らあめんすうぷのあなたとわたし

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らあめんすうぷのあなたとわたし

 ずそりと啜ると、太いちぢれ麵に絡んだ濃厚なスープと脂が口の中に広がり、一瞬で思考が霞んでいく。口の中で二度三度咀嚼して飲み込み、また次の麺を啜り、思考が失わせていく。その合間に、なんの考えもなくスープをレンゲで飲み、チャーシューを噛み、水を飲む。只々、ひたすらに無心で食べ進めていく。残業終わりの私は、家系ラーメンを夢遊病患者のように食べながら、壁に貼られている写真を虚ろ気に見ていた。

「オネーサン、その写真そんなに気になる?」

「美人さんばっかりですね」

「そりゃあそうだよ。特盛食ったら勝手に写真撮影します! なーんて、よっぽど自信がなきゃ受けようとしないでしょ」

「そりゃあそうですね」

 瓶ビールを飲みながらチャーシューをつまんでいる隣の女性客に、そっけなく同意する。

「オネーサンもカワイイから特盛食べたらいいのに。きっとお似合いだよ。頭の上に特盛の丼を掲げたら」

「それ、褒めてるんですか」

 じとりと睨んで、ずそりと麺を啜る。

「ホメてるホメてる!」

変な人だなと、私はまじまじと隣の客を見た。歳は二十台後半ぐらいの小柄なグラマラス。ベリーショートの髪にスポーツウェアという格好からすると恐らくインストラクター。メイクは薄めのナチュラルな美人、社交的な性格。自分とは全くの正反対な人だ。

「お姉さんこそ、特盛が似合いそうですけどね」

「や、照れるなぁ。ほら、そこの3段目の左端の写真見てよ」

「うわぁ本当だ……」

 丼と美人の写真の中に、満面の笑みの彼女がいた。洗面器かと思うぐらいに大きな丼を自慢げに掲げて、満足そうに笑う彼女のポラロイド写真には「祝8杯目!」とポスカで書かれた真っ赤なメッセージがあった。

「8杯も食べちゃったんですか……」

「ここのラーメン美味しいからね! そういうオネーサンも、よくそんなの食うね」

 私が啜っているラーメンは一見すると普通の家系ラーメンに見えるが、麺は固めの脂多め、それに加えてテーブルに備え付けのすりおろしニンニクとニンニクチップをてんこ盛りにしてスープに沈め、これまた備え付けのすりごまを、これでもかとゴリゴリやれば完成という早死に間違いなしの一品だ。

「……おいしいからいいんです」

 誰かに言い訳する必要なんてないのに、気まずくなって言い訳を口にしてしまう程度には罪悪感がわくラーメンである。

「別に怒ってるわけじゃないんだから、気にせずに食べればいいのに。健康が気になるなら野菜ジュース飲めばいいじゃん」

「あ、それめっちゃ分かります。絶対効果ないなーってわかってるんですけど、野菜ジュース飲めば許されたって感じがします」

「そう許される! 朝まで飲んでも、出勤前に野菜ジュース飲んどけば許されちゃう」

「いや、それは許されないでしょ」

「あたしが許すからいいの」

 なんじゃそりゃと思いながらも、それは口にしなかった。かわりにレンゲを丼の底に沈めて、やわらかくなったニンニクチップをたっぷりと掬い口に運ぶ。暴力的な味だ。だが、たっぷりの脂で鈍化した思考では、美味いという言葉すら出てこなかった。

「ねえ、ビール飲まない?」

「私、あんまりお酒は」

「まあまあ、一杯だけでいいから付き合ってよ。ね?」

 やんわりと拒絶しているにも関わらず、女性客は瓶ビールを水用のグラスに注いできた。店員がカウンターの中からこちらをちらりと見たが、止める素振りは無かった。こういう手合いは断るともっと絡んできて面倒くさくなる。

「……いただきます」

「どうぞどうぞ」

 渋々とビールを飲むが、苦さで口が歪む。こんな物は、やはり飲み物じゃない。口の中に広がる苦味を消そうと、ラーメンのスープを一口飲むと

「あれ……」

 スープの味が変わっていた。さっきまでは暴力的な味が顔面を殴りつけるような感じだったのに、スープのうま味がはっきりと感じられる。どろりとした豚骨醤油の中に潜んでいた魚粉が姿を現し、大量のおろしニンニクが舌をビリビリと刺激する。痺れそうになる舌を脂が優しくコーティングし、ニンニクチップの香ばしさが鼻を突き抜け、最後には心地よい充足感が残った。

「え、美味しい」

「でしょう? 家系ラーメンにはビールだよ。馬鹿みたいになった舌をビールがフラットにしてくれんの」

 私は感動で打ち震えていた。私が家系ラーメンを一番最初に食べたときの感動が、あの何とも言えない感覚をまた味わう事ができたのだから。

「あの……ありがとうございます」

「いやいや、お礼を言うほどの事じゃないでしょ。むしろ、アタシは怒られる方だよ。オネーサンに無理やり飲ませちゃってるし……」

「いいえ、すっごくいい事を教えてもらっちゃいました。ビール奢らせてください」

「いいの? ありがと」

 店員に瓶ビールを2本注文し、二人でとりとめもない話をしながらビールを飲み、ラーメンの替え玉を頼んだりなんかした。正直、何を話したのかは覚えていない。だが、彼女に嫌な印象を覚えなかったのは確かだ。いつの間にか麺とスープは無くなり、ビールも空になっていた。

「ねえ、なんか歌いたくなっちゃった。カラオケ行かない?」

 彼女の誘いに、私は無言で頷くだけだった。彼女に手を引かれ、どこをどう歩いているのかも分からないまま、ふらふらと私は歩き続けた。彼女の手はゾッとするほどに冷たく、現実味が無かった。酒で火照った頬を撫でる冬の夜風の方がよっぽど暖かい。私の手がじっとりと汗ばんでいくので、彼女の手からするりと抜け落ちないようにしっかりと握り込むと、彼女はこちらを振り返りニンマリと微笑んだ。その笑みは、おもちゃ箱の中からお気に入りのおもちゃを見つけた子供のようだった。細くなった眼の奥から見える純粋な好意に、私はいっぺんに参ってしまった。



はたと気づくと、私はカラオケボックスの中にいて、ソファーに座っていた。部屋の中に彼女はいない。嫌な予感がする。酔った女をこんな所に連れ込んですることなんて、一つしかない。彼女なら別にいいが、彼女が男友達を連れてくるなら話は別だ。ビアンの私が男を相手にするなんて、考えただけで吐き気がする。逃げ出してしまおう。そう考えたとき、ドアノブからガチャリと音がした。

「お、目が覚めたんだ! いやぁ、ゴメンね。まさか歩きながら寝るなんて、ちょっと飲ませすぎちゃったね」

「ど、どうも……」

「ほら、ドリンクバーでウーロン茶もらってきたから」

「ありがとうございます……」

 彼女からウーロン茶の入ったカップを受け取ったが、どうにも飲む気にはなれなかった。この状況で他人から渡された飲み物を飲むなんて正気じゃない。

「……ねえ、もしかしてアタシのこと疑ってる?」

「そりゃあ、まあ」

「だよねぇ。アタシでも疑うと思うよ」

 そう言うと、彼女は私の手からカップを奪い取り、一息に飲み干した。

「これで安心した? 何だったら、一緒に飲み物取りに行こうよ。ね?」

「ええ、一緒に付いてきてください……」

「信用ないなぁ。ほら、肩に掴まって」

「はい……」

 私は彼女の肩に掴まり、ふらふらと部屋を出て通路を歩く。顔の火照りが酔いのせいなのか、彼女を疑っていた事への恥なのか分からなかった。ドリンクバーに着くと、彼女が機械にカップをセットしてウーロン茶のボタンを押した。機械がゴウンと音を立ててカップにウーロン茶を注いでいく。しばらくすると音が止み、彼女はカップを機械から取り出して私に差し出した。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます……」

 私はカップを受け取り、その場で一口飲んだ。冷たいウーロン茶が喉を通ると、思考が少しずつ明快になっていくような気がした。私は息継ぎもせずにカップを傾けて、ウーロン茶を飲み干してしまった。

「良い飲みっぷりだねぇ。もう一杯いる?」

「どうも……」

 彼女は私が飲んでいる間に、もう一杯入れていてくれたようだ。疑うこともなくカップを受け取り、それも一息に飲み干した。それから、私と彼女は飲み物をもう一杯ずつ入れて部屋に戻った。

「さてと、何を歌おうかなぁ」

「歌うんですか」

「いや、カラオケボックスで歌わない方が変でしょ……」

 それもそうだ。ラブホじゃあるまいし、私も何か歌わないといけないのか。カラオケなんて久々だ。彼女の方を見ると、ポンポンとタブレット端末を操作して曲を選んでいた。

「はい、遠慮せずに好きなの歌ってね」

差し出された端末を受け取ると、部屋に曲が流れだした。

「ブルースカイロンリー♪ 夢色にきらめいた少女の頃には……」

彼女が朗々と歌い出したのは、水越けいこの『ブルースカイロンリー』という曲だった。相当歌いこんでいるのか、惚れ惚れする歌いっぷりだ。

「すっごく上手ですね」

 歌い終わって、水分を補給している彼女に率直な感想を伝えた。

「あんがと、オネーサンは聞いたことのない曲でしょ」

「水越けいこですよね。92年に出したシングル曲」

「知ってるんだ! 珍しいね。ウチの職場、オッサンばっかりでさぁ、こういう曲を歌わないと飲み会で盛り上がんないんだよねー」 

「ああ……ウチの職場もそうですね。店長の好きな歌手の歌をうまく歌えると機嫌がよくなって、年末のボーナスにイロつけてもらえるんですよ」

ちなみに、店長はEPOの曲がお気に入りだ。う・ふ・ふ・ふを歌うのは嫌いじゃないが、EPOなら横顔の方が好きだ。

「へえ、どこも似たようなもんだねぇ。ちなみに、オネーサンは何のお仕事してんの?」

「服屋の店員ですよ。原宿にあるような古着系の店です」

「へぇ、通りでオシャレだと思った」

「ありがとうございます」

 オシャレと言っても、今日の私の格好はジーンズに薄手のカットソーの手抜きオシャレだが。

「そっちこそ何のお仕事してるんですか?」

「中学校の先生」

「……えっ」

「おっと、その顔は信じてないね。ま、信じなくてもいいけど」

 中学校の教師とは見抜けなかった。というか、こんな飲んだくれの教師がいていいのか。個人的な理由になるが、中学校の教師とはあまりお知り合いになりたくない。

「えっと……まあ、信じますよ。一応」

「うーん、アタシが授業してる所を見せてやりたいなぁ。そしたら一発で信用するのに」

 それも勘弁してほしい。中学校なんかに近づいたら碌な事にならない。

「……私も次の曲歌っていいですか?」

「へ、ああ、好きに歌いなよ」

 端末を操作して曲を選択すると、イントロが流れ始めた。

「おっ、この曲は……」

「黄昏を吸いこんで走り出してみた♪ 坂を下りると海が開いた……」

 私が選んだ曲は、水越けいこの深夜族だ。歌詞が好きで、家の風呂でもよく歌ったりする。

「……いい曲だよね。これ聞くと夜明け前の海に行きたくなっちゃう」

 私が歌い終わると、彼女はしみじみと言った。

「じゃあ行きます?」

「冗談。こんなへべれけ二人で海なんかに行ったら溺れ死んじゃうよ」

「それもそうですね」

 それから二人で何曲か歌っていたが、歌って体温が上がったのか、また酔いが回ってきたようだった。私の思考は鈍り、呂律が回らなくなっていた。

「ねえ、大丈夫? 何か様子変だよ」

「……ひょっと、ようぃがまわって」

「ほら、こっちおいでよ。膝枕してあげるから。少し休めばよくなるよ」

「はい……」

 ふらふらと彼女の方へ歩いていく。何か、妙だ。

「……ゆっくり、休みなよ」

彼女の膝に頭を乗せた瞬間、私の頭は優しく引き上げられた。

唇に柔らかな感触があったかと思うと、歯を割り開いて舌が侵入してくる感触がぬるりとやってきた。私は叫ぶこともままならず、貪られる感触に身をゆだねるしかなかった。やられた。うかつだった。彼女は立派な獣だったんだ。私の服をたくし上げた彼女は、私の胸に顔を埋め噛みつくようなキスをしてきた。

