刑罰:カジット連山殲滅掃討 5

 フォルバーツ軍を自称する連中との交渉は、その端緒から破綻していた。

 そもそも交渉になっていなかったとも言える。


 その原因は二つ。

 やつらが異常に異形フェアリーどもに対して好戦的であったこと。

 そして、およそ一分ほどでドッタやツァーヴの悪質性を見抜くほどの知性があったということだ。


「その連中は、フォルバーツ卿の兵としてふさわしくありません」

 と、決然と言い放ったのは、自称『フォルバーツ軍』の部隊長を名乗った男だった。さきほど戦闘指揮を行っていた黒衣で、たしかにこの連中は彼を指揮官と認めているらしい。

 名前を、ナルク・デクスターといった。


「まず、この男」

 ナルクは、ドッタの腕を捻り上げながらそう言った。

「いきなり私の腰から雷杖を盗もうとしました」

「ご、誤解! 完全に誤解だよ!」

 ドッタは慌てて叫んだ。そして自ら深い墓穴を掘る。

「そっちは違う、ほんとによろけてぶつかっただけだから! 反射的に盗もうとした感じになっちゃったけど、それは単に勢いで!」


「……『そっちは違う』?」

 ナルクはドッタの言葉を聞き逃さなかった。ドッタは口をつぐみ、ついでに自らの外套の内側に手を引っ込めたが、その動き自体がすでに致命的だった。

 ナルクにそっちの腕も掴まれ、握りこんでいたものを奪われる。

「貴様、これは私のナイフだな!?」

「えっ、いや、……しょ、証拠! 証拠ある!? これはもともとぼくの持ち物なんですけど!」

「刃に私の名が刻んである。フォルバーツ卿と同じものを、護符の代わりに持っていたのだ」

「え、ザイロと同じ……? じゃあ盗む意味なかったじゃん、最悪! そんなもの盗んでこんな目に遭うなんて不幸すぎる……!」


 語るに落ちるとは、まさにこのことかもしれない。

 俺は首を振った。救いようのない馬鹿を目の当たりにして、こめかみの辺りに鈍い痛みを覚え始めていた。


「それに、そっちの男!」

 ナルクはツァーヴを指差した。

「まさしく言語道断、極めて邪悪な男です。フォルバーツ卿! いますぐ拘束しなくてはなりません!」

「え、オレ? オレのことっスか?」

 名指しされたのがよほど心外だったのか、ドッタのことをへらへらと笑いながら見ていたツァーヴは目を瞬かせた。


「オレが邪悪なんて、ひどい言い草するなあ。兄貴、この人なんなんスか? 言いがかりも甚だしくないスか?」

「何が言いがかりだ……邪悪以外の言葉が思い浮かばない! 貴様、先刻、我々の同胞ごと雷杖で撃ち抜いたな?」

 ナルクは足元の死体を抱え上げた。黒衣の兵士。やはり犠牲は出ていた――もはや生きてはいない。力無く横たわる亡骸だが、その背中に、たしかに焦げたような傷跡がある。

 背中から、貫かれた痕だった。


「ああ、その人っスか?」

 ツァーヴはその人物を覚えているようだった。

「トロールに捕まって、盾にされてたんで、まとめて撃ち抜きました。首のところグワーッて掴まれてて、まあ、どう考えてももう助からねえなと思って。いやあ、ホント、悲しいエピソードっスよね……今度誰かに話してあげたくなるタイプの」

「生きている同胞を撃っておきながら、なぜ平然としている!」

「それはオレの精神力と、切り替えのスピードが為せるワザっスね。哀しみを乗り越えたんスよ。この人はオレの胸の中で生きてますから」

「わ、笑いながら……貴様、冒涜するのか!」

「そんな気持ち欠片もないっスよ、ひでえなあ。オレがいつもニコニコしてる朗らかな男だからって、それこそ言いがかりだ! 兄貴、何か言ってやってくださいよ!」


 俺はひどい頭痛に襲われていたので、ツァーヴの言葉に何も反応できなかった。

 ただ、テオリッタが心配そうに俺の外套の裾を引っ張る。

「ザイロ……やはりドッタとツァーヴには《女神》の従者にふさわしい心構えを、もっと早く教えておくべきだったのではないでしょうか……。彼らの言い分、とてもすごく非常によくわかります」

