エピローグ
『両手いっぱいの花束を』
日本へ戻った脇田家を待っていたのはトイレ工事だった。異世界へ転移しないために設置場所をずらすという作業だ。皆トイレを我慢して、我慢できない者は隣の泰山の家へと借りに行った。5時間ほどで工事は終わり、トイレは無事通常のトイレへと戻った。リモコンを新しいものと交換しようという礼二の申し出を隆行は断った。異世界の思い出として残すと決めたのだ。工事を終えた業者と礼二、水野は去っていく。最初はあまり良い感情が無かったけれど、さすがに別れるとなると寂しいものがあった。
◇
月日は流れ、異世界の日々から脇田家が帰還して早6年が経つ。今日は晴れの日。音大を卒業してプロのフルート奏者として働く麗奈が今日結婚式を迎える。相手は2年上の楽団の仲間だ。
華やかな会場に集った参列者たちはみな笑顔。麗奈の好きなピンクのバラが各テーブルや会場に隅々に色どりを添える。そして今日の主役麗奈は真っ白な美貌のドレス姿だ。手に持ったブーケには泰山の育てたピンクの小花が混じっている。異世界で老人ファームの面々から譲り受けた種の子孫だ。
最後尾のテーブル席で慣れないスーツ姿の20歳の聡司はデジカメ片手にビールを飲んでいた。
「聡ちゃん、あまり飲んでいると酔うわよ」
君江の言葉に聡司は笑う。
「もう酔ってる」
「ふふ、おばあちゃんも」
君江は気に入りのワインをさらにお代わりした。もう3杯目だ。
「モモちゃんも来られれば良かったんだけど」
「いやいや、さすがに」
聡司は手酌でビールを注ぐ。
「ああ、苦しい」
着物を着こんだ由美子と隆行が挨拶回りから帰ってきた。君江は慣れないものだからねえと笑う。由美子はぼそぼそと食事をしている泰山へ話しかける。
「おじいちゃん、ビール飲んでる?」
「もう、上等飲んだ」
頬がほんのり赤い気もする。酒に弱い泰山だけど今日は飲んでいる、嬉しいのだろう。
しばらく歓談を楽しんで、司会者が再び話し始めた。
「それではイファックス社代表取締役桐島礼二様よりお言葉を賜りたいと思います」
名を呼ばれた礼二はメモも持たずに颯爽と前へと進み出た。その様子に隆行は器が違うなと感動する。遠い東京からわざわざ水野と揃って足を運んでくれたことに感謝している。
「麗奈さん武人さんおめでとう。ご列席の皆さま、この度は誠におめでとうございます。ご紹介に預かりましたイファックス社の桐島礼二でございます。さて、私は麗奈さんとはとある旅で知り合いました。とても遠くてでもとても近くて、そんな不思議な地を脇田家の皆さまと私、そして同席しております水野で旅しました。それももう6年も前のことです。旅の経験は私にとっても宝といいますか、それは麗奈さんにとっても同じはずです。どんな時でも家族を支え、仲間を作り、そして笑顔を忘れずに。旅を通して得た経験は麗奈さんの中で深く生きていることと思います。この席に集えなかった仲間もいます。彼らとの日々を、仲間を決して忘れないでください。経験したことを学びとして生かしてください。そして幸せになって下さい。ご迷惑をおかけした身としてはやっぱりそんなことしかいえません。お2人にはこの世界を生きられる幸せを享受して欲しく思います。この度は誠におめでとうございます」
麗奈は礼二の言葉につい異世界での日々を思い出した。王宮楽団に入ってジェスたち仲間とおしゃべりして、今日プロのフルート奏者であることが出来たのも彼らとの日々があったからだ。家族離れて過ごした日々で絆は一層強くなった。そのことを誰よりも分かっている。
麗奈の意識を割るように拍手が沸き起こる、礼二は席へ戻って行った。
「ねえ、旅って何の話? どっか行ってたの?」
司会者の話の最中に小声で新郎武人が問いかけた。
「秘密」
麗奈はクスリと笑って首を傾げた。武人にも話していないことだった。
「あっ、夫婦に秘密はよくねえぞ」
武人がムッとした様子で言い返す。怒っているというより半ばふざけているような調子で。
「ほら、司会さん喋ってるよ」
麗奈が注意を促して武人は渋々口を閉じて司会者の方を見た。そんな武人の耳元にそっと囁きかける。
「いつか話してあげるわ。とっても遠くて近い国のお話を」
――そう、とても遠くて近い国。もう行くことの出来ない幻のような大地の話を。強い絆で結ばれた家族の話を。
麗奈は不思議がる武人にウインクすると手元に握りしめたルビアスのブーケにそっと笑いかけた。
<了>
WC-トイレットペーパー1ロールから始まる異世界生活- 奥森 蛍 @whiterabbits
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