後編

 私は優雨くんと付き合い始めた経緯や今日の出来事を話した。晴希くんはただ静かに相槌を打ちながら聞いてくれた。


「そっか、それはつらいよな」


「うん……」


『もういいよ』


 彼の冷たい声を思い出したら胸が潰れそうになった。

 晴希くんは、そんな私の頭をそっと撫でてくれた。父親以外の男の人に頭を撫でてもらうなんて初めてで、何だかくすぐったいけれど暖かい。


「話してくれてありがとう。頑張ったね——」


 そこで晴希くんの言葉を遮るように携帯電話の着信音が鳴った。


「ごめん、電話だ。ちょっとだけ待ってて」


 晴希くんはまたスマホを取り出して立ち上がった。


「あ、うん」


 彼はそのまま公園の入り口まで行って話し始めた。離れていて話の内容は聞き取れなかった。

 一分も経たずに彼は戻って来た。


「お待たせ。話の途中だったのにごめんね」


「ううん、大丈夫」


「何だろう……人の気持ちって、よくわかんないよね」


「うん……」


「やっぱ付き合うって大変だなー。まあ、俺はまだ経験ないんだけどね」


「嘘でしょ? 晴希くんすごくモテそう」


「いやー、告白されたことは何回かあるんだけど、俺は好きな人としか付き合いたくないんだ」


「へえ……」


 かっこいい上に誠実なんだなと思った。

 晴希くんに好きになってもらえた子は幸せだね、と言ったら笑われてしまった。


「ところでさあ」


「ん?」


「美雨ちゃんは、本当は彼にどうしてほしかった?」


「えっ……?」


 私は唐突な質問に驚いて晴希くんの顔を見た。


「せっかく好きな人と付き合えたんでしょ? したいこととかしてほしいこと、あったんじゃない?」


「うん……」


 私は改めて今日の出来事を思い出した。


「たこ焼きを、買ってくれたの。だけど、一個食べてから彼にもあげようと思ったら、いらないって」


「うん」


「人がいっぱいではぐれそうなのに、一人で先に行っちゃって待ってくれないし」


「うん」


 思い出すたびに胸が詰まっていく。


「浴衣着てきたのに、何も言ってくれないし。だから、だから……」


 あ、泣きそう、と思ったけど溢れ出した言葉は止まらない。


「手を、繋ぎたかった。一緒に歩いてほしかった。同じものを食べて、笑い合って……」


 言葉と一緒に熱い涙がぽろぽろと零れていく。


「そうだ、私、優雨くんに好きって言ってもらったこともないや……」


 だからずっと不安だった。本当に好きで付き合ってくれたのかなと思い始めたら悲しくてどうしようもなくなった。


「そっか……」


 晴希くんは私の頭をぽんぽんと優しく撫でてくれて、


「でもね——」


 ゆっくりとベンチから立ち上がった。


「兄さんはちゃんと、美雨ちゃんのこと好きだったよ」


「えっ——」


 兄さん?

 どういうこと? と聞き返す前に晴希くんはもう歩き出していて、代わりに——


「逢坂!」


 振り返ると、息を切らしてそこに立っていたのは。

 晴希くんとそっくりな顔を持つ、でも黒い浴衣を着た男の子。


「優雨、くん……? 何で——」


「ごめん!」


 何でここがわかったの? という私の言葉は駆け寄ってきた彼の声にかき消されてしまった。


「ごめん、俺、逢坂の気持ち考えられてなかった。付き合うとか初めてで、手の繋ぎ方とかわかんねえし、浴衣姿かわいすぎて直視できねえし」


(か、かわいい!?)


「たこ焼きは……俺はタコ苦手だから無理だけど、お前は食べたいって言ってたから……」


 確かに、夏休みの補習の帰り、優雨くんをお祭りに誘ったときに言った気がするけど。

 そんな些細なことまで覚えてくれていたの?


「俺、ずっとこんなんで、自分の気持ちとか伝えるの苦手で……でも、み、美雨のこと、ちゃんと好きだから……だから、別れるなんて、言うな……」


 そして初めて優雨くんの口から零れた『好き』と、私の名前。

 私の心臓はドクンと音を立てた。

 はっと顔を上げると、優雨くんは恥ずかしそうな泣きそうな、うまく言えないけど初めて見る表情をしていた。そして優雨くんの顔と耳は真っ赤だった。それを見てしまった私の鼓動はさらに加速して……そして思い出した。




 あれは五月の中ごろだった。

 現代文の教科書を忘れてしまったことに授業直前に気づき、焦っていたとき。


『これ、使えよ』


 隣の席に座っていた優雨くんが、持っていた教科書を私の机にぽんと置いた。


『えっ、でも、倉科くんが——』


『先生、教科書忘れましたー』


『仕方ないな、隣に見せてもらえ』


『はい。……ってことで、見せてくれない?』


『うん……』


 授業が終わってからお礼を言ったら、


『別に、大したことしてねえし』


 とだけ言って机に伏せちゃったんだっけ——。




 そっか、優雨くんってそんな人だよね。

 無愛想に見えるけど、実は困っている人を放っておけない、とっても優しい人。

 ただ不器用なだけで、本当は私のこと、好きでいてくれたんだ。


「ありがとう、優雨くん。すっごくうれしい……」


「あ、ああ……」


「私もごめんね。これからは思ってることちゃんと言うね」


「おう」


 私はやっと涙を拭って笑うことができた。

 だけど一つ気になることがあって……


「ところで、優雨くんと晴希くんって、知り合い……なの?」


「あー、あいつは双子の弟」


「弟くんなの!? しかも双子!?」


 道理で優雨くんにそっくりなわけだ。


「そう。あいつは東高の方がサッカー強いからってあっちを選んだから、兄弟だけど別の高校」


「そうだったんだ……」


「お前のこと探そうとしたけどさすがに一人じゃ無理だったから、助けてもらった。で、見つかったって連絡が来たから電話したらあいつ、繋げっぱなしにしてとか言い出してさ」


「え……」


「そしたら、お前の本音が聞けた」


『美雨ちゃんは、本当は彼にどうしてほしかった?』


「う、嘘……」


 晴希くんに聞かれて溢れ出した、私の気持ち。


「あれ、全部聞いてたの!?」


 信じられない、と私は両手で顔を隠した。


「勝手に聞いて悪かったよ。でも、お前の気持ち聞けてなかったら俺も思い切って伝えられなかった。だから、ありがとう」


「……」


 私は恥ずかしくて何も言えなかった。恥ずかしすぎて優雨くんの顔も見られず俯いたときだった。


「「あっ」」


 これは、花火が空に昇っていく音。そして——


「わあ……」


 金色の光が空いっぱいに弾けた。一瞬遅れて大きな音が鼓膜を揺らした。


「すごい、綺麗」


 ああ、なんて幸せなんだろう。

 好きな人と見る花火って、なんて綺麗なんだろう。


「……ん」


 空を見上げる私の視界に入ってきた、大きなごつごつした手。


「えっ?」


「手、繋ぎたかったんだろ?」


「……うん!」


 差し出された手を取って、そっと指を絡めた。優雨くんは恥ずかしそうに目を逸らし、空に向き直った。

 今日は優雨くんの新しい一面を知った。まるで、もう一度優雨くんに恋をした気分だ。

 彼の暖かな手に心まで包まれて、私は忘れられない夜を過ごした。

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夏の恋の行方は 海月陽菜 @sea_moon

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