第3話 僕の日常とみーくんのご機嫌
翌朝、僕は隣室から聞こえてくる物音で目を覚ましました。
みーくんは、まだ僕の部屋のこたつで眠っています。僕も昨夜はこたつに足を突っ込んだまま寝てしまいました。こたつで寝ると寝起きに身体が痛いのがイヤなのですが、みーくんを起こして彼女の部屋まで連れて行って、自分の部屋に戻って、こたつをどかして布団を敷く。その一連の作業を考えたら「もういいや、このまま寝ちゃえ」という気になるのもしかたないでしょう。
それよりも気になるのは、隣室の物音です。そこはもう長い間空き部屋でした。僕はサンダルを引っかけて廊下に出ました。隣の部屋は玄関が開け放されて、段ボール箱がはみ出しています。
「なんだこれ?」
僕は廊下に浸蝕してきている段ボール箱を見て訝ります。すると部屋の中からタオルを頭巾がわりにかぶった、ジャージ姿の女の子が出てきました。
「あ、おはようございます。朝からお騒がせしてすみません。お隣さんですか?」
「あ、はい。1号室のショーです」
女の子は屈託のない笑顔を浮かべてちょこっとお辞儀をしました。
「私、サヤっていいます。今日2号室に引っ越してきました。よろしくお願いします。後で改めてご挨拶に伺いますね」
「この部屋に引っ越してきたっていうことは、もしかして……」
彼女はにこにこと笑顔を浮かべながら僕の言葉の意図を察して続けます。
「そうです。多分、ショーさんと同じ職場だと思います」
このマンションの住民は今は僕とみーくんだけです。僕が引っ越してきたときには、みーくん一人だけが住んでいました。僕はそのせいで外出する時に鍵をかけなくなっていましたが、もともとここはうちの職場の従業員寮です。つまりサヤは僕たちと同じような仕事をすることになるのでしょう。最近忙しいからペアをひと組増やすのかな、と僕は思いました。だとすると、サヤ以外にさらにもう一人引っ越してきて、このマンションもにぎやかになりそうです。
「あー、そうなんだ。よろしくね」
「仕事は来週からって聞いてます。今日は荷物を入れるだけで、夜は一旦戻るつもりです。ところで3号室の方は?」
「ああ、みーくんは、……今は不在だと思うよ」
「お仕事ですか?」
「うーん、違うと思うけど」
僕は冷や汗だらだらです。さすがに僕の部屋で寝てる、とは言えません。アリサさんは僕たちの私生活に干渉するような人ではありませんが、そんなことが職場に知られていいわけがありません。僕の内心の焦りをよそにサヤは不思議な顔をしています。
「3号室の方、女性だって聞いてたんですけど」
なんだ、そのことか。僕はほっとしました。
「あ、みーくんは女の子だよ。男の子みたいな名前だけど。安心して」
「そうなんですね。よかったー」
「よかったじゃないでしょ!」
背後で大きな声がしました。僕が驚いて振り返ると、いつのまにかこたつから起き出したみーくんがこちらを、いや、正しくはサヤを、鋭い眼で睨んでいました。
「キミさ、いつから入居していいかとかちゃんと確認したの?」
みーくんは瞳に敵意をむき出しにして、サヤに噛み付くように言いました。今にも髪の毛が逆立って爪を立てそうな勢いです。いつもの感情の起伏があまり読み取れないみーくんではありません。僕はこれほどはっきりと怒っているみーくんを初めて見ました。
「いえ、あの、来週から仕事で、ここが部屋だと聞いたから」
「なに勝手に決めてんのよ! この部屋はね、最初の仕事の前日からしか使っちゃだめなの!」
「し、知りませんでした。あの……、その……、ごめんなさい……」
「ごめんなさいですまないから! とにかく部屋からすぐ出て!」
僕は心底驚愕しながら二人のやり取りを見ているしかできません。みーくんはかつてないほどの憤怒の表情でサヤを叱り飛ばしています。
何よりもみーくんが怒っているのが「サヤの引っ越しの日」という点が驚きです。どうせ長い間空いていた部屋ですから、数日早く引っ越してきても誰にも迷惑なんかかからないはずです。例えそれが職場のルールに少しばかり違反していたとしても。
そして、それに対して激怒するのも、いつもの気ままなみーくんからは想像できません。「どうせ空き部屋なんだから、一ヶ月前からでも使っていいんじゃない?」と、どうでもよさそうにつぶやいて、隣人のことになんてまるで無関心、そういう態度を取る方がよっぽどいつものみーくんらしいです。
「ごめんなさい」
サヤはみーくんの勢いに圧倒されて泣き出してしまいました。
「みーくん、いいじゃないか。どうせ空き家なんだし」
「ショー、部屋に戻ってて」
「は?」
「いいから部屋に戻ってて!!」
みーくんは怒りの矛先を僕に向けてきました。このままだと本当に引っ掻かれかねません。しかたがないので僕は部屋に戻りました。
廊下ではしばらくみーくんの怒る声とサヤのすすり泣きが聞こえていましたが、やがてそれも聞こえなくなりました。そしてしばらくすると、玄関の扉ががちゃりと開きました。そこには、外行きの服に着替えたみーくんがいました。表情はいつもの無表情に戻っています。
「ショー、わたしの上着と帽子と手袋ちょうだい。こたつの横にあるから」
僕は言われたとおり、彼女の白のハーフコートと帽子と手袋をこたつの横から持ってきて手渡します。
「わたし、ちょっとアリサのところに行ってくる」
彼女は僕から受け取ったコートを羽織って言いました。そしてしばらくそのままうつむいて止まっています。
「みーくん、どうしたの?」
僕は思わず問いかけました。
「わたし、もう……、仕事したくない」
そう僕に言った彼女の顔は、見たことないほど悲しさをこらえた表情になっていました。
その日、みーくんは遅くまで帰ってきませんでした。僕もなんだか落ち着かない気分のまま、ぶらぶらと無為な時間を過ごしました。
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