第103話 壊れた過去に(リリヤ視点)
初めて別人になった時の興奮を今も覚えている。
小学校四年生。
公園で遊ぶ遊具は少し小さく感じ始めて、でも六年生みたいに偉ぶることもできない、単純ではない子どもの頃。
目は真っ黒だけど、金色の髪の毛はサラサラで太陽の光を受けてキラキラと輝き、どこにいても目立った。
今でも忘れられない。普通に街を歩いていたら、知らない男の人がリリヤの髪の毛を思いっきり引っ張ったのだ。
痛くてびっくりして声も出ない。
そしてリリヤ自体を捕まえようと走って追ってきた。目に入ったコンビニに逃げ込んで助けてもらったが、あれ以来帽子を深くかぶり、髪の毛をすべて隠して登校するようになった。
ぐんぐん身長が伸びて、背の順で並んでもいつも一番後ろ。教師たちより身長が高かった。
「棒みたい」「頭小さすぎて何も入って無さそう」と言われて四年生の時点でランドセルは似合わなかった。
身長が高すぎて友達と話すのが大変で、背中をまるめる癖ができた。
それでもみんなと一緒がよくて、ランドセルを背負って学校に行っていた。
その頃、学校の文化祭で劇をすることになり、投票で主役に選ばれた。
「リリヤちゃんがぜったいお姫様だよ。このお話だったら、ぜったいリリヤちゃん!」
「そう……かな」
注目されるのが好きじゃなかったけど『お姫様の髪の毛は金色だった』と書かれていたこともあり、引き受けた。
リリヤがいる状態で、その役を誰も引き受けなかったのもある。
はじめて見た『台本』と呼ばれるものには、自分が話す言葉が書いてあり、それはものすごく多く見えた。
覚えてるだけで大変だったけど、クラスのみんなが応援してくれたので頑張れた。
裾が長いスカートは歩きにくいし、今まで付けたことがないような大きなイヤリングは耳が痛かった。
みんな「かわいい」って言ってくれたけど、教室でそんな服装をしている自分が笑いものにされてるみたいで恥ずかしかった。
選ばれた以上自分がやるしかなくて渋々舞台に立った。
そして前を見て気がついた……ライトに照らされていると何も見えない。
ずっとみんなに『見られている』ことを意識して生きてきた。
廊下を歩いていても、教室にいても、町を歩いていても、みんなリリヤを見てきた。
その突き刺さる視線が怖かった。
だからみんなが見る舞台なんて……と思ったけど、逆に世界には誰もいなくなった。
いつも人目を気にして暮らしている自分を全部ぶち壊してくれるのが『ライト』だと知った。
もっとあのライトを浴びたい。あの世界に入りたい。
見られているという意識を消してライトの中に入りたい。
見られて怯えているリリヤではない、舞台の上の私をみて。
そう思った。
幸運にも父親は音響関係の仕事をしていた。だから子どもの頃からなんども舞台を見に行っていた。
袖から見ている舞台はなんだか恥ずかしくて、よく人前でこんなこと出来るなあと思ってたけど、見るのと立つのは別だと知った。
母親はアイルランド出身の女優で、娘のリリヤから見ても天使のように美しいひとだった。
真っ青な瞳は青空というより海。ものすごく天気の良い空を映した晴れた日の海のようだった。
そして宝石のように輝く髪の毛に高い身長に長い手足。
優雅に動き鳥のさえずりのように美しい声。
自分がこの全てを受け継いでいることを辛く感じたこともあった。
でも、この容姿でいるからライトが浴びられるなら、もっと浴びたい。
そう思うようになった。
ある日、大きな舞台のオーディションがあると聞いた。
きっとたくさんのライトを浴びられる! 出たい! オーディションが受けたいと話をしたら、両親とも微妙な表情で何も言ってくれない。
どうして? 応援してくれると思ったのに。
そして気が付いた。このオーディションには兄がもう応募していたのだ。
リリヤには兄がいた。
三つ年上で、リリヤと真逆……目が母親と同じように青いが、髪の毛は父親譲りの真黒、身長はリリヤより低かった。
目が青いことを学校でイジメられてからコンタクトにして、リリヤより早く芸能界に興味を持ち色々な舞台やドラマに子役として出演していた。
それでも……なんとなく知っていた。
兄は目が青いだけで『お母さんの子』という感じがしない。
だからお母さんの子としてオーディションにいっても、受からないのだと聞いた。
そこで舞台に興味を持ったリリヤがオーディションを受けたら……きっとリリヤが受かって兄は落ちる。
父親はそれを考えて躊躇したのだろう。
リリヤはすぐに察して、オーディションを受けるのを止めた。
じゃあ兄と同じオーディションを受けなきゃよいのね、とリリヤは思い、かぶらない作品を受けた。
結果すぐに合格、事務所に入ることが決まり、多くのドラマに出るようになった。
そして兄はオーディションに落ち続けて、父親が音響の仕事をしている舞台のみ出演するようになった。
……実はそれが羨ましかった。父親と一緒に仕事して、褒められたい。そう思ったが言えなかった。
それは兄の最後の居場所を奪う行為だと、分かっていた。
母親も同じように父親の舞台に出るようになり、三人で地方公演にいくことが増えた。
リリヤは家にひとりだった。それでも仕方ない……そう思うしかなかった。
中学の時から明確に「兄に憎まれている」と感じていた。憎まれて嫌われるほどライトの中に逃げるようになった。
演じていれば何も感じない。リリヤではない何かになっている時間が何より好きになっていった。
