第三章「高知~東京 六時間十六分の壁」
「ちきしょうめ、野根渕の野郎調子にのりやがって」
東平署の廊下を歩きながら、河内の横で奥後知が呟いた。
「奥後知よぉ、ほんなに愛を黒にしたいがかぇ」
甲ノ浦警部が問うと、「そりゃそうでさぁ、こっちゃぁ、外画吹き替えの時代から俳優というもんを見ちょりますからねぇ」と声を荒げた。
「河内よ、こりゃぁ、出張の準備やのぉ」
「え」
唐突な警部の問に答えが出なかった。河内が頭を?マークでいっぱいにしていると、「ほやからよぇ、東京出張じゃボケカスアホンダラァ!」と警部が怒鳴ってきた。
「た、たった一人の声優炎上騒動ですよ? 事件でも何でも無いのにそんなん出張費も出ませんし、他の
「ぬわぁにを言いよる。ここまで来たら村瀬愛の東京の家周り洗うんよぇ。まず愛が黒か白か明らかにするんが、先決やと思わんがか。経費は自腹よえぇ!」
「よっしゃぁ、頼むぞ河内。オイラの
奥後知も乗っかってきた。河内は頭と同時に胃も痛くなってきた。何を言っているのだ、この馬鹿共は。もう一度問う。大丈夫か日本警察。他にやるべき事があるだろう。
その翌日、甲ノ浦警部と河内は、高知龍馬空港から羽田まで飛んだ。飛行機の中では本庁が送ってきた村瀬愛のマンションの住所を警部がタブレット端末で受け取っていた。東京都千代田区。東京駅からも近い場所だ。
羽田空港でおり、東京モノレール区間快速、JR山手線内回りで東京駅まで向かう。河内にとっては久々の東京出張であったが、東京駅を出るなり、人の群れに酔って眩暈(めまい)がした。愛のマンションは幸い東京駅から歩いて十分ほどのところにあり、周囲はアンテナショップ、鉄板焼き料理店、そして工事中の東京日本橋タワーが遠くに聳えたっていた。
「よっしゃぁ、河内、二手に分かれて聞き込みじゃぁ」
珍しく警部が張り切りながらマンションの影に消えていった。聞き込みは二人一組が良いのだが今は人手が足りない。河内はとりあえず管理人を当ってみる事にした。赤いレンガ塀で結構な高さがあるマンションだ。売れっ子のアイドル声優にもなれるとこんなところに住めるのだなと、河内は思った。
一階にあった管理人室はすぐに見つかった。中では初老の男が競馬新聞を読んでいる。河内は出来るだけ土佐弁が出ないように、標準語で語りかけた。
「すみません、こういう者ですが」
警察手帳を胸ポケットから出し相手に見せる。すると、男は焦り、
「な、なにかここで事件があったのですか?」と問うてきた。
「いえ、ちょっと聞き込みをしておりまして」
まさかアイドル声優のアリバイを地道に確認しているとは言えない。
「この女性の方なんですが、ここの住人で間違いありませんかね?」
村瀬愛の写真を見せる。一応のところ、河内は写真を二枚持ってきていた。一つは村瀬愛のホームページの写真、そしてもう一つは『土佐っ子娘』生放送時の動画をプリントスクリーンした写真である。またあえて「間違いありませんかね?」と疑問形で聞いたのも管理人に不自然に思われないためだ。
「あぁ、この女の人ねぇ。間違いありませんよ。いつもはマスクをしていましたけど、ここの住人です」
「この方はここに一人暮らしなんですか?」
「いいや、男の人と一緒に住んでいるんじゃないですかね? 二人でマスクしながら手を繋いで歩いているのを見ましたよ」
いきなりビンゴを引き当てた。河内は内心喜んだが、これがただのアイドル声優の聞き込み調査だという事を考えて項垂れた。
「それは間違いありませんね。父親や親戚の可能性もありませんかね?」
「それは無いと思うなぁ。月に一度くらいしか見かけてませんが、仲の良いカップルみたいでしたし、それにこんな言い方をしちゃぁ失礼かもしれんが、一度ね……」
「一度何です?」
「刑事さん内緒でお願いしたいのですが、その……玄関先で口づけをしているところを見かけましてなぁ」
なんという事だ。河内の心中では村瀬愛という女性の実像が、今までどこかぼやけて見えていた。映像の中とインターネットの中だけのイメージが先行していたからだ。だが、今くっきりと映し出された。羽ばたく黒い鳥が。
「では、五月一日の午後、この女性を見たりはしませんでしたか?」
「さぁ、そこまでは、あっ少し待ってください。監視カメラの記録に何かが映っているかもしれない」
