第2話

 あの男と会ったのは、大学二年の晩秋でした。退屈な講義でノートをとったりとらなかったりを繰り返してた私は、いよいよつまらなさを感じて、太宰の『燈籠』を読んでいました。他の多くの学生も、この刺激のない鈍間な時間を過ごし切るのに苦心していたようでしたから、私のこの行為自体、そこまで悪気はありませんでした。


 『燈籠』がある程度終わりにかかって次の短編にいこうとしていた頃、学生の態度に嫌気がさしたのか、陰険そうな教授先生は、不真面目な学生一人一人に質問していきました。丁度手持ち無沙汰になっていた私は、講義を纏う雰囲気の変化に気づき、すぐに板書を写し、迎撃体制に移りました。


 もう講義も最後に入り、私の努力も徒労となりかけた時、一つ空席を跨いで私の隣に位置していた一人の学生に白羽の矢が立ちました。学生は男性でしたが、いかにも不真面目そうな風貌で、明るい茶髪のマッシュヘアと痩せっぽちの身体、緩い黒のセーターを着ていました。


 その学生は私と違い、あからさまに話を聞いてなかった様で、口ごもり、何かヒントを得ようと視線は黒板の上を泳いでました。しかし、先生の意地悪なのか答えのある板書は既に消してありました。学生はもう腹を括ったのか、ついに黙り込んで、訪れた台風にじっと耐える様な姿勢になりました。軽く背を丸めた姿勢で、骨の張る右手がひしと細い左腕を掴む、ちょうどそんな具合です。


 私は、心の底で奴の自己責任だと思いながら、早く空虚な時間を終えたい一心で、ノートをわざわざ答えに赤く丸をつけて、二人の間の席にずらしました。それに気づいた学生は、天啓を受けたように瞬時喜び、自信を帯びた声色で答えました。何て調子の良い人だろうと思いながら、どこかで人助けをしたような誇りたい気持ちを覚えています。


 結局のところ、その学生が今や憎き「奴」なのですが、恋をしていた頃は、あの出来事を何か運命じみたものとして感じていました。さも、天が与えた窮地に、啓示を受けた様に私が行動したのだと。しかし今となってみては、それが全くの偶然と気まぐれによるものだと確信しています。仮に運命だとしても、それは悲劇的な意味合いでしかないでしょう。

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