最終話 新しい夏

「シンジ、遅い!始まっちゃうよ」

「わりぃ、わりぃ。ゴリ先輩が千本ノック始めやがって、コウキが隙作ってくれてやっと逃げられたわ」


今年も夏の始まる匂いがする。


「おぅ、シンジ。おせーぞ」

「ハヤトも来てたか。そういや、お前ら陸部は合宿なんじゃねーの?」

「もう、前も言ったでしょ。行くのは三年と主力メンバー。もう、シンジは野球以外は、おつむニワトリさんなんだから」

「うっせぃ」


関東平野のからっ風も、この時ばかりは湿り気を帯びて吹き荒む。


「それより、なんでコイツが此処に居るんだよ。お前は姿川中だろ。」

「つれないなぁ、シンジ君。僕らはあの時、戦った友じゃないか。」

「下の名前で呼ぶな。あの時サヨナラ決めた四番が、どの口で言ってんだ。」

「まぁまぁ、君のフィアンセには、ちょっかい出してないから安心したまえ。」


「ちげーよ!」

「違うわよ!」


ザワザワと揺れる雑木林の音も、普段の矢継ぎ早な生活を辿れば、ただただ懐かしい。


「シンジ、テメェ。俺を囮に使うとは良い度胸じゃねーか」

「コウキが、此処は俺に任せてお前は先に行けって言うから。」

「言ってねぇーし!つか、なんでお前がいるんだよ。姿川中だろ」


肩で息するコウキにキャプテンの重荷はもうない。かすみゆく面影は夏に流す汗と同じ。ただ一つ、生命活動の一端を担っていた。そのことに尽きる。


「もう、その下りはやったわよ。ほら試合始まるわよ。あんたも、せっかく宇都宮から来たんだから応援くらいして行きなさいよね」

「もちの論。ユイナちゃんを応援する為に来たのだ」

「きっしょ。ウチの妹に手を出さないでよね」

「へこむ。マジへこむ。」


今日も晴天。肌が焼け焦げる程の真夏日。そんな強い日差しにも負けず、ユイナは大きく振りかぶり、しなやかに腕を振るう。


「なんか、初戦にしてはギャラリー多くない?」

「シンジ、バカなの。今年は2回連続の県大会出場がかかってるのよ。去年の地区大会優勝校なんだから、当たり前、、、」


「ユイナー。ファイト」

「ユイナちゃん。頑張って」

「ユイナちゃん。可愛いよ」


夏は生き物の成長を促す。それは人間だって同じこと。一夏を超えた少年少女の成長は目覚ましい。


「お前の妹、人気じゃない」

「私ほどじゃないわよ」

「不貞腐れてる」

「されてない。されてない!」


鬱々としていた少女が、チームを背負って立つ。その勇姿に僕らが胸を打たれるたのは、ついこの前の事に思う。少年野球には高校野球やプロ野球にはない、秘めたる躍動力がある。


「ワンアウト!打たせていくよ」


少女はマウンドで堂々と一本指を掲げ、味方を鼓舞する。指の先には青。そそり立つほどの入道雲と高い空が、今年も僕らを成長させる。

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最後の夏、最初の夏 ふぃふてぃ @about50percent

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