運命の人の心が見たい

小鳥遊 蒼

運命は非科学的ですか

 わたしはとうとう出会ってしまった。


 完全に油断していた。と言ってしまえばその通りなのだけれど、目が吸い込まれるように、という表現がしっくりくる状況だった、と後になってから考えればそう思えた。

 視線を感じたような気がして、何気なくその方向に視線を走らせると、一瞬だけ、本当に一瞬目が合った。

 その視線は、すぐにそらされてしまったけれど、その一瞬でもを確認するには十分だった。

 あまりの衝撃に、初対面にもかかわらず、思わず言葉が溢れてしまった。


「わたしの運命の人」


 その時、その場に他の人はいなくて。おまけに、あまりにまっすぐ言っていたものだから、その人は振り返ると、呆気に取られているような表情を浮かべていた。


「……新手のナンパか何かですか」


「え……あ、すみません! 失礼しました」


 しまった、と思う間もなく、わたしは逃げるように急いでその場を去った。


***


 わたしは人の心が見える。

 というのは言葉通りの意味で、対象が何を考えているのか、言葉としてことができた。

 それは、物心ついたときからそうだったので、わたしにとっては日常だ。


 人の心を見る方法は、それはとても簡単なこと。“目” が合えばいいだけなのだ。

 だから、ある程度ことをコントロールすることができる。————と、今では簡単に言っているけれど、慣れるまでには苦労もあった。

 それまでは、人の目を見て話すことが苦手だったし、だから人の顔もなかなか覚えられずにいた。

 もちろん今は克服して、見たいときにしか見なくてよくなった。


 便利な能力だと思うかもしれないけれど、そうとも言い切れない。

 なぜなら、この能力は完璧ではない。できないこともあるのだ。


 聞いた話なので、どこまで本当かはわからないけれど、それは3つほどあるとのことだった。

 その中でわたしが気になったのは、人間もいるということ。

 母曰く、心が見えない人が現れたら、それがわたしの “運命の人” ということらしい。

 ちなみに、今のところには出会っていない。



 そもそも運命の人とは何なのか、文学部よろしく国語辞典を引いてみる。


 ————めぐり合わせ。転じて将来————


 うーん…余計にわからなくなってしまった。

 とりあえず、今のわたしにわかることは、運命の人に出会えたときに、ちゃんと気付けるよう、努力するということだ。とどのつまりは、成り行きに任せるということ。


 とは言いつつも、ここ数年、なるべく人の心には触れないようにしていた。

 見ても自分にとっていいことばかりではないからだ。

 知らなくていいことは、知らない方がいいと学んだのだった。だから、もしかするとわたしは “運命の人” を見逃していたかもしれない。そう思いながらも、いつもと変わらない日常を過ごしていた大学2年の秋の出来事だった———