兄から何年も無視され続けて、両親もそんな兄に気を使うようになり、家に居づらくなった。
そしてリリヤは逃げるようにアメリカに留学した。英語も話せない金髪の女を自由の国は優しく受けいれてくれた。
その頃、偶然アメリカの雑誌で兄の姿を目にした。
兄は某企業と契約して、広告塔として仕事していたのだ。
母親譲りの真っ青な瞳で、真黒な艶やかな髪の毛は海外で受けいれられてた。
それをみてリリヤは嬉しくて泣いた。兄が英語をものすごく勉強していたことを知っていたからだ。
やっと兄の努力が認められた……嬉しくてこっそりと帰国した。
家から逃げ出して四年が経過していた。
そしてドキドキしながら入った家で、兄に話しかけられたのだ。
「リリヤは相変わらず痩せてるな」って。
「そうかな」。四年ぶりに会話した。
それを見ていた両親は泣いて喜んだ。リリヤも嬉しくて部屋で泣いた。
その一週間後に兄は詐欺罪で逮捕された。
兄が海外で売っていたのは成分にウソばかり書いた商品だった。
そして同じように海外から偽物を仕入れて売りさばいていた。
すべて知った上で広告塔になり、表に立っていたと後の裁判記録で知った。
兄は何も知らなかったのだとかばった母も父も一時期警察に連れて行かれた。
今も思い出す。
四年ぶりに話しかけてくれた兄の声と表情。
なによりそれを報告した時の嬉しそうな両親の顔。
やっと普通の家族になれると思ったのに、一瞬でその夢は消えてしまった。
葵がいなかったら、仕事がなかったら、事務所が助けてくれなかったら、今もこうして仕事を続けていられたか分からない。
「リリヤ、大丈夫? チャーハンこんなに食べられる?」
「わあ、美味しそう」
「餃子も焼いちゃってるんだけど?」
「お腹すいてるし、これからレッスンだもん。食べましょう」
「だよね!」
葵はそう言って餃子を「はいよ!」と焼いて出してくれた。パリパリに焼けた羽が広がっていて、ものすごく美味しそう、すてき!
「いただきます」と箸を持って一口食べると、じゅわりと油が出てきた。
「やっぱり葵の実家の餃子って最高に美味しいわ」
「でしょう~~~。でもうちの実家が総本山。やっぱり家庭用の火力では限界があるわ」
葵は餃子を口に入れて「うーん、七十点!」と笑った。
リリヤからすると百点どころの話じゃないけど……もっと美味しいなんて、いつか葵の実家の中華料理店に行ってみたいと思う。
葵はリリヤと同時期に事務所に入った子で、底抜けに明るくて話していて一番気楽な子だ。
なにより前向きで「とにかく何でもやってみよ! 悩んでる時間がもったいないよ!」という姿勢が好き。
リリヤは考えすぎてしまって、結果タイミングを失っていることが多いけど、葵は即決即断。その力が、光が、眩しい。
でも実家の中華料理店に借金があって、それを葵がほぼひとりで返したと聞いて、心底驚いた。
リリヤはお腹いっぱい餃子とチャーハンを食べて、再び脚本に戻った。
「……ねえ、葵は。過去が見えるなら、誰の過去を見たい?」
「う~~ん、脚本読んだ時にも考えたけど、私なら工場作るのを決めた時のお母さんかなあ。どうしてそんなこと決めたのか、今もわからないんだよね~~。だって前日まで反対してたもん。それなのに結果ノリノリでさ、わけわかんないよ」
葵はそう言って最後の餃子を食べた。
先日、葵とリリヤのふたりが出る映画の脚本が上がった。
リリヤの役は、人の過去が見られる能力がある。
読み終えてからずっと……過去のことを思い出している。
葵は炭酸を飲んでトンと置いて膝を抱えた。
「知らないこともたくさんあるんだと思う。勝手に事業展開して工場作って~って思うけど、地方に作った工場は親戚がオーナーだったの。それも全部潰れて私が借金払ったけど。でも思ってるより何かあったんだろうなあと思う。だってそんなところに親戚が居るの、知らなかったもん。関われない何か事情があったんでしょ。だから……知りたくない。知ったら憎めない。憎んでおきたい。だから……リリヤの役みたいなことが出来たら、心病みそう」
葵はマンションの窓を開いて、空気を入れ替えた。
チャーハンと餃子を作った匂いが、一気に外に逃げて、夏と秋の間の間抜けな空気に入れ替わる。
葵は振り向いてリリヤを見た。
「リリヤは? 誰の過去を知りたい?」
リリヤは髪の毛をまとめて立ち上がった。
「……何も知りたくない。見ないで良かったことのほうが、きっと多い」
兄と父親と母親。誰がどう思っていたかなんて……知りたくない。
嬉しい事もあるだろう。でもきっと……立ち直れないことのが多いはずだ。
リリヤは葵の隣に立って遠くに見える川を見ながら背を伸ばした。
「厄介な能力を演じるの、楽しそう。葵はアクションシーンが多くて最後の方大変そうね」
「そうなの! これ全部、私がやりたくて! ささトレーニングに行きましょう? 私全部自分で演じたいのよ」
「ええ……食べたばっかり。私もう少しゆっくりしたい……お腹いっぱいよ」
「移動に一時間くらいかかるから! やっと脚本上がったのよ、もうテンションばりばり上がってるの!!」
「分かったわ」
楽しそうに部屋着を投げ捨てる葵にリリヤは苦笑した。
私は何も知りたくない。見たくないからこそ、この話を『演じる』のが楽しくて仕方ない。
私はまた、別の私になる。
脚本をクッと掴んで顔を上げた。
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