久しぶりに地元のライブハウス「中二階」のステージに立って見下ろす観客のいないフロアは、広間ホールというよりホールと呼びたくなるほど空っぽでやたらと広く感じられた。リハーサルの雰囲気に似ていたけど、PAさんの指示に従って音出しをして返しの調整をしているときは、時間が押していなくともどこか慌ただしい空気が漂っているものだ。それがなく、ただ静けさだけが空間を満たしていた。

 先輩も恋も壇上の所定の位置につき、私たちはそれぞれ相棒楽器を手に始まりの合図を待っていた。入場したお客さんたちが発する緊張感と期待が混じりあったざわめきが、ステージ袖から演者が登場によって一拍の静寂を置いて歓声へと変わるあの瞬間、それがやって来ることはないし場内が熱気に満たされることもない。


 無観客ライブだった。動画サイトの「中二階」のチャンネルで生配信されることになっている。このライブハウスのアカウント自体はコロナ禍以前からあったものだけど、当時は紹介動画があるくらいで積極的に活動も行っておらず再生数もごくわずかだった。ネット上で活発に動くきっかけとなったのは自粛期間中の休業で、エフェクターなんかの機材のレビューや音作り講座、「中二階」にゆかりのあるミュージシャンにゲスト出演して貰った対談動画などを続々とアップしていった。同種の動画ですでに人気となっている音楽系のチャンネルはあったけど、ライブハウスを何らかの形で支援したいという思いを抱えた愛好家の琴線に訴えかけたのかじわじわと登録者数をのばしていった。ステイホームやロックダウンで趣味に避ける時間が増え、とあるメーカーが過去最大益を出したほど世界的に楽器が売れたのも影響しているかもしれない。それでも収益化に漕ぎ着けられたのは最近になってからだったという。


 ライブ自体は無料で配信されるけど投げ銭が可能で、お布施が集まるか、つまり儲けが出るか否かは私たち「とりのぉと」のライブの出来にかかっていると言っても過言ではない。無料で開放されたライブにつく雑多なコメントは、数年前の夏フェスでは「地獄のような民度」とロックバンドのボーカルに苦言を呈されたように荒れたりもする。野次馬めいた人たちをも私たちは音楽の力でねじふせなければならない。


 けど、ライブハウスは元来そういう場所だった。いつだってオーディエンスが演者を審査していて、対バン形式でやると、目当てじゃないバンドでは棒立ち地蔵とかざらにある。


 不思議と不安はなかった。なんたって曲も時間も十二分にある。あのバンド内コンペによって完成した曲の演奏、それを制作過程を含めて動画に編集してアップしたらプチバズという感じで存外に評価され、それから私たちはあの形式で作曲をしていた。小節を無視してカットするな、採用するのは先にできたほう、しかし手を抜いてはいけない、といくつかのルールを設け、恋によって「作曲RTAリアルタイムアタック」と名付けられたシリーズの再生数は、目新しさがなくなったからか右肩下がりだった。


 動画がのびなかろうが、アウェイみたいな空気になろうが関係ない。いつかライブでやるために作曲していた、そのいつかが訪れたのだから全力を出し切るのみ。


 左手方向をちらりと見る。初めての無観客ライブで気が張っているのか恋の表情は少し硬いけど、長身の彼女が低めにサンダーバードを構えているとそれだけで様になっていてクールに見えるのだからちょっとずるい。

 一瞬だけ振り返り、私は先輩と目配せを交わしそれがゴーサインとなった。

 いつもの笑顔を浮かべた先輩がスティックを振り上げる気配を背後に感じ。

 カウントが取られる。

 そして、私たちの音楽が始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Standing Still 十一 @prprprp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