僕と彼女のこれまでとこれから
清水そら
第1話 出会い①
京都の私立大学に通う、大学2年生、松澤颯太(まつざわそうた)にとって、その日もなんてことない、夏の1日。のはずだった。
居酒屋でのアルバイトを終え、地下鉄烏丸線に乗り込み帰路につく。腕時計の針は、22時過ぎを指している。イヤホンで流行りの音楽を聴きながら、うとうとしているうちに、電車は自宅の最寄りである松ヶ崎駅に到着した。
改札を抜け、階段を上りながら、颯太は疲れた頭で、晩ご飯の献立を考える。1人暮らしを始めた当初は、鍋と肉野菜炒めが、晩ご飯のほとんどを占めていたが、バイトのおかげか、颯太は、今ではある程度の料理を作る事ができるようになっていた。
階段を上り、地上に出ると、キレイな三日月が颯太を見下ろしていた。京都の夏特有の、モワッとした熱気が、颯太を包む。
颯太が住むここ松ヶ崎は、京都市の中心部からは、やや北側に位置し、どことなく、落ち着いた雰囲気が漂う町だ。高校時代から、日陰で過ごしてきた颯太が、1人暮らしの家に、この町を選んだのは、都会の喧騒から離れられる、という理由が大きい。
スマホをいじり、歩きながら、ふと前方に目をやると、小さな人影が見えた。颯太が目に止めたのは、その人が、縁石に腰掛けながら、俯いていたからだ。
恐る恐る近づくと、その人影が、女性だという事が分かる。白のTシャツに、ミントグリーンのワイドパンツの格好をしている女性からは、この上ないほどの、悲壮感が漂っていた。
スルーするのがいたたまれなくなって、颯太はその女性に声をかける。
「あの、大丈夫ですか?」
その女性は、おもむろに顔を上げると、じっと颯太を見つめた。くっきり二重で、聡明な印象を与えさせる、優しい顔つきだ。目にはうっすらと涙を浮かべている。
あまりの美人の慄きながら、颯太は聞いてないんかい。と心の中でツッコミを入れる。そして、もう一度
「大丈夫ですか?」と尋ねる
女性は、か細い声で、
「あぁ、はい。大丈夫です。」と答える。
いや、どう考えても大丈夫ちゃうやろ。颯太は再びツッコミを入れる。いちいち過敏に反応してしまうのは、関西人の悪い性だ。
颯太が返事に窮していると
「すみません。放っておいてくれませんか」と、女性が、意外にも、強い口調で、声を上げた。
関西では珍しい、標準語のイントネーションに戸惑う一方で、颯太は怒り心頭だった。
わざわざ声をかけてあげたのに。
人との対立や、会話をあまり好まない、彼女なし歴=年齢の颯太を、なにがそうさせたのかは、分からない。
「あの!一緒にラーメン食べに行きませんか?」
気づけば、颯太はそう口に出していた。
「いや、いいです。」
彼女は迷惑そうにそう返した。
会話のラリーからして、次は颯太のターンだが、颯太は押し黙ってしまった。気まずい沈黙が2人の間に流れている。
夜の松ヶ崎は、電車が往来する時間帯以外は、通行人が少なく、車の通りでさえ、まばらだ。2人を照らしている街路灯には、虫が集っている。
数秒後、颯太は、やっとのことで、重い口を開いて
「そうですか。じゃ、さよなら。お気をつけて。」と言った。
女性からの返事はない。颯太は、どことなく陰鬱な気分で、再び歩き始めた。
イヤホンを耳につけ、お気に入りのプレイリストを再生する。後ろを振り返りたくはなかった。振り返ったら、負けな気がするから。あの女性なのか、それとも不甲斐ない、自分自身なのか、何に負けるのかは、よく分からない。
生暖かい、鬱陶しい風が吹いている。足取りが、重く感じたのは、バイトのせいだけではない。今日は、野菜炒めやな。そう考えながら、颯太は、家までの道のりを、トボトボ歩いた。
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