第2話 出会い②

 1人暮らしの大学生の朝は割と早い。颯太も例に漏れず、毎朝6時30分には起きる。

 目が覚めて、ベットから出た足で顔を洗うと、そのまますぐに、朝食の準備に取り掛かる。

 「今日は和食にしよう」

颯太は、自分以外いない部屋で、そう呟く。居酒屋でバイトして以降、料理のレパートリーが増えたことは、颯太にとって嬉しい悩みだ。

 鍋に水を入れ、味噌汁の出汁を取りながら、颯太は、ふと、昨日、出会った女性の事を考える。年齢も、名前も知らない、白Tシャツの女性。かわいらしく、聡明な顔立ちと、

 「放ってください」と突っぱねた声が、颯太の脳裏に焼き付いていた。

 あぁなんで、あそこで押し切れへんのやろなぁ。颯太は、昨晩から数えて、十数回目の自分へのお説教タイムに入った。

 恋愛に対して、臆病なのが颯太の悪い癖である。顔も中の上、贔屓目で見れば、上の下の評価であっても、おかしくはない。小学校から、10年間していた陸上のおかげで、体付きも悪くはなかった。にもかかわらず、颯太には、彼女ができたことがない。

 中学時代に好きになった、女の子が、

 「颯太のLINE、女々しくてキモいねん」と、仲良しの女子に言いふらし、嘲笑しているのを見て以降、それがトラウマになった。

 颯太は、女性との距離の詰め方が、今も分からない。彼女が欲しくないわけではない。作り方が分からないのだ。両想いになって、お付き合いするって、奇跡なんじゃないかと、つくづく思う。

 SNSで、高校時代の友達が、彼女との写真を投稿する度に、ため息をつくような毎日を、颯太は送っていた。

 自責の念に駆られて、何分が経っただろうか。颯太は、出来上がった味噌汁と、ちゃちゃっと作った卵焼き、炊き立てのご飯をテーブルの上に並べた。

 「いただきます」とこれまた1人で声に出し、味噌汁を啜る。うん。悪くない。恋愛経験値の低さとは対照的に、料理だけは上達してんなぁと、苦笑しつつ、颯太はちょっぴり辛めの卵焼きを頬張った。



 「おはよー。」

 大学に着き、1限目の教室に向かっている颯太の後ろから、9月のだらーっとした蒸し暑さとは正反対の、爽やかな挨拶がとんできた。

 「おー、哲平、おはよう。」 

 颯太はすぐさま振り返り、先程の声の主に、そう返事をする。

 彼の名前は、岩佐哲平(いわさてっぺい)。颯太と同じ、文学部の2年生だ。茶髪に、ネックレスを身につけ、いかにも“大学生”といった感じの大学生である。颯太にとって大学で唯一、とも言っていいくらいの友達だ。

 哲平とは、1年生のクラスが一緒だったのがきっかけで、友達になった。

 昔から、窓の隅で、ひっそりと過ごしてきた颯太にとって、小中高のどの段階でも、クラスの中心にいたような哲平は、颯太が、最も毛嫌いする人種だったが、なぜか彼とは馬が合った。哲平には人たらしの才能がある。と颯太はつくづく思う。

 「あ、颯太!昨日、借りてたレジュメ返すわ。あとついでに、お前が大好きな卵サンド買ってきたったで。」

 哲平はそう言うと、リュックからサンドイッチを取り出し、ひょいと投げた。

 「サンキュー」

 颯太は好物の卵サンドと、昨日に、貸していた、日本国憲法のレジュメを受け取った。

 こういう所なんよなぁ。こいつがモテるのは。颯太は、教室に向かって、颯爽と歩き出した哲平の背中を見て思う。気に入ってもらおうといった類の邪推のない、純粋な気遣いみたいなやつ。

 実際、哲平は、男女関係なく好かれやすく、モテにモテる。何人かが告白したらしい。と人間関係に疎い、颯太の耳にさえ入ってくるくらいだ。だが、なぜか、彼女はできていない。哲平は、タイミングの問題よ。と常に、そう言い訳している。何かあんのかなと颯太は、いつも不思議に思う。

 そんな事を考えながら歩いていると、唐突に、鉄平が振り返り、

 「あ、せや!颯太、金曜日は、バイトなかったやんな?今日、合コンやし、強制参加な!2-2で!」と言った。 

 哲平は、彼女をつくらない割に、女好きである。颯太の女性に対する対応が下手。ということを知りながら、半ば強引に連れて行くので、これまた意地が悪い。

 颯太の周りに、女性の影が、微塵もないことを、気遣ってくれているのだろうか。と、誘われた当初の感謝の気持ちは、とっくに消え去っている。颯太が、女性にアタックできない。というのが安心できるらしい。