彼女の愛撫に心地よさなんて物はなかった。痛さで私の身体は跳ね、低い喘ぎが口から漏れ出る。胸から腹部へとキスは降りてきて、そしてとうとう私の中にキスは入り込んできた。さっきまでの痛みに近いキスから、愛しむ柔らかなキスに変わっていた。その変貌ぶりに困惑しつつも、それを受け入れつつある私の身体にはあきれるしかない。私は半ば自棄気味に彼女を受け入れ、痺れるような快楽に身をゆだねていった。


 目が覚めると、私は自分のベッドの上にいた。どういうことだろう、昨日はカラオケボックスで私は犯されていたはずだ。とぎれとぎれの昨夜の記憶を辿っても、ここにいる理由に辿り着けなかった。あれは全てが夢だったのかと思うぐらいだ。そう思って忘れてしまいたかったが、台所から漂ってくる肉の焼ける匂いが、思考の何もかもを吹き飛ばしてしまった。誰か、いる。それも冷蔵庫の「食材」を使って調理をしている。私は音もたてずにベッドから抜け出し、台所へと向かう。台所では、昨夜の彼女が料理を作っていた。彼女の手つきは軽やかで、まるで自分の家で料理をしているかのようだった。

「……おはよう、ございます」

「おっ! 目、覚めたんだ。おはよう」

「何を作ってるんですか?」

「茄子とお肉の生姜焼き! 昨日は体力使っちゃったからね。朝から肉を食べて元気出してもらおうと思ってさ」

 茄子はラタトゥイユにしようと買ってきたものだ。

「人んちの食材を勝手に使うなんてひどくないですか」

「えぇー、美味しく作るからカンベンしてよー」

 なんて身勝手な人だろう。昨日といい、今日といい彼女に私は振り回されっぱなしだ。

「……その肉はどうしたんです?」

「冷蔵庫にあったのを拝借したよ」

「……冷蔵庫、見たんですね」

「うん、見たよ。びっくりしちゃった。あ、麦茶飲む? 入れてあげる」

 彼女が冷蔵庫のドアを開けると、その中に彼女がびっくりした物が収められていた。それは、私が二日前に殺して肉にした女子中学生の生首だった。私はこの子の脳みそを、茄子と一緒にラタトゥイユにするつもりだったのに、茄子がなくなってしまったので今夜の献立がオシャカになってしまった。生首があるのが自然だと言うように、彼女は動じることなく麦茶の入った容器を取りだした。

「あの、本当にびっくりしてます?」

「うん、ビックリしたよ。なんじゃこりゃーってね。はい、麦茶どうぞ」

「ありがとうございます」

 彼女から麦茶の注がれたグラスを受け取り、一口飲む。この人は何者なんだ。まるで動揺がない。普通ならもっと動揺してるはずだ。もしかして、この人は

「あの、もしかして私と同じだったりします?」

「……いーや、違うよ。私は人間なんか食べやしないね。人を殺したこともないし、というか、この子アタシの教え子」

 彼女のあんまりな答えに、麦茶を噴き出しそうになった。一般人だって? しかも、冷蔵庫の中のあの子が教え子? 私は気を落ち着かせるために、麦茶を一気に飲み干さなければならなかった。

「泉って子なんだけどねー。アタシ、陸上部の顧問やっててさ。短距離でいいタイム出す子だったよ。高校に行ってたらインハイに出れたかもね」

 彼女の言葉を聞いて、私はうっかり、にやけそうになった。あの子はやっぱりいい選手だった。私の目に狂いはなかったのだ。スポーツ選手特有の引き締まった肉の食感を想像すると涎がじわりと湧いてくる。彼女の手元で焼かれているあの子が食べたい。だが、今は我慢だ。状況を整理しないといけない。

「……大体、どうしてあなたがここにいるんですか。私の家の住所なんて教えた筈ないんですけど」

「そこはホラ、財布に入ってた免許証の住所から」

「最低。それに、あのカラオケ屋で私に何か飲ませたでしょう。あれは酔ってる感じじゃなかった」

「あ、分かった? あれはねー、ジアゼパムを砕いて粉末にしたのをウーロン茶に混ぜて、オネーサンに飲ませたの。ウーロン茶って味が濃いから気づかなかったでしょ」

「でも、最初の奴はあなたが飲んで」

「あれはワザとだよ。一杯目はアタシが飲んで安心させて、二杯目は目の前で注いで安心させて、、三杯目は二杯目を飲んでる間に注いで、薬をサッと入れて渡したってワケ」

 そんなの信用するにきまってる。レイプ犯の鮮やかな手口には感心するしかない。

「本当に最低です。こんなことして心が痛まないんですか」

「……それ、そのままソックリ返すよ。そっちこそ、アタシの教え子を、よくもまあ無惨な姿にしてくれちゃって」

 それを言われると何も言い返せなくなってしまう。それでも、彼女の行為と私の行為を同列にされるのは癪にさわる。

「私、それに関しては謝りませんよ。その子の肉が食べたいからそうしたんです。生存上必要なことです」

「うん、別に謝ってもらおうなんて思ってないよ。別にあの子がどうなろうと、アタシには関係ないしね」

「え?」

「だって、あの子アタシの好みじゃないし……。だから、別に死んでようがどーでもいいんだよね。あ、でもご両親が失踪届出したら面倒くさいなぁ。アタシの仕事が増えちゃう。やっぱ謝って」

「な……あ、あなた何ですか! 仮にも教師なんでしょう」

「まあまあ、落ち着いてよ。なんでオネーサンがあの子の為に怒るの? 殺したくせに」

 別に殺したあの子の為に怒っている訳じゃない。レイプされて、勝手に食材を使われて、嫌悪感すら覚える身勝手な答えを出されて何から怒っていいのか分からない。教師なら、もっと生徒に関心を持ってほしい。そんな無関心な教師がのさばっているから、あの子は飛び降りて

「……ああ、そっか、お腹空いてるんでしょ。だからカリカリしてる。そんな時は何か温かいものを食べるのが一番だよ。ちょうどご飯できたし、お食べよ」

 彼女が私の目の前にずいと出したフライパンの中には、茄子と肉の生姜焼きがあった。刺激的な生姜の香りが、空っぽの胃をこれでもかと誘惑する。

「味なら大丈夫! 味見してないけど。あたし、和食には自信あるんだ。それに炊き立てのご飯もあるよ。赤だしの味噌汁だって作ってあるし、冷蔵庫に味噌がないから近くのコンビニで買ってきちゃった」

 それを聞いては、黙っていられない。私は洋食を作るのは得意だが、和食は苦手だ。おかげで和食に飢えてて目がない。

「……わかりました、食べてから話し合いましょう。あの、もしかして、あなたもそれを食べるんですか?」

「冗談。さっきも言ったけど、アタシは人間なんか食べないよ。だし巻き卵を食べるから安心して食べなよ」

 そう言って、彼女が指をさした先、テーブルに置かれた皿の上には、いい焼き色のだし巻き卵が盛られていた。

「あ、あの、だし巻き卵の味は」

「しょっぱいのだよ」

 何てことだ。私の大好きな奴じゃないか。

「二切れでいいから、分けてもらえませんか」

「うーん……アタシの貴重な朝ごはんだしなぁ。オネーサンがカラオケ屋でのこと忘れてくれるならいいよ!」

「分かりました。忘れます」

「早い! アタシが言うのもなんだけど、もっと自分を大事にしなよ……」

 彼女は呆れ気味に私を見て苦笑し、だし巻き卵を二切れ小皿に移した。今日の朝食はなんてゴキゲンなんだろう。昨日の事と今朝の事を差し引いてもお釣りがくるかもしれない。

「早く、早く食べましょう。お腹が空いているんです」

「はいはい……オネーサンも準備手伝ってね」

「もちろんです!」

 カニバリストたる者、食に貪欲であれ。師匠から教えられたことの一つだ。美味しい物は身体でも魂でも売り渡して食べたいのだ。

「それじゃ、テーブルにお箸とか並べておいて、盛り付けはこっちでするから」

「わかりました」

 私が食卓の上に箸やコップを並べ、彼女が料理を食卓に並べて食事の準備は整った。

「いただきまーす」

「いただきます」

 料理はどれも素晴らしい出来だった。味噌汁は豆腐にブラウンマッシュルームという初めての組み合わせだったが、これが意外と赤味噌の風味と合って美味い。卵焼きは程よいフワフワ感で、塩気の効いた出汁とごま油の風味がガツンときてご飯と合うし、米の炊き加減も絶妙だった。そしてメインの肉と茄子の生姜焼き、肉は薄切りだが、陸上部の短距離走のエースだけあって赤身の歯ざわりが良く、風味も素晴らしい。そこに肉の脂を吸った茄子が加わると、舌がとろけそうになってしまうが生姜の風味が引き締めてくれる。私はこの生姜焼きのおかげで、ご飯を3杯もおかわりしてしまった。

「そういえばさ、アタシってこのあと殺されちゃうの?」

 食後にコーヒーを淹れて飲んでいると、彼女が話を切り出してきた。発言の内容とは裏腹に、彼女は笑顔だった。まるで、そうして欲しいかのように。

「……殺した方がいいんでしょうか」

「いや、アタシにそれ聞く? まあ、普通なら殺すよね。アタシ、オネーサンの秘密を知っちゃってるワケだし」

 確かに彼女を殺すべきなんだろうとは思う。私の殺人行為が露呈したら、逮捕されて地裁で死刑判決が下るのは間違いない。裏付け捜査で10年ぐらいは生き延びられるかもしれないが、人肉が食えないぐらいなら、自殺した方がマシだ。

「殺したくない……」

 不意に漏れたその言葉に、私は驚かなかった。私は彼女に魅かれつつあった。彼女の子供のような笑顔、料理の腕前、快活な性格、そして彼女とのセックスは無理矢理とはいえ、悪いものではなかった。身勝手な発言は少々マイナスだが。