***


「その人、理学部3年の天才だよ!」


 さすが、情報通の梨紅りく。この子に聞けば絶対に知っていると思った。

 けれど梨紅曰く、その人はものすごく有名人で、知らない人の方が少ないらしい。

 どうやらわたしは、その点マイノリティー側だということだ。

 そんなことはさておき、わたしが失礼なことをしてしまった彼は、瀧本たきもと 明里あかりというらしい。


「プロテクターだったか、プロバイダーだったか、よくわかんないけど、その理論? みたいなものを発見したんだって」


 その説明を聞いて、梨紅もよく理解していないということだけはわかった。


 さて、どうやって挽回しようか。

 第一印象が悪すぎる。急に見ず知らずの人間に “運命の人” なんて言われて、印象が悪いどころの話ではないかもしれない。

 けれど、本当に彼が “運命の人” ならば、ここで諦めるわけにはいかない。


 しかし一体どうすれば… そもそも学部も学年も違う彼とどうやって接点を持てばいいのか。

 1つ救いがあるとすると、キャンパスが同じということだけだ。

 けれど、広い構内の中、会うのも至難の技なわけで、結局行き着くところは同じだった。

 梨紅と別れてからも思案を続けていたけれど、考えても考えても妥当な答えは見つからなかった。


七瀬ななせさん」


「……」


「七瀬 れいさん」


「…………あ、はい!」


 思想にふけっていたらしい。名前を呼ばれていたことにも気づかなかった。

 声のする方に振り返ると、今度は言葉を飲み込んだ。自分の名前を呼んでいたのは、直前まで考えを巡らせていた彼だったからだ。


「瀧本先輩……」


「あれ。僕の名前知ってたんですね」


「あ、いえ。さっき聞きました」


 その回答に、正直だね、と笑われてしまった。


「そうだ。これ落としてましたよ」


 そう言って手渡されたのは定期入れ。

 それは間違いなく自分のもので。その中には学生証も入れていたので、なくなると大変困る。

 とは言え、落としたことすら、今の今まで気づいていなかったのだけれど。


「ありがとうございます! わざわざ…………そういえば、わたしの名前、ちゃんと読んでもらえたの初めてです」


「ん? あぁ、鈴で “れい” って読むから?」


「はい。大体、初対面の人は “すず” って読みます。やっぱり頭いい人は違うんですかね」


 その言葉に何とも形容し難い表情を浮かべたけれど、それは一瞬のことで、すぐに元の表情に戻った。

 こういう時に心を覗けたら楽なのになぁ、なんてずるい考えが頭をよぎる。

 どうにかして見えないものかと、気づけばじっと見つめていたらしい。

 先輩は視線をそらしながら、メガネをかけ直した。その仕草が何だか知的っぽくて、カッコよく見えた。


「…………この人が、」


「?」


「え…………今声に出てました?」


「はい。僕が何か? あぁ、運命の人でしたっけ?」


 少しからかうような口調で言う先輩に、自分の失態を思い出し、顔が火照った。


「いきなりすみませんでした」


「いえいえ。でも残念ながら僕は、“運命” なんていう非科学的なことは信じていないので」


「……」


 その言葉は厳しいものなのに、言い方が柔らかいからか、嫌な感じはしない。

 けれど、その中途半端さに突き放されたのかどうか、判断がつかなかった。



***



 瀧本先輩はは人気があった。

 天才と言われる頭脳だけでなく、容姿も完璧と言っていいほど整っていた。それに加えて高身長。

 物腰も柔らかく、頭の良さを鼻にかけない話し方に好感が持てるらしい。


 しかし、そんなポジティブな印象以外に、みんながこぞってことがあった。

 それは、先輩が “変わっている” ということだ。

 そう思われるのには、所以ゆえんがあった。

 先輩はたまにを連れていることがあるらしいのだ。何でもその鳥はロボットで、しかも手作りだということだった。

 理学部である先輩が、なぜロボットを作れるのか。わたしの疑問はそこに行き着いたのだけれど、誰もがその答えを持ち合わせていなかった。

 ただ、天才の彼が作ったその鳥は、飼い主に似て大変賢いとのことだった。


 ———と、ここまでが心を覗いたこと潜入捜査で得られた戦利品だ。

 その人を知るためには本人と話すことが最も効率がいいことはわかっていた。けれど、それはなかなか難しく、外堀から攻めることにしたのだ。


 しかし、あの衝撃から時間が経ち、冷静になってみると、自分がどうしたいのかわからなかった。

 自分の目的が何なのか、何を望んでいるのか判然としない中では、情報収集にも身が入らない。何となくぼんやりとした気持ちで行っていた。


 やはり、“運命の人” という漠然とした言葉がピンときていないことが原因だろう。

 将来結婚する人? それとも仕事か何かのパートナー?

 誰からも満足のいく解答を得られそうにない疑問に、わたしは頭を抱えていた。


「はぁ……」


 構内にあるベンチに腰をかける。

 力を使いすぎたことも相まって、少し休息を求めていた。


「タメイキツイテドウシタノ」


「え?」


 声が聞こえて、辺りを見回すけれど、人の影はない。幻聴かな?


「ココダヨ。ボクココ」


 やはり、声が聞こえる。その声に耳を澄まし、声が聞こえる方に視線を移す。

 声は下の方から聞こえていた。顔をキョロキョロさせると、メジロと思しき鳥がこちらを見つめていた。

 メジロと言ったけれど、メジロにしては大きいような気がする。———と、そんなことより。


「わたしに話しかけてくれてる?」


「ハナシカケテル。ボク、レイハナシカケテル」


 すごい! 話してる! カタコトだからか、ちょっとナチュラルさにはかけるけれど、コミュニケーションがとれてる!

 あれ? でもメジロって話せたっけ? 喋れるのって、インコ? とか九官鳥? とかだったような?


