2.メンヘラ男


 恥の多い生涯を送ってきました。


 産まれた頃よりやることなすこと失敗ばかりで恥をかき続ける自分なんかに、友達なんて出来る筈もなく孤独だけが寄り添います。


 そんな自分を変えようと思い立ち、生まれた場所が悪かったと決めつけて、外国に行けば何か変わる気がしまして、海外逃亡のその前に、ひとまず英語を習う事にしました。


 自分にはお金が無いものですから、外国人が一人で経営する格安の英会話教室に通いました。これで新しい自分に生まれ変われるはずだと期待していましたが、結果としてダメでした。


 それも当然です。元より会話が苦手なのに、英語を駆使する英会話なんて自分に出来る筈もありません。


 国外逃亡を夢見て始めた英会話ですが、話しの通じない講師が怖くて、自分は英会話教室から逃げ出しました。


 あの外国人の講師は今も自分を恨んでいるはずです。自分が逃げ出した直後にその英会話教室は潰れていました。自分が受講料を払わずに逃げたからでしょう。


 これを機に対面での会話がダメだと気づきまして、顔の見えないネットであれば何とかなるだろうとSNSを始めました。


 とりあえず、とりとめのない日常模様を投稿していたのですが、なんと! あろうことか! こんな自分にも話しかけてくれる方がいたのです! ……ですが、これもダメでした。


 リアルで人との距離感を掴めない自分は、ネットでも人との距離感を掴めないらしく、話しかけられたことに舞い上がり、話しかけて下さったその方に執拗に接触を試みました。


 そんな自分が不気味だったのでしょう。せっかく話し掛けてくれたその方は音信不通となりました。きっと自分のことをストーカーだと思っているに違いありません。最近自宅の周辺をうろつく謎の二人組を目撃したのですが、それはおそらく警察です。自分のストーカー行為を監視しているのです。


 自分の生涯は恥ばかりです。とうとうそんな自分に嫌気がさして、自ら死を選ぶことにしました。ですが、これもダメでした。怖くて死に切れなかったのです。


 自分で自分が殺せないのならば、殺し屋にお願いしたらいいのだと気付きました。今はいい時代です。それこそSNSで簡単に見つかりました。早速貯金を全額叩いて自分を殺すように依頼しました。


 ただ、一週間、一ヶ月、半年と、時が経つにつれ、段々と恐怖が増してきました。やはり自分に嘘は吐けない。「死にたくない」と思ったのです。ですが、今さら断りを入れる勇気もなく、またも逃げ出しました。殺し屋は今も自分を狙い続けます。


「そんな自分が恥ずかしい、だから僕は消えてしまいたいのです」

「病院行った方がいいよ」

「こんな僕ですが、身体は至って健康です。病院に行っても意味は無いでしょう」

「いや、心の病だよ」


 男の話を聞いてみたが、誇大妄想の被害妄想もいいところだ。こういう思い込みの激しい人物をメンヘラというのだろう。


 こんな男が悪質なクレーマーなりネットの炎上を起こしたりするのかもしれない。邪険に扱うのも危険が伴う。それとなく追い払うのが賢明だろうと浅草ベガスは判断した。


「とにかくキミは、キミ自身の存在をマジックで消してほしいと、そう依頼したいのだね?」

「その通りです。恥ずかしながら死ぬのは嫌なので存在のみを消してほしいのです」

「やはり病院に行きなさい。医者なら紹介できるよ」

「医者なんかに僕の悩みを解消することはできません。浅草ベガスさんだけです。だって、浅草ベガスさんに消せないものはないのでしょう?」

「無論そうだが、それとこれとは話が別だよ。だが、それ相応の金額を積んでくれたら考えなくもない」

「全財産を殺し屋につぎ込んだのでお金はありません」

「借金でも何でもすればいい」

「そんな度胸も僕にはありません」


 この男は一体何しに来たのか? せめて金を払うならと思ったが、金すら用意せずに仕事の依頼とは世間知らずにも程がある。病院に行って医者にかかるより、警察を呼んで刑務所に入った方が世の為かもしれない。


「ならば帰りなさい。警察を呼ぶぞ」

「何故ですか? ここに存在を消されたい男がいて、なんでも消せるマジシャンがそこにいる。後はステージに立つだけです」

「そんな客に伝わりづらいマジックなんてするものか。それに存在そのものを消すなんて前代未聞だよ。そもそも意味不明だしね」


 浅草ベガスは遠慮なく断っているつもりだが、何故かその言葉に、男の曇っていた瞳が輝きだした。


「だからこそ! 消せないものはない浅草ベガスの出番なのです! 僕は知っていますよ、貴方はかつて数々の奇跡を起こしてきた。僕はテレビの前でずっとあなたの活躍を見てきた。あなたがテレビから消えても、かつてのあなたの輝きは僕の中に残っています。だから僕はあなたに依頼したのです!」


 案外、話の分かる青年ではないかと、男に対する認識を改めた。


「恥ずかしながらあなたに憧れてマジシャンを目指していた時期がありました。テーブルマジックなら一通りのことができます」


 男はそう言うと、化粧台にあった手頃なペンを取って、くるりと手元でペンを回した、……と思いきや、回っていた筈のペンはいつの間にか消えていた。見事なマジックだった。相当練習したのだろう。


「改めてお願いです。僕の『存在』を消してくれませんか?」


 男は浅草ベガスに向き合った。これまで自信がなく俯きがちな男だったが、今の男は真剣な眼差しで浅草ベガスに向き合っていた。


 この男は浅草ベガスを信用している。

 浅草ベガスを必要としている。


 先ほど浅草ベガスの元を去った若手マジシャンもそうだった。彼もかつての浅草ベガスに憧れてこの世界に入った。彼もまた浅草ベガスを必要としていた。信頼していたのだ。


 だがそれは昔の浅草ベガス。今の浅草ベガスはどうだ? 自身の不遇に不貞腐れて大切な何かを忘れているのではないのか?


 だからあの若手マジシャンは去って行った。ただ、この目の前の男は昔の浅草ベガスしか知らない。


 人の存在そのものを消す前代未聞の消失マジック。


 例え意味不明であっても、例え金にならならなくても、困難極まりなく、誰も手を出さない「消失マジック」であるのなら、これをやるべきマジシャンは一人しかいないだろう。


「……ひと月、時間をくれ」

「え? それじゃあ!」


 浅草ベガスは立ち上がった。胸を張り背筋を伸ばし、芝居掛かった振る舞いでこう言った。


「ご承知のとおりこの浅草ベガスに消せないものはない。見事あなたの存在を消して見せましょう!」


 人生大逆転のマジックショーが開幕する。

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