第104話 それでも変わり続けるなら

「これはパズルゲー……?」

「ちょっとまってください、ここは麗奈さんNGで、ここは千晴さんがNG、これは分身してもらうしか……」

「葛西、戦わないと現実と!!」


 莉恵子はスケジュール表を片手に白目むいている葛西の肩を掴んでガタガタと揺らした。

 神代の新作映画『君がいた世界』の作業が始まった。

 神代が気負いすぎて脚本が押しに押した結果、スゲジュールは白紙、押さえていた演者たちのスケジュールもグチャグチャになった。

 なんとかする、なんとかできる。色々とスケジュールをイジっていると電話がかかってきた。

 相手は蘭上の会社の社長だった。


『莉恵子ちゃ~~ん、リリヤの家大丈夫かなーー』

「何がいつ出ますか?」

『いやいや、まだ何もないんだけどね。お父さんが事務所のほうに寝泊まりしてるみたいだよ~』

「調べます」


 莉恵子は通話を切って、いつも調べ事を頼んでいるWebライターにメールをした。

 家大丈夫かな~と言われると、もう条件反射で記事に対応する動きをしてしまう。

 リリヤの父親は音響関係の会社を経営していて、一度仕事をしたことがある。

 リリヤの兄は保護観察処分になり、その期間が先日終わったばかりのはず。

 また何かあるのだろうか……莉恵子はため息をついた。仕事をさせてほしいのに厄介ごとばかり入ってくる。

 ライターから連絡があり、見張ってくれる=「良いネタだったらそのまま頂戴ね」と返信があった。

 不倫とか女関係じゃないと良いけど……とため息をつく。

 はー、悩んだり疲れたりしたときはまず現場。莉恵子はリュックを背負って会社を出てリリヤがレッスンしている場所に向かった。




 トレーニングスタジオは多くのスタッフが元気に身体を動かしていた。飛んだり跳ねたり壁を登ったり。

 正直同じ人間がしてると思えない神業の数々……莉恵子は来るたびに驚く。

 ここは有名なアクション監督がはじめた場所で、アクターズスクールも兼ねている。

 高さ5m以上ある巨大空間に体操服を着たリリヤが汗をかいて立っていた。

 莉恵子は手を振りながら近付く。


「リリヤ、どう? 順調?」

「莉恵子さん、おつかれさまです。やっと身体が思い通りに動くようになってきました」

「無理しないでね。あ、なんかすごい噂のヤツ買ってきたけど飲む?」

「あ! これ興味あったんです、ありがとうございます!」


 リリヤは莉恵子から、一見フラペチーノのみたいな入れ物を受け取って微笑んだ。

 ここのスーツアクターさんたちが「美味しくてすごい」と絶賛していたプロテイン飲料が都内のスポーツジムが専売していると聞いて買ってきた。

 莉恵子も人に渡すなら……とSサイズを飲んでみたが、まあ飲みやすかった。

 まあこれはたぶん運動してる人が飲むもので、莉恵子が飲むものではない。

 リリヤは「あらまあ美味しい」と言って飲んで、口を開いた。


「そういえば、さっき葵とも話してたんですけど、莉恵子さんは誰の過去を見たいですか?」


 神代の新作、『君がいた世界』でリリヤが演じるのは過去を見る少女だ。

 キャラクターの気持ちを深く理解したくて、色んな人に聞いているのだろう。莉恵子は、

 

「うーん……。お父さんかなあ。過去が見たいって言うより、お父さんが飲み屋で漫談してるのを聞いてみたかったな。あの当時は録画するにも八ミリしかなくて、何も残ってないの」

「私のお父さん、莉恵子さんのお父さんの漫談、聞いたことあるみたいですよ」

「えっ?! 本当に?!」

「あの頃、演劇界隈で有名だったみたいですよ。高町さんと大場さんの漫談」

「そうなんだ! えー、内容とか覚えてるって?」

「詳しくは知らないですけど、今度聞いてみますね」

「えーー、うれしい。そっか、リリヤのお父さん音響関係のお仕事してるんだもんね。昔の人たちに聞けば分かったりするのか」


 莉恵子は昔の撮影監督とかに聞いてみたら、映像が残ってるかもしれないなと思った。

 横でリリヤはズズ……とプロテインを吸り、


「私は何も知りたくなくて。他の人を見たいとも思えなくて。だから理解できなくてみんなに聞いてるんです。私は、今が一番幸せなので、もうそれでいいです」

 

