第3話・時計の王
テルミナの言葉にテトラが振り返る。
「あんな感じ、って……」
そうそっくりな奴なんていないだろ、と言うつもりだった言葉をテトラは飲み込んだ。いや、飲み込まざるを得なかったという方が正しいだろう。玉座に腰掛けているその人物は、テトラにそれだけの驚きを与えた。
「て、テルミナ、じゃねぇか……」
テトラが目を見開く。ぎゅ、とテトラの手が彼の長衣を握りしめる。力を込めすぎて指先が白くなってしまっている。テルミナはその隣でじっとその人物を見つめていた。
どこか懐かしい気がする。
テルミナはそう感じた。理由はわからない。けれど目の前のその人物は、例えるならば久しぶりに実家に帰ったような、そんな感じがした。もちろんテルミナは記憶の限りでは実家に帰ったことなどないので憶測ではあるが。
「……違う」
目の前の人物はテトラの言葉をいとも簡単に、簡潔に否定した。イヤイヤでもするようにテトラが首を振る。
「いや、絶対お前テルミナじゃねぇか。俺が知ってるテルミナそのままだし」
語調は強いままだが、その声はわずかに震えていた。長衣を握る手も同じように震えている。
「だったらお前が時の神だとでもいうのか!?」
震えながらもテトラが大声で言う。その強さに隣にいたテルミナは一瞬怯んだ。
「……違う。私は、」
その人物は一旦そこで言葉を切った。馬鹿みたいに高い塔の最上階にいた、「テトラの知っているテルミナ」にそっくりな謎の人物。
「私は、時計の王」
ふわりとその人物が両腕を広げる。玉座は砂のように消え、その粒がその人の頭上で王冠を形作った。
まさしく王と呼ぶにふさわしい豪奢な冠。それは王の頭をがっちりと捕らえて離さないような、そんな形をしていた。テルミナはそれを、丁度この塔に囚われたように佇んでいたこの王に相応しいように感じた。
「時計の王?」
隣で震えたまま固まっているテトラに代わりテルミナが訊ねる。王は顔を上げてその濁った金色の瞳を見せた。
「その通り。私は時の神ではない……そのような力は、無い」
ただこの「今日」を繰り返す程度の力しか。
再度俯いた王はその両手に輝く槍を現した。左手の短い槍に右手の長い槍。それらをぐるりと回してみせる。
まるで時計の針のようだ。テルミナはそう思った。
「時の神は、どこ行ったんだよ」
「……私の知ったことではない」
何とか紡ぎ出したテトラの言葉をにべもなく叩き返す。王は優雅に回り、そしてテトラにその槍を突きつけた。
「この一日、抜け出そうとするならば……殺す」
王の金色の瞳が、濁りを忘れて鋭く輝いたようにも感じた。
テトラはうなだれたまま突きつけられた槍を避けようともしなかった。
「なぁテルミナ」
振り向いたテルミナに「お前じゃねぇ」とぴしゃりと言う。テルミナの目が若干細められる。テトラは王の方を向いた。
「なんでお前、この一日を繰り返してるんだ?」
その言葉に王の手が止まる。突きつけられた槍が静かに下がる。
「何故……か」
王の瞳から鋭さが消えた。王らしくもなく視線が泳ぐ。つい数秒までの自信など彼方へ消え去ったかのような感じがした。
「大切な者を、死なせたくなかった」
テルミナはふと気づいた。いや、思い出した、という方が正しいかもしれない。絶対に今日死ぬテトラ。誰かを死なせたくない王。そしてテトラの王の姿を見た時の反応。鈍いはずの頭の中で、全てが繋がったような気がした。
「私は、テトラを死なせなくなかった……」
思わず呟いてからテルミナは気づいた。テトラを死なせたくなかったのは自分ではなく王だ。なぜかするりと出てきたその言葉に自分でも困惑する。
その言葉に合点がいったかのようにテトラが頷く。
「でもさ、たった一人のために世界の時間を捻じ曲げるなんて悪いことなんじゃないのか?」
テトラのその悪気のない、だからこそ率直な言葉に時計の王はさらにその槍をきつく握りしめた。
自分の命がかかっているというのに。王が聞こえるか聞こえないかくらいの声で低く呟く。
エレベーターでテトラが言った通り、「その人」は優しかったのだ。ただ一人を救うためだけに世界の時間を捻じ曲げ、そしてそれを誰にも言わずに一人で背負い込もうとするほど、その人は優しすぎた。
「……い」
王は顔を上げた。
「うるさい!うるさい……私は、私はただ、」
王は頭を抱えた。王冠が鈍い光を放つ。
「ただお前を死なせたくなかっただけだ!それなのにお前は……」
お前は、と王は弱々しく繰り返した。
「……なぁテルミナ」
今度はお前の方だ、とテトラがテルミナの方を向く。
「お前は、どう思う?」
テルミナは考えあぐねた。先程は妙に冴えていたような気もするが、やはりテルミナの頭ではこんな難しいことは考えられない。
考えられない、はずだった。
「私は、悪いことだと思う」
テルミナがぽつりと呟く。王が相変わらず鋭さを欠いた瞳でテルミナを睨みつけた。
「テトラはその繰り返す時間のせいで何度も死んでいる。そもそも、その救おうとしてる本人の意思に逆らってまで救って、テトラが喜ぶとでも思うのか」
自分でもびっくりするくらいに意見がするすると出てきた。ただ、誰かに用意されていたような気はしなかった。自分の奥底に眠っていた思い、それがやっと出てきたような感じがした。
「俺もそうだ、もう繰り返すのはやめろ。例えそれで俺が死んだとしても……それがきっと、正しい世界だ」
テトラが王に手を差し伸べる。
「優しすぎるお前は、きっと俺のことに囚われすぎただけなんだろうな」
お前は悪くない、とテトラが笑う。王はその差し出された手にそっと手を伸ばした。
「……ごめん」
テトラはうなだれた王を見つめた。考えすぎたが故、優しすぎたが故の行動。それは悪いことではあったが、決して責められるようなものではなかった。
テルミナはふと自分の手が透けていることに気づいた。顔を上げて王を見つめる。
王の目的をまるで自分のことのように理解できた理由。きっとそれは、元々は同じ存在だったから。
あぁ、だからこの人のことが懐かしかったのか。
テルミナは気づいた。この王こそが自分であることを。優しすぎるが故に間違った行動をしてしまった自分のことを。
そして、心の奥底ではこの行動が望まれないもの、間違っているものだと理解していた自分のことを。
この行為を、誰かに止めてもらいたかった自分のことを。
「テルミナ、もう……」
テトラの声を遮るようにして王が立ち上がる。
「ありがとう、テトラ」
テルミナと王の声が重なる。
王の槍が回転する。それは時計の針のように少しずつ進む。
「……行こう。正常な、『明日』へ」
カチリ。針が進む音が、聞こえた気がした。
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