超並列のサンタクロース
月ノ瀬 静流
超並列のサンタクロース
これは、僕がまだサンタクロースからプレゼントを貰える歳だった頃の思い出――。
商店街がイルミネーションに彩られ、クリスマスソングで満たされると、僕の家には一通の電子メールが届く。
Were you good boy this year? (今年、いい子にしていたかな?)
What would you like for Chiristmas? (クリスマスには何が欲しい?)
Sincerely yours (心を込めて)
Nicholas (ニコラス)
サンタクロースからのメールだ。
父や母が子供の頃は、クリスマスの前になるとサンタクロースから手紙が届いたそうだ。だから、街中でその年一番初めのクリスマスツリー見つけた日から、父は毎日欠かさずにポストを覗いたという。
しかし最近では、世界中の子供たちに手紙を出すのはサンタクロースも大変なので、メールが使える地域ではメールの一斉配信になった。
そう父が教えてくれた。
このメールに関して僕が覚えている一番古い記憶は、四歳か五歳か。たぶん、そのくらいだったと思う。
冬のある日、父がパソコンの前に僕を呼んだ。そして、お前宛てにメールが来たぞ、と言ったのだ。子供の僕にメールなんて初めてだったから、ものすごく驚き、期待に胸を弾ませた。けれどこのメールを見てがっかりした。英語だったからだ。その頃の僕は、やっとひらがなの自分の名前が分かるようになった程度で、英語なんて読めるはずもない。
こんなの読めないよ、とむくれる僕に、父は笑いながら和訳してくれた。
サンタクロースは英語圏の人ではないけれど、母国語では日本人には読めないだろうから日本の子供たちには英語で書くのだと父は言った。だったら、サンタクロースは英語じゃなくて日本語を勉強すればいいんだ、と口を尖らせたら、お前が英語を勉強したらいいだろう、と父に怒られた。
更に困ったことに、サンタクロースへの返事は英語で書かなくてはいけないという。
大変なことになった、と僕は思った。けれどプレゼントは欲しかったので、父に教えられるままに一本指でパソコンに文字を打ち込んだ。
僕は、送信者〝Nicholas〟のメールに返信した。
父が〝Nicholas〟を〝にこらす〟と読むので、なんで〝サンタクロース〟じゃないのと尋ねたら、日本では〝サンタクロース〟と言っているけれど、本当は〝聖人ニコラス(St.Nicholas)〟が正しいのだと教えてくれた。それが日本人には〝サンタクロース〟に聞こえるのだと。僕は自分がとても賢くなったような気がして胸がどきどきした。
ものすごく遠くの寒い国で、僕のメールを読んでくれるサンタクロース――Nicholasという名のおじいちゃん。絵本の中の、お話の人じゃなくて、ちゃんと名前があってメールもくれる優しいおじいちゃん。英語の勉強はできても日本語はできない困ったおじいちゃん。
本当は、欲しいものの名前を書いただけのメールじゃなくて、ありがとう、とか、寒くないですか、とか、僕の気持ちをたくさん書いたメールを送りたかった。でも、そのときの僕には単語一つが精一杯だった。父に代わりに書いてほしいと頼んでも、父は大きな手で僕の頭を撫でるだけだったから。
それから僕は、毎年のように父と討論を交わした。
〝サンタクロースはどのようにして世界中の子供たちにプレゼントを配っているのか〟
この命題についてだ。
クリスマスイブの日に、たった一人で世界中の子供たちにプレゼントを配るサンタクロース。この超人的な偉業を成し遂げる秘策とは何か。
まず、子供たちの正確な名簿が必要だ。それも毎年更新しないといけない。去年の名簿そのままでは駄目だ。引っ越した子の住所は書き換えなければいけないし、その年に新しく生まれた赤ちゃんは付け加え、大人になった人は名簿から外す。この作業はクリスマス直前ではなく、日々コツコツやらないと間に合わない。何しろ世界中の子供の名簿なのだから。サンタクロースは夏の間だって休めないのだ。
そして住所と地図と照らし合わせて最短経路を算出する。できるだけ一筆書きにすると効率がよいのだと父は教えてくれた。なにしろクリスマスイブの一日だけで世界中を巡らなくてはならないのだ。急がなくてはいけない。
たった二十四時間しか余裕がないなんて大変だよね、と言う僕に、父は意地悪く笑い、本当に二十四時間かな、と謎掛けをした。きょとんとする僕の前で父は地球儀を回す。クリスマスイブの日は一日だけだけれど、日本でイブを過ぎても他の国ではまだイブの日の場所もあるんだよ。まぁ夜にしか配れないから同じかな。そう言った。