「私、貴女を殺したくありません」

「……じゃあ、どうすんの? 殺さなきゃ警察にオネーサンのこと喋っちゃうかもしれないよ」

「私の恋人になってください」

「はぁ?」

 彼女はポカンと呆気にとられた顔をした。

「私を、その、襲ったってことは、好きって事ですよね。私が」

「や、まぁ……そうだけどさぁ……セフレじゃ駄目なの?」

「駄目です。セフレが良いなら殺して食べちゃいます」

「……ねぇ、オネーサンの殺し方って苦しいの?」

「逆さに吊るして、生きたまま首を切って放血させます。。首から溢れる血が鼻や口に入り込んで溺れるので、大抵の子は泣きながら死んじゃいますね」

「首を……」

 首を切られる感覚を想像しているのだろうか、彼女はしきりに首をさすっていた。妙な人だ、殺されたいのか、殺されたくないのか。

「……うん、わかった。アタシ、オネーサンの恋人になるよ」

 快諾とはいかなかったが、彼女から承諾は得られた。

「じゃあ、今日からよろしくお願いしますね」

「こちらこそよろしくね! て、言うかアタシたちお互いの自己紹介まだだよね」

 そう言えばそうだ。肝心なことを私達はまだしていなかった。

「んじゃ、アタシから! 名前は柄山響子! トシは27で中学校教師をしてまーす。あ、ちなみに女の人とお付き合いするのは初めてだから、至らない所がありまくりだけどよろしくね」

「萩山薫と言います。22歳で、服屋の店員をしてます。えっと、女子中学生の肉が好きです。あ、あと女の人が好きです」

「なあにそれ、自己紹介で中学生の肉が好きだなんて初めて聞いたよ」

「好きだからいいんです!」

 きっかけは呆れるぐらいに情けないものだけど、私と彼女は一応、恋人という関係になった。

「あ、そうだ。恋人になったんだしさ、早速しようよ。日曜日だし! いいでしょ?」

「あの、昼前には出勤しないといけないんで勘弁してください……」

 私の身体が持つのか心配だけれど。

「薫ちゃん、仕事中にアクビなんてヨシてちょうだい」

「はあ、すみません……」

 店内に客がいなくて、BGMがはっぴいえんどとくれば眠くなってしまう。陽が沈みかけるこの時間帯は誰も来ない。そもそも、この店は金のない層がメインターゲットだから、給料日以外は基本的に閑散としている。そんな活気のない店内に漂う怠惰な雰囲気に、私はつい飲まれてしまう。

「最近、というか薫ちゃん元々ダウナーって感じだけれど、ここの所さらに元気がないわよ」

「そう見えます?」

「ええ、ゲッソリしてるわよ。悪いオトコにでも引っかかったのかしら」

「あはは……それはないですよ」

「あら残念。でも、何かあったら相談して頂戴ね」

「ええ、ありがとうございます」

 店長のカンは当たっている。私がゲッソリしているのは響子のせいだ。悪い女に引っかかってしまったと、心底思う。響子との関係は、早々に破綻するかと思っていたが、案外ウマが合うのか3か月も続いていた。

響子とは週末の夜にしか会えない。あんな性格をしている癖に教師としては優秀なようで、彼女が行う授業は生徒に人気があるらしい。陸上部の指導者としても優秀で、毎日遅くまで熱心な指導をしている。

最初のころ、響子の話に嘘がないか、彼女から聞き出した中学校へこっそりと見に行って調べたことがあった。声を張ってフォームのズレを指摘したり、部員と一緒に走ってペースを一定に保たせようとする彼女からは、普段のおちゃらけが感じられなくて、一緒の人物だとは信じられなかった。

そんなだから、響子は部活のない土曜日の夜と日曜日しか、自由な時間がない。土曜日の夜になると彼女はやってきて、私とセックスを交わす。溜まりに溜まった一週間分の性欲を朝までの短い時間にノンストップでぶつけられ、私はクタクタにさせられてしまう。響子とのセックスは濃厚で、思い出すだけで私を疼かせる。何とか鎮めようとしても、自分での慰めは彼女とのセックスに比べれば淡白な物に思えてしまう。そんな不完全燃焼の状態で仕事にでているのだから、アクビの一つぐらいは勘弁してほしい。

店内に射し込む土曜日の夕焼けを見つめながら、早く夜になってくれないかと私は疼いていた。

いつも通り20時に店を閉め、せわしなく動こうとする足を抑え、スーパーで買い物をして家に帰ると、ベランダの窓から部屋の電気が点いているのが見えた。私は速足でアパートの階段を駆け上がり、息を少し整えてから自分の部屋に向かった。玄関の前に行くと、ドアには無造作にスニーカーが挟み込まれて少し隙間が開いていた。

「おかえり、かーちゃん」

 部屋に入ると、響子はリビングでテレビ番組を見ながら、枝豆をつまみにビールを飲んでいた。響子は私の事を「かーちゃん」と呼ぶ。最初の内は「薫ちゃん」と呼んでいたが、それがいつの間にか「かっちゃん」となり、いまでは「かーちゃん」と呼んでくる。響子の子供じみた笑顔でそう呼ばれると、なんだか母親になったような気になってしまう。

「ただいま。響子さん、玄関のカギかけておいてくださいよ。不用心でしょう」

「ゴメン! さっきまで部屋の換気してたから」

「換気?」

「……かーちゃんさ、オナニーしたなら換気しなよ。部屋の中、すっごくヤラシー匂いしてたよ」

 響子の子供じみているところは感性にも表れている。これで本当に27歳なのか疑わしい。

「……誰のせいだと思ってんですか」

 ビンタをかましてやりたいのをぐっと堪える。大人は簡単に怒ってはいけない。

「ま、それよりもさぁ、お腹空いちゃったよ。夕飯は何を食べさせてくれるの?」

「今日はトマトのファルシ、それとニンジンとバナナのサラダです」

「トマトのファルシ? 聞いたことないなぁ」

「トマトの中をくりぬいて、中にひき肉を詰めて焼くんですよ」

「へえ、なんかオシャレで美味しそう。ちなみにお肉は」

「牛と豚の合挽。冷蔵庫にあの子はもういませんよ」

「そっか、いなくなっちゃったか。最後は何に使ったの?」

「塩漬けにしていたのをポトフの具に使って、それで最後です」

 響子とは会う時間以外にもルールが二つある。まず一つは、二人で食べる食事は必ず同じ物すること。これは二人とも一緒じゃないと寂しいとか、ペアルック感覚で一緒の物を食べようという理由ではなく、単純に食事の手間が面倒だからだ。

もう一つは、二人の時は、人肉を食事に使わないこと。最初の頃、響子と私で別々の食事を用意していたが、ある時、間違えて人肉入りのカレーを食べさせてしまった事があった。響子はさほど気にしていないようだったが、さすがに拙いと私の方からこのルールを申し出た。響子に人肉を食わせたくない訳ではないが、二人で食べるとなると、女子中学生一人の肉ではとても足りない。ただでさえ、スポーツ系の子は肉量が少ないというのに。

「そうなると……また、殺すワケ? どっかの子を」

「ええ、そうですね。あ、次は響子さんの所の子は狙いませんから」

「うん、お願い……あの子のご両親がさぁ、何回も学校に来たり電話したりしてきて大変なんだよね。何か目撃情報はなかったかとか、行方不明になった日に何をしてたのかとか……アタシらは警察じゃないっての!」

「……いいご両親ですね」

「いいや、クソみたいな奴らだよ。学校の給食費は滞納するし、三者面談にも来ないし、家庭訪問したら文句ばっかり言ってくるし! 子供がいなくなってから、世間体の為に親ヅラしてるだけ」

 それを聞いて、私は少し安心した。そういう家庭の子なら、何も問題ないからだ。そのうちに落ち着いて騒がなくなる。

「そう言えば、最初の一週間だけだったよね。あの子が行方不明になったってニュースで流れてたの」

「死体が見つからなければそんなもんですよ。ただの家出だろうって事で片付けられちゃうんです」

「そんなもんかぁ……」

 響子はそうポツリと呟くと、ビールを煽った。



 トマトの上側を切り取り、中身をスプーンで取り出して内側に塩コショウをして15分逆さまにしておく。その間に、ひき肉、みじん切りにして炒めておいた玉ねぎとニンニク、牛乳でふやかしたパン粉、乾燥バジルに塩コショウ、トマトの汁を少々ボウルに入れて、粘り気が出るまで手でこねる。タネができたら、トマトの中に詰め込んで耐熱皿に並べ、180℃に予熱したオーブンで20分焼き、トマトの上側で蓋をしてさらに10分焼けばトマトのファルシは完成だ。それと、焼いている間にニンジンをチーズおろし器で荒くおろして、バナナを賽の目にカットする。それにトマトの中身と白ワインビネガーを加えて和えれば、ニンジンとバナナのサラダの完成だ。

「響子さん、ご飯できましたよ」

「待ってました! もうお腹ペコペコでさぁ」

「お酒はどうします?」

「……肉だし、赤ワインで!」

「はーい」

 響子は飲兵衛だ。酒を飲んでいないのは学校にいる時だけだと、本人が前に話していた。響子は酒を飲んでも暴れないので、私は非常に好感が持てる。料理を食卓に並べ、私は響子の横に座った。

「さ、どうぞ」

「んーっ……いい匂い! 匂いだけで飲めちゃうね」

 響子は耐熱皿から立ち上る匂いを胸いっぱいに吸うと、ワイングラスをぐびりと煽った。

「もう、ちゃんと食べてくださいよ。これは焼きたてが美味しいんですから」

「どれどれ」

 響子はトマトのファルシを取り皿に乗せ、ナイフで大きめに切ってぱくりと一口に食べた。二、三度咀嚼すると響子の目が細くなり、小さく唸った。そして、ゆっくりとワインを飲み、口の中の物を飲み干すと漸く口を開いて

「ああ……幸せだなぁ……」

 どうやら、響子はこの料理を気に入ったらしい。

「響子さんって本当に美味しそうに食べますよね」

「だって本当に美味しいんだもの。それに、かーちゃんが作ってくれた料理だもん。アタシ、かーちゃんの料理大好き」

「嬉しいですけど、お酒はワイン一本だけですからね」

「ちぇっ、じゃあ代わりにかーちゃんが食べたいなぁ」

「いいですけど、タトゥー入れてるから、あんまり美味しくないかもしれませんよ」

「そっちじゃないってば……」

「冗談ですよ。ほら、食べさせてあげるから機嫌をなおして」

「ほんとう? うれしいな」

 響子の大きく開かれた口に料理を運んでやる。目を細めて、唸りながら咀嚼する姿を見ていると、私の下腹部が切なくなって堪らなかった。もっと、もっとたくさん食べて欲しい。そして私の料理に染まりきった彼女の肉は、どれだけ美味しいのかを考えた。この人はどんな味がするんだろうか。酒びたりの肝臓はどんなに芳しいだろうか。