 莉恵子は顔を上げた。

 リリヤの複雑な家庭事情はよく知っているし、お兄さんも捕まる前に一度舞台を見たことがある。

 お母さまは今も最前線に立てる力がある女優さんだが、今は家庭を優先させているというが、お兄さんのことが大きいのだろう。

 すべてが複雑に絡み合った環境で、たったひとつ言えるのはリリヤは何も悪くないということだ。

 ただまだ世界で生きていくならば、最近思っていることはたったひとつだ。


「でもさあ、今もある意味過去でしょ」

「……どういう意味ですか?」

「一秒後の未来からしたら、今だって過去になる。結局未来も過去も今日がたくさんあるだけだよね」

「……なるほど」

「そんな突然何かが変わることなんてないわ。普通の毎日が積み重なったのが過去で未来」

 

 でもこの仕事は特殊で『過去』を『過去』として残せるところが楽しい所だと最近思っている。

 十代には十代の美しさが、三十代にも、四十代にもある。神代の話もそういう内容だった。

 神代が過去を見る少女で書きたいのは「今を生きろ」だと思う。

 プロテインを飲み終わったリリヤはクシャリと容器を潰して「あの」と莉恵子のほうを見て口を開いた。





「莉恵子……もう駄目だ……三日も布団で寝てない……」

「神代さん、お風呂入れますよ。鍋も準備しました。明日は久しぶりのお休みだーーー!」

「やったーーーー!」


 神代は一瞬飛び跳ねたが、その瞬間に疲れてヨボヨボとお風呂に消えた。

 先日やっとコンテが上がり、スケジュール調整も終わった。もうここからは怒涛の勢いで撮影だ。

 脚本が上がってから三か月、まったく休みなしで働き続けたので、現場は限界越えの疲弊。

 思い切って三日の休みを作った。莉恵子的に一日の休みは休みといわない。

 一日目は寝ているだけ。二日目の夕方に買い物に行き、その夜が真の休み。そして三日目に少しだけ遊ぶ。それでやっと心が休まる。

 もう現場も全部止めた。ここからまた地獄なので、もう一回休み休み!! 寝ろ寝ろお!!

