赤の兄 青の弟

ハスノ アカツキ

赤の兄 青の弟

「あと一歩及ばず、か」


 雪上に倒れた赤いケープの男は悲しげに微笑んだ。右足の太もも辺りをざっくり斬られ、周辺の白い雪が赤黒く浸食されていく。


 赤の男を見下ろしながら、青いマントの男は赤い男へと剣を向けた。赤の男を斬ったであろう血まみれの剣を、今度はゆっくりと赤い男の首へと向ける。切っ先を小刻みに震わせた剣は、それでも狙いを外すことはない。青の男は今にも泣き出しそうにしている。悲しみの中に悔しさや恐れを瞳に宿し、青い男はただただ剣を構えるしかないようだった。


「初めて俺に勝ったな」


 赤の男は優しげな柔らかい視線で首元の剣に視線を注ぐ。青の男の方は苦悶の表情を浮かべ辛そうに首を横に振る。


「まだ勝ってなんかいません! 僕は剣を使う兄さんに勝ちたかったのに」


 青の男は憎々しげに雪の上に投げ出された銃を睨みつける。銃口が折れ曲がり使い物にならなくなった銃は、兄さんと呼ばれた赤の男の右手からこぼれたようだ。兄の腕では僅かに届かない距離にある。


「銃の方が剣より遥かに強いさ。剣を使う俺よりももっと強い俺に勝ったってことじゃないのか」

「銃じゃ駄目なんです。僕にとって剣を使う兄さんが憧れだったのに」


 弟である青い男は聞き入れたくないとでも言うように叫ぶ。


「兄さん戻ってきてください。僕はまた兄さんから剣を学びたいんです」


 弟の訴えかけるような真剣な眼差しに、兄は目を反らすことしかできない。逃げるように視線を漂わせた後、困ったように弟の左肩を見つめた。白い服に滲むような赤い筋が入っている。


「その肩、痛むんじゃないのか? 銃だと痛み方が剣とは違うだろう」

「痛みません。兄さんが剣を捨てたと知ったときは体中が引き裂かれたように感じましたから」


 とめどなく血を流しながら弟は負傷した左手も右手に添え両手でしっかりと剣を握る。それでも剣の震えは止まらない。静まり返った空気の中で、剣と籠手が震える音が重なり響く。


 そっと、兄は首に狙いを定めた剣先を支えるように手を添えた。剣の震えがなくなり音が消える。


「鍛錬の賜物だな。ご褒美だ」


 兄はそのまま喉に刺さる寸前までぐっと剣を持ってくる。

 弟は声にならない叫びをあげるも、兄は慈しむような目で弟を見つめる。


「小さい頃は剣の練習もろくにしなかったいたずらぼうやが、そこまで剣に入れ込むとはな」

「ずっと兄さんに勝つことが目標だったんですよ。流れるような無駄のない剣運びに憧れていたのに」


 兄は何も言わないものの内心喜んでいるのか口角が微かに上がる。対して弟は悔しそうに唇を噛み締めた。


「どうして兄さんは剣を捨ててしまったんですか。剣も家族も故郷も捨てて銃の国に行ってしまうなんて」


 弟は目の前の森を憎らしげに見遣る。若い木々からなる森は、奥へ向かうほど樹齢の長い大きな樹木が待ち構えている。不気味さも感じるような薄暗いその森を抜けた先に銃の国があった。


 兄も頭上の若い木々を寂しげに眺める。


「この国はもう俺が好きだった国じゃない。ここだって小さい頃は銃の国との境が分からないくらい木々があふれていた。川だって澄みきっていたし、空だってどこまでも青かった。それが今じゃあ木を切り川を濁らせ空は煙で覆われた」

「銃の国だってそうじゃないですか。科学が進んで今は落ち着いたかもしれませんけど、昔はあの国だって同じことをしていました。僕たちはそれを追いかけているだけです。いずれこの国も落ち着けば森も川も空も全て取り戻せます」


 弟は振り絞るようにゆっくりと声を発した。

 兄は宥めるように、だが冷たい声色で応じる。


「そうかもな。だが俺は自分の目で自分の慣れ親しんだ故郷が失われていくのを見たくないんだ」

「そんなの逃げているだけじゃないですか」

「だから俺を斬るのか」


 兄の問いかけに弟が息を飲む。だが、剣を動かす気配はない。


「どうしても、戻ってきてくれないんですか」


 探り合う兄弟の視線が、一瞬だけ重なる。


 永遠に思える刹那の後、兄は失望のような安堵のような白いため息を吐く。


「面白いことを教えてあげよう。銃の国では国境をずっと見張る銃兵がそこかしこに潜んでいる。一定時間以上、国境を侵略した者は標的にされるんだ。剣がちょっと境を出ているだけでもその所持者が狙われる。そして」


