3.マジックショー


 およそ一ヶ月と少しの時間が経ち、前代未聞のマジックショーの公演日。


 劇場には、入場規制で最大キャパ半数の五十席用意したが、半数以下の二十名ほどの客しか入らなかった。だがこれでも普段よりも多い。


 客席の中央には男が何食わぬ顔で座っている。舞台袖に控える浅草ベガスは男に目配せした。男は小さく頷く。堂に入ったその様子にひと安心した。後程この男をステージに上げる予定だ。


 軽快な音楽が鳴り、出番を迎えた浅草ベガスは、スポットライトで照らされるステージへと向かった。


 先ほどまで舞台袖の暗がりにいたのでスポットライトの光が眩しかった。光から顔を背けようとしたが、それは止めた。


 ステージに立てば隠し事はマジックのタネのみで、他は全てを曝け出す。全力を出さなければ、この男の存在そのものを消す、前代未聞の「消失マジック」は成し遂げられない。


 浅草ベガスは客席に向かって恭しく頭を下げた。


「ご来場の皆さま、遠路はるばるこの片田舎の劇場にお越しいただき、誠にありがとうございます」


 ちなみに芸名が「浅草ベガス」であるが、劇場は田舎の温泉街にある。浅草は別に関係ない。特にラスベガスなんて最も関係ない。


「いやあ、今夜この劇場にお越しになられた皆さまはとても幸運だ。なんと今宵はこの浅草ベガス、渾身の消失マジックを披露するのですからっ!」


 満を持しての演説に会場はちょっぴり沸いた。客が少ないので無理もない。


「それでは早速、と言いたいところですが、なにぶん昔と違ってアシスタントを雇うお金がないもので、どなたかにお願いしたいのですが……」


 客席を見渡せばちらほらと手が上がっていた。


「それでは、そこのあなた、こちらへどうぞ」


 予定通りに客席中央の誰よりもきれいな姿勢で手を上げるあの男をステージ上へ招いた。


「それでは皆さま、いつ消されるかも分からないのに手を上げてくれた、この勇気ある男性に拍手を!」


 パラパラと拍手が鳴った。


 さて、つまらないジョークを含めて、ここまでは予定通りに進んでいる。このまま上手く事が運べばいいのだが、実は浅草ベガスには気がかりな事があった。


 客席にはひときわ目立つ大柄の外人が腕組してステージを睨みつけていた。どうにもこの外人が気になって仕方がない。


 ──ここで前項の男の妄言を思い出してほしい。


 男は英会話教室に通っていた。その英会話教室は男が受講料を払わずに逃げ出したために潰れてしまった。だから講師は男を恨んでいる。そしてその英会話の講師は外人だったようだ。


 もしかして、この客席の外人はあの英会話教室の講師ではなかろうか?


 そう考えると他にも気になる客がいる。


 客席後方にはかっちりとしたスーツ姿の二人組の男女が非常口を抑えるように座っている。こんな片田舎の温泉街の劇場にスーツ姿とは場違いだ。これは男の妄言にあった、SNSでストーカー被害にあった彼か彼女かが通報して出動した警察なのかもしれない。


 だとすると、劇場の入り口付近の壁際にいるあの怪しい人物は、男が自分を殺すように依頼した殺し屋か?


 何よりその出で立ちが物語っている。それは、膝下まであるトレンチーコートを羽織り、顔を隠すようにソフト帽を目深に被っている。さらに革の黒い手袋をつけていて、劇場内は禁煙なのにタバコの煙を燻らしている。これはもう明らかに殺し屋だ。


