後編

 千紘に背を向けた日から、約ひと月が経った。

 明日から冬休みだ。


 俺は、学校帰りのファストフード店で、堀井 結と向かい合わせに座っていた。


 驚いたことに、今から2週間程前、俺は結から突然告白を受けた。

 我が校のアイドルから。


 特に悩むこともなく、俺は彼女に頷いた。

 そりゃそうだろう。あれだけマジで狙っていた高嶺の花からの告白なのだから。


 嬉しくないはずがない。



 結は、グロスを綺麗に塗った唇を光らせながら、楽しげに俺に話しかける。


「明日から冬休みだねー。いっぱい一緒に遊びに行こ! すごく楽しみー。

 実はさ……隼人くんがなんか変な子とつるんでるって、少し前に噂聞いてて、ちょっと心配してたんだ。

 男みたいな口聞いて、服もガサツで、顔は可愛いのにまるでヤンキーみたいな子だって。明らかにヤバイじゃん。うっそ!?と思ったよ。

 でも、今はこうやってすぐ側で私を見てくれて、すごく嬉しい。

 私、実はずっと気になってたんだよね、隼人くんのこと。——こっそり告白するタイミング探してたんだ。

 隼人くんもあの変な子と縁切れたみたいだし、思い切って告白してよかったー」


 カフェオレのストローをクルクル回し、彼女は上機嫌だ。


「……」


 俺は、黙って目の前の苦いだけのコーヒーを啜る。



 これまでの俺だったら——

 今の彼女の言葉……特に後半部分は、一生胸にしまって大切にする宝物になっただろう。


 けれど。

 今の俺の脳に焼き付いたのは、後半じゃなかった。

 彼女の発した言葉の、前半部分だった。


 なんか変な子。

 言葉が雑で、ガサツで、可愛いのにヤンキーみたいで。



 初めて会った日。

 俺は今と同じように、ファストフード店でコーヒーを飲んでいたんだ。

 千紘の隣で。


 やたらに楽しかった。

 あの日のコーヒーは、どんなコーヒーよりも美味しかった。



 ——彼女は、もういない。

 消えてしまった。



 消えてしまった……はずなのに。


 会わなくなって、忘れようと必死になっても、この胸の中であいつは一層鮮やかに俺に笑いかける。

 ニシっと笑う顔。むすっと膨れる顔。

 そして——静かに俯いた、海辺の夕闇の中の顔。


 千紘はもういないんだ、と思えば思うほど、あいつは俺の心を占領していく。


「ねえ。

 私、ナゲット食べたくなっちゃったなー。うあ〜、あの人混みに並ぶのめっちゃウザい……隼人くん、買ってきてよぉ」


 目の前の女子の艶っぽい上目遣いを、俺は茫然ぼうぜんと見つめた。



 あの無邪気な笑顔が、不意に脳内で弾けた。


「オレ、ナゲット追加で買ってくるわー。隼人も要る? おごらねーけどな」


 あいつなら——きっとこんな風に言って、ニシって笑うんだ。



 俺の中から、千紘は、消えていない。


 消えるどころの話じゃない。



 俺は——あいつが、好きだ。

 大好きなんだ。


 女でも男でもない、「千紘」というやつを。


 夕暮れの海で、あいつが俺に「ごめん」と言った、あの言葉は……俺をあざむいたことへの謝罪なんかじゃない。


 あいつは、自分が「男」だということを、謝ったんだ。

 俺が思い込んだ「女」という性別を持っていないことを、謝ったんだ。


 そのことに一番苦しんでいるのは、あいつ自身なのに。



 なのに。

 あんなふうに、あいつを謝らせて——更に俺は。

 あいつを、心の中から消そうとしている。



 その瞬間、俺は、椅子からガタリと立ち上がった。


「堀井さん、ごめん」

「え、ちょっ、隼人くん……!?」


 俺は店を飛び出した。



 千紘に、会いたい。

 あいつに謝りたい。

 一秒でも早く。


 あいつは、こんなことで簡単に俺の心から消し去れる存在じゃない。



 一緒に過ごした時間を思い出す。

 あの時みたいに。

 くだらない話をたくさんして、これからもずっと一緒に笑い合いたい。

 あいつは、そんな誰よりも大切な存在だ。



 心臓が破裂するほどに、あの書店へ向かって走る。


 ……なんだこりゃ。

 あんなにも、学校のアイドルを手に入れたかったはずの俺は——今は、彼女を放り出して、もっと大切な何かに向かって走っている。



 息の切れる口元に、微かな笑いが浮かんだ。



 あいつのついた命懸けの嘘に、「ありがとう」と伝えたい。

 何度でも。



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ちひろについて aoiaoi @aoiaoi

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