今日も待ち合わせ

木本雅彦

第1話

 朝になった。


 わたしは新しい顔をつける。


 だってそうじゃない? 女ってのは、毎朝新しい顔をつけて、新しい一日を始めるものだと思う。そうやって始まった新しい一日は、叫びたくなるほど新鮮で、窓の外に向かっておはようを言いたくなる。建物が密集したこんなマンションじゃあできないけどね。


 カチリと音をたてて、脱ぎ変えた心と身体で、私はキッチンに向かった。コーヒーとトースト、それに甘くないピーナッツバターの朝食の準備をする。毎日おんなじメニューで飽きそうに思うけど、毎日同じものを食べると逆に安心する。ああ、今日もこのやりかたでいいんだって。


 トーストを加えながら、手帳をチェックした。そうそう、今日は彼と待ち合わせなんだっけ。


 彼の好きそうな服はどういうのだっけかなと、もぐもぐ口を動かしながら考える。……よし、だいたいイメージは固まった。わたしはトーストの最後の一口を、コーヒーで流し込んだ。


 手早くシャワーを浴びる。ボディーソープは通販で買ったアメリカ製のもので、香料がたっぷり入っている。こういうのを使うと、香水との組み合わせに工夫がいるんだけど、今日は身体も良い香りにしておきたい。だってほら、……もしかしたら、ね?


 三分迷って下着を揃え、五分で服を整えた。薄黄色のキャミソールに、草色のカーディガンの組み合わせ。おとなしすぎないように、スカートは派手めのものを合わせてみた。まあ、こんなものかな。


 明るめの色のバッグの中にいつものお出かけセットを詰め込んで、お気に入りのパンプスを履いて、私は家を出た。


 待ち合わせはいつもの駅前。ロータリーに降りる階段の下で、文庫本を読みながら、彼は立っている。ちょっと遠くから観察してみたけれど、ティッシュ配りさえ相手にしないような、そんな普通の人が彼だ。でも普通の彼が、わたしにとっては特別なんだから、しかたがない。


 じらすのも可哀想だし、横から小走りに近づいて、腕に飛びついてみた。


「やあ」


 驚かせたつもりなのに、彼は平然とした口調で答える。おもしろくないな。


「今日は、よろしく」


 まったく、他人行儀って言うか、堅物っていうか、もうちょっと愛想良くできないのかしら。ま、そんなところも嫌いじゃないし、許してあげる。それよりも折角のデートなんだから、どこに行くか考えて欲しい。ね、考えてる?


「いや、全然。どこか行きたいところ、ある?」


 いつものことだから、予想はしていたけれど、もうちょっとデートにかける情熱っていうのかな、やる気を出してくれると嬉しい。それに自分はどこか行きたいところないのかしら。


「ああ……、そうだな、東京タワーに行きたい」


 思いかけず、すぐに答えが返ってきて、ちょっと驚いた。


 うん、でも良い傾向よね。はっきりしない男って、やっぱりちょっと嫌だし。いいわ、東京タワー、行きましょ。


 そうして私たちは電車を乗り継いで、東京タワーにやってきた。下のところだけみたら、斜めの柱に囲まれた普通の建物に見える。ファーストフードで昼食をとり、展望台に昇る。


 見下ろした東京の街は、やっぱり普段よく知っている街とは全然違い、わたしは思わず三百六十度を走り回った。彼は私の姿を笑いながらみているけど、子供みたいとでも思っているのかしら。


 次にもう一段上の展望台に行って、さすがに高すぎてちょっと怖いねと話しながら、早々に退散した。


 次はどうするのかと思ったら、彼はさも当たり前のように、蝋人形館に入ろうとする。ええっ!デートでそれはどうなのかしら。と思ったけど、彼はきょとんとしてわたしを見ている。まあ、いっか。わたしは彼の後をついて、蝋人形館に入っていった。


 薄暗い館内は思ったよりバラエティに富んでいて、わたしはここでもあちこちを走りながら見て回り、アメリカの大統領の隣に並んだところを、彼に写真まで撮って貰った。


 なんか、楽しいな。心からそう思っていた。


 東京タワーを後にしたわたしたちは、通りに出たところのチェーンの喫茶店に入り、お茶を飲みながらのお喋りを始めた。とりとめのない会話、なんでもない話題。普通の時間が幸せだった。


 日が傾いてきたころ、彼が言った。


「店を予約してあるんだ」


 正直驚いた。そんなことをする人だとは思ってなかったから。


「ここから歩いてすぐだから」


 なんだ、ちゃんと考えていたんじゃないの。どこなのかしら。と思って彼についていったら、プリンスホテルの門をくぐってしまう。ちょっと待ってよと追いかけたけど、彼はそのままエレベータで三階に上がり、レストランで予約してある旨を告げた。ちゃんとしたレストランに行くつもりなら、最初から言ってくれれば、もうちょっとちゃんとした格好してきたのに。それ以前に彼の格好も、もうちょっときちんとさせたのに。


 席についた私たちの会話は、まず愚痴から始まった。


 だけど愚痴ばかりでは折角の料理が美味しくなくなるし、実際料理は愚痴なんか吹き飛ぶくらい美味しかったので、デートについてはちゃんと前もって言って欲しいとだけ念押しして、後は楽しく食事することにした。やっぱり美味しいご飯は楽しく食べないとね。


 食事をしながら、東京タワーの上からの夜景がここから見えたら素敵だと思うという話をしたら、彼は


「だったら、この上の部屋から夜景を眺めてみる?」


 と冗談っぽく言った。


 こんな気の利いた会話なんか慣れていないくせに、無理しちゃって。


 だけど私は気がつかない振りをして、小さく頷いた。……でも、あれ?こういうホテルって休憩なんてできるのかしら。


「聞いてみるよ」


 彼は真顔で言って、食事の後に本当にフロントに聞きに行ってしまった。


 結局、二時間の休憩なんてシステムはないと断られてしまい、彼は一泊分の部屋をとって戻ってきたけれど。


 わたしは泊まらないよ?


 泊まらないけど、でも、もうちょっとだけ一緒にいてあげる。




 夜になった。わたしは帰宅した。


 わたしは今日の顔を取り外す。


 女の顔はその日によって変わる。そういうものでしょ?


 偽装表皮を取り外し、知覚中継変換モジュールを解除する。


 本来のわたしが、戻った。


 わたしの顔つきは相手の好みに合わせて作り替えてあったし、五感は変換モジュールを経由して置き換えられたものが脳に送り込まれている。だから今日の客はわたしの本当の顔を知らないし、わたしも客の顔や声を知りはしない。


 変換モジュールには今日の記録が全て残っているから、知ろうと思えばできないこともないし、こういう記録を売り払っている子もいるみたいだけど、わたしは綺麗に消去することにしている。だって興味ないから。


 どうせ一日だけのつきあいだってことは、お客もわたしも分かっている。だからその一日の時間以上、固執する気はないし、したくもない。こんな関係に喜ぶ男性の気持ちは、わたしには分からないけれど、満足している人は沢山いるし、だからこそわたしは仕事になっている。


 お風呂に入ってすっきりしたら、手帳をチェックしてみた。明日もお客が入っているみたい。


 私は明日の分の顔の準備をして、ベッドに潜り込んだ。


 明日もまた、待ち合わせだ。

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今日も待ち合わせ 木本雅彦 @kmtmshk

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