 ここまで揃うと、あの男の妄言は本当だった、と言わざるを得ない。


 浅草ベガスは男の様子を盗み見た。

 案の定、男の顔は青ざめていた。


 やはりこれは幻じゃない。

 現実だったのだ。


 だが、それも一興。むしろこれを乗り越えなければ、男の存在を消す前代未聞のマジックショーは成し遂げられない。


 ならば奇をてらってナンボの奇術師マジシャン。ここで浅草ベガスは段取りに無い行動を取った。


「ふむ、たった一人を消すのも、味気ないですねえ……」

「えっ、ちょっと!」


 その想定外の行動に男は動揺する。


「そうだ、そこの険しい顔つきのミスター、そしてスーツ姿の男女お二方、それに後方のコートの紳士、どうぞステージにおあがりください!」


 浅草ベガスの誘いに乗り、英会話の外国人に、スーツ姿の警察官たち、怪しい出で立ちの殺し屋は、遠慮することなくステージへ上がった。


 因縁の人物たちに囲まれて、男は顔から汗が噴き出し、それに反して浅草ベガスは悠然と振る舞っている。


「それでは皆様、今宵のマジックショーはこのステージに立つ紳士淑女の方々を次々に消してみせましょう!」


 面白いことになりそうだと、会場は沸いた。


 最初に小声で汚い言葉を囁き続ける大柄の外人に、浅草ベガスは歩み寄った。


 浅草ベガスはおもむろに、着ていたロングコートを脱いで、その外人の肩へ掛けた、……が、そのロングコートは外人の肩にかかることなく舞台にストンと落ちた。


 外人はその最中に消えていたのだ。


 その唐突な消失に会場は沸いた。

 だがそれと同時にステージ上の紳士淑女も色めき立つ。


「な、なんてことだ! 人が消えたぞ! これは大事件だ! 警官として見過ごせない!」

「ええい! 人体消失罪で逮捕する! 神妙にお縄につけい!」


 スーツ姿の警察二人は、懐から警棒と手錠を取り出し、浅草ベガスに駆け寄った。しかし浅草ベガスは迫る警官二人の間をするりと抜けて、警官二人の襟首を掴み取り、そのスーツの上着を引きはがした。

 はぎ取ったスーツを空中へ放り、スーツが地面へ着くころには、警官二人は消えていた。


 その鮮烈な消失に会場はさらに沸いた。

 だがこのステージにはまだ紳士が残されている。


 タバコの煙を燻らすトレンチコートの殺し屋は、その消失劇にも顔色一つ変えていない。だがその手には怪しく光るコンバットナイフが握られていた。


 その劇的展開に会場はまた一段と沸いた。


 浅草ベガスと殺し屋は互いの間合いを見定めじりじりとにじり寄る。


 相手はプロの殺し屋、そしてこちらもプロのマジシャン。プロだけでいえば、ほぼ互角。


 最初に動き出したのは殺し屋だった。


 その動き辛そうなトレンチコートの見た目に反して素早い身のこなしで浅草ベガスの懐へ滑り込む。その無防備な脇腹へコンバットナイフを一閃、振るった。


 万事休す、これは一溜りも無い。ステージ上に浅草ベガスの鮮血が飛び散る、──かと思えば、そんなことはなかった。浅草ベガスの脇腹にはかすり傷一つない。


 そう、浅草ベガスは脇腹に迫るコンバットナイフをいつの間にか消していたのだ。


 たじろぐ殺し屋に隙を見た浅草ベガスは、そのマジックで鍛えた指先で目にも止まらぬ連撃を繰り出す。


「ホワタタタタタタッ! アタァッ!!」


 連撃を浴びた殺し屋は、堪らずステージに崩れ落ちた。


 横たわる殺し屋に浅草ベガスは近寄り、襟首を掴み引き起こした。だが浅草ベガスが手に握るのは、トレンチコートなどの衣類のみ。殺し屋自体は消えていた。


 その数十秒の早業消失マジックに、観客たちは僅か十数名にも関わらず会場が割れんばかりの拍手喝采を送った。


 そして最後に残るは、あの男。


 男は一連の消失マジックに目を点にしていたが、近寄る浅草ベガスに気付いて、ふと顔をほころばせた。


「お見事!」


 その言葉を聞いて浅草ベガスは満足した。


 浅草ベガスは何の変哲もないシーツを男にかぶせた。ドラムロールが鳴り始め、静寂する観客。ドラムロールが鳴り止むと同時にそのシーツをさっと引けば、そこに男の姿は無かった。


 ──さて、


 「なんだこの妄想染みた茶番は」と思ったかもしれない。でも、そのとおり、これは茶番である。そして妄想も若干混じっている。


 だがそれもここまで。


 男の存在そのものを消す前代未聞の消失マジックは、ここからだ。


 ──今宵のマジックショーは次の言葉を持って閉幕する。


「皆さま、お楽しみいただけたでしょうか? 今後とも、この浅草ベガスをどうぞお見知りおきを!」


 スポットライトで照らされるステージ中央で観客たちの拍手喝采を一身に浴びる、二代目浅草ベガス。その堂々とした姿は自信に満ち溢れていた。


 そこにはかつての俯き遠慮がちだったメンヘラ男の姿はない。

 メンヘラ男の存在はきれいさっぱり消えていた。

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