刑罰:カジット連山殲滅掃討 顛末 1
身柄を拘束されたのは、ガルトゥイル要塞の修理場を一歩出た瞬間だった。
黒衣の連中が数名、待ち構えていたらしい。
手際よく両腕を捕え、荷物のように運ばれて馬車に放り込まれた。頭に布袋を被せられ、手足をぐるぐる巻きにされるまで、およそ三十秒。おそろしく手慣れた連中だった。
その間、ベネティムはまったく抵抗しなかった――しても無意味だろう、という確信はあった。
「あの」
と、一応、声だけはかけてみた。
「私を誘拐なんてしても、いいことは何もないですよ。身代金とか取れないですし、人質としてお役に立てるとも思いません」
返事はない。暗闇の中、馬車が走る音だけが響く。
「あ、もしかしてヴァークル社関連の用件ですか? だったら余計に無意味ですよ。あの人たち、私のことを記録から抹消したいぐらいに考えているんですから。それとも――」
「ああ。うん」
少し、笑いを含んだような声が答えた。
「言いたいことはわかったから、少し静かにしてくれないかな? あんまり時間がないんだ」
その声。どこか聞き覚えがある気がする。ベネティムは記憶を探ったが、物覚えはあまりいい方ではない。ましてや、いまはほとんど蘇生直後だ。朦朧とした印象だけしか思い出せない。
仕方がないので、素直に尋ねることにする。
「あの……どなたでしょうか? 私が以前にご迷惑をおかけした方だとしたら、申し訳ありませんが」
「はは!」
声の主は、はっきりと笑った。
「ご迷惑ね。それならたしかに、大きな迷惑をかけられたといえるかな。普段も相当に大変な思いをしている。でも、助けられてもいるからね……昔のことに言及するのはやめておこう」
「はあ」
生返事しか返せなかった。声の主が不気味に思えてくる。何者だろうか。よく考えたら、ガルトゥイルの入口で、白昼堂々こうやって自分を攫える相手だ。軍の中でも相当に権力を持っている人物なのかもしれない。
そう――当然のようにガルトゥイルの正門には歩哨の兵士が何人もいたが、彼らはまるで反応しなかったではないか。この事態は、軍の上層部も承知済みのことなのだろう。
となれば、言い訳もあまり意味がないかもしれない。それでもベネティムは言わずにはいられなかった。そういう性質だ。
「あの。私、懲罰勇者でして……これから任務に戻らなければならないのですが。ヴァリガーヒ海峡を渡って、早く北部の戦線へ復帰しないと……。《女神殺し》のザイロ・フォルバーツあたり、私がこうしてサボっているとすごく怒りそうですし……」
ベネティムはそこで声を低めた。
「最悪、また殺されるかも」
「うん。ザイロ・フォルバーツの普段の行いを考えると、あり得ない話とは言い切れない。彼は凶暴だからね」
あまりにもあっさりと肯定された。しかも、どこか嬉しそうに。
なんだかよくない流れのような気がする。ベネティムはせめてもの抵抗を試みた。
「いえ、それだけではないんですよ」
何が起きていれば、自分が戻らなければならない必須の理由になるだろうか。最悪の状況を考えて、それを口から出すことにする。
「我々、懲罰勇者部隊が実は魔王現象に与する邪悪な勢力と親密だと疑われているんです」
そうしてベネティムは、関連のありそうなことを並べ立てる。
「共生派をご存じですか? 懲罰勇者部隊がその走狗だったとガルトゥイルが決めつけている状況です。ここはひとつ指揮官たる私がなんとかしないと、このまま《女神》テオリッタごと全滅も考えられます。最悪、我々の人格凍結措置が取られかねない状況で――」
「ふ。はははははは!」
大笑いが返ってきた。手を叩いている。
いくらなんでも、無茶な説明すぎただろうか。だが、このどこか嗜虐的な響きの声の主は、ひとしきり大笑いをした後に、ため息をついてみせた。
「いや、素晴らしい」
その感想が、何を意味するものなのか。ベネティムには咄嗟には理解できなかった。
「さすがだ。凄まじい才能だよ、ベネティム・レオプール。その通りだ。きみには、対処してもらわなければならない事柄がある……そう……」
そこで、声の調子がわずかに変わった。冷たく、張り詰めた響きになる。
「ライノーと呼ばれる懲罰勇者が、魔王現象であったことが露見した」
「え」
ベネティムは言葉を返せなかった。頭が真っ白になっている。
「ライノーが」
あり得ない、という言葉は出てこない。むしろ、十分すぎるほどあり得る話だ。
もともと不気味な男だった。人間離れした言動や思考の仕方、行動も数多く見てきた。しかし、やはり咄嗟には信じられない。あのライノーが――
「……魔王現象、って……本当に?」
