第4話
あれから奴とは電話やLINEで何度かやりとりをしました。私の方からは決して会話を持ちかけず、奴の方から「安城さん、安城さん」と人懐っこい感じで来るのが常でした。ただ、私も悪い気はせず、声や文面の様子から、年の近い姉離れのできていない弟のいる気分でした。
奴は何度か直接会おうと遠回しに提案しましたが、それを悉く私は避けました。一つは、奴とはそれほど仲良い関係になりたい欲求もなく、もう一つは、奴が時折醸し出すあの独特な雰囲気に当てられた時の怖れでした。理性が弾け、あらゆる欲求が暴れ出す直観がありました。この頃には、奴が持つ魔性の香りを
しかし、奴と知り合ったあの講義でついに相対してしまいました。私はそれまでこの講義だけは毎回座る位置を変え、自身の意思で会うことはないようにしました。偶然か運命かに身をまかせたつもりでした。
私ではなく、天や神がそうさせたのなら、これで心置きなく奴の魔的な雰囲気に当てられると思ったのです。そうでもしないと、あれは相手をも狂わせる類のものでしたから。
さて、その日は最後の講義だったわけですが、私が教室の左前の席に座ると、瞬く間に電気のようなものが身体を駆け巡りました。私は何かを察し、隣を見ると、そこにいたのは奴でした。
十分警戒していたつもりでした。さほど多くはない彼の情報から避けるだろう席を選びましたし、座るときに隣も注意したはずです。しかし、何という皮肉なのか、奴の髪型は勿論、服装も佇まいもあの時のままで、二ヶ月たったにも関わらず、私が記憶に留めていた奴の姿そのままが再現されていました。
そして、奴の怯えた表情が瞼に浮かんだ瞬間、私は観念しました。奴の孤独さと脆弱さが瞬く間に私の中に入り込み、同情や母性、奴を放っている世間への憤り、そしてそれらを蔑ろにしても構わぬほどの奴の鮮やかで黒々とした瞳への渇望、あらゆる感情が私の中を駆け巡り、それらを機械的に処理するよりも鮮烈に、私の眼前で「恋」という一文字が
私は冷静ではありえませんでした。奴が私を認め、口を開くより先に、二人を教室から半ば無理矢理に抜け出させました。奴の手を引っ張り、私は沈黙のまま廊下を足早に抜け、大学の隅の窮屈な広場のベンチで告白しました。
奴は戸惑っているのか暫く黙した後、優しく微笑んで了承しました。その笑みの中には高揚感や誇らしさではなく、一種の不安の陰りのようなものが垣間見えました。
こうして私と奴は付き合うこととなったわけで、奴は私にとってマーガレットになる人物であると確信していました。世間から取り残されたような奴の儚さが、私の緩やかな日々に色を一つ足してくれることを期待していました。
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