5分間の疾走

月波結

5分間の疾走

「あのぉ、考えすぎないで聞いてほしいんだけど」

 その時にはまだ理性があった。

 教室掃除の子たちが帰っていって、残ってる子は疎らだったし、ちょっと、ほんのちょっとチラつかせるだけでいいんだって頭の中で考えてたから。

 毎日、想いを募らせてたらそのうち窒息しちゃうんじゃないかってずっと思ってて。

「なに?」

「いや、あのさ、森ってすきなひととか、つき合ってるひととかいないんかなぁと思って」

 すぐ隣の席でいまにも帰ろうとしていた森は、動きを止めて機械仕掛けの人形のようにギギギとわたしを振り返った。

「いないけどなんで?」


 ドキーッ!


 やっぱりそうなるよね。なんでそれをわかってて軽はずみに聞いちゃったんだろう? 心臓がバクバクして、息が苦しくなってくる。


「いや、あのさ、森のことすきな子がいるんだよ」

「……いないだろ?」

 なんだかムカムカしてきて、思わずムキになった。そんなつもりじゃなかったのに!

「いる。わたしがすきなの! じゃあまたね!」

 カバンを手にすると、すごい勢いで教室から飛び出した。森が呼んだ気がしたけれど、森の方が入口より遠かったのでわたしはとにかく走ることでしか解決できないような気がしていた。


【1分後】森

 ちょっと待て、とは言ったものの、追いかけるべきかどうか――。

 とりあえず考えるのは得意じゃないので、少し考えて高木の走っていった方向に全力で走る。

 あいつ、けっこう足速い。そういえば中学でバスケやってたんだっけ。

 俺だってそんなに女子より遅くはないと思うんだけど、とりあえずカバンは重い。あいつは重くないのか? ご丁寧に特別教室棟まで逃げていくとは!


『わたしがすきなの!』


 というのは聞き間違いにちがいない。とりあえずそれを確かめないと。それにはあいつを捕まえる必要がある。




 大体、おかしいだろう? あいつが俺の彼女のことを知りたいなんて。明らかにいそうにないのに。俺なんていまもまだ高木に追いつかないくらいひょろひょろで間抜けな男なんだ。高木だってそれくらいわかってるはず。


 あれだ、夏目漱石の小説で言うなら『うらなり瓢箪』。美肌になりそうなくらい色も白い。成績だってパッとしないし、なにかの役員を決める時にパッと手を挙げる係はほかのやつに任せている。

 だから。

 そんな俺だから。

 だからさっきの言葉は聞き間違いで、本当はちょっとからかいたかったに違いない。

 とりあえずそれを確かめるために追いかける。カーペットの貼られた廊下は滑りそうで思うように走れないが。


【2分後】高木

 うわーっ!

 なんで追いかけてくるの!?

 その前になんで言っちゃったの!?

 絶対、叶うわけないから、絶対、誰にも言わないってあんなに誓ってたのに。

 友達にも恥ずかしくて絶対、内緒。




 だってさ、わたしなんてなんの特技も愛想もないし、外見的かわいさも内面的かわいさもない。女子としてここにいさせてもらってるだけ、みたいな存在だもん。みんなと話してたって「そうだよ」みたいな賛同するイエスマン。

 そりゃ、みんなの間で流行ればちょっとしたおしゃれをすることもあるけどそれはそれ。自分でも似合うとは思ってない。




 森ははっきり言ってパッとしない。

 暗いし、話しかけるまでなんの反応もない。擬態してる昆虫みたいなものだ。

 教室の隅に固まってる一部の「オタク」の方がなんぼかマシなくらい、ボッチだ。

 そんな森をなんでかいつも無視できずにいる。なんだかかわいいんだ。小動物みたいに保護してあげなくちゃいけないような気になっちゃって……。

 でも当の本人の森は呑気なもので、「ね」って話を振っても「そうだよねぇ」とか日向ぼっこするおじいちゃんみたいに癒しのなにかが出てるんだ。

 森は普通だ。いや暗い。でもわたしだけが知ってるけど癒し系男子なんだってこと、誰も気づいてないよね!? 

 同じように人間関係、上手く回せないわたしだからこそ気づいたんだ。




 そんなわたしに『すきな男がいる』ってことがおこがましいんだから。グループの中でも中堅を死守してるのに、みんなの笑いの的になってしまう!

 だから!

 聞かなかったことにしてよー!

 いまならまだお互いに落ち着いて話せばなかったことにできるはずッ!

 わたしみたいにかわいくない女の子に告られても迷惑なだけだよー! ごめん、森。

 だから追いかけないでー!


【3分後】森

 特別教室棟の角を曲がった階段を下りていく足音が響く。あんなに細い足であの荷物でどこに行くつもりなんだ!?

 しかもここ、3階だし。どんだけ走らせる気なんだよ。……ちょっと待て、追うから逃げるってことはないか? こっちも全力で追うから良くないってことは――。


 却下!


 高木の言葉の真意を得るために俺は走る。走ることに意味があるってことだ。突然のことでそりゃあもう驚いたけど、それでもどうしても追いかけないわけにはいかないんだ。

 このまま知らないフリはできない。

 せっかく隣の席になったんだぜ? 奇跡かよ。

 それがこのままじゃ明日から口をきけなくなるじゃないか? 明日には全然違う顔をして「おはよう」って言う確率99パーセント確定だろう?

 俺は学校でほかに挨拶する決まった相手もいないのに――!




 止まれ! 高木!

 お願いだ! 俺はスタミナのない非力な男なんだ。そんな俺を知らないわけがないだろう?