「……俺もそう思う」

 どちらかと言えば、こいつらを矯正するのは無理なので、一般市民と接触しないようにどこかに拘束しておくべきだったと思う。


「フォルバーツ卿! このような連中は、早急に処罰するべきです!」

 ナルクが俺を見て、訴えるように叫んだ。他の黒衣たちも同様に、深く、あるいは何度もうなずいている。

 ナルクの意見は、おおむね彼らの総意らしい。

 もはやため息をつくしかない。


「……処罰の前に、まず、俺から聞きたいんだが」

「何なりと」

 かしこまった態度。ナルクだけでなく、他の黒衣たちも緊張した。さらにため息をつきたくなる。

「お前ら、なんなんだよ。フォルバーツ軍なんて聞いたことねえぞ」

「……で。……で、しょうね。ええ……わかっていました。そうでしょうとも」

 俺の言葉に、ナルクは目まいを覚えたようだった。わずかに上半身がふらついたが、立て直し、薄く笑う。


「フォルバーツ卿が、我らがノーファンの領主になられてからの話ですが」

「領主っつっても、名前だけな。経営したことねえし」

「……卿が領主になられてからの話ですが」

 ナルクは辛抱強く、俺が領主であったという認識を捨てようとしなかった。噛んで含めるような物言いで続けている。

「我々も英雄フォルバーツ卿の武名に恥じぬ防衛部隊を組織すべし、という意見が行政議会で上がりまして」

「あの街、議会制だったのかよ。それすら初めて知ったよ」

「……議会の満場一致で、可決しました」

「議会制の意味ねえな。同じ思考のやつらを集めちまってるじゃねえか」

「……そこで結成されたのが、我らフォルバーツ軍です!」


 俺の数々の横やりを果敢にも乗り越えて、ナルクは宣言した。他の『フォルバーツ軍』の黒衣たちも、真剣な顔でうなずいていやがる。頭が痛い。

「あれから我らは常に牙を研ぎ続けていました。異形フェアリーどもと戦い、領土を守るために! そしていまついに、真の領主をお迎えできたこと、限りない喜びに包まれております」

 ナルクが膝をついて、拝礼の構えを取ると、黒衣たちもそれに倣った。ずいぶんと練習したような動きだった。

「さあ、フォルバーツ卿! いまこそノーファンに凱旋し、領主の帰還を告げましょう。そして昨年から議会を支配し、専制を敷き始めた市長に対抗すべく議会を結集するときです」


「絶対にいやだ」

 ほら、始まった――と、俺は思った。

 こういうのは、都市の内紛が発端に決まっている。満場一致で議会が認めた市営の軍隊が、こんな山の中で戦闘しているのはなぜか、という点を考えれば理解できる。

 答えは一つしか思いつかない。

 彼らがいまや街でも歓迎されていない存在だからだ。少なくとも、いまのノーファンで優位に立っている勢力から。その戦闘力と有用性を示すために、こんなところで戦闘せざるを得なくなった――というところだろう。