ある年、僕と父は、サンタクロースが家を一軒一軒、訪ねていったのではとても間に合わないことを計算で証明した。僕の町ですら一晩で回りきれないのだ。
そこで、サンタクロースは地上に降りることなくプレゼントを配るのだ、という仮説を立てた。外国の大きな畑でヘリコプターが薬を撒く映像を見たからだ。
つまりサンタクロースは煙突から入ってくるのでなく、上空から煙突に向かって正確にプレゼントを打ち落とすのだ。サンタクロースのソリは、人工衛星のように地球の周りをぐるぐる回り、少しずつ緯度をずらしながら世界中にくまなくプレゼントを降らせていく。
父はクリスマスツリーからサンタクロースの飾りを外してきて地球儀の周りを巡らせた。僕はなんだか楽しくなってきて、空飛ぶサンタクロースをじっと見ていた。すっかり観客になっていた僕に、父はおい、と声を掛ける。何かと思ったら、地球を自転させろと言う。僕は地球儀を回す。世界中の国をサンタクロースが見守っていた。
それから僕と父は具体的な飛行をイメージした。
人工衛星のように回るなら、高度は一定に保ったとして、一万メートルもあれば充分だ。世界一の山の高さが八千メートルちょっとだからだ。物体の少し外側の円周というのは、元とした物体の円周より僅かに長いくらいですむ。だから地球の円周より少し長い距離を走るだけでソリは地球を一周できる。そんなに大変なことではない。そのときは、そう思った。
しかし数年後、僕と父はその方法でも時間的に厳しいという計算結果を出した。
一晩で世界中を巡るためには、どのくらいの速度で地球を回ればよいのかを計算したところ、光速でも足りないのだ。トナカイは光の約三十倍のスピードで走らないといけない。
だから僕は、トナカイの鼻が赤いのは皮膚がすり切れるまでニュートリノをこすりつけられたからだ、とでたらめな理屈をひねり出した。何故ニュートリノなのかというと、ちょうど名前を覚えたばかりの、魔法のようといわれる物質だったからだ。
父は大真面目な思案顔を作り、それから、にやりと笑って言った。ものが前に進むためには後ろに何かを放出しなければならないんだよ、と。
僕と父は顔を見合わせ、同時に笑い出した。
何かを放出、って、後ろに出すものなんか決まっている。
その年から僕と父の間では、赤鼻のトナカイはニュートリノのおならを出す特別な種類のトナカイで、サンタクロースは鼻栓をしてソリを運転しているということになった。
またある年、頭にちらほらと雪を降らせ始めた父が、子供のように目を輝かせ、分かったぞ、と叫んだ。今までの議論を根底から覆すような素晴らしい真理を見つけたというのだ。
曰く、子供たちにプレゼントが届く日はクリスマスイブでなくてはならないが、サンタクロースがプレゼントを配る日はクリスマスイブでなくてもかまわない、ということだ。つまり、宇宙空間にプレゼントをセットしておいて、クリスマスイブちょうどに落下するように仕掛けておくのだ。
僕もこれには目から鱗が落ちた。
ただ、僕は何年も前から気づいていた。
煙突の位置と子供たちが寝ている場所は、ほとんどの場合、一致しない。僕の家の場合は煙突がないので代わりにお風呂場の窓を少し開けているのだけれど、僕の布団に辿り着くためには方向転換が必要だ。しかし自由落下するプレゼントにそれは不可能だ。また安全性に問題がある。プレゼントの自重に重力加速度が加わるのだ。隕石と同じくらい危険になる。
けれど僕はそのことを言わなかった。
なぜなら、父がこの討論の締めくくりに決まって言うこの言葉の意味を、理解できるようになっていたから。
〝まぁ、本当のところ、並列処理するしかないんだけどな〟
そして今、僕は超並列処理のサンタクロースの一人となって、息子の枕元にプレゼントを置く。お気に入りのぬいぐるみを抱いて眠る息子がサンタクロースの秘策に気づくまでには、まだまだ何年も時間がかかりそうだ。
妻が寝顔に愛しげな眼差しを贈り、息子の布団を優しくかけ直した。僕らは目配せをして、そっと部屋を出て行く。
Merry Chiristmas!
世界中の子供たちと、世界中のサンタクロースたちに――。
超並列のサンタクロース 月ノ瀬 静流 @NaN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます