エピローグ

はじまりはじまり

 それから少しだけ月日が流れて、陸奥さんのくれたひまわりの花が枯れた頃。


「あの、これ……」


 恐る恐るといった様子で紅葉さんが私に本を差し出します。それは、陸奥さんがひまわりの花をくれたあの日、彼の机にあった本。なぜ私に、と思いましたが、中身を見て納得しました。


『もうすぐお渡しすることになると思います』


 あの時の言葉は、そういう意味でしたか。本を撫でれば、彼が得意げに胸を張っている姿が、一瞬だけ見えたような気がします。そのドヤ顔、腹が立ちますね。


 そして、その数日後、ハンター協会でちょっとした騒動があったと耳に入りました。どうやら職員全員分の本が届いたようです。私の手元にある物より随分薄い物だったようですが。差出人はもちろん陸奥さん。

 本が送られてきただけなら良かったのですが、中には所長宛の一通の手紙が。そこには『正式に調査をしてくれるまで、半年おきに職員全員分の本をお届けします』


「うわぁ」


 あ、失礼しました。あまりにも強引すぎるやり方だったので、つい本音が。でも、彼らしいなとも思います。

 ですが今回の陸奥さんの行動、残念ながら所長さんは無視。つまり半年おきに大量の本攻撃を受けることを決めたのです。しかしこれがなかなか面倒なようで。ハンター協会には2000名以上のハンターが在籍しているので、半年に一度2000冊以上の本が送られてきます。場所を取って邪魔だし、何よりも鬱陶しい。とんでもなく鬱陶しい。


 そんな鬱陶しいやり取りが続き、その後……










※※※




「私、この先知ってるよ! この前学校で習ったの!」

「私もこの先知ってるよ! 先生言ってたもん!」

「どうなったのか、教えてもらえますか?」

「あのねあのね、みんなで調べたの! そうしたら今までが間違いだったって分かったんだよ!」

「それでねそれでね、柵を壊し始めたんだよ!」

「その通りです」


 女性は少女たちに微笑みかけて、目の前の光景を瞳に映す。そこには、かつて彼が思い描いていた幸せな光景そのものが。

 空を大小、形様々な者が自由に飛び、大地でもたくさんの生命が人間と肩を並べて歩いている。それぞれがこの世界に生きる一つの命として尊ばれる世界。


「でもどうして真っ白な場所がこんなにあるの?」

「どうして? どうして?」


 少女たちは女性の持っている本をぺらぺらと捲って、疑問を口にする。今では全人類が持っていると言っても過言ではない、この本。どこに居ても、どんなに先の未来にでも届くように、陸奥が魂を込めて書き、出版された本だった。

 しかし、女性の持つ本だけは特別仕様で、何ページも文字の書いていない白紙の部分が連なっている。なんと分厚いその本の半分以上も。

 少女たちの質問に対して、女性は懐かしむように目を細め答えを口にした。


「ここから先は、みなさんの物語だからです。さぁ、どんな物語を書きますか?」


 果てしなく続いている白紙のページ。それは陸奥がくれた最後の贈り物。白紙のその場所に、これからの子供たちが綴る未来を描けるようにと、彼が託してくれた。それは優しい少女が、一人ぼっちにならないように、陸奥が残した想いの欠片。


「ひまわり畑のこと書いて!」

「今から行ってくるから、書いて!」

「もちろんです」

「エルちゃんも誘おう!」

「うん、そうしよう!」


 少女たちがバタバタと動き出す。彼女たちが向かおうとしているのは、かつて不気味がって人がほとんど寄り付かなかった、瑞穂山。しかし、今では楽しそうな声で溢れている、人も、異形も。


「「待っててね、アサヒさん!」」

「行ってらっしゃい」


 少女たちが駆けていくと共に、一陣の風が吹き、アサヒの髪の毛を巻き上げる。以前の彼女なら、必死にローブとマフラーで顔を隠していたことだろう。しかし、今はもうそれらは身に着けていない。隠す必要がなくなったのだ。彼女は心地よい風をその全身で受け止める。

 少女たちの背中を目で追いながら前を向けば、広がるのは幸せな景色で。ふわふわと空中を揺蕩っていたエルが、二人の少女に誘われて瑞穂山へと進んでいく。その少し先では、子供たちに囲まれた雪だるまさんと、彼の大きな身体に隠れながらも触れ合う狐さん。上空では鳥さんが優雅に旋回し、近くの川では天狗さんが流れている。他にもたくさん、みんな居る、笑顔で人間と触れ合って。だけど……


『アサヒさん』


 ふと、風に乗って懐かしい声が聞こえたような気がした。もう聞こえるはずのないその声が、涙を誘っていく。切なく疼く胸の痛みを堪えながら、アサヒは分厚い大切な本を撫でた。


