第4話 僕はみーくんと最後の夕陽を眺めた
翌日の夕方、仕事を終えて戻ってくると、アリサさんがいつものように優美に迎えてくれました。
朝、職場に来たときはアリサさんは不在でした。みーくんもあれから姿が見えません。僕はなんだか得心がいかない気分で一人でタイムカードを押し、着替えて仕事に出たのでした。
「ショー君、お疲れ様。午前中は私いなくてごめんね。本部に呼び出しくらっちゃったのよ」
僕は伝票を提出しながらアリサさんに気になっていたことを尋ねます。
「大丈夫ですよ。今日の仕事は特に問題ありませんでしたし。それより昨日みーくんがここに来ました? なんかすごい怒って出て行ったんですけど」
「来たわよ。新しく来る子が部屋に荷物入れちゃったんですってね」
そう言うと、アリサさんは一つため息をついて僕に向き直りました。
「本当はね、着任する前に身分を他人に漏らしてはいけないの。みーくんはその子があなたに職場の話をしたことを怒ったの」
そう言われてもピンと来ませんが、確かにサヤは僕と同じ職場だと言いました。
「最悪資格停止になることもあるのよ。今回はなんとか回避できたけど」
「資格停止ですか!」
僕は絶句してしまいました。資格停止って罰が重すぎるような気がします。
「それより、ショー君」
アリサさんは椅子から立ち上がってじっと僕をみつめました。なぜかアリサさんの瞳には涙が浮かんでいます。そして細くてしなやかな腕を伸ばすと、カウンター越しに僕を抱きしめました。
「ア、アリサさん、ど、どうしたんですか?」
「……お疲れ様。とっても、お疲れ様」
僕はアリサさんにされるがままで、頭の中に数十個の疑問符を浮かべていました。僕を離して涙を手でぬぐうアリサさん。僕はよく分からないまま「それじゃ帰りますね」と言って職場を後にしました。
帰り道、天気もいいので公園に寄り道をします。
今日も大きな夕陽が公園をオレンジ色に染めています。しかし、いつもの手すりの向こうにみーくんの姿はありませんでした。僕は少しがっかりしましたが、この夕陽だけでも見る価値は充分あります。僕は手すりにもたれて、向こうの山にかかろうとする夕陽を眺めました。
すると、オレンジに染まった視界の端から黒猫が僕の目の前を右から左へゆっくり横切り、立ち止まってこちらを向くと、ニャアと一声鳴きました。
「あ! みーくんじゃないか!」
僕が呼びかけると、黒猫は小柄な少女、つまりいつものみーくんの姿に戻りました。みーくんは、いつもどおり無表情に僕のそばまで来ると、僕の隣で手すりにもたれます。
「ショー、ちょっとお話ししない?」
少女姿のみーくんは、黒いロングコートに魔女帽子という仕事用のいで立ちです。仕事中のみーくんと話をするのは極めて珍しいので僕はびっくりです。仕事着のみーくんと話をすることでさえ珍しいのに、黒猫の姿を直接見たのなんて長い付き合いでも初めてです。
「みーくん、どうしたのさ。珍しい」
「……忘れてしまいたいことってさ、やっぱり忘れちゃいけないことだと思うの、わたし」
相変わらずみーくんの話は唐突です。僕は例によって「そうかな」と最低限の相槌だけで済ませます。ただ、妙な違和感に身体の震えが止まりません。
「わたしたち、長い付き合いだったよね。永遠に続くかと、思ってた」
みーくんは一方的に囁くように話し続けます。その声は無感情ないつものみーくんでした。
「わたし、ショーのこと、忘れてしまいたいの。……楽しかったから。とっても、楽しかったから。……覚えていたら、辛くなるから」
―――そうだったのか。
「わたし、今日の仕事は、今日の仕事だけは、やりたくなかったの。……わたしが仕事をしてしまったら、もう、変えることができないから」
―――僕にその時が来たのか。
僕はみーくんの大きな瞳をみつめます。みーくんの顔は夕陽を浴びてオレンジ色に染まっています。少し油断しただけでたやすく綺麗だとか、かわいいいとか、そんな褒め言葉が頭に浮かんでしまいます。でも、今日だけはその言葉を我慢するべきではないでしょう。
「みーくん、……僕はみーくんが夕陽を眺める姿が大好きだったんだ」
みーくんはその整った顔を僕に向けて小さくうなずき、そして涙をこらえるようにかぶりを振りました。
「引っ越してきたサヤが、僕の後任、なんだね?」
「そう。彼女もまた、何百年も死神の仕事を続けるんでしょうね」
「みーくんの仕事には、終わりはないの?」
「分からない。でも、いつかはわたしも寿命が尽きるはず」
みーくんは大きな目を伏せました。その頬には、沈んでいく夕陽を追いかけるようにひとすじの涙がゆっくり伝っています。
僕に残された時間はもう少ないようです。
黒猫のみーくんは死期が近いことを告知するのが仕事。僕たち死神は寿命の尽きた魂を集めるのが仕事。寿命の尽きた僕の魂は、サヤが拾っていくのでしょう。
「……もうそろそろよ」
みーくんは涙をこらえるそぶりで、一生懸命いつもの無感情な声を装っています。しかし、長い付き合いの僕には、彼女の声にまじる悲嘆がはっきりと感じ取れました。
いろいろな思いはありますが、ここは男の沽券にかけて、しっかりみーくんに言葉を遺しておくべきなのでしょう。
「みーくん、今まで長い間ありがとう。とても楽しかった。……じゃあ」
「ショー、いつか、わたしも行くから」
みーくんは最後に涙をぬぐって、僕に向かって叫びました。
「必ず行くから! 今までとっても楽しかったから! だから、だから、ずっと忘れないから!」
しかし、みーくんの叫ぶ声は、意識が薄れる僕には、半分しか届きませんでした。
完
みーくんは今日も夕陽を眺める (改訂版) ゆうすけ @Hasahina214
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