マジックショー
そのいち
1.浅草ベガス
消失マジックを得意とするベテランマジシャン、浅草ベガス。彼に消せないものはない。
浅草ベガスの全盛期、それはテレビが栄華を誇っていたころ、彼はありとあらゆるものを消していた。
人体消失はもちろんのこと、大型バスやジャンボジェット機、高層ビルに東京タワー、町をまるごと、おまけで富士山など、彼に消せないものはなかった。
テレビの全盛期、テレビが栄華を誇っていたころ、浅草ベガスは各局テレビ番組に引っ張りだこだった。これで彼の抱えていた借金も消えたくらいだ。
ただそれも長くは続かない。
テレビに陰りが見えるころ、浅草ベガスにも影を落とした。
今のテレビでは、予算のかかる大掛かりな消失マジックはできず、唯一見るのは低予算なテーブルマジックくらいで、浅草ベガスはテレビであらゆるものを消していただけに、テレビ業界からも姿を消した。
現在、浅草ベガスは自らが経営する劇場でひっそりとマジックを続けているのだが、その劇場も苦境に立たされている。
もとより客の入りが少ない上に、更にこの密を避けるための入場規制。この負債だらけの劇場に、浅草ベガスのマジックに対する情熱すらも、既に消えていた。
「ベガスさん。ちょっとお話しいいですか?」
「え、なに? 給料のこと? それは言いっこなしって約束でしょう?」
僅か数人の為に行われたステージ終りの楽屋で、浅草ベガスは劇場に所属する若手マジシャンに声を掛けられた。
「いえ、給料のことじゃないんです」
「なら話す事はないな。儲け話以外は聞かないよ。ほら、あっち行った」
浅草ベガスは「シッシッ」と手を払って、若手マジシャンを邪険に追い払おうとした。だが、若手マジシャンは一歩も動くことをしない。その様子に嫌な予感がした。
「儲け話でもないですが、聞いてください」
「な、なんだよ?」
「俺、ここを辞めようと思うんです」
「なんで! それは勘弁してよ!」
咄嗟に浅草ベガスは若手マジシャンに縋りついた。この若手マジシャンはマジックの腕前はそれほどだが、男前なので奥様方に需要がある。逃がすには惜しい人材だった。
「すみません。もう決めた事なんです」
「お願い、辞めないで! 給料は来月、いや今月中には払うからさあ!」
「給料のことじゃないんです。確かに金はあったほうがいいけど、それが理由じゃないですから」
「それなら残ってよ、なんで辞めちゃうのさ!」
足元で喚く浅草ベガスが見るに堪えないか、若手マジシャンは顔を背けてこう言った。
「俺、ベガスさんに憧れてこの世界に入ったんです。でも今のベガスさん、すごくカッコ悪いです」
心外だった。だが、的外れでないのが悔しい。
「私は昔からこんなんだよ! 女にモテたくてこの世界に入ったし、金持ちになって皆にちやほやされたいからマジックが上達したんだ!」
「ベガスさんが女好きの金好きな最低な人間なのは知ってます。でもそれ以上に『マジシャン浅草ベガス』に俺は憧れたんです。なのに、今のベガスさんのマジックは他人のパクリもいいところだ!」
「あれは、オマージュだよ、リスペクトさ、最近流行りの『やってみた』だよ」
「いや、パクリだね! だってマギー一門のまねごとしたり、決め台詞にテジナーニャはないでしょう!」
返す言葉の無い浅草ベガス。かつての栄光も見る影もない。
「やっぱり俺は、今のベガスさんには着いていけません」
若手マジシャンはそう言い残して背を向けた。
「あ、待って! 置いてかないで!」
去り行く若手マジシャンの後ろ姿に叫ぶも、浅草ベガスの声は彼に届かない。
だが、それもそうだろう。
テレビから姿を消して落ちぶれた今の自分は確かにカッコ悪い。こんな男に耳を貸す者なんて誰もいない。
今の自分に残されたのはこのちっけな劇場に、いるかいないか分からない数人のポンコツマジシャンのみ。こんな劇場でも運営するには金がかかるし、ポンコツたちにも給料を払わないといけない。
ならばこの劇場を盛り上げる最高のマジックショーが出来ればいいのだが、そんなの今更思いつかない。そもそもこの密を避けなければならないご時世、客の入りも制限される。
取るべき手段は何もない。
埃まみれの床を見つめながら、この劇場と共に朽ち果てていく自分が脳裏に浮かんだ。
で、あるならば……
「……逃げちまうか」
そう、全てを捨てて逃げたほうが得策ではないか、浅草ベガスは夜逃げを企てた。
どうやら落ち目のマジシャンは人としても落ち目であったらしい。
「あのう……」
背後から急に声が聞こえ、ビクっと身体が硬直する。
口からこぼれたよからぬ企みが劇場のスタッフに聞こえたかと肝を冷やしたが、その背後に立っていたのは、見知らぬ顔の男だった。
「浅草ベガスさんですか? 消失マジックの……」
「うむ、私が消失マジックで勇名を馳せた浅草ベガスだが……」
その男は見るからに貧相な装いで、遠慮がちに俯いて、こちらに顔を合わせようともしない。
「お客さん、かな? ダメだよ、勝手に入ったら」
「客じゃないです」
「だったら尚更だ! さっさと消えろ! ぶん殴られてえのかっ!」
浅草ベガスからしたら金を払うことのない客以外の存在は人間以下なので、あからさまに侮蔑した態度をして声を荒らげるのもごく自然な行いだ。
「いや、その、お仕事を依頼したくて」
「え、仕事? なんだ、それならそうと早く言ってくださいよう。まったく参ったなあ、困った御方だ。はははっ、おや、糸くずついてますよ」
ちなみに仕事を持ってくるなら誰であれ神さまであるらしく、すかさず椅子に座るよう進め、素早い身のこなしでお茶を用意し、ゴマをすった。
「んで、どこですか? 地方営業、は難しいか、時期的に忘年会ですか? どこの上場大企業さまですか?」
「そういうのじゃないですけど……」
「え、まさか、テレビとか?」
「違うんです。ただ僕を消してくれないかと思って……」
浅草ベガスは理解が及ばなかった。
「はあ? 消す、というと、貴方をマジックで?」
「はい、そうです。僕の『存在』を消してほしいのです」
再度同じことを聞いてはみるも──
「えと、どういう意味?」
──浅草ベガスには理解が及ばなかった。
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