第55話 VTuber祭 完
「あぅあぅあ~……」
天井を見つめたまま、私は項垂れていた。
頭の中では何度もあの瞬間が再生され、そのたびに頭を抱える羽目になる。
――どうして私は、肝心なところでいつもやらかしてしまうのか。
【――引き続き、VTuber祭をお楽しみください】
イベントアナウンスの台詞を読み終え、効果音とともにマイクをミュートに切り替える。
原稿の文字をひとつひとつ丁寧に追いながら、私は噛むことなく、しっかりと言葉を届けた。 やりきったという達成感に包まれ、自然と胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
――なんだ、思ってたよりちゃんとできたじゃないか、私も。
そんなふうに密かに自画自賛していた私の背後に、控室で聞いていたアヤさんが歩み寄ってきた。
「雹夜くん、凄く良かったわよ。……ただ」
「ありがとうございます……ただ?え、何かミスしました?」
「ある意味致命的なミスね」
「え、なんですか???」
怪訝そうに私は原稿を見返す。噛んでいないし、抑揚も間違っていなかった。発音だってクリアだったはず――。
「貴方、最後に自分の名前言ってないのよ」
「……は??え???」
アヤさんは申し訳無さそうに言った。
「ごめんなさい。原稿の最後に貴方の名前を書かなかった私のミスでもあるわ」
「いやそれは……え、これ、やり直しは???」
「残念だけど……」
「ふぇ……あぅあぅあ~……」
そう、原稿は完璧に読んだ。読み間違いもなかった。
けれどVTuberとして絶対に外してはいけない、“自己紹介”を忘れていたのだ。
そう、自分の名前を伝える。それも含めてのアナウンスだったというのに……。
これじゃ、ただのスタッフの人じゃん……。私である意味、ないじゃん……。
私は深いため息とともに頭を抱えた。すると、アヤさんが少し気の毒そうに言った。
「本当にごめんなさいね。この後アナウンスする、ユートピアの子に頼んでみる?」
「……いや、いいです。迷惑になりますし……うん、もう……帰ります」
椅子から立ち上がり、アヤさんに深く頭を下げる。
「こんな私をアナウンスに誘ってくださって、ありがとうございました。とても勉強になりました」
「お礼を言うのはこちらのほうよ。あなた、ちゃんとやってくれたわ。ありがとう」
「いえ……ありがとうございます」
「報酬の話だけど、後でサキ経由で――」
「大丈夫です。ボランティアってことで」
「……本当にそれでいいの?」
「はい。もしまた機会があれば、その時はぜひ、正式にお願いできれば」
そう言ってもう一度お辞儀をして、私はアナウンス室を後にした。
会場の入り口まで戻る道すがら、何人かのスタッフさんが気づいて声をかけてくれた。
「アナウンス、すごくよかったです」
「ありがとうございました!」
そんな言葉に少しだけ救われながらも、私はまだ心のどこかで落ち込んでいた。
やってしまったと後悔をする雹夜をよそに、ステージ近くでは並ばず「誘導が悪い」とスタッフに文句を言っていた一部のファンが、急に冷静になり、スタッフに謝ると他のファンと一緒に列に並び始めたのだった。その変化は、まるで一つの波紋のように周囲に広がり、空気はみるみる落ち着きを取り戻していった。数分前まで怒号が飛び交っていた空間が、今ではまるで映画館の上映直前のような、抑えたささやき声で満たされている。
そして、その声に反応する者達もいた。
「あ!ママの声だ!」
「ほんとだ、これ雹夜さんの声だよね?」
「なんだか落ち着きますわね」
「あ、わかる。それに、なーんか耳に残るんだよね」
「ふふん!ママすごいでしょ???」
ようじょ先輩は無い胸を張ってドヤ顔で言って、二人は苦笑した。
「あれ?お兄さん……???」
「初日に挨拶してくれたお兄さんの声に似てるね」
「多分本物だ……」
「あの、ちょっと怖そうなお兄さん……?」
「そうそう」
「あのお兄さんはめちゃくちゃ優しいぜ?でも、なんでお兄さんの声が……?」
疑問に思いながらも、クロエは同期の二人とユートピアのステージに向かった。