「ねえ、かーちゃん。今、アタシを食べたいって考えてる?」

 どきりとした。危うく手に持っていたフォークを落とす所だった。響子はこういう野性的なカンが鋭い。

「駄目だからね。アタシがかーちゃんを食べるんだから」

 そう言うと、響子は私を抱き寄せてキスをした。人食いの私が食べられてしまうなんて、タチの悪い冗談だ。でも、響子にならいいと思った。

「響子さん、私」

「なぁに、したいの? でも、まだダメ。ご飯食べて、お風呂入ってからね」

 料理よりも私を食べて欲しい。その言葉をぐっと飲み込むために、響子の手からグラスを奪い一口だけワインを飲んだ。



 どうして、女の身体はやわらかいのだろう。生きていても、死んでいても、焼いても、揚げても、蒸してもやわらかい。響子に抱きしめられると、大きな胸が押し付けられて私の身体は沈んでいってしまう。響子のやわらかな指先が私の身体を撫でると、まるで溶けたバターが流れるようだった。だけど私の中に入り込んだ指はとても逞しくなり、私を満たしてくれる。

「ね、かーちゃん気持ちいい?」

「ええ……気持ちいいです……」

「そっか、うれしいなぁ、もっと気持ちよくしてあげる」

 彼女の舌が首をつたい、胸に下りてくる。舌の熱さと気持ちよさで、気が遠くなりそうになる。

「ああ……いいです……もっと」

「いやしんぼだね。かーちゃん、ヤラシーんだ」

「あなたのせいです……あなたが……こんなにするから……」

 気づくと、私は響子の手を掴んでさらに奥へ指を導いていた。もっと、もっと、私から正気を奪って欲しい。

 明け方近くになって響子が眠りにつくと、私はようやく解放される。響子とのセックスは気持ちよくて病みつきになってしまうが、それと同時に命を削っているというより、吸われてる気がする。私の中で命を吸いつくそうとしていた響子の指は、まだ私の物で少しふやけて皺ができていた。響子は安らかな寝顔をしていた。私もそのまま眠ってしまいたかったが、10時には店に顔を出して開店準備をしなければいけない。シャワーを浴びて、目を覚まさなければ。それから朝食を作ろう。何がいいだろうか、肉はいくら何でも重すぎる。徹夜明けの胃にそんなものを入れたら、一日中胃痛と吐き気に襲われてしまう。一晩中抱かれてくたくたになった体を、優しく癒してくれるような料理がいい。そんな事を考えながら台所に行き、食材を確認すると昨日買ったバケットが半分以上残っていた。これを使ってみよう。

 鍋に牛乳とシナモンスティックを入れ、沸騰寸前まで火にかける。粗熱が取れるまで寝かせ、シナモンの香りを牛乳に移させる。その間にバケットを4cmの厚さに切り、ボウルに卵を割り入れて溶いておく。鍋からシナモンスティックを取出し、鍋の牛乳を溶き卵に加えて混ぜ合わせたら、バケットを入れて液を全部吸わせる。あとはフライパンにオリーブオイルをひき、中火でバケットを焼く。両面にこんがりと焼き色が付いたら、スペイン風フレンチトーストの完成だ。このフレンチトーストは甘くないので、食べる直前にグラニュー糖をたっぷりかけて食べる。しょっぱいのが食べたければ塩コショウを軽くしてケチャップをかけてもいい。その日の気分で好きなように食べられるので、私はこの料理が好きだ。

「おはよー……かーちゃん……」

 料理を皿に盛り、コーヒーを淹れていると、響子がのっそりと寝室から出てきた。

「おはようございます。ちょうどできたところですよ」

「おー……おっ、フレンチトースト? 甘いのがいいなぁ」

「じゃあ、お砂糖たっぷりかけますね」

「ありがとー……」

 響子はどんなに疲れていても、朝になると必ず起きて朝食を食べる。それからシャワーを浴びて、昼過ぎまで二度寝を楽しむ。響子曰く、腹に何か収めた方が二度寝の気落ち良さが跳ね上がるのだそうだ。

「かーちゃんはどうするの?」

「私も甘いのがいいのでお砂糖たっぷりです」

「やった、お揃いじゃん」

 二人並んで食卓に着き、フレンチトーストとコーヒーだけの簡単な食事を始める。

「おいしいなぁ」

 目を細めて食べる響子を見ていると、数時間前までけだものの様に私を抱いていた人には見えなかった。

「響子さんって私の料理を食べると、喜んでくれますよね」

「そりゃあ嬉しいよ。こんなに美味しいもの食べて喜ばない訳ないでしょ。もしかして、他の人は喜んでくれなかったの?」

「いいえ、自分の料理を誰かに食べさせるってのがあんまりなかったんですよ。私、食人家ですし」

「それじゃあ、誰かの為に作るのはアタシがはじめてだったんだね」

 確かにその通りだ。食人を始めてから誰かに料理を作るなんて、師匠以外にしたことがなかった。誰かに食べさせるために料理を作るのははじめてでとても楽しい。響子と関係が続いている理由の一つかもしれない。

「そうですね。響子さんがはじめてですよ」

「……ごめん、アタシちょっと幸せすぎて泣きそうかも」

「はじめてと言えば、響子さんこれまで女の人とお付き合いしたことがなかったって本当なんですか?」

「うん、本当にはじめてだよ。まあ、何人か抱いたり抱かれたりはあったけれど」

「なんで付き合わなかったんです?」

「だって、アタシの生活サイクルじゃ恋人的な生活なんてできないもの。デートする時間もないし、休みの日は寝ていたいし」

「響子さん、忙しいですもんね」

「うん……ウチの陸上部、エースが行方不明になっちゃったから皆が猛特訓だって燃えちゃってさぁ。20時まで部活をすることになっちゃったんだよね……部員のみんなは帰れるからいいけど、アタシはそっから残業して、22時過ぎまで帰らんないの! 過労死しちゃうよ」

「それは大変ですね」

「ちなみに、そうなったのはかーちゃんのせいなんだけど」

「ごめんなさい。それは悪いと思ってます」

「まあ、夏の大会が終われば楽になるからいいけどね。話戻すけど、時間がないのにセックスが大好きなアタシは出会い系サイトとかでセフレを見つけたりしてたワケ」

「……私はナンパされてレイプされたような気がしたんですけど」

「あ、あれはかーちゃんがあんまりにも可愛くてさ……酔ってたし、あんまり理性もきかなかったし」

「まあ、そこには深く突っ込みませんよ。粉末のジアゼパムを持ち歩いてた事とか」

「かーちゃんと恋人になってからはそういう事は一切していません。誓ってやっていません」

「本当ですか?」

「本当だってば……そう言うかーちゃんこそ、こんなアタシと付き合ってくれてるじゃん」

「服屋の店員も意外と暇じゃないんですよ。土日出勤は当たり前だし、定休日の水曜日しか休みがないし、2丁目のレズバーで何人かにナンパされてお付き合いしたことはありますけど、デートとか全然できなくて、すぐに別れたりしてましたし」

「アタシたち似た者同士なのかもね」

「まあ、そうですね」

 レイプ魔とカニバリスト、世の中から疎まれる二人だから上手く付き合えてるのかもしれない。

「あ、そうだ。かーちゃん、今日の晩ご飯はアタシが作ってあげる。何かリクエストある?」

「うーん……そうですね。あ、肉じゃが食べたいです」

「よっしゃ、まかせて。美味しいの作っちゃうから」

 響子の作る肉じゃがは絶品で、じゃがいもがゴロッとしているので食べごたえがある。

「楽しみにしていますね」

 響子と私は恋人と言うより、ギブアンドテイクの関係に近い。響子は私の身体と料理を求め、私も響子の身体と料理を求める。二人の間に愛があるのかどうかは分からないけれど、私の料理を食べたときの響子の笑顔は嫌いじゃない。少なくとも、それは確かだった。

 私の目の前で陶磁のようなキメの細かい肌が、ぶるぶると震えていた。脚立にガムテープで逆さに固定された身体は、響子なら青い果実だと評して抱きもしないだろう。それと尿の匂いがツンと臭う。どうやら、恐怖で少し漏らしてしまったようだ。

「怖いですか? 大丈夫ですよ。すぐに殺してあげますからね」

 その言葉を聞いて、さらに動揺したらしい。粘着テープでふさがれた口から唸り声が聞こえ、目から涙をボロボロと流している。

「ああ、ごめんなさい……殺すなんて言ってはいけませんでしたね。訂正します、あなたはこれから枝肉になるんです。安心してください、ちゃんと食べてあげますからね。お肉も、お腹の中も、脳みそも、おっぱいも全部残さずきれいにね」

 唸り声は止み、代わりに鼻から吐瀉物がぶびゅると飛び出した。いけない、これでは窒息死してしまう。私は粘着テープを外し、吐瀉物を吐けるようにした。

「あっ、あのっ、た、たしゅけ、たしゅけてっ! おねがいですから、どうか」

「……鼻をかんでください、お辛いでしょう?」

 タオルを差し出すと、彼女は素直に鼻をかんだ。

「いい子ですね。それじゃあ、そろそろ始めましょうか」

「や、やだっ、やめ」

 私は右手に持っていたハンティングナイフを、彼女の頸動脈のある辺りに押し当て、ぐっと力を込めて引いた。

「ぎっ……がぼっ……げひゅ……」

 首から溢れだした血が口や鼻に入り込み、彼女は溺れていく、真っ赤な死の海へ、何もない海の底へ。このまま彼女が事切れるまでじっと見ていたかったが、そういう訳にもいかない。彼女の脹脛と腿を揉んで、血が下へ行くようにしなければならないのだ。屠殺の命は血抜きだ。ここで手を抜くと肉質の低下にもつながるし、熟成時の腐敗にもつながる。

「まだ、息はありますか?」

 彼女から返事はない。どろりとした死人の目線で、彼女は風呂場のタイルを見つめていた。これで彼女は「肉」になった。内装から骨髄まで、食べられる存在になれた。血の勢いが収まってきたら、首の周りにナイフで切り込みをいれて力を入れて捻ると、口に溜まっていた血がごぼりと溢れた。さらに力を籠めると頸椎がぱきりと音をたてて折れて、首はようやく外れた。

外した首にシャワーをかけて血を洗い流したら、首の部分に生理用ナプキンをあててラップでぐるぐる巻きにしてしまう。師匠はオムツを被せるが、私はコンパクトにできるこのやり方が好きだ。

 外した首を冷蔵庫に入れたら、次は内臓の処理。肛門の周りに切り込みをいれ直腸を引きずり出す。腸液が出ないように肛門の部分は結束バンドで縛る。はみ出た腸は脚立の脚に軽く巻き付けておけば邪魔にならない。次は子宮の取出しだ。膣口からナイフをいれて下腹部に向けて10cm程切る。子宮を取出し、尿道を結束バンドで縛り、尿が漏れないようにすれば内臓処理の下準備は完了だ。胸部まで一直線にナイフで切り込みをいれて開腹すると、腸と内臓がどぼんと飛び出してくる。内臓の中に手を入れて胆嚢を抜き取り、胃を食道から切り離したらバケツに移して内臓の仕分けをする。