 「お前さぁ、前の子といい感じやったやんか。終わったん?」

 「むしろ、始まってもない。」

 「ほんま、いい加減、本気の恋してみたら?」

 「どの口が言うてんねん。はい。決まりな!しかも今回の相手は4歳上の看護師やぞ〜」

 「お前の人脈が末恐ろしいわ」

 「お、褒めてんの。ありがと。ほな、今日の18時30分、三条大橋の上で集合な!プレミアムフライデー楽しもうぜ〜」

 颯太の返事も聞かず、哲平は、そう言い残して「おはよー」と教室の中に揚々と入って行く。

 プレミアムフライデーを、“月末の”金曜日だと知らない哲平に呆れつつ、颯太は教室に入る。

 ひさびさに、哲平とお酒も飲めるし、女性とも、何も起こらんから、まぁいいか。そんなことを考えながら、颯太は1時間目、マクロ経済学のノートを開いた。


 鴨川の川辺に、並んで座るカップルは、見事なまでに等間隔だ。パーソナルスペースなんかが、関係しているのかもしれない。颯太は、人が行き交う三条大橋の上で、ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 地下鉄を乗り継ぎ、哲平が、待ち合わせに指定した、三条大橋の最寄りである、三条京阪に着いたのが、18時21分だ。それから待つこと10分少々。哲平は遅刻である。

 相変わらずやなぁと、颯太は心の中で呟く。

 颯太が、またしばらく、物思いに耽っていると、哲平がやってきた。

 「ごめん!お待たせ!」

 哲平は、黒のテーパードパンツに、白のTシャツ、上からネイビーのシャツを羽織っている。いつもより、大人っぽく見える。

 暑がりの颯太は、白のTシャツ、一枚だ。下は黒のスキニーパンツである。

 「今日、場所どこ?」

 颯太は尋ねる。

 「先斗町(ぽんとちょう)!!」

 哲平はそう答えながら歩き出した。なるほど。だから、ここを待ち合わせに指定したのね。先斗町は、今2人がいる三条大橋の目と鼻の先だ。もう店も予約してあるのだろう。

 「お前さぁ、大学生の財布事情考えろよ。先斗町なんか、どこも、めっちゃ高いやろ」

 「いやいや、そんなやで。そこのお酒がめっちゃ美味いねん。ま、そんなことより、今日は楽しもうな。そ、う、たくん」

 楽しむも何も、その見た目から、どっちが勝つかは、もはや明瞭である。むろん、勝つ気もないのが正直な所だが。

 路地を通り、先斗町通りに入る。石畳の狭い道だ。立ち並ぶ店の、所々から、千鳥のちょうちんが揺れていて、いかにも“京都らしい”

 「相手の方は?」

 颯太が聞くと、

 「あぁ、もう、先に飲んでるってさ。」

 「ふーん。そうなんや。」

 それから5分ほど雑談しているうちに、目的の店に到着した。哲平がドアを開ける。

 「いらっしゃいませ。2名様ですか?」

 「いえ、4名で予約した、岩佐です。2人、先に来てると思うんですけど」

  哲平がそう言うと、店員も合点がいったのか、

 「あ、ありがとうございます。18時30分からご予約の、岩佐様ですね。奥のテーブルです。」

 と、2人を指定の4人掛けテーブル席に、促した。

 颯太は、足早に歩を進める、哲平の後ろに続く。

 「こんばんは〜、今日はよろしくお願いします!」

哲平は、目的の席に着くと、開口一番、笑顔でそう言った。

 談笑していた、2人の女性が顔をこちらに向けて、

 「こんばんは!」

と返事する。

 颯太はその内の1人を見て、衝撃を受けた。

颯太の顔を見て、その女性の顔にも緊張が走る。何という偶然だろうか。颯太は、人気の少ない道端で出会ったあの女性と、1日もしない内に再会したのである。


 「玉城美羽(たまきみう)です!23歳!よろしくね〜」

 颯太と哲平の自己紹介もそこそこに、女性陣の挨拶タイムに突入している。

 “その”女性ではない方、=美羽は、白のキャミソールに、黒のパンツを着こなしていた。カーディガンを羽織ってきたようだが、暑いのか今は脱いでいる。露出が多く、颯太が苦手とするタイプの女性だ。看護師の女性は、性に対してオープンな人が多い。と颯太は、看護学校に通う友達から聞いたことがある。