「その後……」


 先ほど少女たちにより遮られてしまった文章を、彼女は声に乗せて紡いでいく。


 その後何十年もの間、陸奥さんの悪魔のような所業に耐えてきた協会ですが、ようやくその重い腰を上げました。

 代変わりを何度も経てトップが変わったこと、異形による被害があまりないこと、攻撃してくる様子がない異形が居るとハンターたちからの報告が増えたことなどなど。理由は様々でしょうが、本の置き場に困ったということも、理由の一つなんじゃないかと私は思います。

 実は陸奥さん、出版関係の方に莫大なお金を支払っていたようです。どれだけ時間が経ってもその攻撃が途切れないように、と。おそらく後200年くらいは攻撃が続いていたんじゃないでしょうか。残った費用はハンター協会の調査費用に充ててほしいと、出版社から寄付されていました。


 ハンター協会が重い腰をあげるまで、150年。調査を行い、「異形は無害である」と発表するまで50年。それから恐る恐るといった様子で、人と異形が触れ合って。世界を隔てていた境の柵が徐々に姿を消し始めて。


「そして彼が……亡くなってからちょうど300回目の、命日、である今日この日、境の柵の撤去作業が完全に終了しました」


 声に出しながら文字を綴るが、ペンを持つ手が震えて仕方なかった。幾度となく日々を経て、もう遠い過去のはずなのに、『亡くなった』『命日』と記すのは、まだ慣れない。


 陸奥の死後、宿屋の女将楓の孫娘である紅葉から手渡されたこの本。彼が書いたのは第一章『出会い』から第六章『僕の後書き』という項目まで。そこから先の記載は、アサヒが行った。つまりそれは、彼が見ることの出来なかった未来。だけど生前に彼が撒いてくれた種が芽吹く様子を、アサヒはしっかりと記録した。


「……」


 人間と異形が肩を並べて歩く道。そんな世界を実現させるなんて、不可能だと思っていたのに。全ては諦めなかった彼のおかげ。だけど……もしもう一つだけ願いが叶うなら


「陸奥さんと一緒に、この景色を見たかったです」


 アサヒは胸に込み上げてくる物を堪えながら、小さく呟く。

 人間である陸奥がたどり着くには、この未来は遠すぎた。それは彼自身分かっていたことだろう。だからどんな場所どんな時までも届くよう本に綴ったのだ。


「あなたが先に逝ってしまうこと、そんなことは出会った時から分かっていたし、覚悟も決めていたはずなのに。今、隣に居てくれないことが、どうしようもなく寂しいのです」


 幸せを感じる度に思い出す彼のこと。

 この景色を見たら、あなたはなんと言葉を紡ぐのですか。どんな顔で笑ってくれるのですか。

 聞きたいことはたくさんあるけれど、一番あなたに聞いてみたいことは……


「あなたは、あなたの人生を歩めたのですか」


 私と出会って、異形たちの真実を知ってからというもの、宿の部屋に籠もって論文の執筆ばかり。本出版のための資金集めもして、睡眠不足で何度も倒れていましたね。

 故郷には帰っていましたか? 西の街におばあ様が居たのでしょう? 他にもご両親やお友達も。大切な方たちとの時間は過ごせていたのですか?

 あなたはいつも自分以外のことばかり。他にやりたいことはなかったのですか?

 私と出会わなければ、別の人生があったのではないですか? 私が……陸奥さんの人生をめちゃくちゃにしたのではないですか?


 泣き出しそうになりながら、本をギュッと抱きしめる。そんなことをしても答えなんてもらえないのに。















『アサヒさん、僕はね……』


 近くで聞こえたその声に、ハッとする。辺りを見渡すも、当然彼の姿はない。だけどはっきりと聞こえた。異形の特徴を受け継いだ彼女の身体、目が悪い代わりに耳はとってもよく聞こえる。その耳が、彼の声を聞いた。


「陸奥さん」


 もしあなたの隣でこの景色を見ることが出来たら、どんなに幸せでしょうか。


「陸奥さん、私……」


 もうあの時のように、自分の鼓動が早く止まればいいなんて、悲しいことは思わなくなりましたよ。今は、少しでも長くこの平和な景色を眺めていたいと、そう心から思うのです。

 ……だけど、こんなに白紙のページを用意されても困ります。いくら長命と言っても、こんなに生きられませんよ。どうするんですか、あなたが騒がしくしてくれないから、全然ページが埋まらないんです。


 陸奥さん、陸奥、さんっ……わたし、わ、たし……


「私も、とても幸せですよ」


 涙と共に零れ落ちた言葉。強く吹いた風が攫っていく。

 ちゃんと彼の元に届いただろうか。不可能を可能にしてみせた彼ならば、どこに居てもどんなに離れていたとしても受け取ってくれるかもしれない。

 それに今はすぐ近くに居るような気がする。だってこんなにも胸が満たされて、隣があたたかいのだから。


「これは、むかしむかしのお話です……」


 そして彼女は今日も、音のない言葉を繰り返し、彼の形を確かめる。


〈完〉

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ひまわりの花に会いに行く 花音 @kanonon

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