さすがの本庁もここまでは手が回らなかったのか。
「あぁ、ありましたよ。えーとねぇ、これですこれ五月一日ね。あったあった」
一人の女がマンションを出ていく姿が映し出されていた。マスクをしている姿が見て取れる。監視カメラの右上にデジタル表示されている時刻を見る。そこには午前一時十分と表示されていた。生放送ラジオが始まったのが、午後一時、ブログ更新時間が午後一時二十分。
村瀬愛は黒。決まった。しかし後はあの生放送ラジオに映っている、アリバイをどう崩すかだ。だがやはり、何かがおかしい……。河内の頭に何かモヤモヤしたものが残っている。
管理人と別れ、マンションの外へ出た河内は考える。飛行機を利用しないとしたら、東京から高知の東平市までどの様な手段があるだろうか。河内はスマートフォンを出し、グーグルを開く。検索欄に「駅すぱあと」と打ち込み出てきたページにアクセス。時間を『二〇一二年五月一日』に設定し、発車時の部分には『東京駅』、目的地には『東平駅』と入れた。検索開始。
すると、飛行機を使わない手段として、『経路4』というものが出てきた。新幹線で東京駅から岡山駅まで行き、岡山駅前からJR特急南風23号で高知駅まで向かうというものだ。あとは
土讃線、ここが問題だ。ここが……と考えていると甲ノ浦警部が戻ってきた。
「おぅおぅ、腹減ったきに、まぁ、夕食でも食わんかだぁ」
甲ノ浦警部はそういうと、「ええところ知っちゅぅきに」と言い東京駅近くの店を案内してくれた。
「がっがっが! ここはこの前、非番の日ぃに東京に来てよ、嫁とここ入ったがぁよ。ここの中華は美味いがよぇ」
狭い軒先にアルミサッシの引き戸が開いており、その上の看板には『
すでにあたりはに宵闇が舞降り始める頃なので、店の中はサラリーマンでザワついていた。
「イラッシャイマセー」
と片言の日本語である中国人の女性店員が案内してくれたのは、カウンターからほど遠い、四人掛け用のテーブル席だった。目の前に熱いおしぼりがおかれると、「何ニシマショーカ」と先ほどの女性店員。
「ほやのぉ、ビールもええけんども、今日はホッピーの気分よぇ、ホッピーの黒一つ! おぅ、河内、お前は何にするんじゃ」
「じゃ、じゃぁ紹興酒を」
「おぅ! 飛ばすのぉ、ほいたら
「ハイー」と言って店員が立ち去っていく。改めて店内を見回すと、カウンターには一人で飲むサラリーマン、隣のテーブル席ではネットのオフ会でもやっているのだろうか? 聞きなれない名前で呼び合っているグループもいる。おそらくハンドルネームか何かだろう。正面席にはカップルと良い具合の賑わいをしていた。
「お酒と豆苗オマタセシマシタ」
出てきた料理を見てみると、普通の豆苗炒めと変わらない。緑色の豆苗の上に乗っているのは赤唐辛子のみじん切りである。
「まぁ、食べてみぃだぁ!」
と警部が薦めてきたので一口口の中に入れる。べらぼうに美味かった。シャキシャキとした炒め具合は抜群で、ピリリと辛い唐辛子がアクセントとなっている。少しの塩味がするが、豆苗自体の味は損なわれていない。ゴクンと飲み込むと喉元を過ぎるまで豆苗の茎の巧さが引き立ち、見事に河内の空腹を抑えいれてくれた。
「お、美味しいですねぇ」
「ほやろがだぁ! がっがっがっが!」
ホッピーに焼酎をどぼどぼと注ぎながら一気にクイッと飲みほし良い感じに顔全体が朱に染まった甲ノ浦警部が言ってきた。
「うちの嫁もここの豆苗炒めは大好きでのぉ!」
紹興酒も美味い。口に含むとほんのりとした甘みが広がり、豆苗とよくあった。
「麻婆豆腐オマタセシマシター」
河内が豆苗を食べ終わらないうちに次の料理が運ばれてきた。これも美味だった。一般の中華料理店の麻婆豆腐は辛いのが苦手な、河内の口には合わないのだが、この店のものは日本人向けに作られているのか、マイルドだった。絹ごし豆腐が舌の上でトロリととろけて、ひき肉やネギと混ざり合ったものを紹興酒で流し込む。
「しかしトラベルミステリの主人公共はええのぉ。行く先々でご当地グルメが食えて。ページ数稼ぎのために! 俺も
と、甲ノ浦警部は、毒づきながら、恐ろしい一言を、口にした。河内は、慌てて止めた。
10(テン)と10と10と千 光田寿 @mitsuda
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