 兄は剣を持つ右手に力を入れて、左手で首に向けられた剣を軽く叩く。


「この辺りに、まさに国境があるんじゃないのか?」


 弟は反射的に剣を引く。


 その隙に兄が転がり込むように木の後ろへ回る。


 兄弟は木を挟んで向かい合うような形になった。


 兄は叫び声のような怒っているような高笑いを森に響かせる。


「根こそぎ木を切ったよな、俺の故郷は。おかげで境目が分かりやすくて命拾いしたぜ。木が、森が、この国全てが俺を守ってくれる。俺がこの森を思う気持ちに森が応えてくれた!」


 兄が感謝を伝えるように、目の前の木を撫でる。弟は剣を構えてはいるものの、銃兵を恐れてか兄に向っていくことはしない。睨むように兄を見つめるだけだ。


 ふっと、兄は優しい微笑みで弟を見つめる。


「お前は俺を斬ろうとはしなかった。俺も同じだ。俺が国境の話をしなければお前は剣を引くこともなく撃たれていただろう。でも俺も見殺しになんてできなかった。お前が俺を大事に思っているように、俺もお前を大事に思っていることは分かってくれ」

「だったら、戻ってきてください。兄さん」


 兄の心を探るように、弟は切実な眼差しを兄に向ける。だが、兄は首を横に振る。


「お互いに進む道は違うけど、お前のことだけはいつまでも大事に思っている。達者でな」


 兄は弟の姿を焼き付けるようにじっと見つめ、ゆっくりと背を向ける。


 そして、森の奥へと歩み出す。


「待ってください、兄さん!」


 叫ぶなり弟は兄へと走り出す。


「バカ、こっちに来たら――ッ」


 弟が兄を後ろから抱きかかえるようにしがみつく。


 同時に兄は振り向きざま、森から出るように全身で弟を押し出す。


 そのまま兄弟が折り重なって雪に倒れ込む。


 兄弟の呼吸だけが聞こえる雪景色の中、兄が苦しそうな呻き声を上げた。


 弟はすぐさま起き上がり兄の負傷していた右足を見遣る。弟に斬られていた右足を軸にしたようで、先ほどより流れ出る血が多くなっている。


「ごめんなさい、兄さん! 痛みますか?」


 兄は焦点の定まらない視線で弟と目を合わせる。


「いや……平気だ。お前、無茶ばっかりしやがって」


 兄は観念したようにだらりと手足を投げ出した。ぼーっと曇った冬の空を見つめながら大きく白い息を吐き出す。


「お前、分かっててわざとやっただろ」


 兄は冗談交じりに怒ったような表情を弟へ向けた。


「兄さんが僕を死なせるようなことはしないってことですか? さっき自分で言ってたじゃないですか」

「違う。国境が今の森の境と一致していないってことをだ」


 兄の言葉に弟が一瞬目を丸くする。やがて、合点がいったようにくすくすと笑い出す。


「気付いていたんですか」

「いや、お前が俺にしがみついてきたときは気付いていなかった。だから咄嗟にお前を森から出さなきゃって思った。俺が間に合ったから銃兵がお前を撃たなかったのかもしれない。だけどな」


 兄は上半身をむくりと起こして森の木を見上げた。


「森の始まるところ、他の木と比べて妙に若過ぎないか?」

「兄さんなら気付くと思っていましたよ」


 弟はにこにこと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「若い木だけがあそこにあるなんて自然にそうなったとは考えにくいよな。徐々に若くなるならまだしも、他の木と比べても樹齢が急に若い感じがするし。そうすると考えられるのは」


 言葉を区切った兄は自分の考えを確かめるように小さく頷いた。


「植えたってことだ。人工的じゃないとああはならない」

「そうです。そして植えたのは勿論――」


 兄弟の視線がぱちりと重なる。お互いに自然と笑みがこぼれた。


「僕たちの故郷も悪くないでしょう」

「ああ、俺もまた剣を持ち直すことにするか」


 弟は感極まったようで言葉をつまらせながら大きく何度も頷く。


「兄さん、帰りましょう」

「ああ。肩、貸してくれ」


 弟が右肩を貸すとほんの少し兄はうめき声を上げる。


「すぐに治療してもらいますから、頑張ってください」

「ああ。治ったらまた剣の修行だな」


 そういって兄弟は森を背にして歩き始める。雪上に残ったのは寂しげに黒光りする銃と兄弟の足跡だけだった。



 了

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