後編



「出た! 出たんだよ! 『青の亡霊』だ!!」

「貴方達も、早く逃げて!」


 上から三人組の叫び声が聞こえていたが、スーリアはそんなもの全く耳に入らず、ただ声を振り絞って叫んだ。


「アドル! アドル私よ! 助けて──!」

「スーリア!」


 驚愕に掠れた叫びが返ってきた。階段を駆け降りる足音が複数聞こえ、そして念願の、「竜の瞳」の仲間達が回廊へ飛び込んできた。


「スーリア、本当にスーリアなのね!」

 泣き出しそうなルイアの声が聞こえたが、スーリアの目は既に滂沱の涙を流していて、ほとんど前が見えなかった。立っていることもできず、しゃがみこんで両手で顔を覆い、彼女は号泣した。


「やっと、やっと会えた……!」

「スーリア……やっと見つけた」


 アドルの声がした。なんとか涙を拭って顔を上げると、アドルは彼女も初めて見るような泣きそうな顔をしていて、ホロトスに至ってはわんわんと声を上げて泣いている。ずっと探してくれていたのだなと思ってスーリアもまた泣けてきたが、しかし駆け寄って抱きしめてくれると思っていた仲間達はなぜか彼女に近寄ってこない。


「……アドル」

「スーリア、すまなかった。ずっと一人にして……そんな姿になってまで、俺達に会いにきてくれたんだな」

「……ん?」


 何か少し引っかかる言い回しだが、スーリアのマントがもう裂けてボロボロなことを言っているのだろうか。とはいえ髪は清潔にして自分で切りそろえているし、そんなに小汚ない感じにはなっていないはずだ。


「……でも、綺麗な青い瞳はあの頃のままだわ」

 ルイアが囁くように言って、アドルが無言で頷く。

「一緒に帰ろう、スーリア。迎えにきたんだ。さあ……君の、君の体のところに案内しておくれ」

「……体?」

 震えぬように必死に唇を噛んでいるアドルを見て、スーリアは眉を寄せた。体……君の体のところに案内してくれ?


「何を言ってるの? ねえ、私亡霊じゃないわよ。生きてる、生きてる」

「そうか……自分でも、まだ、理解してないのか」


 ホロトスがしゃくり上げながら言った。アドルが耐えられないというようにきつく目を閉じ、そして言う。


「……もう、眠っていいんだよ、スーリア。よく思い出して、君の遺体の場所を」

「ねえもしかして、私がちょっと青く光ってるから幽霊だと思ってる? これ魔力だから、魔力」

「スーリア、俺は君がずっと好きだった。いや、これからも君だけを死ぬまでずっと、愛し続けるだろう」

「えっ、えっ、えっ! 私も好き……」


 唐突に告げられた想い人からの愛の言葉に、スーリアはきゃっとなってもじもじしながら気持ちを返した。えっ、どうしよう。アドルに好きって言われちゃった!


 がしかし、スーリアの返事を聞いたアドルは膝から崩れ落ちて泣き出してしまい、仲間達が彼の肩を励ますように叩いてちらりとスーリアに目を向け、そして一緒になって号泣し始める。


「……ねえ、一緒に帰りたいんだけど」

 そう言うと、仲間達は一斉に頷いて涙を拭う。

「勿論だ。だからスーリア、君の体の場所を──おい、後ろ!」

「えっ」


 さっと振り返った時には、目の前に竜の顔が迫っていた。どうやら火の魔力をもっている個体だったらしく、氷を溶かして抜け出してきていたのだ。


「──私がもう一度凍らせるから、みんなは通路に退避して!」


 鋭く言うと、仲間達は流石「一級」の判断力だという素早さで、さっと階段の方へ避難した。スーリアを置いて逃げたのではなく、彼女の魔術に巻き込まれない場所まで移動したのだ。


「イ=ルーラ=アーリミス!」


 呪文を唱えると、再び竜は術に巻き込まれて氷の彫像と化した。しかしよく見れば、瞳はまだギラギラと赤い色に輝いている。


「すぐに逃げるわよ!」

「スーリア!」


 アドルのものすごく必死な声がして、スーリアは残像ができる速さでそちらを振り返った。そして、顔を真っ青にして走り出した。


「待って! 待って──!」


 建物を構成する石がガタガタとパズルのように動き、階段へ向かう道が閉ざされてゆくところだった。穴から必死に腕を伸ばしたアドルが、こちらも必死に差し伸べたスーリアの手を掴む。


「えっ、スーリア……手があたたかい」

「早く、早く引っ込めて!」


 しかしスーリアは涙を飲んで、掴んだアドルの手をどんどん縮まってゆく壁の穴に押し込めようとした。このままでは、壁に腕が潰されてしまう。


「スーリア! 必ず、必ず助けに来るから! それまで──」

「いいから、早く!」


 ぐいぐいと強引に押し込んでから、自分もパッと引っ込める。その瞬間に、壁の穴はぴたりと塞がってうんともすんとも言わなくなった。向こう側に向かって叫んでみたが、どうやら声は届かないようだ。


「……そんなことってある?」


 スーリアは床に膝をついて、涙を堪えようと目蓋に力を入れた。けれど、溢れてしまうものはどうしようもなかった。


「なんで、なんで出してくれないの?」


 掠れた声で青い石の床を見つめ、問う。その声の響きに違和感を感じて、顔を上げた。


「ねえ……もしかして、この塔の蔵書を全部読めって、私に言ってる?」


 そこにはぽっかりと穴が──丁度階段への道を塞いだ石がそこにあったのだろうと、そのくらいの太さの通路が口を開けていて、奥に見覚えがある感じの金属の扉が見えた。


「最上階の書庫の中身を全部読み尽くしたから、今度はここに案内したってわけ?」


 当然返事はなかったが、スーリアは半ば確信していた。


「いいわよ。読めばいいんでしょ、読めば」


 扉に手を当て、いつもと同じように魔力を流す。最上階と同じ要領で、簡単に鍵が開いた。中にはぎっしり、石板と巻物と紙束の山。


「はぁ。……でも待って、これって恋人になったってことなのかしら」


 竜が追って来ないように後ろ手に扉を閉めながら、スーリアはそう考えて少しだけにんまりした。最後に穴の隙間からわずかに見えた、アドルの自分を助けようと必死な顔を思い出す。


「かっこよかったなぁ……絶対助けに来るって言ってた。早くこないかなぁ」


 どうせなら自分がこの山を読破するよりも早く、愛しい人に助け出してもらいたい。そう夢想して、またちょっとだけにやける。


「次に会ったら、絶対手を握って離さないんだから」


 スーリアはこの五年で、魔術の腕だけではなく精神もまた、鉄の柱のように図太く強靭になっていた。それはひとりこの迷宮で生き残ってきた経験の賜物でもあり、また遺跡に残された哲学の書を数えきれないくらい読み続けてきたからでもある。要するに、ものすごく達観した人間になっていた。


「時間というものは本来大洋の水の如く継ぎ目なしになだらかで、人間のように区切って指折り数えるからこそ長さや限界を認識するものだってペトリスも書いてたし、大丈夫よ。うん。愛のためなら何年だって待てるわ、私」


 そんな風に超古代人の思想を語り始める彼女は既に、五年前の少し学が足りないが明るく元気だったスーリアではなく、歴代のどの賢者様よりも深く学問について語れる人間になっているのだが──それは、また別のお話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

青の塔の迷い人 綿野 明 @aki_wata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