最終話・また明日

静かに鳴ったその音は、その場にいた人以外は聞こえないほど小さくて、それでいて世界を揺るがすようなとても大きな音だった気がした。

ほどけた王冠がそっと時計の針を包む。世界は確実に明日へと向かっていた。


「テルミナ」は塔を見上げた。緑の帽子の下で、銀色の髪が風になびく。それは紛うことなき人間の姿だった。

久しぶりに塔の外に出たような気がした。いや、本当は一日間のことだったとしても体感時間にすればかなりの時間塔に篭りきりだったからそれもあながち間違いではないのかもしれない。

太陽は随分と傾いてしまった。赤みがかった日差しは今日の残りが少ないことを示している。それは、すなわちテルミナの大切な幼なじみの命が残り短いことを表していた。

今でも耳をすませばカチ、カチ、と規則正しい針の音が塔から聞こえてくるように思えた。

「テトラ」

テルミナが後ろを振り返る。テトラがいつも通りの笑顔で立っていた。


「『今日』は、何する?」


二人の声が重なる。テルミナが驚いたように固まり、テトラが思わず吹き出す。

「へへ、じゃあ露店通りでも巡るか?」

今日お前と私がやったようにか、とテルミナも笑う。テトラが親指をびしっと立てる。そして差し出されたテトラの手をテルミナは力強く掴んだ。

二人の姿が露店通りの雑踏に紛れる。やがて二人がどこにいるかは完全にわからなくなった。

テトラはテルミナの後をついて歩いた。繋がれたこの手がある限り二人は二度と離れることはない。そんなことはあり得ないはずなのに、そんな錯覚に陥りそうになる。

串焼きを食べた。串を放り捨てたテトラにテルミナが説教をする。

服屋を見た。随分とくたびれたテルミナのスカーフの代わりを見つけた。テルミナは今のが気に入ってるからいい、と断った。

広場で休憩した。随分眠ってしまった気もしたが、目を開けてみると数分しか経っていなかった。

「楽しかったな」

寝転びながらテトラが笑う。テルミナも思わず釣られて笑った。

「今日はな、二度と来ないからこそ楽しいんだよ」

空を見上げたままテトラは言った。テルミナが気まずそうな顔をする。テトラが空に手をかざすように伸ばす。

「俺は今日、お前と会った。お前と串焼きを食べた。お前と塔に向かった」

指を折りながらテトラが数える。

「そして今日、俺はお前とまた会った。そしてまた遊んだ」

テトラがテルミナの方を向く。

「特に今回の今日はめちゃくちゃな日だったけどさ、楽しかったよ」

テルミナがテトラを見返す。

「楽しかったんだ」

大事なことだから、ともう一度言う。テトラは本当に満足しているようだった。テルミナは首を傾げた。

テトラが立ち上がる。テルミナはその動きを目で追った。

「多分今日も俺は死ぬ。そしてもう今日は来ないで、俺がいない明日が来る」

テルミナが勢いよく立ち上がる。その勢いにテトラが微妙にのけぞる。

「それは……」

「でもそれが正しいんだ」

何かを言いかけたテルミナを遮って言う。テルミナの、もう濁っていない金色の目を見つめて真面目な顔をする。

「また明日、とはいかないと思うけどさ。またいつか、会える日が来るんだ」

確証なんてないけれど、自信満々に言い切ってみせる。ここで少しでも言い淀んだら、この目の前の不安げな親友が心配してしまうから。

夕暮れの光に照らされてテトラが笑う。

「だからさ、またいつか」

さよならとは言わない、とテトラが続ける。テトラがテルミナに背を向けた。テルミナはテトラの手を再度掴む。行くな、とその手を引く。

もう一度時でも戻しそうなその顔にテトラが思わず吹き出す。

「テルミナ、凄い顔だ」

「……お前ほどではない」

今朝、「初めて」会った時のテトラの顔を思い出したテルミナが小さく呟く。どういうことだよ、うるせぇよ、と笑いながら怒るテトラを見てテルミナも思わずつられて笑ってしまった。

「さすがに死に目は見られたくないんだよ。今までの中でも最悪な死に方はほんと最悪だったんだし」

間抜けにも程がある死に方だった、とテトラは苦笑いする。

「どんな死に方するかわかんないんだよ。そんなの見られたくないに決まってるだろ?」

日が沈みかけている。もうすぐ死ぬというのに、テトラは相変わらず笑っていた。

「……そうだな、私もそれはごめんだ」

思わず泣きそうになる。どうあがいてもテトラが死ぬ事実は変わらない。嫌でもそれを実感させられて、テルミナは顔を覆った。

テトラがもう一度背を向ける。じゃり、とテトラの足が広場の小石を踏む。テルミナは顔を上げた。


「また、明日」


会えるはずはない。それでも精一杯普段通りの日常のように振る舞うテトラ。彼の精一杯の笑顔に応えるように、テルミナもまた精一杯できる限り笑う。

「また、明日」

テトラが手を振って去って行く。この日が沈みきり、月が真上に来る頃にはもう彼はこの世のどこにもいないだろう。

日が沈む。テルミナはその場に座り込んだ。まだ笑顔は張り付いたままのはずなのに、涙が止まらない。

テルミナはやっと、彼を見送ることができた。


古びてはいるが綺麗な扉が静かに開いた。多少軋んだ音がする。

小さな簡素な家。長らく留守にしていたような気もしたが、埃一つ積もっていない。

長く長く家には帰っていなかったが、それは全部「今日」の出来事なのだ。

ベッドに潜り込む。真上に昇ったはずの月は雲に隠れ、外は既に完全に暗くなっていた。

ゆっくりとその金色の瞳が閉じられる。


日が昇る。

鳥が鳴く。

晴れ渡った空に照らされて室内が明るくなる。

テルミナはもぞもぞとベッドから這い出た。服装を整え、窓を開ける。

「昨日」とは違う空模様。

時が進んだことを実感しながらテルミナは外に出た。

いつもなら扉の前まで迎えに来る幼なじみの姿はない。テルミナは一人で塔下街の賑わう通りまでやって来た。

テトラは一体どこで、どんな風に死んだのだろうか。街の人々が噂をしていないということは、街の外で死んだのだろうか。

テルミナは勢いよく首を振りその思考を頭から追い出す。そしてすっと前を向き、活気溢れる塔下街の景色を眺めた。


「……今日は、何をしようか」

カチ、カチ、と明日へ進む音が聞こえた気がした。

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テルミナと時計の王 巡屋 明日奈 @mirror-canon27

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