私は内臓の仕分けが好きだ。肉の中から飛び出した内臓は、一つ一つが宝石のように輝いている。そんな内臓を仕分けしていると、さながら宝物を手にしたトレジャーハンターの気分に浸れる。それに内臓を見るだけで、その子がどうやって生きてきたのかが分かる。肝臓の色で健康状態が良かったか、胃の粘膜の様子でストレスを抱えて生きていたか、腸の内容物でどんな食生活を送っていたかが分かる。インタビューなんて必要ない。カニバリストの中には獲物と親密になってから食べるという輩もいるそうだが、私には理解しがたい。この子は肝臓の色艶が良く、胃の粘膜も綺麗だ。腸の内容物も緑黄色野菜が豊富に含まれていたので、良い食生活を送っていたようだ。この子は久しぶりの大当たりだ。

 内臓の仕分けが終わったら、肉の解体だ。浴槽に風呂蓋をして、その上に胴体を乗せる。足と手を小型のこぎりで切り離したら、皮剥ぎだ。女子中学生特有の滑らかでピンと張りのある肌の下にナイフを入れ、足首からめくるように剥いでいく。健康的に日焼けした肌の下から現れた肉に触ると、良く引き締まっていて食べごたえがありそうだ。肉は豪快にステーキにしよう、それからモツたっぷりのトマト煮込み、手詰めのソーセージ、耳と鼻と頬肉のテリーヌ……想像するだけで口の中のよだれがあふれてしまう。

皮を剥ぎ終えたら、腕と脚の関節にナイフで切り込みを入れて胴体から外し、肋骨と恥骨を開いて平らにすれば枝肉の完成だ。昼過ぎから作業を始めて、気づけば20時になっていた。こんなに時間がかかるなんて、まだまだ私は未熟だ。師匠なら屠殺から成型まで4時間で行う。師匠のように得物の家に押し入って解体をすれば、早く作業をするノウハウも得られるのかもしれないが、掴まるリスクが高い。今のところは、カニバリスト仲間で共有している解体作業用のアパートの一室でのんびり気楽にやらせてもらおう。肉は熟成させないといけないから、ほとんどをここに置いていくとして、足の速い内臓、生首、まだ柔らかい腹肉を持ち帰って夕食にしてしまおう。熟成用の冷蔵庫に肉を収納して、大きめのボストンバッグに保冷剤、内臓、生肉、腹肉を詰め込んで、私はアパートを後にした。



 電車に乗ると疲労感がどっと襲ってきた。だいぶ体にガタが来ていたらしい。思い返してみれば、響子と付き合うようになってから、唯一の休みだった水曜日はほとんど寝て身体を休ませていた。そんなボロボロの身体であんなことをやったら、こうなるのも無理はない。思考に靄がかかってくるし、奥歯が浮つくよう感覚もする、食欲もいつの間にか失せてしまっていた。早く帰って寝てしまおう。最寄り駅に着き、家路をトボトボと歩く私は酷く惨めな気持ちになっていた。せっかく手に入れた宝物を家に持ち帰って堪能したいのにそれが叶わない。そのことが酷く私の心を傷つけていた。

 自宅の近くにようやく辿り着くと、アパートの窓から部屋の明かりがついているのが見えた。響子がいる。よりにもよってこんな日にいるなんて。私はため息をひとつ吐いて無理矢理に足をアパートへ向けて動かした。

「おかえり、かーちゃん」

 部屋に入ると、響子はいつものようにリビングでビールを飲んでいた。今日のつまみはチーズのようだ。

「……ただいま、響子さん」

「なんか元気ないね。生理?」

「違いますよ……響子さん、学校はどうしたんですか?」

「かーちゃんとしたくて休んじゃった。親戚の叔父さんが死んだって事にしてさ」

「はぁ?」

 私がどういうことなのか質問しようとした矢先、響子に肩を掴まれて私はソファーに押し倒された。

「ね、いいでしょ? 朝からしたくて来てたのに、かーちゃん全然帰ってこないんだもの。電話してもでないしさぁ」

 響子は私の服をブラごとたくし上げて、胸に舌を這わせながら言った。

「駄目です……まだやることがあるんです……やめて……」

「何で? かーちゃんだってセックス大好きじゃん。やろうよ」

 そう言うと、響子は私の胸に強烈に吸い付いて太腿の間に手を差し込んできた。

「やめて!」

 叫ぶのと同時に腕を振り払うと、響子の顔に思いっきり腕が当たった。当たり所が悪かったのか、響子はそのままひっくり返ってしまった。

「なにすんのさ……」

「やめてって言ってるでしょう!」

「なに? マジで生理?」

「今日は疲れてるんですよ……それに、今やらないといけないことがあるんです」

 私はそう言って、床に落ちていたボストンバッグを抱えて台所へ向かった。

「ねえ、どうしたの、それ……」

 響子は私がボストンバッグから取り出した生首を見て、絶句したようだった。

「今日は肉の解体をしてたんです。悪いんですけど帰ってもらえませんか。私とっても疲れて」

「へええ、そうか、かーちゃん今日はお楽しみの日だったわけだ」

「え?」

「え、だって、かーちゃん女子中学生が好きなんでしょ。いいなぁ、大好きな女子中学生捕まえて裸にひん剝いて殺してお楽しみだったんでしょ?」

「……違います」

 誓って私は殺しを楽しんでなんかいない。殺すためにあの子を捕まえたわけじゃない。食べるために、肉にするために殺したんだ。

「どうかなぁ、かーちゃんの下着、少し濡れてたし……」

 その言葉を聞いて私の頭に血がカッとのぼり、響子の胸倉をつかんでいた。響子の身長は私より少し低いので、見下ろす形になる。

「違う! 私は楽しむために殺してなんかいない!」

「ふうん……ま、そんなのどうでもいいや。それ片付けたらやろうよ。ね?」

 何なんだ。私は響子の恋人じゃなかったのか、一方的にセックスだけを求められるのは最早セフレ以下だ。それとも、私が勝手に自分たちは恋人同士だと勘違いをしていたのか。

「響子さん、響子さんにとって、私って何なんですか? 抱くだけの存在なんですか」

 何て惨めな言葉を吐いているんだろう。もう少し、別の言い方があるんじゃないのかと思った。

「どうかなぁ、確かにかーちゃんとのセックスは最高だけど、カーちゃんと一緒にいる理由はもう一つあるよ」

 響子は、私の目をじっと見つめている。響子に見つめられると、私を覆う殻が何もかも見透かされているようだった。善人ぶって正当化して誤魔化している、私の醜悪な人食いの本性は誰にも見られたくない。

「……何ですか」

「殺されたくないから」

 そう言われて、ようやく私は気付いた。私たちは端から恋人でも何でもなかったんだと。私が響子の生殺与奪を握って、支配しているだけの関係だ。そう思うと、急に熱が冷めていくのがわかった。

「何ですかそれ……私に殺されたくないからって、私が響子さんをそれだけでしか見てないって言うんですか」

「えっ違うの」

 そんなわけない、私が響子と付き合っていたのはもっと違う別の理由だ。それを叫んでやりたかった。喉の奥まで出かかっている言葉を吐きたくて仕方がなかった。けれど、とうとう出せなかった。この人にそれを伝えたとしても、伝わるわけがない。私のような人食いの殺人鬼の思い何て、理解されるはずもないだろう。

「響子さん、別れましょうか私たち」

 葛藤の末に、ようやく絞りだせた言葉はひどく寂しい物だった。

「またまた……え、本気?」

「もう二度とここに来ないでください」

 響子からの返事はない。

「何とか言ったらどうなんですか!」

「……いいよ、カーちゃんがそう言うなら、あたしたちこれっきりだ。いままでありがとうね」

 そう言うと、響子はふわりと玄関へ歩き出し、そのまま出て行ってしまった。これで終わったと思った。やっぱり、響子は私を恋人なんかだと思ってなかったんだ。だから、あんなにあっさりと別れを告げて出て行った。きっと、そうだ。そう思うと涙がぽろぽろと溢れて、胸に抱いていた生首に落ちていく。生首の頬を私の涙が伝うと、まるで一緒になって泣いてくれているようだった。

 焼けたソーセージの皮からきゅうきゅうと音がする。少し焼きすぎて皮が破れてしまったようだ。せっかくの生ソーセージだというのに、勿体ないことをしてしまった。響子が見たら、ケラケラと笑うだろうか。ふと、そんな思いが頭をよぎり、嫌悪感で吐きそうになった。なんて弱々しいことを考えたのだろう。喧嘩別れした恋人に縋ろうとしているのか。ばちん、と音がして私の思考は中断された。どうやら、ソーセージを本格的に焦がしてしまったらしい、皮が大きく無惨に裂けていた。

 焦げてしまったソーセージを皿に移して、少し休ませておく。そうすることで、中の肉汁が肉に馴染んで食べたときに肉汁で火傷しなくて済むからだ。裂けた皮から肉汁が溢れているので、あまり期待できそうにないが。

 気を取り直して次に進もう。フライパンの表面をキッチンペーパーで吹いて汚れを取り、オリーブオイルをひいて、縦半分に切ったバナナを乗せて両面に焼き色がつくまでソテーする。焼き色がついたら、ラム酒、絞ったライムを加えて味付けしたら、本日の朝食の完成だ。

「いただきます」

 焦げて皮が裂けてしまったソーセージとバナナのソテーは申し分のない美味しさだった。体育系少女特有のプリプリとした肉と張りのある腸の食感が歯に伝わるたびに心が満たされ、焼いたバナナの濃厚な甘さにラム酒とライムのエキゾチックな香りが加わると強烈な陶酔感に襲われたが、どこか物足りなかった。量が足りないわけじゃない、味付けだってソーセージの焼き加減以外は満足する出来だ。けど、その味付けを褒めてくれる人がいない。物足りなさの答えは明白だった。だけど、それを認めたくなかった。

 響子と別れてからもう半年近くになる。その間、私も響子も連絡を取ることは無かった。お互いの出会いが無かったかのように私は暮らしていた。先週も今まで通りに女子中学生を解体場に連れ込み、殺して肉にした。今日の朝食に使った生ソーセージはその子から作った物だ。慣れとは恐ろしい物で、あれほど依存していた響子とのセックスを私は忘れつつあった。ただ、響子のいた日常だけが忘れられなかった。

 物足りない朝食を平らげて、食後のコーヒーを飲んでいると寝室の方からスマホの着信音が聞こえてきた。きっと店長からの呼び出しだろう。服の買い付けが思ったよりも多くなって、荷物運びを頼みに来たに違いない。そう思って着信を無視していたが、音が止むことはなかった。おかしい、店長なら5コール目で切るはずだ。寝室に行くと、スマホの画面には響子からの着信が表示されていた。

「もしもし?」

『お、やっとでたね! もしかして寝てた?』

「……何の用ですか」

『いや、そのね、これから外で会わない? ご飯おごるからさ。14時に駅裏にあるラヴァネッロってお店でね』

 そう言うと響子は通話を切ってしまった。相変わらず身勝手な人だ。そう思いながらも、私はクローゼットを開けて、響子と会う支度をし始めていた。

 


