27 石膏






 未だ暗闇が世界を支配する中、部屋を訪れたのは玖麦を独りこの部屋に残した老人であった。




「ゆいしゃとして貴方様にお願いがあります」

「あの子の毒を吸い取ってください」

「あの子を健康にしてください」

「医師も他のゆいしゃも匙を投げました」

「助けられるのに。節穴ばかり……いえ。名に胡坐をかいて修練を怠る愚か者ばかり」

「貴方様は彼らとは違うと或る方からお聴きしましたので」

「失望を、させないでくださいまし」




 単調、けれど一音一音に重厚を伴った声音は一定の速さを保ったまま、玖麦に口を挟む暇を与えずに紡がれ続けた。

 幾年月をも重ねて掠れてしまった声音だけが老人であることを知らせてくれたが、他は全くわからない。


 ただただ、暗闇そのもののような老人だった。

 

 部屋にも廊下にも幽かな光は灯っている。なのに、顔がわからない。否、顔だけではない。黒の筆で円を描くように全身が塗りつぶされている。けれど、それが要因ではない。

 ただ静かにここに在る。加えて、決して破かれることのない存在。


 光を一点も持たず。

 誰もが光が訪れる時間を待ちわびる中、暗闇を自ら創りだそうとする人。


 圧し潰されそうだと玖麦は思いながら廊下の中、老人の後を追うと目的地に着いたのだろう。

 老人が通り過ぎた数々の部屋と変わりない扉を開ければ、この世のありとあらゆる光をここに注ぎ込んだのではと錯覚してしまうほどに眩い光が放たれた。

 咄嗟に目を瞑り、数秒後に恐る恐ると目を開けるも、眩い光は放たれたまま。

 眼前で光が瞬いて視界がうまく働かない中、老人の姿だけを頼りに進むと、寝台に寝かされている少女を眼前に捉えることができた。年の頃は同じか少し下ぐらいだろうか。髪の毛が剃られているのだろう上頭部に、可愛らしい桃色の花の髪飾りが紐で添えられている。


 真っ白だった。顔も、身体を包む布団も、服も、布団から出てお腹の上に乗せられている両の手も。

 まるで石膏で創られた人形のような少女は、部屋に集められた光を跳ね除けるように、ただひたすら静かに眠っていた。

 玖麦はこの部屋の中で唯一鮮明に見ることができた少女の傍に近寄り、手に触れた。

 氷のように冷たく感じた。

 すでに死んでいるのではと錯覚してしまうが、血の通う音は確かに手に伝わる。

 生きていると。










 すくうんだよ。

 誰かの声が聞こえる。

 初めて自分に話しかけてくれた誰か。

 声だけが表層に染み付き、顔も身体つきも何も覚えていないけれど。

 すくうんだよ今度は。

 今度こそは。

 あなたはすくわれたんだから。

 あなたが最も大切にして敬慕の念を抱く人に。

 あなたは忘れているだろうけれど。

 あの刻の惨状を。絶望を。後悔を。憤怒を。失意を。

 いいや。

 忘れたままで構わない。

 すべての暗闇を忘れておいで。

 忘却を望んだんだから。

 けれど終わりはもうすぐ。

 刻一刻と無情にも近づいて来ている。

 絶望に飲まれて死を受け入れるかもしれない。

 だめだよ。

 望んではいないのだ。

 望んではいない。

 生きて。

 あなたと彼が大切に想う人がきっと共に居てくれるから。

 いいや。そうだね。

 彼も、彼もまた。彼女も。

 もしかしたら多かれ少なかれ、あなたの琴線に触れる人はみな。

 それでも。

 それでも、生き残らなければならないよ。

 どうしてって。

 約束を交わしたからじゃないかな。

 某と?

 いいや。某とは何も交わしていないよ。

 某はただ君を拾っただけ。偶然にね。そして送り届けただけ。

 ああそうだね。

 君が万が一。

 その刻は某がきちんと。

 










「変な夢」


 月兎城の庭園にて。

 やわらかな新緑の葉が生い茂るその場で壁に背を預けたままうたた寝していた玖麦。随分と図太くなったなと自嘲しながらも、胸中のざわめきを強く感じて。

 くしゃりと顔を歪ませた。












1巻 あさぼらけ篇 完


(2022.3.31)



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あやざくら海咲ノ譚(アヤザクラかいばらのタン) 藤泉都理 @fujitori

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