 そうじゃなければ、本当に頭がおかしいやつらだ。


「ノーファンの内政に関わるつもりはない。俺は昔のザイロ・フォルバーツじゃないし、聖騎士でもないし、大罪人の懲罰勇者だ。知ってるだろ」

「……噂はお聞きしました。ですが、何かの間違いだと――」

「そうです!」

 黒衣の一人、先ほど俺の『肖像画』とやらを披露した女が声をあげた。

「フォルバーツ卿は、高潔にして不敗の騎士。数多の魔王を討つ空駆ける狩人です」

 誰だそれは。ドッタとツァーヴが顔を見合わせ、ついでに俺を横目に見た。

「雷と鋼の使者、ザイロ・フォルバーツ。その名前を聞くだけで異形フェアリーどもは震えあがり、悲鳴による合唱が天を満たすという言い伝えがあります!」


 言い伝えかよ、と俺は思った。

 めちゃくちゃなことを言いやがる。俺はノーファンではどういう扱いになっているんだ? こっそりツァーヴが噴き出したのも最高に腹が立つ。

「他にもまだまだあります。フォルバーツ卿は異形フェアリーたちの亡骸を串刺しにして並べ、魔王現象を恐怖に陥れたと聞きます」


 どういうわけか自慢げに黒衣の女が語れば、ドッタなんかは明らかに青ざめた顔で俺を見た。

「……ホントに? そういうことするの、趣味なの?」

「趣味じゃねえよ。即席の防壁が必要だったから、一度だけな」

「やったのはホントなんだ……」

 ドッタはさらに怯えた顔をしてみせた。

 こいつのことはもういい。それより『フォルバーツ軍』だ。どうにかしなければ。彼らに何を言うべきか迷い、せめて何か口にしなければツァーヴが本格的に笑いだすだろうな――それはさらに許容できない――と思ったときだった。


「――ザイロ総帥の領地復帰か。いいだろう!」

 ノルガユ陛下だった。やつは何か吟味するように黙り込んでいたが、アホみたいな大声とともに立ち上がっていた。

「この戦に勝利した暁には、余が正式にザイロ・フォルバーツをノーファンの領主として任命しよう」

 あまりにも堂々とした発言。俺も口を挟む余裕はなかった。

「だが、魔王現象を滅ぼすまで、ザイロ総帥を解任することはできぬ。諸君らの訴え、まことにもっともではあるが、許せ。人類の一大事である!」


 何を言っているんだ、という目で、黒衣の『フォルバーツ軍』はそろってノルガユを見た。

 ぽかん、と口が半開きになっているやつもいる。なまじノルガユが黙り込んでいただけに、意表をつかれたのだろう。まさか自分を王様だと思い込んでいるイカれた野郎だとは誰も予想できなかったに違いない。

 いや、いまも理解できていないだろう。


「それよりいまは、この山を不当に占拠する魔王現象どもを駆逐する方法について検討すべきであろう」

 ノルガユ陛下はまさしくごもっともなご意見をおっしゃって、何枚もの紙束を掲げてみせた。先ほどから一心不乱に――俺たちが戦闘中ですら一心不乱に描き続けていた紙の束だった。