 響子が指定してきた店『ラヴァネッロ』は、雑居ビルの一階にこじんまりと店を構えていた。窓から中を窺うと。白を基調とした店内と、テーブルにイエローやオレンジ等のカラフルなクロスが掛けられているのが見えた。あの響子が指定してきたとは思えないほどに明るい雰囲気の店だった。

「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」

 店の中に入ると、店員がすかさず声をかけてきた。

「えっと、連れがひとりここで待っているはずなんですが」

 店内を見渡すが、響子の姿は無かった。まさか、呼びつけておいてドタキャンしたのか。

「かーちゃん! こっちこっち!」

 声のした方を見ると、店の奥に中庭のテラス席へと抜ける入り口があり、そこに響子が立っていた。Tシャツにジーパンのラフな格好で、いつもの子供みたいな笑みをニコニコと浮かべていた。

「まさか来てくれるなんて思ってなかったよ」

「久々に響子さんの顔が見たかったんです」

「へえ、嬉しいこと言ってくれるじゃん。ま、座ってよ」

 別に喜ばせたくて言ったわけじゃない。素直にそう思っただけだ。久しぶりに見た響子は少しやつれていた。

「響子さん、痩せましたね」

「お、分かる? いやー、部員の子たちと毎日走ってたら体重がどんどん減っちゃってさー」

 嘘だ。ろくに飯も食わずに酒ばっかり飲んでいたのだろう。テーブルの上を見れば分かる。空っぽの白ワインの瓶が2本に、半分残ったグラッパの瓶があるのに、食べ物が一切ない。平日の昼間から何て酒を飲んでいるんだ。グラッパなんて私が一口でも飲んだら目を回してしまう程に強い酒の筈だ。それを瓶の半分飲んでも平然としているのは、さすがと言うべきか。

「響子さん、何か食べました?」

「うんうん、まだ何にも食べてない。かーちゃんが来るまでずーっとここで飲んでた」

 それを聞いてひっぱたきたくなった。もう昼過ぎだ。この店の開店が11時だとしたら、もう4時間近く飲んでることになる。怒りたくなったが我慢をした。ここに喧嘩をしにきたわけじゃない。

「何か食べないと体に悪いですよ。メニュー見せてください」

「あー……そうだね、何か食べよっか」

 私は店員を呼び、適当に料理を何品か頼んだ。その間も響子はグラッパをグラスに注ぎ、ちびちびと飲んでいた。

「いいお店ですね」

「でしょ? このお店、美味しいお酒があるし、雰囲気がいいし、静かだからゆっくりと飲むには最高なんだよね」

 中庭のテラス席の周りにはたくさんの木々が植えられていて、射し込んでくる陽光に照らされた緑がゆったりと心を落ち着かせてくれる。

「でも不思議ですね。こんなに雰囲気がいいのにお客さんがいないなんて」

「ここ、ランチタイムの間はリーマンとかOLで賑わうんだけど、この時間帯は誰も来なくなるんだよね」

「仕事をサボっていても誰にも見つけられないと」

「ちょっとちょっと、サボってないってば。ちゃんとお休み貰ってる。親戚の叔父さんが死んだって事でさ」

「また叔父さんが亡くなられたんですか?」

「それ、ウチの教頭にも言われた」

「まったく……それで、呼び出した理由は何です?」

「久々に顔が見たかったから。そんだけ」

 呆れて言葉も出なかった。本当に顔が見たかっただけだなんて。私はてっきり、セックスがしたいとか料理を作ってくれだとか言われると思っていたのに随分と拍子抜けのする答えだ。寧ろ、下種な理由を勘ぐっていた私の方が恥ずかしくなりそうだった。

「しょうがない人ですね。じゃあ今日は厭きるほど顔を見て行ってくださいよ」

「へへへ……じゃあ、存分に拝ませてもらっちゃおう。……かーちゃんさ、顔色が良くなったよね」

「えっ、本当ですか」

「うん、アタシと付き合ってた時のかーちゃん、やつれて顔色がものすごく悪かったもの。でもね、すっごく色っぽかった」

 そんなこと、全然分からなかった。けれど、響子と付き合っていた頃より健康的な生活を送っているのは間違いない。きっとそのおかげなんだろう。

「まあ、おかげさまできちんと寝られる生活を送っていますからね」

「そうだよねぇ、あの頃のかーちゃん、ろくに眠らずに仕事にいってたもんね。アタシ、なんか悪いことしちゃったな」

「もう、謝らないでくださいよ。別に嫌だったわけじゃないんですから」

「マジ? じゃあ、この後ラブホでしない?」

「帰りますよ」

「あ……待って待って! 冗談、冗談だってば」

「それならいいです。今日はそのつもりで来たわけじゃないんで」

 嘘を吐いた。本当は響子に抱かれるつもりで私は来ていた。だけど、響子の様子を見ているとそんなこと言えなかった。今の響子とセックスなんてしたら、響子の方が死んでしまう。

 それから、私たちは運ばれてきた料理を食べながら取り留めのない話をしていた。この店のニョッキは食感がたまらないだとか、陸上の県大会で惜しくも優勝を逃してしまったとか、色々と話しあった。そして、食後のジェラードを食べていた時に響子が話を切り出した。

「ねえ、かーちゃん。少し聞いてほしい話があるんだ」

「何ですか? 借金なら駄目ですよ。こう見えて意外と貧乏なんですから」

 響子につき合わされて飲んだワインのせいで、私の頭はフワフワとしていた。なんだろう、やっぱりこの後セックスを求められるんだろうか。

「違う、そんなんじゃないよ。アタシ、金に困っている訳じゃないし」

「じゃあ何だって言うんです。私を抱きたいんですか? 別にいいですけど」

「違う」

 ぴしゃりと私からの誘いを断った響子の目は少し潤んでいた。その目を見て酔いが一気に覚めた。響子が何を話したいのか見当もつかないが、大切な話だというのだけはわかる。

「……あのね、かーちゃんにアタシの事を食べて欲しい。できれば生きていたいから、片足か片腕をね。でも、かーちゃんが面倒くさいって言うなら、殺してくれても構わない」

 唐突すぎて、私には一瞬理解できなかった。響子を食べる? 私が? 

「響子さん、何を言って」

「いいから答えて、私を食べたいのか食べたくないのか」

「……正直に言えば、食べたいです。引き締まった脚、適度に柔らかい腹、ほっそりといていながら力強い腕力のある腕、どれも魅力的です。食べていいのなら、殺して内臓だって食べてやりたいですよ」

「かーちゃん……」

「だけど、響子さんは私の料理を食べてくれる貴重な人間なんです。だから、できることなら殺したくない。響子さん知ってます? 誰かに料理を食べてもらって、喜んでもらえるって結構うれしいもんなんですよ」

「じゃあ、アタシのこと食べないの?」

「……響子さんは腕と脚、どっちだったら無くしても大丈夫ですか」

響子はしばらく悩んでいた。それもそうだろう、どっちを無くしても生活に支障がでる。

「ゆっくり考えてくださいね。私はどっちでも構いませんから」

「悩むなぁ、腕はいろいろと生活に影響あるし、かといって脚は教師と部活の顧問やるのに必要だしなぁ……ていうか、かーちゃんに殺されるつもりだったんだよ? アタシ、セックスぐらいしか好かれる所ないと思ってたし」

「だからあの時、あっさりと別れたんですか」

「そうだよ。かーちゃんがアタシとのセックスが嫌になったんだって思ったら、アタシにかーちゃんのそばにいる価値なんてないなぁって思ってさ。んで、この半年ずっと考えてた。かーちゃんがアタシを必要としてくれることって何だろうって。たくさん悩んでようやく答えが出たんだよ。かーちゃんに食べてもらおうって、それならかーちゃんもアタシを必要としてくれるかなって」

 半年前の、響子とのセックスに嵌まり込んでいた私だったら、その通りだと言っていたかも知れない。だけど、この半年の間に一人で食べる食事の寂しさを知ってしまった。いや、知っていたが食人行為という快楽で私は誤魔化していたのかも知れない。なんにせよ、今の私にはセックス抜きで響子が必要だ。

「私は生きている響子さんが必要なんです」

「ねえ、それってヨリを戻すってことでいいのかな」

「まあ、そうなりますね」

「よかった……」

 そう言うと、響子はテーブルに突っ伏してしまった。

「本当によかったよぉ、恋人にはしたくないけど肉は食べたいから死んでくださいなんて言われるのかと思ってた」

「大丈夫ですよ。今のところは殺したりなんかしませんから」

「えーっ、それっていつかは殺して食べちゃうってこと?!」

「さあ、どうでしょうね……それより、そろそろ決まりました?」

「……うん、決めた。かーちゃん、アタシの脚を食べて」

「分かりました。両脚だと、リハビリや介護が大変でしょうから、片足だけにしましょうか。響子さんの利き足はどっちですか?」

「左脚だね」

「じゃあ右脚を食べましょう」

 私は響子の脚をどうやって調理しようか考えを巡らせていた。姿煮、ロースト、シンプルにステーキ……いや、どうせなら丸ごと使う料理がいい。そうだ、せっかく響子の腕が残るのだから、響子にも手伝ってもらおう。

「そういえば、どうして脚にしたんです?」

「だって腕を取っちゃったら、かーちゃんに料理作ってあげられないじゃない。それに、かーちゃんを抱くのに腕は必要でしょ。腕が無かったらセックスするのに困っちゃう」

「響子さんらしい答えですね」

「でしょ? あ、そうだ。せっかくアタシたちのヨリが戻ったんだからさ、乾杯しようよ。まだお酒残ってるし」

 響子は自分のグラスにグラッパを注ぎ、まだ水が残っている私のグラスにも注いだ。

「水で割ったから少しは飲みやすいと思うよ。じゃ、アタシたちのヨリが戻ったことに」

「それと、響子さんの脚が食べられることに」

 グラスの酒を口に流し込むと、強烈なアルコールとむせ返るような葡萄の香りが襲い掛かってきた。水で薄まっているとはいえ、なんて強烈なんだろう。まるで響子と初めて会った日のような感じだ。あの時もこんな感じで酔いつぶれ、そして響子に犯された。過去の出来事を思い出しながら、どろりとしていく思考の中で、私の頭にいいアイデアが浮かんだ。そうだ、どうせならあれにしよう。響子と私が出会うきっかけになったあれだ。テーブルに沈んでいく私を心配する響子の声を聞きながら、私は喜びに震えていた。

「ねえ、かーちゃん。本当にココ大丈夫なのかな……」

 響子が心配そうな声を上げて、私の服の袖をつかんだ。

「大丈夫ですよ。なにせ、私の師匠が紹介してくれた所なんですから」

私と響子は熱海を訪れていた。さすがに生きたまま脚を切断するなんて芸当は、私にはできないのでどうしようかと考えあぐねた末、私は師匠である蟹葉榴美を頼った。私に人肉解体から調理の仕方まで叩き込んでくれた師匠なら何かいい方法を教えてくれるだろうと踏んだのだ。そして、その読みは当たった。師匠に事情を話すと、私に食べるのが惜しいほどの恋人ができたことを祝福してくれ、この診療所を紹介してくれた。ここは表立って病院に行けない人間向けの医療施設、要は闇医者だ。