「お疲れ様。無事に終わってよかったわ」
「ありがとうございます、アヤさん。アナウンスの件も、とても助かりました」
「いいのよ。でも、あんなに効果が出るとは思わなかったわね……」
「素晴らしい声の方でしたね。アヤさんのお知り合いですか?」
「え?えぇ、まぁそうね」
「そうですか。……ちなみに、お名前をお聞きしても?」
「紅雹夜くんよ。個人で活動してる方で、なかなか面白い人ね」
「雹夜さんですね。ありがとうございます」
「それじゃ私はこれで。お疲れ様。また今度お話しましょ?」
「はい。楽しみにしています。お疲れ様です」
「……本当に素晴らしい声でした。嫉妬するほどに」
「あぅあぅあ~……」
「……まだ引きずってるのぅ」
「うん。でもまぁ、雹くんの気持ちはわかりますよ」
「ワシも同じことしてたら、立ち直れんかもしれんのぅ。でもまあ、いつまでもくよくよしとるでない。ほれ、飲め飲め」
「……うぇぇ~……酒がうめぇ……」
「はやて丸ちゃんたちがいなくてよかったかもですね」
「うむ。こんな姿、見せられんのぅ……」
「はわわまるぅ~……」
入口で合流した“おっさんズ”に、やっぱりネタにされる。
でも、思った以上に私がダメージを受けてるのを察してか、すぐにいじるのをやめてくれて、優しくなだめてくれた。とくに、はやて丸さんとアカネちゃんは本当に優しかった。泣きそう。あの子たち、いい子だなぁ……。そのあと、二人は電車で帰路につき、残った私たち三人は近くの居酒屋で打ち上げることになった。
ビールの残りを飲み干す。……いつまでも落ち込んでいられない。そろそろ、立ち直るか。
「すみませーん! ビールもう一杯と、砂肝の串焼きください!」
店員さんに注文し、届いたばかりのビールをグビグビと飲む。
「うめぇんだなこれが……」
「いい飲みっぷりじゃのぅ」
「私も、おかわり頼もうかしら」
「サキさんも、今日はいっぱい呑みましょー」
「ふふ、そうね。今夜は飲ませてもらうわ」
おかわりが届き、三人で改めて乾杯する。
「それじゃ……皆さん、お疲れさまでした!」
「「お疲れさまでしたー!」」
カラン、とグラスの音が響き、夜は静かに、穏やかに、更けていった。
「ぬぇ」
ぱちりと目を覚まし、私はベッドの上で体を起こす。スマホで時刻を確認してから、もう一度体をベッドに倒す。……でも、一度起きるともう眠れないんだよなぁ。仕方なくテレビのリモコンに手を伸ばし、電源を入れる。隣に置かれていた、サキさんのでかぬいぐるみを抱きしめながら、ぼんやりと天気予報を眺めた。
「うーん、朝ですなぁ……」
今日はオフ。地元に帰るのは明日だし、特に予定はない。でもこのまま一日ぼーっとしてるのも、ちょっともったいないよね。おっさんは仕事だし……昨日あれだけ飲んでたけど大丈夫だろうか。そういえば、はやて丸さんとアカネちゃんは今日空いてるって言ってたっけ。誘ってみるか……。そう思っていた矢先、スマホが鳴った。
「おはようございます、サキさん」
「おはよう、雹くん。よく眠れた?」
「ぐっすりですよー。どうかしました?」
「昨日、アカネちゃんにマウスのこといろいろ聞いてたじゃない? 私はそっちは詳しくないけど、マイクやヘッドホンならわかるから、一緒に見に行かない?」
「お、それはめっちゃ興味ありますねぇ。行きましょう!」
「ふふ。それじゃ、ホテルのエントランスで合流しましょう」
電車に揺られ、私たちは東京の有名な電気店へと向かった。ネットでよく見る場所だけど、実際に来るとテンションが上がる。……人も多いけど。私はサキさんの背中にぴったりとついていく。気遣ってくれているのか、歩幅を合わせてくれるサキさんに私は心の中で感謝した。
「おお、すごい……マジでいろんな機材ある」
「ここが一番種類揃ってるんじゃないかしら。私もよく使うの」
「じゃあ、じっくり見させてもらいます」
笑いながら頷くサキさんと一緒に、私はまずマイクコーナーを物色し始めた。リーズナブルなものから、ちょっと震えるレベルの高級マイクまで、所狭しと並んでいる。――ゲーミングマイク?光るのか??頭の中にハテナを浮かべていると、サキさんが私の肩をトントンと叩いた。