「そうなんだよ。そのため、彼は捕えられたが脱走し、いま行方不明……ということになっている。もちろん我々は所在を把握しているけどね」
「あの、ちょっと待ってもらってもいいですか?」
いまだベネティムは混乱していた。腕が自由であれば、頭を抱えていたかもしれない。
「ライノーが? え? 魔王現象? あの、それって実はスパイだったとか、そういう……?」
「いいや。彼は本当に人類の味方だった。魔王現象でありながら、人類に味方する……そういう、訳の分からない存在でね。きみと同じくらい、わけがわからない」
ベネティムはまた何も答えられなかった。
自分ほどわかりやすい人間はいない、と思っている。それを否定された気がして、先ほどとは別の意味で思考の空白が生じていた。
「とにかく、我々……ガルトゥイルと神殿は、ライノーを無罪放免としたい。少なくとも、懲罰勇者部隊に復帰させたいんだ」
「……それは」
嫌な予感がした。ろくなことにならないであろうことは明白だった。
「つまり……」
ベネティムはさらに考えた。頭を回転させ、結局、一つの答えしか導き出せない。
「私に、ライノーが戻って来れるよう、どうにかしろという意味ですか? え、本気で?」
「そう! さすがだね。最悪の状況を想像させたら、きみは一流の占い師になれる」
指を鳴らす乾いた音。なんだか上機嫌のようだ。
「頼むよ、ベネティム。きみの詐術で、この状況をどうにかしてほしい。これからぼくらはきみをヴァリガーヒの北岸に送り届けなければならない……その方法がある。特別な高速輸送手段がね。だけど、その前に」
身を乗り出すような気配があった。衣擦れの音。
「誰か、話を通しておきたい人はいるかな? この件に関して、きみの望みを最大限に叶えることができる。聞かせてくれないか? どうしたら、魔王現象ライノーを懲罰勇者部隊に復帰させることができるのか」
声の主は楽しんでいる。
たしかに少しだけ緊張し、切羽詰まっている様子もあるが、何かを楽しみにしている。それは確実なことのように、ベネティムには思われた。
もうどうしようもない。何か方法を言わなければ。望まれているのだから――答えなくては。それはほとんどベネティムにとって、根源的な欲求に近い。
(仕方がない)
望まれているのはイカサマだ。
ペテンでもなんでも使って、ライノーという男を懲罰勇者部隊に取り戻すことだ。まったく気は進まないが、仕方がない。
「……それならば」
一度だけ唾を飲み込み、ベネティムは呟いた。
「お願いしたいことがあります。私の名前を使って接触したい人物が二人。それから、匿名で接触したい人物が一人います」
合わせて三人。少なくともそれだけは必要だった。
「誰かな。聞いておこう」
「まずは――私の名前で、フィジウス・ヴァークルと、ニコルド・イブートン首席大司祭に。きっと、話を聞いてもらえると思います」
言ってから、一度目を閉じる。どちらにしろ暗闇であるため、あまり意味はないかもしれない。
「あの。一つ、確認したいことがあります」
「なんだろう?」
「リュフェン・カウロン聖騎士団長が、ヴァリガーヒ海峡を渡ったという話は本当ですか?」
「ああ。詳しいね。それは本当だよ」
裏付けが取れた。
(リュフェン・カウロン)
――彼に関する情報は、修理場で治療を受けながら聞いた。いまは、ヴァリガーヒ海峡の北岸に駐留しているらしい。ブロック・ヌメア要塞で兵站の管理と再編成にあたっている。ザイロ・フォルバーツいわく、いまの軍事システムの根幹を担う存在。紛れもない天才。
(だから……やれる、かもしれない)
危険なことではある。しかし、その方法がもっとも手っ取り早いのはたしかだった。
「では、匿名で接触したい方は、誰かな」
嗜虐的な笑いを含んだ声が促す。ベネティムは一度大きく深呼吸をして、呟くように言う。
「……匿名で、クラレッグ・オーマウィスク宰相に」
「へえ」
声の主は、少し驚いたようだった。
「宰相に? それはなぜ? お薦めはできないな。なにしろ彼は――」
「わかっていますよ」
共生派の、中枢人物だ。きっとそうに違いない。ベネティムにはそれがわかる。彼が勇者刑に処されることになったとき、疑いのある人物の一人の名前としてゴシップ誌にその記事を掲載させてしまった。
そのために、いまこんな目にあっているのだから。
「あの方なら、きっと動いてくれるはずです」
「何のために?」
「リュフェン・カウロン暗殺計画です」
勇者刑に処す 懲罰勇者9004隊刑務記録 ロケット商会 @rocket_syoukai
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