「なら、大丈夫なのかな。かーちゃんのお師匠さんのこと、アタシは知らないけれど」

「ええとですね、師匠はそりゃあもうすごいですよ。他人様の家に上がり込んで、その家の子供を殺して解体して親が帰ってくる前に撤収しちゃうんです。私は解体から肉にするのに7時間ぐらいかかるんですけど、師匠はたったの4時間でやっちゃうんです。それも、私みたいに使い慣れた作業場じゃなくて、知らない他人の家でそれをやっちゃうんですから本当にすごいんですよ」

「う、うん……まあ、よくわかんないけれど、すごいってのだけはわかったよ」

 本当に分かっているのだろうか。本当なら口でなんて説明したくない。師匠のすごさは実際に見た方が伝わる。子供を解体する時のナイフ捌き、内臓を選別する時の迷いのない手つき、他人の家に押し込む大胆さ、ジャンルを問わない料理の腕。どれを取ってもすごいの一言に尽きてしまう。

「それよりもさぁ、まだなのかなぁ、もう一時間待ってるよアタシたち」

「そうですよね……せっかく車を走らせて来たのに」

 私と響子は、わざわざレンタカーを借りてここへ来ていた。新幹線で来ても良かったが、片足になった響子を連れて熱海の街や東京駅を歩くのは骨が折れそうだったし、何より切断した脚を人目がある場所で運ぶなんて度胸は私には無かった。

「もう少し、お待ちくださいな」

 受付から声がして、私と響子はそろってびくりとした。ここの看護婦らしいイスラム系の女性がニコニコと笑っていた。首を覆い隠すほどの茨のタトゥーが顎先まで掘られていて、何ともいえない妖艶な雰囲気を漂わせていた。

「マダム蟹葉からのご紹介ですもの、特別の待遇で施術いたします。恋人の脚を食べたいなんて素敵じゃないですか。それにしても肉付きのいい脚……ローストにしたら美味しそうですわ」

 響子の脚を見つめてニタニタと笑いながら、流暢な日本語でそう言うと看護婦は受付の奥に引っ込んでしまった。垂らしてこそいなかったが、間違いなく涎が出ていた。手術中につまみ食いされなければいいのだけれど。

「かーちゃん……やっぱり怖いよここ……大体アタシお医者さんキライなんだよう」

「もう、子供じゃないんですからしっかりしてくださいよ。響子さんが言い出したことなんですからね」

「そりゃあ、そうだけどさぁ」

「ちゃんと手術を受けたら、帰りに海老名でメロンパン買ってあげますから」

「メロンパイも食べたい」

「ええ、両方買ってあげますから」

 ぐずる響子をあやしていると、診察室のドアが開いた。手術服を着た小柄の女性が立っていた。どうやらここの先生らしい。

「お待たせぇ……し、手術の用意、できたから入ってきて……」

「は、はい! ほら、響子さん立ってください」

「うん……」

 響子が診察室に入っていく、これからどの位の時間がかかるのか見当もつかないが、私はここで響子の脚が切り落とされるのを待つしかできない。

備え付けのウォーターサーバーの水を飲みながら、待合室のマガジンラックにあったプレイボーイを読んでいると、診察室から手術着を着た看護婦が現れた。

「ミス萩山。申し訳ありませんが、手術室まで来ていただけますか?」

「あの、何かあったんですか」

「いいえ、ミス柄山が貴女をお呼びなのです」

 何があったのか分からないが、響子が私を呼んでいるらしい。少なくとも、手術が失敗したという事ではなさそうだ。

「分かりました。すぐに向かいます」

「では、こちらを着けてください」

看護婦からマスクとキャップを手渡され、私はそれを身に着けた。それから看護婦と共に診察室に入ると、さらに奥の扉へと案内をされた。扉の先は手術室になっていて、手術台の周りに色々な機器が所狭しと並んでいた。手術台の横には先生が立っている。響子は手術台の上で、不安げに先生を見つめていた。

「先生、お連れしました」

「あ、ありがとうね……」

「かーちゃん……ごめんね、やっぱりアタシ少し怖くって」

「もう、ご迷惑をおかけしちゃ駄目ですよ。先生、本当にすみません」

「うんうん……しょうがないよ、だって局部麻酔で脚を切断するなんて、わ、私でも怖いもの……」

 私と響子は局部麻酔での手術を希望していた。本来なら、全身麻酔するのが良いそうなのだが、そうなると入院する必要がある。この診療所には入院設備がないため、ここで手術や肉体改造を受けたら、近くのホテルでしばらく暮らしながら治療を受けるのが常だそうだ。しかし、私たちは切断された響子の脚の食肉処理をしなければならないので、日帰りで手術を受けて在宅治療するという選択をした。

「かーちゃん、手にぎっててくれる?」

「ええ、いくらでも握っててください」

「ありがとう」

 そう言うと、響子は私の右手をぎゅっと掴んだ。

「そ、そろそろ局部麻酔が聞いてきたかな……どうかな、何も感じない……?」

 先生が響子の脚にトントンと手を触れた。脚にはマーキングがされていて、これから切除される部分が明確になっていた。腿の途中から脚が切除されて料理の材料になる。

「はい、何にも感じないです」

「じゃあ、次はマウスピースを噛んでね……」

 看護婦が響子の口にマウスピースを差し込み、響子は眉をぎゅっとしかめて噛みしめた

「じゃあ……始めます」

 先生の凛とした声が手術室に響き、看護婦がメスを先生に手渡した。メスの刃が音もなく皮膚に吸い込まれていく、皮膚から血が溢れくる。

「電メス」

「はい」

 電気メスで皮膚と脂肪が焼かれ、止血されていく。切り開かれた皮膚から露出した筋肉がハサミのような器具で挟まれ、看護婦が糸で縛って束に固定されていく。束になった筋肉が電気メスで切られていくと、血抜きのされていない肉を焼いたときの何とも言えない臭いが部屋の中に充満した。私は平気だが、響子の方は初めて嗅ぐ臭いだったようで、目をつぶって小刻みに嗚咽のような呻き声を漏らしていた。手術前に何も食べさせなくて本当に良かった。こんな時に吐かれたら困ってしまう。

「あ……骨が出てきたね……ボーンソーちょうだい……」

「はい、どうぞ。ミス萩山、ミス柄山の意識はまだありますか?」

「ええと、響子さん、まだ起きてますか」

 響子は目を開けて、こちらを見た。マウスピースのせいでくぐもった声しか聞こえないが、どうやや起きてると伝えたいらしい。

「意識はおありのようですね。ミス柄山、これから骨を切断します。痛みは少ないかも知れませんが、相当にきついですからマウスピースをしっかりと噛んでいてくださいな」

「じゃあ、いくよ……」

 ボーンソーが振動音を立てて響子の大腿骨に迫っていく、そして骨に当たると、振動音が甲高く変わり、響子の口から声にならない叫び声がマウスピースの奥から聞こえてきた。私には響子の手を強く握ることしかできない。それしかできなかった。



 響子の脚は本当に綺麗だ。アスリート特有のギュッとしまった筋肉がついていながら、肌はきめ細やかでシミひとつない。足の指も爪も綺麗な形をしていて素晴らしい脚としか言えない。

「ミス、私も手伝いましょうか?」

 手術室の片隅で、切り落とされた響子の脚を揉んで、血抜きをしている私に看護婦が声をかけてきた。

「ありがとうございます、でも、大丈夫ですよ。私一人でやれますから」

「そうですか……」

 看護婦は少し残念そうに手術台の方に戻っていった。つまみ食いなんてされてたまるか。ようやく手に入った肉を横取りされるなんてたまったものじゃない。響子の脚を揉んでいくと、血が少しずつ押し出されて肌が白くなっていく、血が抜けて響子の脚はますます綺麗になっていくようだ。響子はまだ目を覚まさない、今は手術台の上で先生に切断面の縫合をされている。

「う……あ、れ……かーちゃん、どこ」

 響子が目を覚ましたようだ。響子の脚を抱えて手術台にかけよると、響子はたちまち笑顔になった。

「よかったぁ……きちんと取れたんだね……アタシの脚」

「ええ、ええ、ちゃんと切断できました。安心してください」

「そっか……ねぇ、キスしてよ。頑張ったアタシにさ」

 私は何も言わず響子の額にキスをした。額にはまだ汗がうっすらと浮かんでいて、想像に尽くしがたい苦痛があったことを物語っていた。

「あ、あんまり動かないでね……縫ってるんだから……」

「すみません、あ、あと氷いただけますか。そろそろ冷やさないと痛んじゃうので」

「ミス、たくさん用意してありますよ。それとクーラーボックスは」

「はい、言われたとおりに持ってきてあります」

「それは良かった。しかし、皮は剝がされないのですか? 付いたままでは調理が難しいでしょう」

「いいえ、このままが良いんです。皮つきのまま使いたいので」

「……ミス、もしかして」

「あ、わかっちゃいました?」

「ええ、上品さには些か欠けますが、お二人で仲良く食べるのでしたら宜しいかと思います」

「ありがとうございます」

 そう、特別な材料で作る料理ではあるけれど、特別珍しい料理である必要はない。一緒に食べられる二人のための料理であればいいのだ。

「いいえ、ただ、その……」

「少しでよろしければ、お裾分けしますよ。お口に合うかはわかりませんけれど」

「本当ですか! シュクラン!」

 飛び上がってしまいそうなほどに看護婦は喜んでいた。惚れ惚れするほどの食いしん坊さんだ。見ているだけで、料理をごちそうしたくなってしまう。

「よ、良かったねぇ……楽しみ……」

 どうやら、先生も同じぐらいに食いしん坊らしい。立ち会っていて本当に良かった。

「せ、先生……早く、縫って……そろそろ麻酔が切れてきてるみたいなんで」

「あ、ご、ごめんね……」

 私は響子の脚を抱きしめていた。必ず美味しく食べてあげよう、そう思った。



「かーちゃん、アタシのワガママ聞いてくれてありがとうね」

 助手席でメロンパンを齧っていた響子がふいにそんなことを言った。

「別にいいですよ。そんなに並ばなかったですし」

「や、そっちじゃなくて、脚の方だよ」

「はい?」

「結構、無理しちゃってるでしょ。保険なんて効いてないだろうし、いくらかかったかちゃんと教えてよね。アタシ、ちゃんと払うからさ」

 響子の言う通り、今回の手術には結構な金額がかかってしまった。怪我や病気で手術を受けた訳じゃないし、何より闇医者で保険なんか使える筈がない。真っ当な医者ではないのだ。支払うものをきっちりと払わなければ、真っ当でない方法で取り立てを受けてしまう。私は自分だけの解体場を手に入れるために貯めていた貯金を使い果たさなければならなかった。