「雹くん。あそこにASMR用のバイノーラルマイクがあるわよ」
「おおっと、勧めてきましたねぇ。どれどれ……」
サキさんに案内され、私はバイノーラルマイクの展示コーナーへ向かった。そこには見慣れたコンデンサーマイクもあれば、左右に耳のようなパーツがついた、不思議な形のマイクも並んでいる。
「おん? これもバイノーラルマイクってやつですか?」
「そうよ。ちょっと変わった見た目でしょ?」
「ですねぇ。ASMR配信とかって、皆こういうのでやってるんですか?」
「大体は普通のコンデンサーマイクが主流だけど、本格的な人や大手の事務所は、もっと高価なものを使ってるわね。例えば、ダミーヘッドマイクとか」
「……ダミーヘッド?」
「そう。マネキンの頭に左右それぞれマイクが仕込まれていて、実際に人の耳に囁いているような臨場感が出せるのよ」
「ほぇー、技術の進歩ってすごいっすね」
サキさんは少し照れたように笑った。
「私も一度だけ使ったことがあるけど……本当に人に囁いてるみたいで、なんだか恥ずかしくなっちゃった」
「サキさんでもそうなるんすね。どんな感覚なんだろ。ちなみにおいくらぐらいするんです?」
「えっとね……確か、○○万円くらいだったかしら」
その金額を聞いた瞬間、私は目を丸くした。
(な、なんだその値段……)
言葉にしなかったけど、心の中では叫んでいた。そりゃ事務所なら持ってるかもしれないけど、個人で所持してる人、すごすぎないか。VTuberって、音質ひとつ取っても、こんなにも格差が出るのか……と、ちょっと現実を突きつけられた気分になる。
「うーん、高い……」
「でも、それだけの価値はあるってことでもあるわよ」
「そうですよねぇ……悩むなぁ」
しばらくマイクを眺めていると、サキさんがふと首を傾げた。
「てっきり、今日は見るだけだと思ってたけど……」
「いやぁ、配信スタイル的に、こういうのあってもいいかなぁと思いまして」
「……確かに、最近ちょっとだけだけど、音質、気になってたのよね」
「えっ、マジですか? コメントじゃ誰も教えてくれなかったなぁ」
「ふふ、皆寝てるから気にしてないのかも?」
「うーん、ありえそう」
私は苦笑いする。
「サキさんは寝落ちしなくなったんですか?」
「私はもう慣れてきたの。さすがに毎回は寝ないわ」
「それはよかった。誰からもコメント来ないの、ちょっと寂しいんで」
笑いながら話すサキさんの横顔は、どこか疲れているようにも見えて、それでも優しかった。
「でもね、寝てない代わりに裏でお仕事してるから、結局コメントはできてないのよ」
「あらま……それはそれで、お疲れ様です」
「ありがとう。雹くんも、無理しないでね。でも、今日買わなくても大丈夫よ?」
「うーん……でもせっかくサキさんに連れてきてもらったし……」
「私のことは気にしなくていいのよ?」
うーん……と唸ったあと、私は一度深呼吸をして、頭を下げた。
「……すみません、じゃあ今日はやめておきます」
「うん。わかったわ。それじゃあ、次はヘッドホンを見に行きましょうか」
「ヘッドホンは流石に買おう」
「ふふ、でもあれも“沼”よ?」
「うへぇ」
結局、今日はマイクを買うのは見送ったけれど、ヘッドホンに関しては不思議とすんなり選ぶことができた。軽くて、音もクリア。おまけに予算よりも安い。これは即決だ。買い物が終わる頃には、すでに昼を過ぎていた。午前中から入ってたのに……どんだけ悩んでたんだ、私。
マイクを買わなかった後ろめたさもあって、昼食は私が奢ることにした。
「いいってば、そんなの」
「やだやだ。奢るんだい」
駄々をこねた末、ようやくサキさんも折れてくれた。その代わりに、行く店はサキさんが選んだ。私たちは人混みを少し離れ、静かに営業している小さな喫茶店に入った。
「ここ、落ち着いてていいですね」
「でしょ? 私もよく使うのよ、この辺に来る時は」
「大人だなぁ……僕も、こういう穴場のお店知りたいなぁ」