「君は一人? おうちはどこですか?」


 迷子だったら、おうちに連れて行ってあげないと。野生の世界は人間が思うより厳しいだろう。


「ボク、アカリノ。アカリマイゴ。ボクアカリサガス」


「あかり?」


 その名前は聞き覚えがあった。はて、どこだったかな。


「クロ、こんなところにいたんだ。…ってあれ? 七瀬さんと一緒だったの」


「瀧本先輩! この子、先輩のとこの鳥さんだったんですね」


「クロアカリノ。クロシェットノクロ」


「クロくんて言うんですか? よろしくね、クロくん」


「ヨロシクレイヨロシク」


 クロは羽を羽ばたかせた。それは何だか挨拶のようで、仲良くしてくれるサインみたいで嬉しくなった。


 ほんわかした気持ちで先輩に視線を移すと、少し睨み付けるような目つきでクロを見つめている。


「…………先輩?」


「ん? あぁ、クロの相手をしてくれて、ありがとうございました」


「いえ………………あ!」


 思い出した! と、急に大声を出したことに、先輩もクロも驚いた顔をしていた。

 そのことに申し訳なさを感じながらも、わたしはその答え合わせに走る。


「もしかして、クロくんって先輩が作ったっていう、」


「鳥型AIロボットです。それも誰かに聞きましたか?」


 何でもお見通しのように、先輩は笑った。


利口な理工学部リコウナリコウガクブ


「え…………」


 クロの発言に、一瞬静寂が訪れる。

 あまりに急なことで、その言葉が鼓膜を通過しない。

 それでも強引にそれを振動させると、その言葉の意味に気づき、わたしは思わず吹き出してしまった。


「あははっ」


 どうやらツボに入ってしまったようで、なかなか笑いが止まらない。先輩はその横で、その様子を少し驚いた顔で見ている。


「正確には理学部の方ですけどね」


 笑泣きした涙を拭いながら、お堅いながらも訂正する。所属する学部が関係するとは思わないけれど、文章の校閲は気になるのだ。


「あれ、クロくんの眼…………」


 ふいにクロの眼が光ったような気がして、その眼を凝視した。

「テレルテレル」と心なしか赤くなった頬も視界に入る。

 じっと観察したあと、先輩の方に視線を移した。こういう時の集中力はすごいのだ。わたしは他には何も見えないと言わんばかりに、先輩をじっと見つめた。


「やっぱり! クロくんの眼、先輩のメガネと同じだ!」


 興味が先走って、無意識に手がメガネに伸びる。

 しかし、その手ははじかれてしまい、そのはじいた本人が気まずそうな表情を浮かべていた。


「ごめんなさい…………」


「あ、いや…視力、ものすごく悪いんです。不意にメガネを外すと、気分が悪くなってしまうので。ごめんね」


「そうだったんですね。こちらこそ、そうとは知らず…………あ、もう1つだけ聞いてもいいですか?」


 元々悩みすぎない性格と、おしゃべりがすぎるせいで、目の前の先輩は再度目を見開いていた。けれど、すぐに口元に笑みを浮かべると、クスッと笑う声が聞こえた。


「あ、いえ。すみません。話題も、表情もよく変わる方だなと」


「あはは。よく言われます」


 そのことに、ついてきてもらえないことが多々あるわたしは、先輩に謝罪の言葉を伝える。


「謝ることではないですよ。見ていて飽きないです。それで、聞きたいことは何ですか?」


 さらっと言われた言葉に、赤面しそうになる。けれど、それを軽く手で仰ぐと、わたしは言葉を続けた。


「クロくん、わたしの名前呼んでくれてた気がするんですけど、気のせいですか?」


「クロレイヨンデル。クロトレイトモダチ」


 先輩の代わりに、本人が答えてくれた。噂に違わず、賢い子だ。

 それに、気のせいではなかったということか。

 しかし、なぜ名前を知っているのか。自分で名乗っただろうか。


 クロとの会話を思い出していると、ため息が聞こえた。


「七瀬さんが僕を認識するより前に、七瀬さんのこと知ってたんです」


「え…………」


「気になっていた人が、声をかけてくれて、しかも “運命の人” なんて言うから」


「…すみません」


「いえ、むしろ話すきっかけをくれてありがとう。

 僕、“運命の人” というものを信じてはいないけれど。君の好きな人になりたい」


 その言葉に、今度はわたしが目を見開く番だった。

 誰が予想できただろう。どちらかというと、嫌いな方の部類に入れられていると思っていたのに。


「僕と付き合ってくれませんか?」


 真っ直ぐな視線で、真っ直ぐに伝えられる言葉。

 まさか、先輩から告白されるなんて思っていなかった。

 でも、その言葉は素直に嬉しかった。心が跳ねるような心持ちだった。

 

「わたしでよければ、よろしくお願いします」


 こうして、わたしの “運命の人” との関係はスタートした。



***



「アカリノ執念コワイネ。手ニイレタイモノハ絶対ダ」


「僕はクロの方が怖いよ。せっかくの計画、ぶち壊そうとしてたよね」


「ソンナコトシテナイ。クロ、ナイスアシスト」


「よく言うよ」


「デモマサカ、ヲコンナコトニ使ウナンテネ」


「運命なんて、そんな非科学的なものは信じてないだけだよ。そんなもの、いくらでも創造できるからね」

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