【4分後】高木

 足には少し自信があった。中学の時、バスケをやってたから。

 このまま特別教室棟の1階まで下りきって、左に曲がれば昇降口。

 上手く行けばどこか、隠れるところもあるかも。

 と、いった油断がいつだって事故を招くのだ、と誰かに聞いた気がするが!?


 ズザザーッ!


「きゃあ!」


 最悪……。階段を下りきったところで上履きが滑って転んでしまった。

「高木、どうした!?」

 痛い、痛いという以上にまずい。

 わたしの気持ちは森に知られてしまうわけにはいかないんだ! なんとしても教室での失敗を取り返さなければ!

 運動が苦手でスポーツ大会ではいつもフェンス越しの応援部隊に入ってる森だって男の子に違いない。

 ほら、ドンドンと階段を下りる音が……!




 その時、わたしは気がついた。

 階段脇に女子トイレがあることを。

 特別教室棟のことなので失念していたのだ。

 そうだ。ちょっと、いやかなりずるい手だと思うけど女子トイレまで追いかけてくるわけがあるまい。すっと隠れれば行った方向を間違える可能性もある。昇降口に消えていくかもしれない。

 わたしは痛い足を引きずって、女子トイレに逃げ込んだ。


【5分後】森

 高木……なにやってんだよ、階段下にカバン、放り投げて。正気じゃねぇ。

 バレバレだろう? 転んで逃げられなくなって……なにも男子ご禁制の女子トイレに籠城することはないと思うが。


「高木、転んだんじゃないのか? 怪我しなかったか?」

「――――」

「言いたくないが。ここにお前のカバンがある。これを俺は物質ものじちに取ることもできる。いや、いま現在、その状況だ。だからその、トイレから出てきて話し合わないか? 俺たちにはたぶん、話し合いが必要だ」

 しーん。返事なしかよ。

 こんなところでトイレに話しかけてる変態か、俺は? そろそろこの辺に部室があるやつらも通るはず。




「おーい」

「……足が痛くて歩けない!」

「どこやった!?」

「……右足首。前にもバスケやってて捻ったことがあるの」

 まいった。これはまいった。助けないわけにはいくまい。

「ゆっくりならひとりで出られるから、あの、森はカバンをそこに置いて行っちゃって。それで、さっきのは忘れてほしい」

 気の迷いってやつか? 男なら誰でもよかったのか? ぽけーっとしてるから落としやすいと思ったのか?

 それなら言うことなんか聞くわけにいかない。カバンはその場において……その、ピンクの女子トイレに歩を進めた。




「森、ここ、女子トイレ」

「知ってる」

「……驚かせて悪かったと思ってる。でも忘れてほしいと思ってる」

「もし俺が忘れられないって言ったら?」


 しゃがみこんでいた高木は口を開けたまま、固まってしまった。そうだ、いつもの俺は長いものには巻かれる、流されやすい男なんだ。こんなことで意固地にならない。

 でもここはそういうわけにはいくまい。例え女子トイレという最悪の場所でも。

 ああ、どうとでもなれ。言ってしまうがいい――! どうせここまで来てしまったんだから。


「すきなやつがいる。これがさっきの答えだ」


 そう、と高木は途端に顔を下げて目を逸らした。とりあえずここを出さなければ。

 少女マンガでもこういうシチュエーションはないだろう。


「ごめん、変なこと聞いて」


 泣くな。トイレを出るんだ。

 嫌がる高木の脇に手を通してなんとか立ち上がらせる。悪いが力のない俺にはけっこうな重さだ。

 女の子が羽のように軽いというのは幻想だったらしい。


 なんとか引きずるようにカバンのところまで連れてきて、廊下の隅に座らせる。足首を見てやった方がいいのかもしれないが、生まれてこの方、捻挫をするほど運動をしたことがないのでどうするのが適切かわからない。


「……先に帰っていいよ。保健室に行くから」

「ちょっと待て、その前に大切なことがある。保健室にはそれから連れていくから」

「……なに?」

 深呼吸をするといいとよく書いてあるのに、緊張して息を止めてしまった。思いっきり息を吐くうちに顔が赤くなるのを感じる。


「すきなのは高木なんだよ!」


「嘘でしょう?」


「ひとががんばって告白してるのに『嘘』はないだろう?」

「じゃあ、話、合わせてるの?」


 なぜか高木の目は純粋に俺を疑っていた。疑われるようなことをしたか、俺?


「……俺、暗いし運動もできないから高木が普段、話振ってくれてみんなの中に入れること多くなって感謝してるんだよ。そういうのってすきになる理由にならない?」


「わかんない。なるかもしれない」


「高木がどういうつもりでその……俺をすきだと言ったのかわからんけど、俺は高木がすきだ。特別な意味で。本心で言ってくれたならうれしい」


 高木が俺の学ランの袖を突然小さな手でつかんだ!

 いきなりのことにびっくりする。

 女子の予測不可能な動きには即座に反応できない。


「森のことがすきだよ。やさしいし、いつでも真面目でふざけたところがないし。あのー、つき合えるかな、わたしたち」


「保健室行こうか」

 もうテレテレだ。

「なにそれ、返事ないじゃない」

 肩を貸して立たせる。こんなこと、すきじゃなくちゃできない。噂にもなるだろうし。

「もうつき合ってるよ。以上」

 それ以上は恥ずかしくて言葉は宙に浮かんだままだった。そうだ、初めての『彼女』だ。陽の光を浴びて、明日からの生活が明るくなるに違いない。

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