 なにより……莉恵子が神代とゆっくりしたかった。


「神代さん、ビール冷えてますよ?」

「うわぁーーー。はああ~~~~美味しい~~!!、疲れた。すごい、わあ、うれしい、休む!!」


 神代はビールを飲んでこたつの上に並べておいて鍋を見て大喜びして座り込んだ。

 莉恵子は神代の髪の毛を乾かして半纏を肩にかけた。

 神代はずっとスタジオにこもって作業していたので、莉恵子だけがこの家に帰ってきていた。

 三日休みにすると決めたので、完璧に準備しておいたのだ。

 乾杯してビールを飲み、神代はほわほわな髪の毛をゆらゆらさせながら、嬉しそうに鍋をつついている。

 まだまだだけど、コンテが終わるというのは監督にとって、設計図が出来て全貌が見えたということだ。

 それがどれだけ気楽になることか、莉恵子は知っている。

 目を細めてビールを飲んでいる神代が可愛くて、莉恵子は手を握った。

 神代は斜めにずれていたメガネを戻して、その手を優しく握り返してくれた。

 実は……今日を待っていた。莉恵子はこたつの天板の下に入れておいた紙を引っ張り出した。


「これ。実は芽依と一緒に、超健康診断を受けたんです」

「あ、なんか言ってたね。輪切りになったりクルクル回されたり血を抜かれまくったって聞いたけど」

「そんなもんじゃないですよ。胸を厚さ五ミリまで潰されて身体中に液体塗られてグリングリン調べられました」


 莉恵子の言葉に神代は手を叩いて笑ったが、笑うところではない。

 芽依に「お願い!!」と言われて連れて行かれた超健康診断は、想像をはるかにこえて大変だった。

 そして昨日結果が出たのだ。莉恵子は紙を広げて神代に見せた。


「実は、婦人科系を多めに見てもらったんです」

「うん」


 神代と話し合った結果、作るなら映画が始まる前に……と忙しかった時期に子作りしてみた。

 半年タイミングを合わせてみたが、妊娠しなかった。そしてそのまま佳境に突入。

 次でいっか~と話していたが、とりあえず調べてみることにしたのだ。


「結果、大きな筋腫があるのが分かって。妊娠を望むなら取ったほうがいいんじゃないかって言われました」

「うん」

「やはり手術だし術後も読めないので、映画が終わってからかなあ……と思っています」

「うん、付きそう」

「後は色々数値も問題あるっぽくて……そりゃこんなめちゃくちゃな生活してたらそうだよなあ……という検査結果でした。それで思ったんですけど……私、子ども本当に欲しいのかなって。再検査に手術、そして病院にも通わないと、妊娠するの大変だなあと知りました」

「うん」

「私は仕事が楽しくて。調べたら病院に通うのってすごく大変そうで。私、自分の仕事のために、時間を使いたいです。だから、もし神代さんが積極的に子どもを望むなら……他の人、と、結婚、したほう、が……?」

 

 そこまで口にして違和感と悲しみで口が震えたからだ。

 この言葉、違う。こんな言葉を言いたくなかった。違う。

 莉恵子は言いながら自らの間違いに気が付いた。

 神代は「よいしょ」とこたつから出て、後ろから抱きしめてくれた。


「莉恵子さん、やめてください。今の言葉で俺の心が壊れそうになった。やべえ、すごく怖い。マジでやめて、倒れる」

「すいません……」


 背中にきた神代の身体はバクバクと脈打っていて、莉恵子の首に寄せてきたおでこも、うっすら汗をかいていた。

 神代は続ける。


「まず順序立てよう。莉恵子はさ、結婚したら子どもを産まなきゃいけないと思い込んでるね」

「だって、神代さん、子ども好きだし」

「好きだけどさ、じゃあ子どもが出来ない理由が俺だったら、莉恵子は俺と離婚するの?」

「そんなことしません! ……あ」

「そうなんだよな。絶対莉恵子はそんなことしない。莉恵子はこういうよ。『他に身体に悪いところはないんですか?』って」

「っ……」


 その言葉に視界が歪んだ。

 その通りだ。逆の立場でそんなこと言われたら、身体のどこかが悪いんじゃないかって心配するだけで、子どもがどうのこうのなんて、考えない。

 それなのに、自分の事しか考えてなかった。

 神代は莉恵子を後ろから優しく抱き寄せて、静かな声で言う。


「俺はさあ、莉恵子に何かあったとき、一番に呼んで欲しいんだ。結婚しなかったら、お母さんに連絡がいくだろ。そうじゃなくて、莉恵子に何かあったら、俺のところに一番に連絡がくる人になりたかった。辛いときに、一番近くにいたいからだ」


 神代の言葉に莉恵子は静かに頷くことしかできない。

 だってそんなの、全くおなじ気持ちだったから。


「身体に悪いところがあるなら治そう。病院は付きそう。逆にさ、俺になにかあったら、莉恵子が一番に来てくれ」

「……はい」

「結婚して、それが一番うれしいんだよ」


 莉恵子は神代の言葉に声をあげて泣いてしまった。

 子どもができにくい。私が悪い? じゃあ先に産みたくないと言って逃げてしまおう。仕事がしたいのは本当で、それを言い訳にしてしまおう。

 でもそしたら神代に嫌われてしまうだろうか。その感情に囚われて、何も考えられなくなっていた。

 逆に神代がこうなり、同じことを言ったら、顔を叩いて怒ったかもしれないのに。

 莉恵子は神代にしがみついて、大きく深呼吸をした。

 そうだ。単純に、まずは最善の策を試してから、ひとつずつ進めるべきなのに恐怖から先に結論を言って逃げ出そうとしていた。

 涙をティッシュで拭いてビールを一気に飲む。


「そうですね、逆からの視点が完全に抜けてました。よくない案です。再考します」

「あれちょっと。さっきまでの可愛い俺の莉恵子はどこ? 一気に仕事の莉恵子に戻っちゃった。はやくお布団で抱っこして戻さないと。莉恵子が好き。ほんと可愛い。どうして俺の前ではそうなっちゃうの? 俺、俺の前だけで駄目な莉恵子最高に好き。はあー、駄目だなあ莉恵子は。何を言ってるんだ、心臓が凍るかと思った、酔いがさめた、ゆるせない」


