あなたの心臓をてのひらに乗せて
木谷日向子
あなたの心臓をてのひらに乗せて
しんとした冷えた空気漂う冬の森に、一人の女が正座して座っていた。
空は灰色と黒を混ぜたような闇がべったりと広がり、その虚空を瞳に映しとるかのように、頭を直角に上向かせている。
ほう、と女が赤い紅を宿した唇から息を吐くと、闇に白い蒸気が漂った。まるで雲を一つ口から産んだ女神であるかのように。
女は薄紅の袷を纏った十二単を身に纏っている。
首をかくん、と真っ直ぐに戻すと、ゆっくりと俯く。
女の富士額から横に広がる前髪が左右に弧を描いて落ちていき、白い頬を縁どった。きらきらと水面のように輝く射干玉の黒髪である。背を覆い、濡れた地を這い、女の後ろをどこまでも天の川のように流れている。
目の前には精悍な顔つきをした青年が横たわっている。
瞳は開き、先ほどの女のように空の闇を見つめているが、男の目は永遠に瞬きすることは無かった。
血を失った白い顔で、紫色の唇をうっすらと開き、左右に両手を開いている。
纏った萌黄色の固い鎧。その心臓の一点だけ、柔らかな円を空け、温かい血が流れ続けている。
流れた血は女のひざ元を濡らしている。
女はただ黙って男の頬に両手を伸ばし、顔を包み込む。
額に口づけをすると、ゆっくりと両手を下し、男の右の胸に指先を当てる。
桜色の爪が、ぴっと血の水面に波紋を生んだ。
「貴方さまの心臓を頂戴いたしまする」
指先を強く固めると、女は銃で男の胸を貫くが如く、一気に円を描いて心臓をえぐり取った。
両手を御椀の形に開いて心臓を中央に乗せると、隙間から鮮やかな血液がぽとり、ぽとりと落ちていき、男の唇を紅色に染めた。
「これだけは私の物。貴方さまが黄泉へ旅立ってしまっても、これだけは私と共にあります。永久に」
柔らかく微笑み、長い睫毛を朝の木の葉の雫の如く震わせると、瞳をそっと閉じ、上向いて心臓に口づけた。
こく、こくと心臓から迸る血を飲み干し、あんぐりと口を開けると、一息に丸飲みする。
周囲にもしも人がいれば、その光景は、蛇が蛙を丸飲みする様と評しただろう。
口に手を当て、血をふき取ると、満足気な顔で立ち上がり、森からしずしずと去って行った。
後には心臓を無くした武士の遺体が残るばかりである。
冷たい空気彩る、ある冬の晩のことであった。
あなたの心臓をてのひらに乗せて 木谷日向子 @komobota705
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