「ここに設計図がある。この通りに製作を開始せよ」

 有無を言わさない、堂々とした迫力がそこにあった。

「余の考案した新兵器である。これを用いれば、この地域の異形フェアリーどもを一掃することを約束しよう!」

 めちゃくちゃな言い分だ。めちゃくちゃではあるが――俺みたいなやつが使うブラフの自信とは違う、本物の自信がそこにはあった。ノルガユはそれを本気で確信している。

 そして俺は知っている。

 ノルガユこそ、まさしく戦況を覆しうる、数少ない貴重な人材だ。


 俺やツァーヴや、ジェイスとニーリィとも違う。

 ノルガユの頭から出てくる兵器は、本当の意味で戦場を変化させてしまう――誰にでも扱える技術を生み出すという意味で。


「さあ、反撃のときだ」

 ノルガユは旗のように紙片の束を振ってみせた。

呆気にとられる『フォルバーツ軍』を、もっとも効果的に動かしたのは、現実を誤解した男の妄言だった。交渉なんかよりも百倍は威力があったといえるだろう。

「余はこの兵器を『英雄王の怒り』号と名付けた。我が号令のもと、勝利の栄光を掴むのだ!」


 誰もが何らかの説明を求めるように俺を見た。

 俺はテオリッタを見た。他に収拾をつけられそうな手段が見つからなかったからだ。


「……はい」

 テオリッタは諦めたようにうなずいた。ため息にも似た、肯定の声だった。

「皆さん、《女神》として祝福します。……が……、がんばりましょう!」

 いかにテオリッタでも、いまはそれしか言えないようだった。


        ◆


 闇の中から、声がする。

 自分を呪う声。その内容を、はっきりとは聞き取れない。

 どうせ幻聴だ。それはわかっている――わかっているが、それが聞こえ始めると眠れない。


 だからユキヒト・ヤジマは目を見開き、上半身を起こした。

 その気配を、ブージャムは敏感に察したようだった。

「……眠らないのか、ユキヒト」

 ブージャムは淡々と、感情のほとんどこもらない声で尋ねてくる。暗闇の中で、小さな焚火を燃やしている彼の姿が、くっきりと浮かび上がっていた。

 周囲には、ひしめく異形フェアリーたちの影。眠っている、というよりも、活動を停止している。ブージャムは小さな焚火に小枝を放り込み、陰鬱で平坦な声で言う。


「明日から、本格的にノーファンを攻める。体を休めておいた方が良いと考えるが」

「眠れないときもあるよ」

 ユキヒトはブージャムの横顔を見た。乾燥した頬。それは、彼が人間の血を補給していないことを意味する。

 義理堅いことだ――と、ユキヒトは思う。人間と共に行動する以上、可能な限り虐殺はしない。そう思い定めていると聞いた。


(そんなもの、気にする必要はないんだけどな)

 ユキヒトは自嘲する。いまの自分が人間と言えるだろうか?

 はるか昔に死んでいるはずの男だ。本来ならあり得ない方法で、命を永らえている。もう本来の在り方からはかけ離れているに違いない――かつての仲間の、あの男のように。

(タツヤ。お前はどうかしてるよ)

 彼もまた、同じように戦い続けているのだろう。不毛な話だ。

 もっと楽しまなければ損だ。せめて愉快な生き方をしなければ、こんな歪な方法で生き永らえる意味もない。どいつもこいつも真面目すぎた。たぶん、自分もそうだった。真面目すぎるから、こうやって、あえて不真面目なふりをしている。


「――なあ、ブージャム。何日で、街を落とせると思う?」

 眠れないのはわかっていたので、ユキヒトはブージャムを話し相手にすることにした。そしてすぐに間違いであることに気づいた。

「正確な答えを、おれは持たない。三日かもしれないし、二十日かもしれない」

「はは! だろうね」

「だが、それ以上はかからない」

 ブージャムはまた一本の木の枝を折り、火にくべた。そして傍らの闇を見る。

 そこには、一人の少女――らしき影がある。どす黒く変色した腕を抱える、どこか虚ろな瞳の少女が。ブージャムは彼女を眺め、大きくうなずく。

「嘆きの《女神》が、その力を使っている。悪夢の召喚。ノーファンは内部から崩壊するだろう。それが、アバドンやトヴィッツの見解だ」


「トヴィッツか。俺はあいつ、好きじゃないね」

 ユキヒトは、心の底から思っていたことを口にした。

「戦う動機がくだらない。惚れた女のために、世界を敵に回すなんて」

「なるほど。失礼な質問であれば指摘してほしいが――それは、同族嫌悪というものか?」

「ああ」

 こうなると、ユキヒトは笑うしかない。

「あんたの目から見ればそうかもしれないな。あんたは正直で、忌憚もない」

「褒められているのか? だとすれば、その評価に感謝を表明しよう」

「いや、まったく――大当たりすぎて気分が悪い。だから俺はこんなことをしているんだ。だから俺は終わらない戦いを続ける羽目になっているんだ。だから――」


 ユキヒトは言葉を区切り、ブージャムの視線の先にある闇の奥の少女を見た。

「頼むよ、メイヴ。嘆きの《女神》の力は、もう十分に馴染んだんだろう?」

 少女は、虚ろな瞳のままかすかに微笑んだ。ユキヒトにはそのように見えた。


(結局のところ――これが『聖女』計画の致命的な欠点だ)

 ユキヒトは闇の中で確信する。

(《女神》の力を、セーフティなく扱える。そのことがどれだけ危険か、人間どもはわかっているのかね?)


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