56 世界にサヨナラ

 老人ファームの仲間たちに泰山は別れの挨拶をしていた。弁が立たない泰山は簡素に「世話になったな」と。


「ターさん、ありがとうね」

「寂しくなるよ」


 明るく楽しい仲間たち。あまり陽気でない泰山さえも心躍る楽しい時間を過ごさせてもらった。


「ターさんこれ持っていってくれ」

 ビットーリオが差し出したのは紙袋だった。中を開けてみると小さな種がぽろぽろと零れる。


「これは何かの」

 不思議がってじっくり見た。見たことのない種だ。


「ルビアスの花の種だよ。皆で品種改良したんだ。今植えれば夏には花がつくよ」

 聞いたことのない花の名前に泰山は首を傾げる。でも貰い物はありがたい。

「ツルが伸びるから支柱を立てるんだよ」


 夏の日よけにでもなるだろうかとそんなことを思い描く。


「すまんのう」

 感社の挨拶も簡素に。


「くたばるんじゃねえぞ」

 遠くでヌークレオが叫ぶ。相変わらず口の悪い老人だけれどそれももう聞けないのかと寂しく思った。



       ◇



 由美子は懸命に鉛筆を動かしていた。魚の煮つけのレシピをお世話になったウィップス夫妻に伝えるためだ。字はあまり上手でないけれどこの際は関係ない。頭で順序を思い描きながら作り方を簡素に書き留める。書き終えたメモを渡すと奥さんが顔を顰める。

「ユミさん、醤油はどのくらい入れるんだい」


 由美子のメモには材料名だけで分量の詳細が書いていない。なぜなら、由美子は感覚的に料理を作るのでいちいち量っていないからだ。


「適当です」

 夫妻は思わず苦笑する。親切なのか親切でないのか。


「ユミさんの味忘れないようにしないとね」


 鍋には由美子の作った最後の煮つけが入っている。これも全て売り切るつもりだ。今日働いて得た金銭はあちらでは使い物にならない。けれど、きっちり働く。それが親切にしてくれた夫妻への恩返しだと考えていた。



       ◇



 君江は最後のキルト教室に臨んだ。今日は縫わずにお別れだけ。皆でおいしいお茶を飲んでお菓子を食べて。1人、1人に封筒を手渡す。皆、中身を見て瞳を輝かせる。今日の日に渡そうと思っていた写真だ。王宮の教会でキルトを背景に撮影したあの記念写真。


「私たちとても良い物を作ったのね」

 まるで遥か昔を懐かしむように温かな眼差しを向けている。


「今制作している物が完成したら、それを飾ればいいわ」


 今共同制作しているのは扇のパターン、君江が作ったものも含まれている。君江の言葉に皆悲しそうな笑顔を浮かべた。


「キミさんのキルトを見るたびに思い出すのね。寂しいわ」

 エルミナの言葉に君江は思わず、涙が出た。ハンカチで目元を拭う。


「この本は皆さんに差し上げますよ」

 涙交じりの声でにっこり微笑む。


「本当!」


 色めき立って本を手に取り始めた。君江はふふふと笑う。彼女たちの楽しそうな姿が心から嬉しかった。向こうに戻ったらキルト仲間を作ろう。こっそりそんなことを考えた。



       ◇



 麗奈は楽団での最後の練習の演奏を終えると前に出て、感謝の気持ちを述べた。今まで未熟な自分をフォローして優しく接してくれた感謝、人生の先輩として種々のことを教えてくれた感謝。言葉では言い尽くせぬほどの気持ちを抱えていた。述べ終えると皆が立ち上がり拍手を始めた。口々に麗奈への激励の言葉を投げかける。嬉しくて泣いてしまった。


 練習後、送別会を開いてくれるというのでレストランへと向かった。店内は花やリボンで飾られてビュッフェの準備も整っていた。麗奈はくすぐったい気持ちでありがとうと感謝を述べた。


 酒も入ってきた大人たちは陽気に笑っている。麗奈はジェスと話をしていたけれど、これで最後だと思うと気持ちが沈んだ。


「レイナ、こんな言葉を知っているかい」

 ワイングラスを傾けながらジェスがにっこり笑う。


「青春を過ごした珠玉の時間は無駄にならない。キミの経験は今後の人生でもきっと生きる」


「誰の言葉かしら」

「ボクの言葉だよ」


 麗奈はふふと笑ってありがとうと笑う。この世界で過ごした時間はきっと色褪せない思い出となる。共に奏でたメロディは永遠に。麗奈はこの仲間に恵まれて良かったと心から思った。



       ◇



 出立の朝、脇田家のインターホンが鳴った。由美子が外に出ると人々がずらりと並んでいた。そこには国王や王妃エルミナ、そして王宮楽団の姿もある。由美子は驚いて家族を呼びに行く。朝食の途中だった家族も居候のイファックス社の2名も箸を置いて出てきた。


 家族が揃ったのを確認すると指揮者がタクトを振り始めた。世界の英雄を称える風格あるファンファーレだ。気分が高揚して誇り高い気持ちに隆行は包まれる。レネの国は出立を応援してくれているのだ。これからの人生で辛いことがあろうともこの音楽を思い出せばきっと乗り越えて行ける。この音楽を忘れまいと心に刻みつけた。


 演奏が終わると国王が進み出て、隆行に握手を求めた。失礼ではないかと戸惑ったが、傍の大臣が咳払いをしたので有難く受けた。


「遠く離れた世界の友人のことを我々は忘れないだろう」

「ありがとうございます」


 手を両手でギュッと握り、感謝の気持ちを述べる。見送りに集ってくれたそれぞれの友人たちとも脇田家の面々は最後の別れをする。


「レイナ、グッドラックだよ」

「ユミさんご家族と仲良くね」

「キミさん、お体を大切にね」


 一家は頭を何度も下げながら自宅へと入った。


 玄関を締めてリビングに集結すると浮き立つような空気の中、礼二がトイレットペーパーを取り出し深呼吸した。


「それではトイレに行ってまいります」

「いや、待って下さい。私がやりましょう」


 そう言って隆行は立ち上がる。一家の大事なことは自身で決着をつけたかった。ロールを受け取り、トイレへと向かう。その後ろを家族が私も、オレも、と追いかけた。結局、トイレの前に勢ぞろいして行方を見守る。


 包装紙を外して、ゆっくり糊をはがすと1キザ千切る。浮かび出たのは『脇田家全部』の文字。


――これで世界にサヨナラだ。


 隆行は心を込めるとレバーを引いた。白い景色に包まれて、脇田家は時空の旅へと出た。




「消えたぞ!」

「本当に消えた!」


 見送りに集っていた人々は驚きの声を上げた。目前に存在していた家が跡形もなく消え去ってしまったのだから。あとに残されたのは空き地。先ほどまで脇田家が存在していた土地だ。


「違う世界って本当にあるんだな」


 囁くような誰かの言葉に国王は視線を高くする。見上げる空へと声を投げかける。

「さよなら異世界の戦士たち」


 王妃エルミナはそっと国王アーサーに寄り添うとそっと腕を握りしめた。

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