「……まあ、その話は後にしましょうよ。それよりも響子さんの傷を治して、義足を作って、リハビリをする方が大事ですよ」

「まあねー、年単位で休まなきゃいけないかも……あのお医者さんがきちんと診断書出してくれてよかったよ」

手術の後、先生がサービスという事で交通事故に遭って脚を切断したという診断書を作ってくれた。これで響子の勤務する学校への私傷病休暇申請ができる。

「ええ、そうですね。響子さん、脚の方は痛みますか?」

「痛いよ、そりゃあもう痛い。メロンパン食べてないと泣き出しちゃいそう」

「まだまだありますからね、遠慮せずに食べてください」

「ありがとうね」

 海老名SAのメロンパンは脚を切断した痛みぐらいなら吹き飛ばしてくれるらしい。

「ねえ、かーちゃん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさぁ」

「何ですか?」

「かーちゃんって、何で人の肉を食べるようになったの。そういう家庭だったとか?」

「それ、今話さないといけませんか」

「あ、やっぱりこれ聞いちゃ駄目だった?」

 別に話しても構わないが、何だか気恥ずかしい。だが、このまま黙って運転しているのも暇で仕方ない。私に片足を差し出してくれた響子には聞かせても良いだろう。

「いいですよ、話してあげます。私の育った家庭は普通の家庭でしたよ。本当に普通の家庭で、人肉食に出会わなかったら普通の一般人をしてたんでしょうね」

 そう、あの事がなかったら、私は響子と出会うこともなく、しがないアパレル店員としての人生を送っていただろう。

「じゃあ、何かきっかけになることがあったんだ」

「ええ、あれは中学2年生の頃でした。私のクラスメートが近所のマンションから飛び降り自殺したんです。その子の死体を見つけた私は、ちぎれかけの腕を持ち帰って調理して食べて、それが私の初めての食人でしたね」

 今でもあの日の事は鮮明に覚えている。まだ誰にも見つけられていなかったあの子の死体からあふれ出る血の色、植木の枝に引っかかって裂けた腹から飛び出した腸の輝き、かっと開かれた眼のどれもが美しく、そして悲しかった。

「何でその子は自殺しちゃったの」

「同級生からのいじめが原因でした。私はずっと傍観する側で、止めることさえしなかった。担任も他のクラスメートも傍観者でした。私はその子の死体を見て、ようやく自分もいじめに加担していたんだって自覚したんです。そして、こうも思ったんです。この子は結局何になれたんだろうって」

「まあ、言おうとしていることは分かるよ。人の未来を潰してしまうのって割と心に来るんだよね。ウチの部員にもそういう子がいてさ、大会で優勝してもぜーんぜん喜ばないんだ。どうしてって聞くと、自分と同じぐらい、いやそれ以上に練習を積み重ねてきた子たちの未来を潰してしまったからって答えてさ、優しすぎる子だったよ。かーちゃんと同じぐらい優しい子だった」

「私って優しいですか?」

「うん、かーちゃんはすっごく優しい子だよ。で、その子の死体をどうして食べちゃったのさ」

「私はその子の死体にまだ未来が、可能性があるんじゃないかって思ったんですよ。このままだと、この子は葬式をあげられて、火葬場で焼かれて、灰になっておしまいになってしまう。だけど、この子の肉を美味しい料理にすれば、美味しく食べてもらえて、人を笑顔にできるんじゃないかって。そして、気づいていたらちぎれかけの腕を外して、コートにくるんで持ち帰って、家で調理していました」

 あの子の腕の肉はカレーになり、我が家の食卓に並んだ。当時から共働きの両親のために料理を作っていた私にとって、人肉の調理はさほど難しいことではなかった。

「あの子の肉で作ったカレーはとても美味しかった……それに私と両親をとびきりの笑顔にしてくれたんです。共働きで遅い時間に帰宅してきた両親が、カレーを食べて美味しいと笑顔で喜んでくれている様子を見ていると、まるであの子が笑っているようでうれしかったですね」

「……アタシさ、かーちゃんに食べてもらえるなんて幸せだなぁって思うよ。他の子だってそうだよ。死んじゃったのは悲しいことだけれど、かーちゃんみたいな優しい子に食べてもらえるんだもん」

「響子さん……」

 ありがとうと、つい口に出てしまいそうになったが我慢した。響子の脚を美味しく食べられた時までこの言葉は取っておこう。早く帰ろう、準備やら何やらとやることは山ほどある。

 私は高ぶる気持ちをアクセルペダルに乗せて、家路を急いだ。

 鍋の中で、肉と野菜がゆらりゆらりと揺れている。ラーメンスープは沸騰させてはいけない。沸騰させると濁ってしまうからだ。弱火でじっくり、根気よく煮込んで素材のうま味を引き出していくのだ。そうすれば綺麗に透き通ったラーメンスープが出来上がる。

「ねー、かーちゃん、まだできないのー……?」

 ソファーで寝転がっている響子が待ちくたびれたように声をあげた。

「まだですよ。あと6時間は煮込んで、さらに一晩寝かせたら完成なんですから」

「ラーメン屋さんって割と大変なんだねぇ」

 あれから一週間が過ぎた。響子の傷は順調に回復している。この分なら、来月には義足の装着もできるようになるかも知れない。休暇の申請も無事に申請が通ったようで、響子は一年間ゆっくりとリハビリに励むことができる。

「それにしてもすごいね。アタシの脚、本当に丸ごと使っちゃうんだ」

「ええ、皮も肉も骨も、もちろん爪も全部煮込んで、ラーメンスープにしちゃいます。ふくらはぎと腿のお肉はチャーシューにしてあげますからね」

「おっ、そりゃ楽しみだね」

 響子の脚を使って私たちはラーメンスープとチャーシューを作っていた。昨日の夜から昆布と鰹節を水につけて出汁を取ったり、脚を解体して骨を砕いたりするなど仕込みをして、ようやくスープの煮込みに取り掛かったところだ。

「最初さ、かーちゃんにアタシの脚でラーメンスープ作るって言われた時はびっくりしたけど、ラーメン屋で出会ったアタシたちにはぴったりの料理だよね」

「でしょう?」

 ちなみに味は醤油ベースだ。これは響子と散々話し合って決めた。最初は家系ラーメンにしようかと考えていたが、想像以上に食材を使用するのと、煮込む時の匂いがものすごいらしいというのが家二郎系のページを調べていて分かったので、ゆっくりと作れる醤油ベースのラーメンスープに決まったのだった。

「けど明日まで食べらんないのかぁ……あーあ、退屈だなぁ酒は飲めないし、散歩にはいけないし」

「お酒なら少しはいいって先生が言ってましたよ」

「え、マジ? やった!」

「缶ビールの小さい奴1本だけですけどね」

「いや、それでも嬉しいよ。明日、ラーメン食べる時に飲もうっと」

「じゃあ、あとで買いに行ってきますね。その間は鍋を見ててください」

「わかったよ」

 内心、私はびっくりしていた。今までの響子ならこういう退屈な状況だと体を求めてきたはずだ。実際、響子はこの一週間、私と一緒に暮らしているのに一度も体を求めることが無かった。私と別れていた間に枯れたのか、それとも脚の痛みでそんな気になれないのか分からないが、それを聞いて確かめる気にはならなかった。かく言う私も響子の脚を食べることで頭がいっぱいで、響子を抱く気にはならなかった。

「んー……いい匂い? ま、明日になれば分かるのかな、楽しみだねぇ」

 リビングから松葉杖を使って移動してきた響子は、鍋の中身をのぞき込みながらそう言った。

「ええ、早く明日になってほしいですね」

 鍋の中身をゆっくりとかき混ぜながら、私は響子の変化に少し戸惑いを感じていた。



 私たちの目の前には丼が二つ並び、もうもうと湯気を立てていた。響子の脚で作ったラーメンが完成したのだ。きらきらと輝くスープは透き通っていて、真っ当な醤油ベースのスープであることを申し分なく伝えてきた。

「これがアタシの脚のラーメンかー、なんか普通のラーメンって感じがするね。うーん、香りは牛骨ラーメンに近いかな」

「そうですね、牛骨に近い感じ……でも、これが人の出汁の匂いですよ」

「いや、初めて嗅ぐ匂いだよ。不思議だなぁ、もっとうへーって感じの臭いになるかと思ってた」

「響子さんから取った出汁なんですよ。嫌な匂いがする訳ありません。そもそも骨から取る出汁っていうのは食べた物の風味が出るんです。響子さんの場合は色んなお酒を飲んでいたから、それはもう複雑な風味が」

「はい、そこまで! ラーメンがのびちゃうでしょ」

「……そうですね、さっそく食べましょうか」

「うん!」

「「いただきます」」

 ずそりと啜ると、太いちぢれ麵に絡んだ濃厚なスープと脂が口の中に広がり、一瞬で思考が霞んでいく。口の中で二度三度咀嚼して飲み込み、また次の麺を啜る。その合間に、なんの考えもなくスープをレンゲで飲み、チャーシューを噛み、麦茶を飲む。私たちは只々、ひたすらに無心で食べ進めていった。

「美味い……アタシの脚ってこんなに美味しかったのか……」

「……めちゃくちゃ美味しいですね。店を出したっていいぐらいですよ。響子さんの脚で作ったラーメンってこんなに美味しいんですね」

「照れるなぁ、チャーシューも柔らかくって最高だよ。アタシの脚って筋肉ついてるから固いと思ってたけどこんなに柔らかくなるんだね」

「弱火で煮込みましたからね。上手く出来て良かったです」

「でさ、どう?」

「どうって?」

「いや、アタシの脚を食べてどうかって聞いてるの」

「どうって……」

 私は言葉に詰まってしまった。響子はにこにこと笑い、私をじっと見つめている。ああ、そうかこの人が、私の中にいるのか、私と一緒になってしまったのか。

「……そうですね、嬉しい、ですよ」

「そっか、アタシもすっごく嬉しい。あのね、心がねすごくポカポカしてんだよね。かーちゃんと一緒になれたんだって、何だろ、セックスしてる時より何か嬉しい」

 響子の目から涙が溢れだした。私は響子の顔に手を伸ばし、とめどなく溢れる涙を拭っていく。

「ごめん、ごめんね、かーちゃん」

「いいんです。ああ、駄目ですね今ティッシュを」

「ねえ、かーちゃん、アタシもう一つワガママを言っていい?」

「何ですか?」

「アタシ、かーちゃんが食べたい」

 私は右手の親指を口に含んで指の腹を思いっきり噛んだ。ぶつりと鈍い音がして、口に鉄の味が広がった。そして、血の滴る親指を口から出し、響子のラーメンに血を数滴垂らした。響子は何も言わずにレンゲを沈め、私の血の混じったスープを掬いゆっくりと飲んだ。

私はその様子をじっと見ていた。そのうちに、私は響子の顔に両手を伸ばして頬を触っていた。響子もまた私の顔に手を伸ばし、頬や唇に触っていた。

そして、私たちはお互いの顔を近づけ、頬を摺り寄せていた。血の通った温かい感触がする。私と響子の体温が混じっていく。まるで、スープのように私たちはひとつになっていく。そうやって私たちはお互いのすべてを貪り喜びに震えていた


———らあめんすうぷのあなたとわたし〈完〉



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