 哲平ははやくも、生中を一気に呷り、

 「美羽ちゃん、かわいい〜」

などとのたまっている。

 颯太はそわそわしていた。目をどこに、向ければいいかも分からず、逃げる思いで、ジョッキに手を伸ばす。

 美羽が“その”女性に挨拶をするように促すと、女性はやや緊張した面持ちで、口を開いた。

 「宇野彩月(うのさつき)です。よろしくお願いします。」

 やや、堅い口調で挨拶した、彩月を美羽は怪訝そうに見ている。

 黒のカットソーに、ジーンズ姿の彩月は、美羽に比べると、野暮ったく見えた。

 哲平も、女子2人の微妙な空気に気づいたのか、

 「飲も飲も!」

と1人で場を盛り上げている。哲平は、意外と聡い所がある。美羽も、哲平の気遣いを素早く察して、話題を振りはじめた。

 「颯太くんって童貞なん?」

 「はい。そうですけど」

 「かわいい〜!教えてあげよっか?」

 「いや、美羽ちゃん、俺にも教えてよ」

 「なんでや、哲平くん、女慣れしてるやろ」

、、、頭からとんでもない会話でスタートしている。ちらっと彩月の方を見ると、愛想笑いで、会話に加わっている。嫌われてないかなと思いつつ、颯太は2杯目のレモンサワーを注文する。


 

それから、2時間ほど、他愛もない話(颯太が、学部の同級生を泣かせた話や、某病院で勤務する美羽と彩月の上司がいかに鬱陶しいか)をし、一旦、この場はお開きという事になった。

 酔いも回っていたのか、颯太は、彩月と、もう少し2人で喋りたいなと思っていたが、やはり、口には出せない。

 「連絡先、交換しよう」

と哲平が、提案し、自然な流れでLINEの交換をする。

 美羽と交換して、そして

 「あ、彩月さん。これ僕のQRです。」

 「うん、ありがとう。」

 昨日の泣き顔と違って、はにかんだような笑顔は、かわいく映った。男慣れしてなさそうな感じも、颯太には好印象である。


 「あ〜飲んだ飲んだ!」

そう言いながら、哲平は、いつものように颯太の前を歩く。横には美羽がいる。

 「哲平くん。飲み足りんくない?もう一軒行こう。」

美羽は酒豪らしい。看護師という仕事柄、生活リズムも不規則で、ストレスも溜まっているのだろう。

 結局、その2人でくっつくのね。まぁ当たり前か。しかも今回ばかりはラッキーやなぁ。颯太は横に歩く、彩月を見ながらそう思う。

 

 先斗町通りは人の多さに比べて、随分と道が狭い。颯太と彩月の体も、自然と接近する。颯太の頬が、赤くなったのは、暑い京都のせいでも、お酒を飲んだせいでもない。

 向かいから歩いてくる人を、避けた弾みで、手が触れた。

 「あ、すみません。」颯太はすぐに謝る。

 「いえ。大丈夫です。」彩月が返事する。

 「あの昨日の今日で、すごい偶然ですよね。」

 「ですね〜。昨日はお恥ずかしい姿をお見せしてごめんね。」

 さすがに、何があったかまでは聞けない。

これ以上、つっこんだ話をすると、ラインを引かれる気がする。

 そんな事を考えてると、

 「おーい、颯太、彩月ちゃん、2軒目行く?」と哲平が、2人を誘う。

 「あー、ごめん。俺パス。」

 「私も、用事あるから!ごめんね〜」

颯太と彩月は、速攻で誘いを断る。

 「えー。つまらんやつ!ほな美羽ちゃん行こう」

 「行かせていただきます。やないの?」

 「うっさい。じゃあ2人ともバイバイ!」

2人は、今日、初めてあったのが嘘のように、仲良しこよしで、そそくさと歩き、三条通を左折した後、河原町の方に向かって消えていった。

 哲平と美羽がいなくなると、急に静かに感じられる。あの2人のコミュ力の凄さに、颯太は感心しつつ、彩月とゆっくり歩いた。喋ることが思いつかなくて、沈黙が続く。

 「じゃ、私バスだから。颯太くん電車でしょ?」三条大橋のスタバの前に着くと、未だに慣れない標準語で、彩月がそう言った。

 「はい。じゃ、ここでお別れですね。なんか名残惜しいですけど。」颯太は、精一杯の勇気を振り絞って、そう言った。

 「そうだね。じゃ、またね」彩月は、颯太の言葉をスルーして、そう言う。“また”という言葉に期待することは、許されるのだろうか。

 「あの!」颯太は思わず口走る。彩月が振り返る。

 「また、連絡して、ご飯に誘っていいですか?」

 彩月は、またはにかんだ笑顔で

 「はい。忙しくて、時間取れるか分からないですけど。」と言い、時計を気にしながら、足早にバス停乗り場に向かう。


 彩月と別れてから、颯太はしばらく、三条大橋の欄干に肘を置き、川が流れるのを見ていた。風が、背中側から吹いてくる。昨日と違って、微妙に心地よい。さっきまでいた、先斗町から漏れ出る灯は、颯太の心を見事に表していた。



















 

 

 

 

 


 

 


 


 



 













 

 









 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

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僕と彼女のこれまでとこれから 清水そら @soraisobe2000416

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