1
持てる技術を全て詰めこんだ渾身の作品を恋には送ってあったけど、受け取ったという返信があったのみ。音沙汰もないまま時間だけが過ぎて行き、オンラインビデオ会議のお誘いの連絡が来たのは一週間経ってからだった。
約束の時間に自室のPCからミーディングに参加する。恋も先輩も自宅から配信しているようで、何度か目にしたことのあるそれぞれの自室の様子が背景に映りこんでいた。一般的なビデオ会議の時点で、多少
「先輩も
恋は進行役を買って出るつもりらしかったけど、そもそもなんのために呼ばれたのか聞かされていないのだから私たちは受け身にならざるをえない。それでも先輩からもオーディオファイルが届いていて、要するにバンド内コンペが行われるのだと推測できた。
「まずは梓樹のから」
恋のPCが操作されたらしく、こちらのモニター上にも画面共有によって音楽プレイヤーが表示された。
再生ボタンが押されてデモが流れはじめても、先輩からも恋からも反応らしい反応はなく三人とも無言で音楽に耳を傾けていた。シークバーが右端に到達して音や止むと、誰かが「ふっ」と小さく息を吐いたけどそのまま放送事故じみた沈黙が続く。自分から感想をせっつくのもどうなのかと私は二人の出方を待った。
恋に「なにか一言どうぞ」と振られてやっと先輩が慎重に言葉を選ぶようにして口を開いた。
「なんだろう、凝っているってのはわかるんだが……。正直、よくわからん」
いつもの笑顔は変わらず、けれど苦笑めいた気配を漂わせて先輩が頬を搔く。
「うん、感想に困るよね」
同調する恋に文句のひとつでも言ってやりたかったのに「じゃあ先輩の行くね」と口を挟む間もなく次の曲へと移ってしまった。
コードワークをギターに置換しただけの原曲に忠実なアレンジは、私が最初にやったのに近いスリーピースバンドにありがちな愚直なアプローチだった。ギターベースドラムのどれもが、魅せるプレイからはほど遠い地味なものではあったけど、余計なものをそぎ落とした編成だからこそアップテンポな曲調がダイレクトに身体へと響く。縦ノリのリズムに誘発され思わず
前ノリのそのグルーヴを生み出しているのは打ちこみなどではない先輩のドラ厶だ。ほとんどバス、スネア、ハイハットの最小限の音のみで構成され、
そのリズムの躍動感を認めながらも、私はこの縦ノリを面白みを見い出せないでいた。
「なんというか普通だよね」
「まぁ、梓樹ならそう言うとは思った」
「私の作ったヤツのほうがいい。聴く人が聴けばわかるはず」
私がそう主張した途端に「ならそうしてみよっか」と恋があっけらかんと言い放ち、また右手を動かしマウスを操作する。
画面共有されたのは、SNSを表示したブラウザだった。あらかじめ両者のデモを動画サイトにアップロードしていたようで、恋の管理していた「とりのぉと」のアカウントでその動画の短い説明とともにリンクが貼られている。すでにいくつか反応がついている。
先輩のデモにぶら下がっているコメントは「ライブで盛り上がりそう」だとか「はやくライブできるようになるといいですね」「フェスで暴れたい」だとかライブに言及したものが多い。先輩、というか元曲を起こした恋の目論見通りで、予想ができたことであるからそれはいい。
私のほうには「どうしてこうなった」「なんか草」みたいなレスしかないのはどういうこと? と自分のスマホからSNSを覗きツリーを追いはじめる。
「轟音シューゲイザーの遺伝子を受け継いだマスロックという感じで興味深い」という発言が目について画面をスクロールする指が止まる。興味深いってなんだ。音楽なんて自分の趣向に合致するかどうか、好きか嫌いかじゃないのか。良いでも悪いでもなく興味深いなんてワードが選択されたのは、試みとしては面白いけど自分の好みではないってことなのか。もったいぶりやがって。
「とりのぉと」のアカウントをフォローしているのは、多なり少なり私たちの音楽に興味を持っている人間で、だから彼らはいつもの作風から外れたものに戸惑ってしまったのだろう。バンド歴の長いグループですら、新しいことに挑戦すれば賛否両論になったりするくらいだ。
まだ私は、届くべき人に届けばちゃんと評価されるのだと頭の片隅で考えていた。