注文はサンドイッチとコーヒー。私が頼もうとしたら、サキさんも同じものを選んだ。「無理してません?」と尋ねると、彼女は「私、少食なのよ」と笑った。意外にも、私と同じだった。
コーヒーの湯気に包まれながら、しばらく無言で過ごす。やがて、私はふと、口を開いた。
「ふぅ……ところで、さ……」
言いかけて、止まる。
サキさんがこちらを不思議そうに見た。少し間をおいて、私はもう一度言い直した。
「えーと……詩音さん」
その一言に、彼女の目がぱちくりと瞬いた。
「……えっ?」
「いやぁ、今更なんですけど……外で“サキさん”って呼ぶの、まずいかなと思って」
「たしかに、そうだけど……でも、急ね」
「タイミングをずっと見てたんですけど、なかなか言い出せなくて。嫌だったらすみません」
「……ううん。嫌じゃないわ。雹くんが、私のことを考えてくれたって思うと……嬉しい」
彼女の言葉に、私はホッとした。
「気持ち悪いとか言われたらどうしようかと」と言うと、彼女はクスッと笑った。
「でも、慣れないわね。ちょっとだけ、照れくさい」
「慣れていきましょ。じゃあ……詩音さん」
「ふふ。……それじゃ、私も雹くんの本名で呼んでもいいかしら?」
「いやいや、僕は有名じゃないから。大丈夫」
「あら、これから有名になるわよ?」
「ないない」
笑い合いながら、私たちはコーヒーを口に運ぶ。
時間が、少しずつ溶けていくのを感じていた。こんな穏やかな時間が、もう少し続けばいいのにな――そんなことを思いながら。
夜。風呂に入り、晩ごはんを済ませた私は、モニターで配信のアーカイブを流しながらSNSをチェックしていた。はやて丸さんやアカネちゃんが投稿した、VTuber祭の感想ツイートに「いいね」を押し、他の参加者の投稿も眺めていく。
どれもこれも、「楽しかった」「また来たい」という言葉ばかりだった。中にはちょっとしたトラブル報告もあったけど、大きな問題にはならなかったようだ。いろんな人の感想を見ながら、私の中にも一つだけ、シンプルな思いが湧き上がる。
「あぁ、楽しかった」
それだけだった。そのままモニターの前でぼんやりしていた私は、知らぬ間に眠っていた。
翌朝。2日間お世話になった部屋に一礼して、私はチェックアウトの準備を整えた。フロントで鍵を返し、ロビーで待っていたおっさんに声をかける。
「おはよう。今日も頼むわ」
「おぅ、おはようさん。んじゃ行こうかのぅ」
そうして、車で空港へ向かう。
窓の外を眺めながら、私は考えていた。
会場にいたあの人たちも、きっと今日からまた、日常に戻っていくんだろう。
私も、そろそろ自分の場所へ――。
「――あっ、お兄さん!」
空港に到着してすぐ、私たちはクロエちゃんと合流した。彼女もVTuber祭に参加していた一人で、前日に「帰りの便が一緒っす!」と連絡をくれていたのだ。
「クロエちゃん、おはよう」
「おはようっす!」
続いて、おっさんも挨拶する。
「今日は一人かのぅ?」
「えっと、一応姉と一緒に……あっ!」
その瞬間、遠くからクロエちゃんの姉がものすごい勢いで走ってくる。おっさんと姉の攻防戦が始まり、私とクロエちゃんはその様子を笑いながら見ていた。その後、お土産屋さんで家族へのプレゼントを選び、おっさんと別れを告げる時間が近づく。
「また来るよ」
「おう。いつでも帰ってこい」
おっさんの目が少し潤んでいたのを、私は気づいていた。
だから、私は笑う代わりに、そっと彼の胸を軽く叩いた。
帰りの飛行機でも、運良くクロエちゃんと隣の席になった。
機内で並んで座りながら、ふたりで話す。
「楽しかったですね、VTuber祭」
「うん。ほんとに」
「また来たいっすよね」
「来るよ」
「え?」
「約束したから」
きっと、この3日間を、私は忘れないだろう。
そして、いつかまた――。
「でもルール的に二回目は難しいんじゃ……」
「だよねぇ」
いつかまた、ね。
24歳、男性。Vtuberを始めるも、女性ファンより男性ファンが多い件について。 Rabbit Queen @AriaRizeRain
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