 だが男は敢えてそれを選んだのだろう。ステージに上がったのは、念の為に仕込んでいた劇場に所属するマジシャンたちだった。彼らは消失マジックのタネを知っている。だが一度にこの数を消すのは至難の業だ。だからこそ男はそれを選んだのだ。


 そこから後は、男お得意の妄想癖か、何か変な幻覚でも見たようで、跳んだり跳ねたりするものの、浅草ベガスにすら目で追うのがやっとの早業消失マジックを披露した。


 閑古鳥の鳴き声しか聞こえてこなかった劇場には拍手喝采が鳴り響いた。

 そしてその瞬間に浅草ベガスが誕生したのだ。


 男はマジシャンとして認められたことで、かつての自分の存在を消すことが出来た。


 こういう自分に自信の無いメンヘラ男の存在を消すには、新たな自分に生まれ変わるしかない。要するに過去の自分に新たな自分を上書きする事で、過去の存在を消す、ということだ。


 これが前代未聞の意味不明なマジックショーの全貌である。


「浅草ベガスさん。どうだったでしょうか?」

「ああ、予定とは違う事をされたときには冷や汗かいたが、素晴らしかったよ」


 鳴り止む事の無い会場の拍手喝采が届く舞台裏。浅草ベガスはかつてメンヘラだった男に声を掛けられた。


「でも、僕なんかが二代目だなんて、いいんでしょうか?」

「もちろんさ、キミ以外に浅草ベガスを名乗れる者はいない」

「でもそうなると、あなた、浅草ベガスさんはどうするんですか?」

「もう私は浅草ベガスではない。ただの『男』に過ぎないよ。浅草ベガスはキミのものだ」


 身に余るその偉大な名前に、男は戸惑いを覚えていた。


「でも……」

「これでいいんだよ。実はもう私には浅草ベガスを名乗るには荷が重くてね。かつてのようなマジックに対する情熱はもうないんだ。これ以上名乗り続けても名が廃るってもんだよ。頃合いだったんだ、潮時だったのさ」


 その言葉を聞いてどこか寂しい思いがした二代目浅草ベガスは、以前の自分に戻ったように俯いていた。


「くよくよしないでくれ、私の全てはキミに託したんだ、これからはキミの時代なんだよ、くん」


 その言葉に二代目浅草ベガスは顔を上げた。


 薄らとその目には涙が浮かんでいるが、二代目浅草ベガスのその凛々しい顔つきからは強い決意が現れていた。


「うむ、良い顔だ。さて、これ以上ここに残ってもただの老害でしかない。私は消えるとするよ」


 先代浅草ベガスは二代目浅草ベガスに背を向けて歩き出した。それは肩の荷が下りたかのように軽々とした足取りだった。


 二代目浅草ベガスはその偉大な男の背中に深々と頭を下げる。


「ありがとうございます! 浅草ベガスさん! ありがとう!」


 二代目浅草ベガスの感謝の言葉は先代浅草ベガスの耳にも届いているだろう。だが先代浅草ベガスは一度も振り向くことはなかった。


 こうして二代目浅草ベガスには、その偉大なマジシャンの名前と、偉大なマジシャンのが残された。


 ──つまり!


 これはどういう事かというと、先代浅草ベガスは負債だらけの劇場を二代目に押し付けて、まんまと逃げ果せたのだ!


 先代浅草ベガスの狙いは鼻からこれだった。 落ち目だったマジシャンは人として本当に堕ちていた。


そして、先代浅草ベガスの消息は誰も知らない。


 消失マジックを得意とする、先代浅草ベガス。彼に消せないものはない。


 自身の存在を消すのはお手の物だ。


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マジックショー そのいち @sonoichi

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