「こんなのは僕だって作れる。そういうのは求めてない。これは僕の好きなギターじゃない」
私のギターを加工して作曲しては動画サイトにあげるでもなく私個人に送りつけてくる厄介なファン(?)、ネンネくんの発言も刺さらない。私のスタイルなんて定まったものがあるとは思えないし、たとえそんなものがあったのだとしてもそれは他人が決めることではない。
「というわけで、『とりのぉと』としてやるのは先輩のほうね」
私がスマホを弄っている間にも二人は話合っていたらしく、恋が締め括るように手を打った。
「けどさ、別にどっちか一方に絞る必要はないんだろ」そう先輩が言ったのは私に気を回したからだろうか。「言われなきゃ、というか言われても同じベースから作った曲だなんてわからないんだし、両方やってもいいんじゃないか」
「え? こんなん歌つけれない」
困ったようにつぶやく恋にすかさず提案する。
「私がやる。歌でもいいし、インストってことでギターでメロディー弾いてもいいし」
「それ無理でしょ。ふざけて言ってるわけじゃないのはわかる。梓樹が梓樹なりに真剣に曲をつくったってのも。でもいくら作りこんだって音重ねすぎてライブでやれなきゃ意味ないでしょ」
「そんなの機材さえあればどうとでもなる。それに音重ねてるってなら先輩もだし」
そう。先輩のデモはストレートなバンドサウンドではあったけど、全然遊びがないわけでもなく、ホイッスルであったりカウベルであったりが効果音的に挿入されているのだ。とりわけ目立つのは大サビでのハンドクラップ。軽快なノリだから邪魔になってはいないけど、ライブで再現するには文字通り手が足りない。
「中古で電子ドラム買って試してたら色々やりたくなってな」
言い訳みたいに先輩が説明する。
「新しいおもちゃを手に入れた子供みたい」
「市ノ瀬はそう言うけど、音色アサインできるのが楽しくってさ。音を楽しむと書いて音楽なんだ。楽しまなくてどうするよ。お前らだって初めて楽器触ったときはそうだったろ」
「それはそうですけど」
頷きつつも恋はそこで「ともかく」と大きな声を出して強引に話を戻した。
「採用するのは先輩のだから。ベースが最初にあったんだから決定権があるのは私」
「俺はこのバンドの中心は市ノ瀬だと思ってる。高校のときにコピーじゃなくてオリジナルをって人集めたのは市ノ瀬だし、だから市ノ瀬がそういうなら俺はそれでいい。けど、吉野は」
納得できるのかと問われて首を振る私。
「先輩じゃないけどさ」と前置きした恋が不意に表情を緩めぼそりと言う。「それ弾いてて楽しいの?」
何気ない調子の恋の質問に私は答えられなかった。
恋のベースに最初につけたギターは大半を捨ててしまうか切り刻むかしてあとはDAWとにらめっこをして作曲をしたから、ギターの音さえ打ちこみで済ませ自分の曲で私は演奏していない。なぜギター片手に曲を作ろうとしなかったのだろう。なぜ出来上がったものを試奏してみようとしなかったのだろう。わからない。わからなかったけど、ただ、あれからギターに触っていないという事実がすべてを物語っているように思えた。
先輩が言ったように、ギターをはじめたころ私は、ただフレットを押さえて弦をピックではじき音を鳴らすその単純な行為を楽しんでいた。練習曲のフレーズやスケールさえ満足に弾きこなせなくても、ただ自分がこの音を鳴らしている事実が嬉しくて夢中でギターを弾いた。思い通りに音を出せなくて投げ出してもしばらくすればまたギターを手に取りたくなったし、そうして再び挑戦するのは練習というのもあったけど、まず音と戯れる喜びがあったから。ネックを上を這う四本の指も、ピックを握った右手も無邪気に、そして貪欲に音を求めていた。あれからずっと私はギターを弾き、ギターで曲を作ってきた。
私のデモがダメだとは思わないし自信作であるのは変わらない。届くべき人はどこかにいていずれ評価だってついてくると確信はできなくとも、その誰かの存在を明確に否定もできないわけで、私は私の曲を、自分の感覚を疑ってはいない。
でも「とりのぉと」として、バンドとしてやるのは先輩の作ったもの。
私がギターを弾いていない。理由はそれだけで十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます