終章

 公儀の隠密にも、いろいろあるのだそうだ。猪上のご隠居のような形だと、日頃は藩内部の人間として生活しながら、定期的に叛意の有無を報告する。ご隠居が使っていた割り符は、報告のため必要な「容れ物」だった。だがその「容れ物」の中身に不自然な表現があれば、「容れ物」を扱う隠密自身が疑われてしまう。伊賀を抜けた茂平は、そうした表現の機微に詳しかった。黒田屋四代目の利右衛門は、茂平の存在を藩に報告せず、黒田屋の一員として扱うことにした。


 猪上のご隠居の後釜として、息子の徳治郎がいることは分かっている。徳治郎が割り符を使い始めたのは五月の初めだった。父親が死んだことを伝え、自分が跡を継いだことを知らせていた。その割り符と文(ふみ)の内容を抜いて、黒田屋が管理するのは容易かった。忍びの技をほとんど忘れた徳治郎は、茂平にとって赤子のようなものである。茂平の技術は、少しずつ佐之助にも引き継がれていた。大切なのは情報。権力を握るのではなく、権力と同じ高みから権力を見守る姿勢である。


 茂平が住んでいた小屋には、代わりに太郎が入った。茂平ほどではないが、いい器を作れるようになっている。山の咲夜とはなかなか会えないようだが、手長はたまに顔を出してくれるらしい。窯の火を落としたときは狩りに出かけたときだ。太郎に用がある者は、窯の煙を見て訪ねるようになった。


 安針の「始末」も、すっかりなくなってしまった。誰かが何か悪さをしそうになると、やらかす前に明るみになる。悪さをしそうな人間でなく悪さ自体が噂になるため、結局は何も出来なくなるのだ。古着を商う黒田屋は、茂平が加わったことによって、情報を集める集団から操作する集団になった。治安がよくなることは、余計な「始末」を減らしてくれる。余計な「始末」が減れば、お上の目から「始末」を隠す手間も省けるのだ。安針が口にする言葉は、すっかり角が取れてきた。

「晩飯のおかずは、何かの?」

最近は、食うことしか話題にできない安針である。


 長年一人暮らしをしてきた安針は、五十になったこの春から黒田屋に戻ってきていた。正確には黒田屋の離れに住んで、身の回りの世話をしてもらいながら患者を診ているのだ。離れに住んでいた清右衛門が卒中で亡くなったのは去年。身の回りの世話をしていた娘が身籠もっていたのには慌てたが、黒田屋で面倒を見た上で、折を見て奉公先を決めることで落ち着いた。


たまに包丁を握る安針の好みは、黒田屋の台所にも浸透していた。伊納藩ではめったに見ない白味噌も、なぜか黒田屋には置いてある。米麹で作った白味噌に酒とみりんを加え、鰆を漬け込んで焼く。年を取って、安針は甘みを好むようになった。年のせいか、食も細くなっている。


 飯は炊いた後、伊納杉でつくったおひつに入れる。炊いてすぐ入れると余分な水分を杉が吸収し、飯が乾燥しかけると今度は水分を戻してくれる。晩酌用の酒も、伊納杉で造った樽に入れてある。酒に杉のタンニンが溶けて味が深くなるのだ。もちろん、漬物用の樽も伊納杉。タンニンは酵母菌とも相性がいい。杉樽で漬けた白菜漬は、パリパリと歯ごたえが楽しめる。弁甲材としてだけでなく、こうした日用品にも杉を使えることを、安針はことあるごとに口にしていた。「曲げわっぱ」の弁当箱も、安定した人気がある。


 大規模な産業ではなく、小さな工夫が経済を回し完結する暮らし。そんな暮らしなら、公儀からにらまれることもないし、余計な期待をされることもない。前世と同じだけの時間を生きてきた安針にとって、侍の世が終わっても生き延びる黒田屋であってほしいのだ。


 食事中、ふいに咲夜の心の「声」が届いた。

(安針先生、娘が私の『声』に笑ってくれました。三つ子の魂に、私の全てが託せそうでございます)

太郎との子である。名は「幸(さち)」。けっこう力が強いらしい。

(元気で何よりだ。幸の『声』が聞ける日まで、せいぜい長生きせねばならぬようじゃな)

食後の茶を楽しみながら、安針は幸に何か買ってやろうと思い立った。「始末」はもう、安針の手を離れている。そこに座っているのは、穏やかな笑みを浮かべる、ただの初老の男だった。

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始末屋・安針  西久史 @nishihisashi

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