 神代はそう言って莉恵子の耳にキスをした。

 駄目な莉恵子が最高に好きって、そんなの……恥ずかしくて……嬉しくて仕方ない。

 莉恵子は神代にしがみついて叫んだ。


「お布団に入る前にマグロが残ってるので、漬けマグロにしましょう!」

「最高に現実的、仕事の莉恵子だ~~~~~」


 神代は爆笑して手を叩いた。

 そしてふたりで刺身を醤油につけて、机を片付けた。

 手を繋いでお布団に入り、たくさん「バカだなあ」と言われながら抱かれた。

 バカでいい。神代さんが、こんなに愛してくれるなら、バカでいい。

 このまんまで、好きでいてほしい。




「ぎょえ……莉恵子……このネットニュース見た? リリヤのお兄さん……」

 遅く起きた朝、神代はスマホを握りしめたまま青ざめていた。

 莉恵子は昨日残したマグロの漬けをお茶づけにして神代に出した。

「はい。それを仕掛けたのは私なので、知ってます。大丈夫ですよ。それも全部終わったので、お休みなんです」

「ええええ……莉恵子さん、どーゆーこと……?」

 神代はお茶づけを食べながらカタカタ震えた。


 今日、再びリリヤのお兄さんが逮捕された。今度は偽造されたバッグを輸入していた罪だ。

 実はプロテインを差し入れた時にリリヤに告白されたのだ。

『兄が最近変な電話をしている気がします』と。

 調べると中国の会社と密接に関わり、個人レベルではない輸入をしていた。

 リリヤはもう悪いことはしないだろう……そう願っていた。だから黙って見守るつもりだった。

 でも「結局今の積み重ねなら、今見逃すのは違う」と莉恵子に話してくれたのだ。

 莉恵子は特殊なカメラをリリヤに渡して、その現場を録画させることにした。

 もし何もしてなかったらそれでよい。それを莉恵子もリリヤも祈っていた。 

 でもそこには、犯罪に再び手を染める兄が映っていた。

 リリヤはそれを迷わず警察に提出した。


「だから、リリヤは大丈夫です。自分のために、ちゃんとしました」

「そっか、うん……そっかあ……、うん、リリヤのメンタルが守れてるならそれでありがたいです」


 神代の言葉に莉恵子は静かに頷いた。

 実は怪しい動きをしていたリリヤの父親は、兄を説得するためにマンションのほうに泊まり込んで説得していた。

 それでもリリヤの兄は父がいない時間帯にマンションに売人を呼び、中国からまるで見分けがつかない偽物の商品を「知っていて」仕入れていた。 

 やはり一度入ってしまうと腐ったぬるま湯から抜け出すのは容易ではない。

 リリヤは兄が立ち直るのを信じて待っていた。 

 でも、黙っていることが信じることではないと、心のどこかで分かっていたのだ。

 莉恵子はマグロを並べながら顔を上げる。


「私、リリヤの事務所の社長にスカウトされて。あそこの仕事を配給する部署も顔出すことにしたんです」

「ぎょえ。更に仕事増やすの?」

「もっと、その人にあった仕事を提供したい。生み出して、合わせて。もっと色んなものを作りたいんです」

「応援してるけど、早めに病院は行こう。もうとにかく長生きしようよ。俺も映画終わったら人間ドックだなー」

「約束ですよ?」


 莉恵子は神代の横、九十度の場所に座って手を握った。

 どうなるかなんて分からないけど、ひとつずつ順番に組み立てていこう。

 神代がいれば大丈夫。

 莉恵子は背筋を伸ばした。今日も休み! 明日も休み!!

 大好きな旦那さまと、ゆっくりしたい。





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今回の更新はここまでです。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

コミカライズ一巻が発売中なので、ぜひチェックしてほしいです!

一巻に二巻の予告が付いていたので、二巻までは出るかな……と。

現時点で文庫半分までコミカライズして頂けているので、二巻で終わりかなと思うので、その時に最後までUPします。

よろしくお願いします!

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