井戸
尾八原ジュージ
井戸
屋敷の裏手に井戸がある。
透明な水を滾滾と湛えていながら誰も使わないのは、ここに湧く水に毒が含まれているからだという。
この井戸に私がねえさんの死体を落としてから、もう十年が経つ。
月日が経っても、どういうわけかねえさんの死体は一向に腐らず、うつくしいまま暗い水中で揺れている。
両足を縛って重石をつけて沈めたから、ねえさんはいつも両手を上に伸ばし、色の抜けた顔を上に向けて、いかにもここから出してほしいとでもいうような姿をしている。
夏に死んだねえさんは、紫陽花の色の紗の着物を着ている。ほどけかけた黒髪が揺れる中に、かいま見えるお人形のような小さな顔と、塩瀬の半襟とが痛々しいほど白い。
本当は細やかなレースの足袋を履いているはずなのだけども、それらはねえさんの体の陰に隠れて、ここ十年見ることができない。
ねえさんは本当なら、こんなふうに井戸にさびしく沈んでいても構わないような、悪いひとではなかった。ただ私のわがままのために、冷たい水の中に落とされたのだ。
醜女醜女と言われて育ったわたしに優しくしてくれたのはねえさんだけだったのに、私はこのうつくしいひとが年をとることがどうしても許せなくて、ねえさんの十九の誕生日に、背中から千枚通しでその心臓を突き刺したのだった。
ねえさんを殺したら一緒に死のうと決めていたはずの私が、今までおめおめと生きているのは、ひとえにその死体を井戸に沈めたためだった。無遠慮な他人がねえさんの体に触れることが、どうしても我慢ならなかったのだ。そうしたら水の中で揺れるねえさんがあまりにうつくしくて、そして月日が経ってもまるで変わらずにいるものだから、私は死にそこねてしまった。だからもう、私の命は私の意志と共にあるものではない。
もしも私の寿命が尽きる前にねえさんの死体が朽ちたら、そのときは私も死のうとかたく決めている。
日がな一日井戸を覗く私を、家の者は腫れ物に触るように扱う。
十年も過ぎるうちには、ひとりくらいこの井戸を覗いた者がいてもおかしくはないと思うけれど、ねえさんの死体はそのままだし、私が咎められたこともない。
ねえさんは本当はここにはおらず、ただ私だけに見える幻なのではないかと思うこともある。実はねえさんは生きていて、私の知らないところで暮らし、年をとっているのではあるまいか。あのお人形のような顔に小皺ができ、ほっそりした体にも成熟した女らしく肉がついて、もう私の知る、お人形のようにうつくしいねえさんではなくなっているのではないだろうか。
ただ、もしそうだとしても私に井戸の中のねえさんが見えることは変わらず、そしてそれがうつくしいことにもまた変わりはない。
井戸の中のねえさんは今日もうつくしい。私にはそれだけでいい。
夏、私は朝早く満開の朝顔を摘んで、透明に光る水面に浮かべる。
秋には形のとびきり整った紅葉を選んで、日の翳り始めた井戸の中に落とす。
冬は生垣から椿の花をとって、ねえさんの髪を飾るように投げる。
春が来ると、桜の花びらを集めて、井戸の中に雪のように降らせる。
暗い夜に、紐を結んだランタンをゆっくりと降ろすと、闇の中にほの白い顔が浮かび上がる。
ねえさんはいつでも井戸の底からたおやかな両腕をさしのべて、私の拙い贈り物を受けとめる。
いつか年月が経って私が老い、死ぬときがきても、ねえさんはきっと変わらずにうつくしい。
私が毎日顔を見なくても、季節ごとの贈り物が絶えても、ねえさんは井戸の中で両手をさし延べ、空の方を向いて、さながら地上を恋しがる人魚のように見えるにちがいない。
私の介入が絶えた井戸の中は、さながら世界から人がいなくなったかのようだろうけども、ねえさんにはそんなことは関係なく、百年が経っても二百年が経っても、夢のように水中に揺らいでいるだろう。
もしも世界から本当に人がいなくなっても、この井戸がここで毒の水を湛えているかぎり、ねえさんはきっとうつくしい。
井戸 尾八原ジュージ @zi-yon
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